M県での失敗
【3月】
Kは進学を期に、M県の、繁華街から少し離れた、築20年のマンションへ引っ越した。
彼は引っ越しをする前、何人かの友人に会い、
「これから少し、遠くなるけど」
と挨拶をした。
Kはその友人たちから「寂しさ」を感じられなかった。
もっと感動的な、自分で誘っておきながら胸に来るものがある、そういった感情が湧くものだと
思い込んでいた。
Kは友人達に「さびしい」と思ってもらいたかった。
友人の一人、Sに車内でしばしの別れを告げる。
SはKの友人の中でも、比較的高い位置にいる友人だと思っていた。
事実依怙贔屓を、何人かの前でしたこともある。
例えばこの対象は、お菓子であったり、飲料水だったり、おもちゃであったり、
ゲームソフトであったりした。
それらを使いまわし、優遇したりされたりするのが、Kの思う「依怙贔屓」であった。
(この2人は実年齢より精神的幼さが目立つ2人であった。)
「まあ自動車で行けない距離ではないし、君の自宅の住所も覚えておいたから、会えるっちゃあ会えるからな。まあ体に気をつけろよ。元気で。」
短い会合だった。Sはそれとなく、この後用事があるので帰りたい旨をぽつりと漏らしていた。
Kは残念だった。
もっと残念がり、不可能なことを行って欲しかったのだ。
あまりに肩透かしに終わったSとの会合だったが、
それから5年間、彼等は連絡を取り合う事さえなくなる。
正月がくるたび、Kは不安に駆られるのだった。
Sに連絡してもいいのだろうか。その資格はまだ失ってはいないか。
そうして適当な言いわけを探し当て「あいつはずぼらだから」と適当に理由をつけて、
この問題を自分からはぐらかしたのだった。
Kの新生活はまったく空回りしていた。
Kももう20代中盤であるが、都会人の真似をしてみたくて仕方なかった。
Kは大人しい性格であった故、今までこういったものに触れてこなかったのである。
それを引っ越しを良い機会だと考え、今更と思われる新規参入を計画したのだった。
Kは、Sとのやり取りでもそうだが、過度に考え過ぎる癖があった。
女性ならば想像妊娠しかねないこの思いこむ癖は、何度も彼の生活に影を付けてきた。
そんなKは、夜遊びや「クラブ」といったものに、胸がかき乱され、
とてもぴったりと、しっくりとくる響きを感じていた。
それこそがKが望んだものだった。
だがやがて癖がKを苦しめ始める。
おじさんが行ってどうする、若い子に笑われたらどうする、
都会と言っても地方都市のこんな町じゃあ本場は味わえない・・・
Kは結局、この舞台から幕を引くまで、それらしい事を一度もすることなく終わる。
Kは、それらに対してまるで知識がなかった。
世間知らずというわけでもなく、「だれそれが昨日こんな遊びをした。夜遊びだ。」
こんな事を聞くと話に興味は湧くのだが、彼のトラウマがそれらを拒否する。
バカにされた、おじさんと呼ばれた、もうあの子の行動範囲に入れない、
勿論彼は「あの子」と言われる人物とも会ったことがないし、
それらを実際に言われてもいない。
彼はまず、そういった時間と場所に出かけてもいなかった。
「あの子」はテレビ番組で見た、若手アイドルによく似ていた。
彼はその独り相撲癖で、新生活を失敗させることになる。
【4月】
【3月】
M県に咲く桜は、見事に綺麗だった。
実際、Kの目にそう見えた。
暇を持て余し、学校が始まるまで彼は自転車でぷらぷらと散歩をしていた。
もう何人かのM県民とも会い、話をしてみたが、
納得がいかないことばかりだ。
何故こうなのだ、ああなのだ。
KはY県民の県民性がいかに素晴らしいか、ということを自負していた。
少し都会だとこうもだめか、まったくだめだ、人として機能していない。
テレビに映るコマーシャルでは「最高です!この県!」とアピールし、
深呼吸や背伸びをわざとらしく行うものが流れていた。
Kはそれらに呆れ、実際もう何人かと嫌な思い出を共有していることを、
心にしまっていた。
また1つ増えた、とまるで白髪でも見つけるように数えていた。
(そのしまった物というのは、夜遊び、クラブ、やらの被害妄想である)
kの一日というのは、同年代の平均的なそれを比べると、
暇なりにもつまらないものであった。
暇を埋めなければ、という彼の行為が醜かった。
それでいて埋められることは遂に無かった。
彼が反対側で、その暇を掘り起こして「暇だ退屈だ」と騒いでいたからだ。
KにはY県に恋人を残していた。
面倒な彼だが、必死の告白により、付き合ってもらうことになったRであった。
彼女は小金持ちである。設計事務所の娘であり、将来は違う道に進んだとしても、
ある程度は保障された生活が待っていた。
Kとは正反対にいる彼女だったが、年齢的なせいもあるか、そんなことを考えたこともないと言わんばかりの女であった。
「もう引っ越して2週間経つけれど、さびしい。5日は空いている?空いているなら、学校終わりで申し訳ないのだけれど、会いに行くわ」
Kには予定なんかなく、それはそれで済し崩し的にOKと捉えられることになるのだが、
そう解釈されるだろう、ということがKの腹を立てた。
精一杯の自尊心を持って、
「その日は本屋にいく」
と言ってしまい、笑われてしまい、ひどく落ち込み、この些細な感情すらわかってもらえない、
わからないのならばせめて気を遣え、と憤慨した。
KはRに対して、怒鳴り散らすことが多々あった。
Rは奔放な性格で、彼が不得意なことが得意であった。
彼女が遅く帰宅したと知ると、よく問い詰めた。
「男はいたのか。何人くらいだ。」
いた、と答えようものなら、勝手な物差しをその場でこしらえ、
その物差しで自分がどれだけ不安なのかを訴えた。
いない、と答えようなら、彼は切々と語り始める。
「行くべきじゃないよ。」と。
実質、RはKに対し、嘘をついていた。
それは円滑にするための嘘だった。
RはKの操縦の仕方がなんとなくわかっていた。
そして、KはRを全て管理している、とどこかで思っていた。
実際Rと寝た時の相性は良かった。
Rは絶頂に達する時こそ無かったが、
溢れるほど水を噴き出す少女であった。
それがKの脆い自尊心を固め、自慢とまで思っていた。
これはRの体質によるもので、K自身の手によるものではない事も
Rはわかっていた。
そんなところに価値観を置く、変わったいるKを特に気にしないようにして、
楽しいところだけを切った貼ったしていくのが、R流の人生観であった。
「まあ、本屋には行くけれど、夜ならあいてる」
「笑。そりゃあそうよ。じゃあいくわね。」
必死の形相はRには見えないが、やっとの思いで受話器を切ると
Kはまた酷く落ち込み、落ち込んだ後に「暇な日が1日減る」と内心喜んでいた。
彼がこういった内なる激情を抑えられないのは、幼少期からそうだったからである。
彼には特に夢はなし、日曜日も特に楽しみではないし、
明日やってくるだろういじめさえなければ、特に何もいらない。
彼は意欲という存在が、良く分かっていなかった。
彼はその変わり、縛られる環境を何が何でも拒否した。
学校、アルバイト、社会生活何にでもそうだった。
彼はそれらの行為を平然と毎日続けている人間を見ると、
不安になって仕方なくなるのだった。
続く
M県での失敗