最後の事件

「動くな菊川! もう逃げられんぞ!」
 埠頭。
 とある殺人事件を追っていた俺達は、そこから大きな計画を見つけ出してしまった。
 俺とその相棒、近藤が向かい合っている男が、殺人事件の犯人と思われる人物、菊川一郎だ。
「殺人容疑で、お前を逮捕する」
「違う、俺じゃない! 何度言えばわかるんだ!」
「それはこっちの台詞だ! 証拠は揃ってるんだ!」
「ちっ、畜生!」
 犯人が銃を相棒に向けた。
「しまった!」
 俺は咄嗟に、相棒に駆け寄った。そして相棒を押しのけた。
 パン、という大きな音の後に、一瞬だけ胸が痛んだ。その後、体温が急激に下がっていった。
「浅間さん!」
 相棒が駆け寄る。
 出血を止めようと必死だが、もう遅い。意識が遠のいてきた。
「う……近藤」
 それが、俺の最期の言葉となった。



 死んだ。
 ああ、もう死んじまったのか。
 刑事になった日からずっと、死はすぐそこにあるものだと考えて生きてきた。長生き出来るとはこれっぽっちも思っていなかった。だが、この瞬間がこんなに早く訪れることになるなんて、思っても見なかった。今年で46歳。まぁまぁかな。
 周りには何も無い。ただ真っ白な空間が広がっているだけ。なるほど、ここが所謂極楽というヤツか。聞いていたよりもつまらなそうだ。
「浅間荘太だな」
 誰だ? 声色から察するに、男、それも中年だろうか。
 20年も刑事やってると、何でもかんでもこうやって分析してしまう。別れた嫁もコレが気持ち悪いって言ってたっけ。
「浅間荘太だな」
「は、はい」
「私は、神だ」
 そうか、極楽だしな。話しかけてくるのはこちら側の誰かぐらいだろう。
 死んだ婆ちゃんの話だと、死人はまず裁判を受けて、その判決によって天国に行くか地獄に行くかが決められるという。これからその裁判が始まるということか。
 俺は天国に行けるのか? 確かに法に触れるようなことはしなかったけど、口は悪いし、短気だし、家族にも苦労かけたしなぁ。
「お前の最後の願いを聞いてやろう。可能な限りだが」
 何だ? こんな話は聞いていない。
 願いを叶える? そんな贅沢な話があるのか?
「願いが無いのなら裁判を始めるが、何か願いは無いのか?」
「願い、ですか?」
「そうだ。未練を断ち切り、霊に快く黄泉へ来てもらうためにこの制度が設けられた。お前にも何か願いがあるのではないか?」
 なるほど。よくテレビで見たが、現世に留まった霊の中には、他人に害を及ぼすヤツがいるそうだ。そういう霊を減らすためのキャンペーンというわけだ。
 しかし、俺の願い事って何だろう? 警察官にはなれたし、別れちゃったけど、キョンキョン似の人とも結婚出来たしなぁ。
 思いつかないなぁ。でも、このままあの世行きってのも何かなぁ。せっかく願い事を叶えてもらえるんだし、それなら叶えてもらってからの方が良いしなぁ。だいたい、知ってるのなら神様が教えてくれよ。
「無いのか」
「あ、じゃあ……生き返らせてください、みたいな?」
「2つ目の命を一定期間前に渡すことは決してあってはならない。よってその願いは聞き入れることは出来ない」
「だって何でも叶えてくれるって言うから」
「可能な限りと言った筈だ。確かに、輪廻転生を選んだ者は一定期間黄泉に滞在した後現世に戻されるが、それは新たな人間として蘇るということだ。同じ人間が、死んだ後に生き返るなどということは、本来ならあってはならないことなのだ。だから“一生”と言うのだ。1人の人間に与えられる人生は、1回のみなのだ」
「わ、わかりました」
 やれやれ、神様から直々に説教されることになるとは。
 生きる意外に叶えたいこと……そんなものあったかなぁ? 他に、他に……
「願いが無いのなら、この作業は省略し、裁判を始めるが、それでも良いのか?」
「ああっ! 待った! 1つ思い出した!」
 そうだ、大事なことを忘れていた。
 確かに俺は警官にはなったが、まだドラマみたいに事件を解決していない。子供染みてるかもしれないが、俺が刑事になったのは、2時間ドラマみたいに鮮やかに事件を解決するためだ。幼い頃から抱いて来たこの夢を忘れていたとは。
「それが願いだな?」
 神様には全てお見通しのようだ。
「はい」
「では、1度しか言わないからよく聞いておけ」
「え? あ、わかりました」
「これからお前は、銃で撃たれる前、殺人事件が発生した時に戻ってもらう」
 戻る? それじゃあ意味が無い。何しろ犯人が誰なのか、俺はもうわかっているのだから。それだけではない。何処にどんな証拠があるのかも、全てわかっているのだ。これじゃあアンフェアじゃないか。俺は船越英一郎みたいに、苦労して、頑張って証拠を見つけたいのだ。自分の感覚を研ぎ澄まし、事件の尻尾を掴んで、鮮やかに犯人を見つけ出す。そんな推理がしたいのだ。
「不服か」
「だって、それじゃあ」
「お前達は、誤った捜査をした」
「何?」
 ということは、俺達は間違った男を犯人として追っていたということか。
 何が鮮やかな推理だ。間違った推理をしている時点で刑事失格じゃないか。
「私が、お前にある印を送る。それを追えば、必ず犯人に辿り着く。ただし、それを印と見るか否かはお前次第だ」
「印ですか。わかりました、覚えておきます」
「お前の未練が断ち切れたと断定した時点で、お前は再び黄泉へ戻る」
「はい」
「お前の命は助からないが、誤って追われている者を助けることは出来る。もっとも、あの男も別の悪事を行っていたのだから、他の罪は免れないが」
「わかりました」
「では、行くが良い」
 周りが何だか明るくなってゆく。目が痛くなるほどに。俺は目を瞑ったが、光はそれでも俺の目をいたぶる。更に耳も遠くなってきた。
 だが、神様の言葉だけはしっかりと聞き取ることが出来た。
「お前の、最後の事件だ」

