レモンティー
レモンティーの香りが充満した部屋で。
レモンティー。わたしはその味のどこがいいのかわからなかった。
康介はリビングでTVを見ながら青色のマグカップにレモンティーを淹れ、満足気な顔をして飲んでいる。
「あーうまい」
台所で食器を洗っている私は彼の背中を見て「そんなにおいしい?」と聞いた。
私はレモンティーの酸味と甘味の微妙な割合がどうも好きになれなかった。自販機で売っているのなんて酸味が消えて甘味が出しゃばりすぎていると思う。
いつも紅茶は無糖のものばかり飲んでいた。
「美希は人生の半分は損してると思う!無糖なんて水と変わらないじゃん」と彼が振り返ってあまりに真っ直ぐな目で言うもんだから私は、そこまでいうならと水を止めてエプロンで手を拭きながら彼の隣に行った。康介の飲んでいるレモンティーの入った青色のマグカップを手にとって一口飲んでみる。やっぱり好きじゃない。と思いながらも「おいしいかも」と言うと嬉しそうに、だろ?と彼が笑顔で言った。
康介と2人きり。
レモンティーの香りが充満している部屋。
時計の秒針の音。
TVの音。
彼の隣に座ってるこの時が心地いい。
ずっとこうしていたい。
そんな事を思いながら康介と初めて会った時の事を思い出していた。
私が大学から帰る途中、立ち寄った行きつけの本屋があった。
私は本が好きなのだ。そこで彼が隣の棚でおそらく本の題名が書かれたメモを見ながら一生懸命、本を探していた。何の本だろう。
自分でも不思議だった。あまり人に鑑賞しない私だったが、彼の本探しの様子をかれこれ30分以上も時々横目で伺いながら見守ってしまっていた。
店員に聞けばいいのに。レジ横にある検索機で探せばいいのに。
と思いながら段々焦れったくなった私は彼の後ろを通る振りをしてメモをちら見をし、題名を把握した。
”見つからない探し物”その題名の本は今月、本の紹介雑誌のランキング入りをしていたため知っていた。それと同時に題名が彼自身を表しているのではないだろうかと思った。
少し笑いそうになる。
この本屋ではバイトをしていたこともあり、本のジャンルの位置など大体を把握していた私は本をすんなり探し出して彼の近くの本を取る振りをして目の前に置いておいた。
彼は直ぐにその本に気付き、やっと見つけたっ!というような表情をして本を手に取った。その様子をしっかり見ていた私はしまったと思った。しかし遅かった。
そう、彼は30分以上同じ本棚を探していたのだ。それでも見つからなかった物が突然こんな近くに現れた事を不思議に思ったのだろう。それに加え私の視線。それに気付いた彼は私の元へ来て
「勘違いだったら申し訳ないのですが。この本をそこに置いてくださったのは貴方ですか?」
と聞いてきた。どうしよう。メモを盗み見しました。なんて口が裂けても言えない。必死に言い訳を考えた「え、いや、その、わたし、その本買おうと思ってレジに行ったのだけれど財布を家に忘れたことに気がついて」買えなくて本を戻しにきた。と。我ながらいい言い訳だ。
思ったより挙動不審になってしまったが彼は怪しむことなく申し訳なさそうに「この本、僕が買ってもいいですか?」と聞いてきた。
たぶん彼は、私もこの本を探していたのではないかと思っているようだ。だから
「どうぞ。ネットでも買えるので。」と笑顔で言った。彼は嬉しそうにありがとうございます!と一言。
誰かの贈り物かなと思った。
こんなに必死に探して。
自分が読むものだったら今日中に探そうなんて思わないはずだ。
大切な人とか彼女か何かのプレゼントとか?その浮かんだ疑問に対しての正解がとても気になった。図々しいと思いながら彼に誰かの贈り物ですか?と聞いた。
すると彼は恥ずかしそうに「僕の好きな人が明日、誕生日で。その子、本が好きなんだけど自分は本とか全く読まないから友人に教えてもらったおすすめの本をプレゼントしようと思いまして。あと気持ちも明日伝えようと思っています」と説明してくれた。
私は素直に素敵だと思った。だから素敵ですね、彼女さんもきっと喜ぶと思います。告白も頑張ってください。と伝えた。
ふと、彼女が羨ましいと思った。会ったこともないけれど少しだけその彼女に嫉妬している自分がいる。
彼は、はい!っと気恥ずかしそうに、幸せそうに、笑みを浮かべて答えた。話す事がなくなったので、それじゃあ。とだけ軽く頭を下げて私はその場から離れた。
