後日譚:俺の道

 親父と、それからお袋の骨と一緒に小さな旅をしてから7年後。
 俺は夫に、そして父親になった。
 現在の妻とは職場で知り合い、3年の付き合った後、結婚することに決めた。他の女性は考えられなかった。
 あのとき、まだ20を過ぎたばかりの俺は、自分が結婚するとは夢にも思わなかった。でも、親父は何度も「お前は結婚する」とか言っていたっけ。
 今は都内の一軒家で、2人の子供を含めた計4人で暮らしている。小さな子供の遊び相手をしていると大変なこともあるが、彼等の笑顔を見ていると疲れも吹き飛んでしまう。子供というのは不思議な存在だ。
 親父も、こんな感じだったのだろうか。
 子供と遊んでいると常々そう思う。ギャンブル好きで言葉も酒癖も悪い男だったが、親父にもこんな面があったのだろうか。
「どうしたの?」
 妻が聞いてきた。
「考え事?」
「え? あ、そうそう、仕事の」
「ふうん」
 妻はこう返事をしたが、多分心の内を見透かされている。どんなに上手く嘘をついたって、彼女に隠し通すことは出来ないのだ。別に疾しいことは何もしていないから良いのだけれど。
 時計を見ると、もう8時30分。子供を寝かせないと。
「よぉし、じゃあ今日はおしまい! そろそろ寝る時間だぞ」
「え〜、つまんない」
「そうだよ、つまんないよ」
「明日また遊ぼう。な」
「はーい」
 納得がいかない様子だったが、子供達は自分達の部屋に戻っていった。
 子供達が寝た後、俺はいつも妻と晩酌を楽しんでいる。酒やらワインやらを飲みながら、1日の出来事を話す。ただそれだけのことだ。
 この時間になるといつも自分ばかり話してしまう。まるで子供に戻ったかのように。それでも妻は笑顔で話を聞いてくれる。
 しかし、今日はいつもと違った。というのも、今回は妻の方からある提案をしてきたのだ。
「お父さんの所、行かないの?」
 就職して1人暮らしを始めてから、俺はあまり親父と会っていない。偶に電話もしていたが、最近はその回数も減って来ている。嫌いなわけではない。あの日以来、俺と親父の仲は深まったと思っている。多分お互いに、場所が近いから会おうと思えばいつでも会えるだろうと考えているからかもしれない。
 それにしても、今回もやはり妻にバレていたか。
「もうすぐ連休だし、会いに行かない? 私も挨拶しかしてないし」
「うん……そうだな」
 久しぶりに、親父とも話をしてみたい。
 俺は電話をかけて、今度親父の家に行く旨を伝えた。電話の向こうでは、何だか恥ずかしそうに笑っている男の声が聞こえた。