「……で、この範囲を浅間、浅間? おい! 浅間ぁ!」
 上司の怒鳴り声で驚いて目を開けると、そこはもうあの世ではなく、今まで勤務していた警察署だった。
 ホワイトボードには容疑者の写真と汚い地図が。今は捜査中か。
「何ボケッとしてんだ貴様! 聞いてたのかよ?」
「あ、はい。すいません」
「しっかりしてくれよ。小学校じゃねぇんだよ」
 上司が話を続ける。
 隣には近藤が座っていて、熱心に話を聞いている。ちょうどいい。本当に過去の時間に戻って来たのか聞いてみよう。
「おい」
「はい?」
「今日、何月何日だ?」
「何言ってるんですか?」
「いいから。何月何日だ? え?」
「じゅ、10月の、4日ですけど」
 神様の言っていたことは本当だったのか。
 10月4日。殺人事件が起きた2日後、そして、俺が撃たれる筈だった日の1日前だ。
 ボードに貼られている写真をよく見てみると、それが菊川一郎の写真であることがわかった。状況証拠から菊川が犯人だと断定したときに戻って来たのだ。ならば、1週間後までに真犯人を見つけ出さなければならないというわけか。
 会議が終わり、同僚刑事達が菊川を捜しに向かう。近藤も行こうとしていたが、俺はそれを無理矢理止めて、事件現場に向かうことにした。
「何してるんですか? 早く捜査に行かないと!」
「現場に行く」
「は? 何で?」
「犯人は菊川じゃない」
「ええ? 浅間さん、昨日までアイツが犯人だって言ってたじゃないですか!」
「それは強盗事件の方だ。殺人はアイツじゃない」
 根拠は言わず、強引に近藤を連れて行く。コイツは理数系で、霊的なものは全く信じない質の男だ。「神様が違うと言っていた」なんて言ったところで馬鹿にされるのがオチだ。


