涙の雨

涙の雨

気がついた時には冷えきっていた。

午前6時半過ぎ。
今日は朝から雨が降っている。雨は嫌いじゃない。湿気は嫌だけど。
せっかくの週末に急に仕事が入ったと言われて最近、近所にオープンした木苺のムースケーキがおいしいと評判のカフェに行く予定をドタキャンされた。

本当にごめん。と文末に書かれた智からのメールに「そっかぁ残念だけど仕事ならしょうがないよ。週末まで大変だね。お疲れさま。頑張ってね」と、女の子らしい本文を意識しながらメールを作成した。送信。
どうしても、ため息が出てしまう。
たまにこういうことがあるからだ。
2ヶ月に1度くらいの頻度で。
まぁ仕事だからしょうがないのだけれど。
再び布団に潜り込んでもう一眠りすることにした。
次に起きたのは10時頃だった。少し寝過ぎたかと思ったが朝のメールを思い出し体を起こすのをやめる。
ベッドから手を伸ばして届く範囲にある、窓のカーテンを開けて外を見る。
まだ雨が降っている。
空は灰色の雲で覆い尽くされ、大粒の雨が窓に当たり、下へと流れて消えていく。私の今の気持ちを表現してるみたい。
暫く雨の音を聞いていた。

ちゃんと起きたのは30分後だった。お腹が空いた。
今日は何しようか?と考えていると、メールの受信音がした。親友の唯からだ。
「突然だけど、今日暇??もし予定が空いてたら最近、咲の家の近所にオープンしたっていうカフェ行かない?」と。
智と2人で行く予定だったカフェだ。少し考えてから
「いいよ、何時?」と返信する。
”2時に駅前”という約束になった。
1:30に家を出ればいいか。
時間もあるので部屋の中を掃除することにする。
キッチン、リビング、ベッドルーム、クローゼット、洗面所。
キッチンには彼の使っている黒と私の使っている白のマグカップ。
ベッドの上には彼の使う枕。
洗面所には彼の歯ブラシ。
クローゼットの中にも彼の服も何着かある。
この部屋はいつの間にか私と智の私物で溢れていた。
智とはもう3年の付き合いだ。半分同棲している感じで、週に3日は泊りにくる。一昨日も泊りにきた。だからと言って智は仕事の関係で夜遅く帰宅し朝は早く出て行くため、一日中一緒に過ごせる日など殆どなかった。

午後2時、駅前。相変わらず雨は止まない。
5分後くらいに、ごめん~待った~?と言いながら私の方に唯が走ってくる。
唯はかわいい。大きな目にマスカラで整えられた長いまつ毛。ふっくらした唇。少しカールしたクリーム色の髪。白のブラウスに淡いピンク色のスカート。少し小さめの背の高さ。私と正反対の可愛さだ。
まるで台本があるかのように「ううん、待ってないよ。私も今来たところ。」と言った。

カフェは少し混んでいた。10分くらい待って窓際の席に案内される。
外装と同じくアンティーク調で揃えられ、紅茶の良い香りが漂っている店内は落ち着いた雰囲気を醸し出している。
木苺のムースケーキと紅茶のセットを2つ頼む。
先に運ばれてきた紅茶に口をつけた。マスカットの香りがふわっと口の中で広がる。いい香りだ。
先に口を開いたのは唯だった。
「最近どう?智くんと仲良くやってる?」ぱっちりとした目で私を見ている。
「相変わらずだよ」と返した。
「そっかぁ~咲達仲良いもんね。智くん浮気とかした事ないでしょ?一途そうだし!ほんと素敵なカップルだよね!憧れる!」と少し大袈裟に彼女が言った。
智が浮気か。考えた事もなかった。それにお互いの隣に誰か他の人がいる事が想像できない。
私は、付き合い長いからね。と笑顔で返した。
唯は確か、涼介さんという方と付き合っていた事を思い出す。前に唯と呑みに行き、結構酔ってしまった唯を涼介さんが迎えに来た時に少しだけお会いした。本当に少しだけ。
私は付け加えるように「唯こそ、涼介さんと仲良いでしょ?」と聞いた。すると唯は少し表情を曇らせて「それがね、涼介ずっと浮気してたの。で、今、少し距離を置こうって事になって。たぶんもう別れると思う。」と答えた。正直、意外だった。少しだけしか見たことはなかったがパッと見た涼介さんの印象は凄く真面目そうだった。浮気なんてしなさそうな。私が返答に困っていると、声のトーンを上げて無理に笑顔を作って「ちょっと咲まで落ち込まないでよー!多分ね、いつも私の隣には涼介で、涼介の隣には私しかいない!って安心し過ぎてたんだと思う。だから!咲は私みたいにならないように、ないとは思うけど智くんが浮気してないか、たまに確かめた方がいいよ?」と言ってきた。
でも、どうやって確かめたらいいの?と疑問に思いながら、うん。と頷いた。沈黙が少し。
次の言葉を探していると、タイミング良くケーキが運ばれてきた。

