四人羽織
私の入った絵本サークルには、新人歓迎会に恒例の出し物があった。
やけに混んでると思ったら、知らない顔がいっぱいいた。
他のサークルのメンバーまで紛れ込んだ狭い部屋は、あまりの混雑と熱気で息苦しい。
困惑する私たちをよそに、口笛が飛び、続いてアンコールの大合唱が始まった。
お酒が入っているとはいえ、そのあまりの興奮ぶりに鳥肌が立った。
人をノせる快感。一度この味を覚えたら、病み付きになるのも分かる気がした。
「みんな、ちょっと聞いて、聞いて!」
そこへ声を張り上げて割り込んだのは我らがリーダー。
消耗した私たちを見兼ねたのか、騒ぎが大きくなってはマズいと思ったのか、彼は突如一本締めを宣言すると、半ば強引に会を締めて皆を解散させた。
「すごかったぞ」「最高だった!」
一瞬のブーイングが収まると、労いの言葉、賛辞の言葉が掛けられる。痛いほど背中を叩かれながら控室に戻る花道は最高だ。
思わず浮かんだ笑みに、小さなガッツポーズ。
そうして興奮冷めやらぬまま新人歓迎会は終わり、ボロビルは再び静けさを取り戻した。
***
四人の自己紹介が終わった所で、「乾杯!」のグラスがぶつかった。
小さなテーブルに広げられた乾き物とスナック菓子、そしてビールやサワーに手が伸びる。
野次にもめげず、マイクを握った三年生がサークルの内容を説明し終えると、そのまま飲み会に突入だ。
お酒が入れば雑談は声高に、果ては勝手に歌い出す人まで現れる無法状態に。そして宴もたけなわとなった所で、毎年恒例、新人の登場とあいなった。
大音量のロックミュージックに、度肝を抜かれた先輩たちの目が丸くなる。
とても舞台とは呼べない部屋の一角、即席のステージに颯爽と現れた私たちの出で立ちはずばりビジュアル系。
ド派手な衣装に原色に染めた髪は天を突くようにとんがって、それでも表情だけは分かるように化粧は控え目にしてあった。
ラメ入り金色の口紅が、「行くぜっ!!」と絶叫した途端、ヴィーン、ヴィーンと弾かれた弦が唸りを上げる。
安井君と智子が手にしたエレキを弾き鳴らす。
もちろん実際はマネだけで、エアギターみたいなものだけど、背景の音楽とぴたりと合った姿はまさにギタリストそのものだった。
一心同体となった”四人”は、舞台を隅から隅へと駆け回る。
同時に袖に向かい、陶酔するように仰け反ってギターを掲げては、中央に戻って背中合わせ。
一糸乱れぬ華麗な動きが二人羽織の常識を打ち破る。
いつしか総立ちになった部員全員が、リズムに合わせて手を打っている。
時間にして僅か十分の二人羽織は、その終わりを惜しむように、そして音楽の神様に祈るように、天に腕を突き上げてジ.エンドとなった。
大歓声、そして拍手。
ばらけた四人が一礼すると、その声は一段と大きくなった。
***
二人羽織。それが毎年恒例の出し物だった。
今年の新人は男女それぞれ二人ずつ。つまり四人で二組になる。
ただ毎年上がり続ける要求に応える為の練習は過酷だった。
「ねぇ、ちょっと休憩しようよ」根岸君が早速根を上げる。休もうと言い出すのはいつも彼だ。
「そんなこと言ったって、まだ一度も揃ってないじゃない」彼の背後から顔を出した智子が口を尖らせた。
「まだ一人ひとりがちゃんと動けてないのに、揃えるのは無理だよ」
「でも通してやってみないと、全体の流れが掴めないでしょ?」
二人のやり取りはどちらの言い分も間違っていない。
「じゃあ、ひと息ついたらバラけて練習しようよ」私は仲裁するように現実的な提案をした。
「暑ぃな、結構……」背中から立ち上がった安井君が、首に掛けたタオルで汗を拭う。
そんな彼に頭を下げる私も、やはりミスってばかりの同類だった。
「ごめんね、また間違えちゃった」
「ま、徐々に動けるようになるでしょ」
彼は楽観的だけど、タイムリミットは近付いていた。
三人はジュースを買いに部屋を出たが、いい加減くたびれた私は一人残って溜息をついた。
昨年の新人、つまり今の二年生だが、彼らは、それまで極々普通だった二人羽織を、音楽に乗せて身体を動かすまったく新しいパフォーマンスに変えてしまった。
そのビデオを見た私たちが、どれほど唖然としたか分かるだろうか?