 さて、現場はここから車で1時間程の所にある。都内有数の豪邸で、まるで中世の城みたいな家だ。ここに住んでいるのは名家・猪口家の親族である。殺害された光三郎翁、その妻の菊乃、長女の麗華、次女の皐月、長男の公康の5人、執事の沖田四郎、そして、メイドが4名。日本の家庭像からかけ離れた家だ。執事だのメイドだの、どれも物語の中の存在だと思っていた。
 事件の概要はこうだ。
 先日、その猪口邸に強盗が押し入った。その日はちょうど家族が皆外出しており、家に残っていたのは風邪をひいて寝込んでいた光三郎のみだった。メイドは数名残っていたが、相手はスタンガンを使用していたらしく、物置に眠らされていた。執事の沖田がいれば状況は変わっただろうが、残念ながらその日は彼も菊乃達に付き添っていた。
 窓ガラスを割って中に侵入、屋敷を物色していたが、途中で部屋を出た光三郎と鉢合わせになり、彼を殺害して逃走したと考えられる。光三郎の遺体が発見されたのが彼の寝室ではなくリビングだったためだ。おそらく物音に気がついたのだろう。
 その後、聞き込みと外部の監視カメラの映像から、強盗が菊川一郎であることが判明した、というわけだ。


 今日の道は空いており、予定よりも早く着くことが出来た。車を家の目の前に置いて外に出る。1度ここに来ている筈なのだが、どうしてもこの荘厳な屋敷には慣れない。
「でも、捜査は殆ど終了しているんですよ? 証拠は鑑識が全部持って行っちゃいましたよ」
「わからないだろ? 見落としがあるかもしれない」
「どうかなぁ」
 大げさに首を傾げているが、新しい証拠が見つかればきっと態度を変えるに違いない。これまでにもそんなことがあった。
 城の敷地内には、大きな庭や池がある。庭には数体の銅像まで飾られている。ここも、俺からしてみればあの世みたいなもんだ。華やかで、俺の住んでいる世界とは似ても似つかない。
 庭の花壇には色んな花が植えられている。名前なんて全くわからない。多分外国産だ。花の周りを蝶が数匹飛んでいる。今年は10月になってもまだ暑い。昆虫達の体内時計が狂ってしまったらしい。
 屋敷のインターホンを鳴らすと、大きな鉄の扉が開かれ、執事の沖田が出迎えてくれた。一昨日もここに来たばかりなので、相手もすぐにわかってくれた。
「捜査ですか」
「ええ、そうです」
「では、どうぞこちらへ」
 ここでは靴を脱いではならない。だから、歩く度にコツコツという音が響く。床は大理石で出来ているのだ。壁には等間隔で燭台が左右に複数個設置されている。天井にライトが埋め込まれているのは何のためなのやら。
 俺達が通されたのは天井のシャンデリアが目立つ客間。ソファが2つ向かい合うようにして置かれている。
「奥様方は今出かけておられます。こちらでお待ちください。ただいま紅茶とケーキをお持ちします」
「あ、どうも」
 ちょうど腹が減ってきた。遠慮すべきだろうが、ここは喜んでおやつを貰うとしよう。だが、その前にやることがある。俺は窓に近づき、それを開けようとした。だが俺の知っているものとは構造が違うらしく、簡単には開かない。
「ちょっ、何やってるんですか?」
「タバコだよタバコ。我慢しててさぁ」
「全く。勘弁してくださいよ。僕苦手なんですから」
 近藤はそう言って部屋から出て行った。俺もどうにか窓を開けることが出来た。なるほど、強盗の足がついた理由がわかった気がする。たとえ窓ガラスを破壊して鍵を開けても、これではどうやって開ければ良いかわからない。
 窓を全開にすると、外の風が一気に流れ込んでくる。この風がまた心地よい。こんな感情が持てるってことは、今は生きている状態と同じなのか。
「不思議だなぁ」
 タバコを取り出し、ライターで火をつけて一服しようとしたとき、外から風に乗って何かが入り込んだ。
 蝶だ。
 黒地に赤と白の模様が入った羽根を持った蝶。外にいたものとは違う種類だ。外にいたのはもっと小さかったが、あの蝶はもっと大きい。手のひらぐらいはあるだろうか。