家に帰る途中も家に帰ってからも彼の事を考えてしまった。
たぶんこれが一目惚れなのだろうと思う。今まで恋愛など無関心だった為、私は自分の恋愛感情さえもはっきりわからなくなっていた。
ただ、もう一度会いたい。と心から思った。
数日後、好きな作家の新作を買いに本屋へ立ち寄った。すると後ろから肩を軽く叩かれた。こんにちは。と彼らしくない取り繕った様な笑みを浮かべ言った彼はどこか疲れている様子だ。なにかあったのだろうか。こんにちは。と返すと一度深呼吸した彼の口から、振られちゃいました。と。
私は驚きと同時にがっくりした。
それとその彼女に対して少しだけ苛ついた。
「彼女、好きな人がいるみたいで、それにあげたプレゼントも返されちゃいました」と悲しさを隠すように無理に笑顔を作って彼は言う。
返す言葉が見つからなくて複雑な顔をしていると「迷惑じゃなかったらこの本もらってくれませんか?」と。私の返事も待たずに彼の手から本が渡される。この本をいち早く手放したかったのだろう。
私は「代金払います!いくらでしたか?」と財布を出そうとしたが止められた。
彼の表情を見てから、ありがとうございます。と俯き気味で言うと「むしろこっちがお礼をいう方ですよ。受け取ってくださってありがとうございます」と笑顔を向けてきた。しばしの沈黙の後、この場に合う言葉を探していると彼から、この後よかったら一緒にお昼食べませんか?と誘われた。私は少し考えてから頷いた。
1:32。ちょうどお昼を食べ終えた人が店から出て行く時間帯だった。
店内は空いている。窓際の席に座ると彼がそう言えば名前を言っていませんでしたと言って”寺田康介”と名乗った。私もそれに続き”柏木美希”と言いますと自己紹介をする。
結局、店を出るのは4時間後だった。
長居し過ぎたと思ったが彼と話していると時間があっという間に過ぎていった。
驚いたことに彼とは同期で大学が同じでキャンパスの場所が違うだけだったということ。
本は殆ど読んだ事はないけれど最近読んでみようかと興味を持っていること。
友人の話や好きだった彼女の話。
お互い1人暮らしという共通点があること。
それから彼はレモンティーが大好きだということ。
最初は敬語で話していたが時間が経つに連れてタメ語混じりの敬語で話していた。とても楽しかった。流れで連絡先を交換し、また一緒に会おうということになった。
”また今度”がある事が嬉しかった。
彼の事をもっと知りたいと思った。
会って7回目の時には晩ご飯を食べに行った。その帰り道、久しぶりにお酒を飲んだせいか、思ったより酔ってしまい2人で近くの公園のベンチで酔いを覚まして帰る事にした。
遊具の滑り台に描かれた落書きを見て笑いながら話していると突然沈黙が訪れた。
少し冷たい風が吹く。
ふいに彼が後ろから私を抱き寄せた。そして、そうすることが決まっていたかのようにキスをした。あまりに自然で緊張よりも安心がそこにはあった。
この時初めて確信した。
私はこの人の事が好きだと。
恋していること。
この先も一緒に居たいと思った。
午後3時。
とっくに飲み終えたレモンティーの入っていた青色のマグカップを机の上に置き、ぼーっとTVを見ながら当たり前のように私の隣に座っている彼。当たり前の事なのに私はこの状況がとても幸せだと改めて実感する。
思わず嬉しくて笑った。それを不思議そうに私の方を見ている康介。
とても愛おしい。彼にキスをした。部屋からはレモンティーの香りは消えていた。
わたしは机の上のマグカップを手に取り台所へ行く。
レモンティーをまた淹れるために。
今度は自分の分も。2つの赤と青のマグカップを持って康介の隣に座った。一口飲む。
あんなに苦手だったはずのレモンティーもなぜかおいしいと思った。
彼が嬉しそうな笑みを浮かべる。
再び部屋にはレモンティーの香りが充満した。
レモンティー
最後まで読んでくださりありがとうございました。
今回、星空文庫さんの方での投稿は初めてで少々緊張しています。
この作品を考えたきっかけは学校で体育の授業後、持って行った水筒の水が無くなり自販機でレモンティーを見かけて最近飲んでないなぁと思い、たまたま買った時に飲みながら考え始めた作品です。
無事投稿出来たのでレモンティーをまた飲みたいと思います。
次の作品でまたお会いできたら幸せです。