一観客としてなら喝采を送ったが、自分たちがこれと同じか、越えなければならないとなれば話しは別だった。
私は溜息を追加した。
まったく余計なことをしてくれる。お蔭で、練習に時間も体力も奪われて、挙句始めたばかりのバイトまで休まなければならないのが恨めしい。
窓の外は大分暗くなっていた。また一日が終わろうとしている。
ここはサークル活動の為に造られた小部屋が詰まる、二階建ての薄汚いビルの中。
大学はPRになる校舎には設備投資をしても、課外活動には口だけ出して、お金は出さない。
築何十年にもなる建物は、壁にヒビ、床は剥げ、傍目には幽霊屋敷。どうしても拠点が必要なサークル以外は気味悪がって近付こうともしない場所だった。
私が所属する絵本サークルは隣りの部屋で今も活動中。新人だけが空き部屋を使って、芸の練習に励んでいるというわけだ。
小さな台に上半身を乗せると眠気が襲ってくる。昨日も夜遅くまで練習したのに、まったく成果が上がっていない。
まだまだ慣れない学生生活、バイト、それに加えてこの練習は、私にはとてもキツかった。
「安井君、もう始めるの?」
うとうとしていた私は、背中に人の気配を感じて頭を擡げた。
でも彼は何も言わない。
ちかちかと点滅を繰り返した蛍光灯が一瞬消えて真っ暗になると、さすがの私も怖くなって振り向いた。
「ねぇ……」
腰を浮かした所で灯りが戻り、同時に開いた扉の音に悲鳴を上げた。
向かい合った|三つ《。。 》の顔。そして傍には誰もいない。
と、立ち上がった私の背後で、触ってもいないラジカセが鳴り出した。
二度目の悲鳴を上げた私が三人に駆け寄ると、まるで夢遊病者のようにゆらめきながらリズムを刻む姿に、思わず後ずさっていた。
”まったく、今年のヤツらはどんくせぇな”
漂うような男の声を耳にした途端、薄らいだ意識。そして私の身体も踊り出す。
”ふうん。素質はありそうだな”
海中に漂う海藻のように身体を揺らす四人を、”彼ら”はじっくりと観察していた。
***
”だから任せとけって言っただろ?”
威勢はいいくせに、どこか遠くから伝わるような掠れた声が悲しい。
実演を終えて、再び練習部屋に戻った四人は息も絶え絶えに座り込んでいた。練習は苦しかったけど、今は爽快感と連帯感に包まれている。
「ありがと。お蔭でとっても盛り上がった」
「こんなにウけるとは思わなかったよなぁ」
「二年生の先輩だけは、苦笑いしてたけどね」と根岸君が笑う。
”去年は俺たちが操ってたからな”
「練習してた先輩のヘタさ加減に、つい手が出ちゃったとか?」
”ま、そんな所だ”
私たちは操られるのを拒んだ代わりに、観客への見せ方を学び、反復練習の先生になってもらう約束を交わした。
でも……、私たちには分かっていた。
結局、最後まで一度もうまくいかなった通し稽古。なのに本番だけが大成功だったその理由。
彼らがこっそり助けてくれたのは間違いなかった。
呼吸が整った四人は、思い思いに寛ぎながら、彼らの姿に思いを馳せた。
「でもまたレベルが上がっちゃいましたよ。来年はもっと大変だ」安井君は苦笑い。
”いいさ、まだまだやってみたいことはいっぱいあるんでね”
「そう……」彼のセリフに、私はちょっぴり悲しくなる。
「何かお礼をしなくちゃね」
”なら、来年も新人を連れて来てくれよ”
「それってお礼になってないじゃない?」
元々この部屋は数年前まで彼ら、ロックミュージックサークルが使っていたのだという。
だが合宿に向かう途中で事故に遭った彼らの魂は、行き場を失ったまま彷徨っていた。
”いいんだ。思った通りに表現出来る、その場を与えてもらえるのが嬉しいんだからさ……”
彼は、口を噤んだ私たちの空気を蹴散らすように豪快に笑った。
「分かった。首根っこを掴まえてでも連れてくるよ」
私、智子、安井君、根岸君。声が揃った私たちは、これから最高の同期になれるかもしれない。
それもこれも皆、彼らのお蔭だった。
「絶対連れてくるからね」
私の宣言に、彼のウィンクする姿が見えたような気がした。
四人羽織