「あっ! まぁ良いか」
 ゴキブリやハエならまだしも、蝶なら別に害にはならないだろう。無視して至福の時を過ごす。
 煙を吹かして空を眺めていると、不意にあることを思い出した。
 確か神様、何か印を送るとか言ってたっけな。
 思わずタバコを落としてしまった。先端が腿に当たった。
「印……印!」
 もしかして、あの蝶が印なのではないか? この近辺では見たことが無い種類だった。あまりにもわかりやすいヒントだが、この制度は霊の未練を断つためのもの。手っ取り早く捜査を終わらせろということだろう。
「蝶! おい!」
 腿の火傷もあり、俺は大慌てで部屋を飛び出した。しかし、蝶は近くにはいない。あのスピードなら追いつける筈なのに。
 ちょうどそこへ近藤が戻って来た。
「終わりましたか?」
「なぁ、蝶見なかったか?」
「蝶?」
「そう、黒くてデカいヤツだよ!」
「いや、見てないですね」
「そ、そうか」
 まぁ、神様の使いってことはただの人間には見えないか。特にコイツには絶対に見えないだろうな。聞く相手を間違えてしまった。
 そこへ、今度はトレーにカップとケーキを乗せて沖田が戻って来た。良い香りが漂ってきて、俺の食欲を刺激する。
「お待たせいたしました。お2人とも、どうなさいました?」
「ああ、あの、蝶を見ませんでしたか? このぐらいの、黒い蝶なんですが」
「蝶? いいえ、見ておりませんが」
 この人なら近藤よりはマシだと思ったんだが、やはり地道に探さなければならないか。
 ひとまず客間に戻っておやつを戴くことに。それを食べながら聞き込みをすることにしよう。
「その後、何か変わったことは?」
「と、言いますと?」
「怪しい人物を見たとか、盗聴器があった、とか」
「容疑者は見つかったのでしょう?」
「まぁ、そうなんですけどね」
「この人、犯人は別にいるって言い張ってるんです」
 言ったのは近藤だった。面倒臭いことしやがって。
「別にいる? 何故です?」
「そ、それは……刑事の、勘?」
 笑い声も上がらない。かといって誰かが反論してくれるわけでもない。あぁ、やっちまった。こういうのが1番嫌いなんだよ。
 沖田は明らかに白い視線を向けているが、近藤はどこか納得しているようだった。
「勘、ですか。まぁ頑張ってください。私も何か思い出したら連絡します」
 沖田は呆れた表情でそう言うと、トレーを持って出て行ってしまった。
 貴重な時間を無駄にしてしまった。また相棒に怒られてしまうか、と、思いきや、
「浅間さんの勘って当たりますからね」
 何と俺の意見に賛同してくれた。神の力か、はたまたコイツが元からそう思っていたのか。どちらにしろ、風は俺の方に向いて来ている。
「あなたの勘は、毎回当たるんですよね。適当に言ったことが正しかったり。変人だから、今までずっとあなたと一緒に捜査してるのかもしれませんね」
「近藤、お前」
「……で、その後進展は? 蝶だけですか?」
「ああ。あの蝶見つけないと」
「事件と関係あるんですか? 蝶って」
「いちいち聞くなって。俺にはわかるんだよ……」
 近藤の後方に、それはいた。
 黒い羽根に赤と白の模様。アイツだ。印の蝶だ。
「蝶! 蝶!」
「え? あっ!」
 近藤にも見えている。彼は手をバタバタ動かして蝶を捕まえようとしている。違う。捕まえてはならない。蝶が何処に行くかを知りたいのだ。
「捕まえるな! 追え! 追うんだ!」
「は、はい!」
 慌てて蝶の跡を追う相棒。俺も追いかけるが、ばてていて上手く走れない。
 息が切れて途中で休憩していると、玄関先で悲鳴が聞こえた。男女の声だった。何だか嫌な予感がする。玄関に向かうと、そこでは近藤と猪口家長女の麗華が尻餅をついて倒れていた。ぶつかったようだ。
「ちょっと、どこ見てんのよ! 痛いじゃないの!」
 近藤は目を合わせないようにして、小さく頭を縦に振った。