 連休初日。
 給料を貯めて買ったワンボックスカーに乗って、親父が待つ実家に向かう。
 後ろでは子供達がワイワイはしゃいでいる。妻は隣で地図を広げている。恥ずかしい話、俺は道をすぐに覚えられない。会社にはかれこれ6年勤務しているから流石に覚えられたが、あまり行っていない実家への道は殆ど覚えていない。だから彼女のサポートが助かる。
「あ、そこを右ね」
「ああ、はい」
 都心から離れ、少し寂しい町に入る。ここまで来ると、まだこの辺に住んでいたときの記憶も蘇ってきた。ここから先は地図無しで進めそうだ。
「ここを曲がるんだ」
 独り言を言いながらハンドルを操作する。狭い道だから慎重に進まなければならない。でも住宅街に入ったらもうすぐそこだ。左右を見て確認していると、少し先の方に見覚えのある家屋を発見した。この辺りでは少しだけ大きな家。玄関前に停められたオープンカーが、あの日の旅を思い出させた。
 親父の車を傷つけないように停車させると、俺達は外に出た。子供達のはしゃぐ声が一帯にこだまする。
 玄関の前に立ち、インターホンに指を置く。自分の父親に会うのに、妻のご両親に挨拶した時と同じくらい緊張する。
「早く」
「わ、わかってるよ」
 恐る恐る、白いボタンを押す。ピンポーン、という何処か間の抜けた音がした数秒後、ガチャガチャと鍵を開ける音がした。この速さ。さては待っていたな。
 ガラガラと扉が開かれると、中から満面の笑みを浮かべた親父が登場して俺達を迎え入れた。面白いものだ。あの厳つい顔が、今ではすっかり好々爺の顔になっている。子供達も怖がること無く親父に駆け寄り、抱きついたり髭を触ったりして遊んでいる。
「はははは、元気だなぁ!」
「お久しぶりです」
「そうだなぁ、結婚式以来か」
「ああ、そうだね」
「まぁ入りな。外は暑いだろう」
 玄関を上がって居間に入ると、エアコンの風が冷気とともに懐かしい臭いを運んで来た。年数は経ったが、ここは今でもあの時のままである。
 面白かったのは、居間のテーブルに湯のみが3つとコップが2つ置いてあったこと。やはり待っていたらしい。しかもこのコップ、今まで見たことが無い物だ。孫のために新しく買ってくれたようだ。
「そうか、じゃあこれからはまた大変だね。消費税も上がるんだろう?」
「え? ニュース観てるの?」
「相変わらず失礼だなぁ、お前は」
 消費税なんて言葉とは無縁だった親父からこんな話題が出るとは。それもまた面白かった。
 親父は子供達と遊びながら、俺達と会話している。内容はどれもちょっとしたものばかりである。
 さて、俺も次の行動に移らなければ。俺は妻にこっそり耳打ちした。妻は小さく頷くと、子供達に声をかけた。
「夕食の買い物、一緒に行く人は?」
「はーい!」
「はーい!」
「ああ、この辺だと、角を曲がった所のスーパーが1番良いよ」
「あ、ありがとうございます!」
 妻は子供2人を連れてその店に向かった。
 男2人だけになった居間。せっかく催し物を考えて来たのに、いざその瞬間になると恥ずかしくて言葉が出なくなる。
 親父も恥ずかしいのか、下を向いて雑誌を読むフリをしている。何やら理解したように頷いてはいるが、ページが全く捲られていない。
 いつまでもこうしているわけにもいかない。俺は思い切って父に話しかけた。
「ちょっと、出かけない?」
 数秒の間があって、親父がゆっくり顔を上げた。
「出かける? どこへ」
「いいから、ほら、行こうよ」
「おう、わかった」
 親父を連れて俺も外へ出た。親父は外見をあまり気にしない方なので、家にいたときと同じ格好で出て来た。
 この新車を見たのは初めてらしく、前から後ろから、あらゆる角度から車を観察している。
「ほら、乗って」
 助手席のドアを開けると、親父は小さく返事をして乗り込んだ。俺も運転席に座ってエンジンをかけた。隣のオープンカーと違ってエンジン音は静かだ。そのことも親父には新鮮だったようで、椅子の周りをキョロキョロ見回していた。
 来た道を引き返す。おそらく高速道は混んでいるだろうから、その下の道を走る。
「俺も運転上手くなったろ」
「ああ、そうだな」
 隣に座ってわかったが、声が少し枯れている。髪も少し寂しくなったようだ。
 少し走ると町を抜け、海が見える道路に出た。遠くの方には灯台が見える。
「何処に向かってるんだ?」
「俺の、思い出の場所」
 道は空いている。これなら早く着きそうだ。
 緩やかな弧を描く道を直進すると、白地に青のラインが入った、ちょっと可愛らしい灯台がより大きく見えてくる。側まで近づくと、所々汚れているのもはっきりと見えるようになった。
 近くの駐車場に車を停めると、親父を降ろして灯台へと向かった。
 入り口から上に向かって螺旋階段が伸びている。俺はスタスタと上へあがってゆくが、親父はなかなか登ろうとしない。
「何やってんの?」
「いや、ここって、登っても良いのか?」
「大丈夫だよ。ほら、早く」
 多分、不法侵入になってしまうのではないかと心配していたのだろう。親父はアウトローな男なのだが、変なところで心配性になる。俺に説得されて、親父もようやく階段を上り始めた。
 少し高いから、上から見下ろすとゾクッとする。手すりも錆び付いていて何だか頼りない。
 だが、途中でちょっとしたアクシデントが起こった。この段数は親父には無理があったらしい。親父は階段の途中で膝を摩って休憩していた。慌てて下に降りて親父を助けに向かう。
「ごめん、大丈夫?」
「へへへ、ガタが来ちまったな」
 肩に手を回して、2人で一緒に上ることにした。俺のペースだと少し速すぎるから、ゆっくりと歩を進める。そのため上り切るのに30分ほどかかってしまった。
「はい、着いたよ」
「うん? ……おぉ」
 小さな声で感心する親父。
 最上階から見える、太陽と、その下に広がる青い海。これが、親父に見せたかった景色である。
 ここは、俺が妻とよくデートに行っていた場所だ。告白したのもここである。あのときは夕日が綺麗だった。
 思い出を話すと、親父はまた笑みを浮かべた。
「海は、良いよなぁ」
 親父がデートをするのに使っていた場所も海辺だった。やっぱり親子なんだな。
「親父に連れて行ってもらった所にも偶に行くんだよ」
「へぇ、そうか」
 あのときとは違い、今日は会話が弾まない。それぐらい景色が綺麗だった。
 しばらく眺めていると陽が沈み始めた。もう夏も終わりが近づいている。
「……よし、帰るか」
 言ったのは親父だった。俺はもう少し親父との時間を楽しみたかったから、何だか物足りなかった。
「もう良いの?」
「お前、待たせちゃ悪いだろ」
 しまった。
 妻に鍵を渡してくるのを忘れてしまった。今頃玄関で子供達と一緒に待っているかもしれない。
 流石は親父だ。妻のこともしっかり覚えているとは。
「そうだね。じゃあ、続きはまた、酒でも飲みながら」
「お前、運転は?」
「ええ? 泊まってくって言ったじゃん」
「あ、そうだったな! はははは」
 灯台の中で、俺と親父の笑い声がこだました。
 “俺の道”を行くちょっとした旅が、こうして終わった。

後日譚:俺の道

後日譚:俺の道

「親父の道」番外編です。数年後、父となった「俺」は・・・。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-10-10

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