表情が一気に明るくなり、おいしい!と言った彼女の態度に少し安心する。
私も一口食べてから、おいしいね。と言った。丁度良い甘さに少し控えめに酸味がある。
甘酸っぱい。

駅まで一緒に行き、今日は解散した。
帰り道。
唯と涼介さんの事を思い出して、少し不安になる。私達は大丈夫。と思いながらもやはり不安は消えない。むしろ考えているうちに段々と不安が積もっていった。
智の声が聞きたい。
今すぐ会いたい。
そんな風に思ったのは、すごく久しぶりだった。
私はスマホを取り出してアドレス帳を開く。智に電話をかけた。少し声を聞いたらすぐに切ろうと思っていた。
プ、プ、プ、プ、プルルルルルル、ププルルルルル
「はい、もしもし!」智の声だ。安心した。
「咲?突然どした?」
私が話そうとした時だった。
智の、もしもし?という声の後ろから「ねぇ~」という女性の声。
耳を疑った。
耳を澄ませる。
今度ははっきりと「ねぇってばぁ~さとくん~誰と話してるのぉ?」という甘ったるい声が聞こえてくる。
傘に当たる雨の強い音が私の耳から一瞬にして消える。
通話終了ボタンを押してしまった。
頭の中が真っ白になる。怖い。
手が、足が、私の全身が冷たくなる。
今のはきっと智じゃなくて他の人にかけ間違えたんだ。だって智は今日は仕事なのだ。そう仕事。
ゆっくりとスマホの画面を見る。
しかし、紛れもなく私がかけたのは智だった。溢れ出した涙が頬を伝う。

家に着いた後、床に放り投げたスマホからは智からの着信音が鳴り響いていた。煩い。煩い。煩い。
耳を塞ぐ。
長い着信音が消えた後、次の着信が来る前に、スマホを拾い上げ電源を切る。
智の事が大好きなのに。
あんなに信用していたのに。
そんな気持ちに逆らうように身体が勝手に、この部屋の智の私物をゴミ袋に入れていった。コップ、歯ブラシ、枕も。それからクローゼットの中にある智の服も。
一緒に入っていた自分の服には彼の匂いが微かに付いていた。
ベッドルームに行き、シーツの匂いを嗅ぐ。ここにも智の匂いがあった。
涙が止まらない。
悲しさと悔しさと怒りが入り混じる。手足から力が抜ける。
しゃがみ込んでしまった。

突然、玄関の扉が開く。智だ。
彼はこの部屋の合鍵を持っている。
入ってきた彼は全身雨でびしょ濡れだった。走ってきたのだろう。
それからこの部屋に散らかった、私と彼の私物を見て一瞬驚いた表情をした。
私は「出て行って」と呟いた。
彼が私の名前を呼ぼうとした瞬間に今度は、はっきりと彼の方を見て「出て行って」と強く言った。
彼は俯く。暫く立ち尽くした後、静かに出て行った。
扉が閉まる音がする。

雨と時計の秒針の音が鳴り響くこの部屋で、私は1人静かに目を閉じた。


朝から降り続く雨はより一層強さを増して降っている。
暫く止みそうにない。

涙の雨

最後まで読んでくださりありがとうございました。

私は雨が好きです。大雨は好きじゃないけれど。
台風の影響で休校になった日の朝、相変わらず止みそうにない雨の様子を窓から見ていました。その時に、ふと考えついた作品です。
以前から機会があれば雨が登場する作品を書こうと思っていました。
けれど、思ったより悲しい雰囲気になってしまいました。
次回は明るい内容にはしたいな
もしまた暗かったらすいません

また次の作品でお会い出来たら幸せです。

涙の雨

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-10-13

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