 話によると、近藤が蝶を追って走っていると、ちょうど買い物から帰って来た麗華達3人と鉢合わせになり、ぶつかってしまったそうだ。
 麗華はいつまでも怒っている。確かに勢いつけて走った近藤も悪いし、そう指示した俺にも責任はある。だが、これが令嬢の態度か? こんなブリブリ怒っている姿を世間が知ったらどうなるだろうか。
「本当に頭に来ちゃうわ」
「すいません」
「まぁまぁお姉様。そのくらいにして差し上げたら?」
 次女の皐月が麗華を宥める。だが、これは本心からのものではない。2人、いや、ここにはいないが公康も含めた3人が互いを嫌っていることは何となくわかっている。彼等はきっと、光三郎の死など何とも思っていない。彼等にとって重要なのは父親よりも財産なのだ。その証拠に、彼等は両手に大量の紙袋をぶらさげている。
「それより、大体何でまだ警察の方がいるのかしら?」
 彼等の母親、猪口菊乃が尋ねてきた。沖田よりも面倒くさそうだ。
 俺の口から事情を説明した。遠回しに言うよりも、さっきの近藤みたいにストレートに言った方が案外通るかもしれない。
「実は、犯人が別にいる可能性が出てきまして」
「別に? あら、それは困ったわね」
「ええ。もしかしたら、何か見落とした証拠があるのでは、と思いまして」
「で、見つかりましたか?」
「まだ捜索中です」
「なら、あまり汚さないでよね」
 麗華が、わざと俺にぶつかって奥の間へ消えていった。菊乃と皐月も麗華のあとを追って行った。
「あなたの勘も外れることがあるんですね」
「え?」
「蝶を追って行ったらこのザマですよ。もう、恥ずかしいというか何というか」
「蝶を追ったら……?」
 なるほど、そういうこともあり得るか。いや、寧ろそちらの方が納得がいく。
 俺は近藤の肩を叩いて奥の方を睨んだ。これが神のヒントだとすれば、間違いない。
「あの中に、犯人がいるってことだ」
 近藤は何も答えなかったが、多分俺の考えに乗ってくれている。
 動機も納得がいく。財産のためだ。あの金遣いの荒さだ。きっと小遣いが欲しくなったか、何処かで借金でも作ったかしたのだろう。或いはこういうのはどうだ? 妻の菊乃が犯人だとしたら、何処かで愛人を作って、夫が邪魔になって殺した、とか。
 どうだ、1度に複数の推理を展開したぞ。気分はすっかり2時間ドラマの帝王よ。
「でも、そうなると菊川は? 近くのカメラにはアイツの姿が映ってたんですよ?」
「あいつは、まぁ、偶々ここに来たんじゃないか?」
「偶々?」
「ああ。アイツは強盗だ。金目の物を探して、ここに入ったんだよ」
 そう言ったが、自分でも何だか納得がいかなかった。アイツは本当にタダの脇役なのか? これでまた別の人間を犯人にするわけにはいかないのだ。もっと真剣に考えないと。
 知恵を振り絞って考えていると、近藤が素っ頓狂な悲鳴をあげた。
「浅間さん!」
「ん?」
 近藤が何かを指差している。そちらへ目をやると、何とあの蝶が飛んでいるではないか。またヒントをくれるらしい。
 蝶が動き出したと同時に俺達も走り出す。今度は俺が先頭だ。蝶はひらひらと宙を舞って、麗華達が入った奥の間に入った。そこは普段猪口家の面々が食事をする際に使用する部屋だ。それにしては大きすぎる気もするが。
 中では麗華と皐月が、買って来たバッグを見ている。また麗華の所に向かうのか? そのヒントはもう貰った。決定打が欲しいんだ! 俺達が血相を変えて室内に飛び込んで来たものだから、麗華がまたしかめっ面をした。その頭上を蝶が飛び回っている。
 やはりヒントはこれだけか……。ところが、蝶は消えること無く再び動き出した。麗華の元を離れて、部屋の奥へと飛んで行ったのだ。
 目で追って行くと、ある人物が視界に飛び込んで来た。片手に携帯電話を持った猪口菊乃である。蝶は彼女の携帯に留まると羽根を閉じ、その後すっと消えてしまった。
「何? 何の用かしら?」
 皐月が聞いてきた。俺と近藤はそれを無視して、菊乃に話しかけた。
「奥さん。その携帯、調べさせてくれませんかね?」
「はい?」
「携帯の、通話履歴が知りたいんです」
 蝶のヒントは、ズバリ彼女の携帯電話。その中のものを調べろということだろう。ここで、俺はもう1度推理する。もし、菊川がタダの脇役ではないとしたら。あの日にこの家に入るように、誰かに指示されていたとしたら。
「何故? 何故お母様の携帯を? お母様を疑ってるの?」
「いえ、これは……」
「やめなさい」
 怒鳴る娘達を菊乃が制した。
 彼女は携帯を渡そうとはせず、それを自分のバッグの中に閉まって腕を組んだ。
「もし見たいというのなら、令状って言うのかしら、アレを持って来てちょうだい。そうしたら、好きなだけ見ても良いわよ」
 老婆が笑みを浮かべる。
 令状を持ってくるのも良いが、彼女はその前に怪しい物を処分してしまうだろう。
 この態度から察するに、彼女が事件に関わっていることは明らかだ。それなのに、今すぐ逮捕出来ない。このもどかしさが耐えられなかった。
「わかりました。今日のところは、これで失礼します」
 俺はひとまず猪口家から出ることにした。何としてでも証拠を見つけ出さなければ。
「ちょっと、浅間さん!」
 車に戻る2人。隣に座るや否や、近藤が俺に詰め寄って来た。
「どうするんですか? 早くしないと証拠消されちゃいますよ!」
「ああ。どうしよう」
「策無しかよ、もう……」
「……いや、まだあるかもしれない」
 大事なことを思い出した。そうだ、俺はこの先の未来を知っている。もし俺が思っている通りに時が進んでくれるなら、まだチャンスはある。
「菊川がいる」



