流刑島

流刑島


深い緑に染まった森の奥から、虹蝶鳥のきゅるきゅると鳴るこえが聞こえ、あたりは細かい粉雪のような霧に覆われていた。
その空気を吸えってしまえば、どんな息もからだのなかで何か違うものに変ってしまうのではないか。
そんな不思議な夜だった。

うつむきかげんに下を向いた柳の女の木。
足元には親指くらいの太さの青白いみみずが二匹、うねっている。彼らは北の方角を目指し、一生懸命はっていっている。
きゅうに風がひんやりと体を締め付け、その風は追い風となって男の背中をぐいぐい押した。
この先にはいったいなにがあるのだろう。

森を抜けるとそこには広大な草原が、まるで小さな宇宙に広げられた浅黄色のハンカチのようにふんわりと浮かんでいる。
その先を見渡すと生き物の体内に似た大海原が赤い炎に似た荒々しい波をどうどうと音を立てて燃やしていた。
轟々と唸る妙な声はどこから聞こえているのだろう。無限に広がる海の底だろうか。
そいつはきっとなんでも呑み込んでしまう。

海辺にでてみた。するとそこには大きなドラム缶がポツネンと、ただひとり、取り残されていた。
さきほどの轟々という厭な音、又は何か出会ったことのない生き物の泣き声が不吉な銀の筒の中から鳴り響いていた。いやな匂いがした。

「ごごうごごうごごうがららがららがらら。」

おそるおそる正体を確かめるべく、その中をのぞくと、両手で抱えられるほどの大きさの赤黒い繭がうねっている。
よくみるとそれはとても醜い「赤ん坊」で、突然男のほうをその赤い血眼をぎょろぎょろさせながら、こう言った。

「わたしはこの地で、一生死ぬことができないのです。」

老人のしゃがれた枯れ葉声でその「赤ん坊」の姿をしたそのモノが喋り、その三日月のような鋭い眼つきは、恐怖感を与えるだけではなく、なんとなく寂しげで、切なさまで感じさせるものだった。

男は恐怖のあまり、瞬間的にその場を逃げ出していた。
どろりとしたなにかいやな匂いのする液体が男の足元に駆け寄り、そのまま彼を引きづりこんで、はっとした瞬間に、その血に染まった海鼠のような「赤ん坊」のぼってりとした腕に握り潰されると思うと、だんだん自分の足の感覚がなくなり、溶けていくのが分かった。


男はドラム缶の奥にいた。
そこには「赤ん坊」の世界が広がっていた。


「わたしはその昔、あるほしの王子でした。

ですが、わたしの犯した、大きな罪によって、神にこのような姿に変えられ、この地に放り出されました。
神はわたしに罰として永遠に終わらない苦しみを与えました。
それは、年をとって人間の死期が来る時に私はまた赤ん坊の姿に生まれ変わり、年をとってはまた赤ん坊になることです。
つまり、死にたくても死にきれない。永久に。不死身ということです。

あなたは生き地獄、という言葉を知っていますか。
からだが自由を利かず、自分で食べることも出来ず、苦しくても餓死出来ない、ただ、ただ、一生苦しみ続けるだけなのです。
いや、今では一生という言葉ですら分かりません。
どこからが生で、どこからが死なのかが、分からないのです。なんと醜いことでしょう。

もし、わたしがこの先、本当に人を愛することが出来、そしてそのお方と結ばれたとすれば、私はもう一度、人の一生を終えることができるのです。互いの老いをしあわせと感じ、時間の流れをゆっくり濃淡に共有できる人が現れること。それが私に残されたただ一つ
の希望なのです。

そして、今日がその運命の日なのです。
そのお方が、私のもとへ来られるのです!」

「赤ん坊」はそのイチジクのような、充血した目を潤ませながら、真っ直ぐ、男に向かって話した。

「わたしの希望の星は舞いおられた。
その青い瞳、その麗しゅう赤い唇、真っ白く透るような肌。まさしく。
これまであなたを何度、夢の中でお目にかかったことか。

あなたこそわたくしを救ってくださる、運命のお方・・!

あなたことをアイしています。
あなたことを心の底から想っています・・・!!」


男は、自分の頭蓋骨ががらがらと音をたてて、脳みそがぐちゃぐちゃとかきまぜられていくのが分かった。からだ全体にその赤い生物が侵食していく。男の叫び声は全く声にはならない。体のすみからすみの水分が、急激に吸い取られていった。自分のからだが小さな人のかたちをした干物になって、目の前の赤黒い海鼠によって溶かされていく。仕舞には、感覚というもの概念はまんまと打ち砕かれていった。

・・・嗚呼・・お願いだ。夢なら覚めてくれ。今すぐに・・





気が付くと、男は森の中に横たわっていた。
さきほどにあったことは、きっとすべて夢だったのだろう。
とんだ悪夢をみてしまったものだ。きっと疲れた時にこんな不気味な森に足を踏み入れてしまったせいであろう。
深い緑に染まった森の奥から、虹蝶鳥のきゅるきゅると鳴るこえが聞こえ、あたりは細かい粉雪のような霧に覆われていた。その空気を吸えってしまえば、どんな息もからだのなかで何か違うものに変ってしまうのではないか。そんな不思議な夜だ。
悪い夢をみてしまうのも納得がいくことではないか。

そう想った瞬間、ひんやりとした風がびゅうびゅうと強い力で彼を押しつけた。
そして、あたりには轟々という生物の泣き声が響きわたり、あの厭な匂いが立ちこめた。

「ごうごうごうごうからからからから。」

物語はまだ、つづいているのだ。

流刑島

流刑島

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-10-10

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