 翌朝。
 他の刑事達の活躍により、強盗犯菊川の居場所が明らかになった。これからヤツの潜伏先に向かい、逮捕する。
 良かった。あの日と全く同じだ。違うのは、俺と近藤がヤツを捕まえる理由くらいだろう。
「じゃあ浅間と近藤は……」
「埠頭の辺を回ってますよ」
「埠頭?」
「近くにあるでしょ? 逃げないとも限らない」
「うーん、わかった。じゃあ埠頭近辺を頼んだ」
 会議は間もなく終了し、俺と近藤は他の刑事達と別行動をとった。
 この未来は俺にしか見えていない。菊川が何処へ逃げ、そこで何が起きるのか。知っているのは俺しかいないのだ。何だか不思議な気分だ。
「近藤」
 運転しながら、相棒に伝える。
「俺、今日死ぬわ」
「何馬鹿なこと言ってるんですか? らしくないですよ、浅間さん」
「へへへ、そうか」
 30分程走ると、目的地の埠頭が見えてきた。ドラマなんかで使われそうな場所だ。
 適当な場所に車を停めると、俺はスタスタと問題の場所へ向かった。近藤もわけがわからないまま着いて来ている。
「浅間さん、何処に行くんです? ここ、知ってるんですか?」
「ああ。知ってる。ここで何が起きるのかもな」
「また意味不明なことを」
「もうじきわかるさ」
 やがて、遠くの方からサイレンの音が聞こえて来た。近藤は「また勘が当たった」と興奮している。今回は勘ではない。上手く説明出来ないが、1度体験したことを、これからもう1度体験するのだ。
 物陰に隠れて待っていると、拳銃を持った菊川が半べそをかいてやって来た。近藤とアイコンタクトを取り、互いに銃を取り出して前に躍り出た。まさか待ち伏せされているとは思っていなかったのだろう、菊川は悲鳴を上げて銃をこちらに向けた。
「動くな菊川! もう逃げられんぞ!」
「く、くそっ!」
 何発か発砲してきた。慌てて影に隠れる。おそらく今発砲したのは3発。パニックになっているから、銃弾を何処かで消費している可能性もある。上手くいけば、誰も血を流さずに相手を捕まえられるはずだ。
 俺はまた近藤に目で合図する。発砲が止んだら、同時に飛びかかって取り押さえる、と。だが、所詮目だけではしっかり伝えることは出来ない。近藤は勘違いして、銃を構えて物陰から飛び出してしまった。
「畜生!」
 当然相手は銃口を近藤に向ける。
 相棒が危ない。俺は咄嗟に身体を動かし、近藤の元に駆け寄って彼を押しのけた。菊川の方を向こうとした瞬間、胸に一瞬だけ痛みが走った。
「浅間さん!」
 痛みはすぐに消えたが、今度は中から液体が流れ出る気味の悪い感触が襲って来た。そして、体温が急激に下がり始めた。血が抜けるに連れて意識が遠のき、その場に倒れてしまった。近藤が間一髪のところで俺の身体を受け止めてくれた。
「浅間さん! 浅間さん!」
 相棒は止血に必死だ。馬鹿野郎。今はそんなことをしてる場合じゃないだろう。
「くっ、や、ヤツを、ヤツを……」
「でも!」
「早く! ぜ、全部、無駄に、なる……」
 言葉を発することも困難になった。でも、相棒にはちゃんと伝わったらしい。近藤は俺の身体を地べたに寝かせると、声を上げて菊川に迫って行った。
 未来は、変わらなかったか。でもこの方が良い。ある日突然ワケのわからない方法で命を落とす方がよっぽど怖い。
 風が冷たくなって来た。そろそろ時間だ。
 俺は静かに目を瞑り、あの真っ白な世界へ向かった。

 その後、菊川の身柄は取り押さえられ、証拠品の携帯も押収された。通話履歴を調べてみると、予想通り猪口菊乃と何度も連絡を取っていたことが明らかになった。
 だが、恐ろしいのはこの後だった。事件は菊乃1人が考えたものではなかったのだ。全ては家族を見捨てて愛人と関係を持っていた光三郎氏を殺すために、猪口家の全員が計画したものだったのだ。
 光三郎氏を殺害した後、元々繋がりのあった菊川を屋敷に呼び出し、強盗をさせる。場所は猪口邸なのだから、毛髪や皮膚片、或いは指紋が出たとしても家族や執事、メイド達が疑われる可能性は低い。屋敷に侵入した菊川が殺人犯として追われることになる。これが、彼等が企てた計画の全容だ。



 浅間刑事の葬儀の後、近藤は犯人逮捕の功績を讃えられて警視総監賞を受賞した。これは彼のキャリアアップにも大きく関わってくるだろう。
 だが、その輝かしい栄光と引き換えに、近藤はかけがえの無い相棒を失った。「今日死ぬ」、あの言葉は冗談ではなく、本当のことになってしまった。今でも彼は嘆いている。あのとき自分が出て来なければ、浅間が撃たれることは無かった。自分のせいで彼は死んだのだ。
「お先に失礼します」
 仕事をひと通り終えて、近藤が席を立った。
「近藤ちゃん」
 先輩刑事が優しく声をかけてきた。彼は浅間の同僚だ。
「あんまり、深く考え込むなよ。近藤ちゃんまで倒れちゃうぜ?」
「ああ、すいません」
「アイツも、近藤ちゃんが元気でいることを望んでいるだろうからな」
「そうでしょうか」
「え?」
「いや、すいません。失礼します」
 警察署から出てくると、近藤は深呼吸した。ここ最近胸が苦しくなる。先輩が言うように考えすぎているせいだろう。
 これぐらいが良い。当然の報いだ。
 神が罰を与えた。これまで霊的なものは信じて来なかったが、今回はそう感じていた。
 さて、買い物をして家に帰ろう。その前に、浅間の墓に花を手向けよう。そんなことを考えながら歩いていると、後ろから、
「近藤!」
 懐かしい声がした。
 振り返ってもそこには誰もいない。だが、代わりにある生き物が宙を舞っていた。
「蝶……?」
 黒地に赤と白の模様のある蝶。名前も知らない、しかし、懐かしい蝶。
 蝶は近藤の周りを少し飛んだ後、空高く上っていってしまった。
「浅間さん」
 上司が励ましに来てくれた。そうとしか考えられなかった。
 まだ浅間は自分のことを見ている。へこんでいたら、それこそとんでもない悪戯をされてしまう。頬を叩いて気を引き締めると、近藤は再び歩き出した。

最後の事件

最後の事件

凶悪犯に撃たれて殉職した刑事。このままあの世に行く筈だったが、神は最後に、1つだけ願いを叶えてくれるという。刑事が頼んだこととは……? *推理する場面はありますが、推理小説ではありません。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-10-13

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著作権法内での利用のみを許可します。

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