あん時から今。続き

あん時から今。続き

読みにくいので、続きをこちらに書きます。特に二部とか三部構成ではありません。

七日目、八日目、九日目

 報告書の作成は、思いの外はかどって昨日は睡眠も十分にとれた。今朝は、どちらかというと気分もスッキリしている。胃液が込み上げてくるような、不快感も解消した。ヒロは、外見は太ったし、頭髪も少し後退し始めているが、高校時代の感性に関しては衰えていないみたい。
リスクを承知で、直接会って確かめた事は正解だった、と、素直に喜びたい。
 これまでの任務は、見知ったターゲットに対してというものは、一切なかった。組織としては何らかの私情がミスに繋がる事を、警戒しての事だろう。今回の場合、任務の特殊性を考慮にいれた上で最良の人選が
、わたし。
任務は、絶対だけれども、ミスや不慮の事態は付き物。だから、万が一わたしが小さな失敗をしたとしても、二重三重の作戦は用意されている。
だけど、だからこそ選ばれた以上は今回の事は、成功させたい。やりたくない。と、やらねばならないが同居するのも、変な気分だけど、相手に対しての礼儀とか希望が込められている。と自らを分析してみる。

 瞳との何十年ぶりかの再会をし、話し込んでから、少し気分が晴れた。
一週間で、戦局の変化はほぼ全くないものの、国内は、生まれてこの方味わった事のない変化が訪れている。
戦時につき、変わると思った事はむしろ変わらず、まだまだ先の事と思った事は、スピード感を持って実行されている。
 一番の心配事の、うちの老父母の身辺に関しては、病院への通院は開戦直後から通常通り。むしろ、タクシーを使っていた通院だが、今は政府の補助金か何かで玄関までの送迎が実施されるようになった。デイケアサービスも、変わらずに受けられる。
物流についても、最初の数日は、買い占め騒ぎがあったようだが、私の住む田舎においては、翌日には沈静したし、都会についても、今では店頭から食料がなくなる事もなく沈静化し始めている。
売れ筋を都会と田舎で分析する番組が企画されて、都会では、電池やカセットボンベに非常食にラジオといった本当にすぐに使用できる物を買い込む習性が紹介された。田舎では、まず電池が手に入らない。売れ筋が都会に集中したためらしい。ロウソクはまだ、ギリギリ手に入る。
都会に商品が集中するのは、しようがないと諦めた田舎の我々の売れ筋は、鉄製品。特に羽釜が開戦三日後には店頭から消えた。合わせて、コンクリートブロック、レンガ、スコップ、鍬、金属バケツ、鎌に鉈、ノコギリ。要するに、同じ機能のバケツでも、プラスチック製品が頼りなく感じるみたいだ。
 他にも、政府の国家総決起法に基づいて、家庭や事業所から出る生ゴミ等の有機物は毎日、各戸で収集されて飼料肥料にする事業。日本の沿海に魚礁を沈めて
長期戦だが漁獲量を増産する事業。コマーシャルでお馴染みだが、森の間伐と新たな落葉樹広葉樹の植林は、治水を兼ねるし、副産物も見込めるらしい。
ある程度の距離を置いて、日本中に井戸を掘る計画も実施に移された。
非常時におけるスピード感とは、恐るべき早さだ。

 私といえば、そんな活気づいた状況にまだ、迷って過ごす日々を続けている。

 実は、気にかかる毎日の出来事がある。
日本は一対五十数カ国の世界大戦に突入中であるにも関わらず、輸出入の貿易は続いている。経済封鎖が当然と悲嘆に暮れていたのに、なぜ。現代の戦争では、経済は別物なのだろうか。ある意味、日本という国家の経済が、世界で欠かせない歯車の一部になっていて、経済活動だけが切り離されてしまったいるとしか思えない。

 喫茶店で瞳と話し込んだ日以来、瞳とは毎日電話やメールで、そんな事を連絡し合い、己の何もしない、出来ない不甲斐なさを嘆いている。その度に瞳は、
「思い詰めて無理しないでね。いつか時が来れば何か見つかるから。」
と、ポンポンと背中を叩かれる気分が心地いい。
 本当に俺に、時はくるのか?
『きょうは、ハローワーク行くのよそう。』
思い立ち、一週間前に仕損なった釣りの準備にかかった。

十日目

 久しぶりとは言えないが、瞳と喫茶店で話している。瞳と話していると、なんだか落ち着く。と思ったのだけど、俺の勝手な思いこみで、きょうの瞳は少し苛ついているのが分かった。
それを、知らぬフリをして尋ねる。
「何かあったのかな。何とも言えない負のオーラが出てるよ瞳。もしかして、ダークサイドに堕ちたんじゃないかい。」
全面的に冗談で切り出す。思いもかけず、睨まれる。
『冗談じゃないわよ。』『わたしがヒロを傷つけまいとして、どれだけ苦労してるのか教えてあげたいわよ。』『たしかに、わたしが任務を引き受けた時から、ダークサイドに落ちてる気分よ。それもこれも、ヒロ、あなたにかかってるからなのよ。早く目覚めなさい。』
なんて言えるわけもなく、ただ、待つしかない事は良く分かっているつもり。
本人は気付いてないかも知れないが、計画を立てたのは私達じゃない。何かのはずみで勝手に計画が始まってしまっただけ。計画を立ててもいないのに、始まってしまったとはどういう意味か。
そもそも計画は、誰の目にもとまらない噂に過ぎなかった。繰り返すが今だって、計画そのものはない。文書だとか存在しない。じゃあなぜ計画なのか。私達は
巷に囁かれている『計画』と呼ばれるキーワードに、二十数年前にヒットした。
噂とは、馬鹿に出来ないもので、時代の本質を貫いている事がある。宗教においては救世主が来るとか、時代の流れでは、大災害が来るだとか、今年のカラーはピンクだとか、発信元があるようでないようなものがいくらでもある。
私達は、そんなあるようなないようなモノを、『計画』と呼んでリサーチして企業や、あるいは国に対して報告し、いくらかの報酬を得る企業の一員だった。ところが、どうしたわけか私達の『計画』は最近数年間、かなりの確率で驚くほど『計画』がヒットし続け、かなりの信用を得るようになった。
 そして、二十数年前から表に出ない代わりに、消える事のない噂は、大変根強く世界に拡散した。下火になって消えかかり、また現れるが表には出ない『計画』。とにかく、不思議な習性のその噂は、存在は知られているものの、誰も興味を示すようなオーラを放つモノでもなかった。
でもついに、『計画』が発動してしまった。

 俺は、一人で喋り続けていた。
「でさ、俺、井戸掘りをしようと思うんだ。」
「ヒロ、井戸掘りでいいの。もっと他にやるべきことあるかもよ。」
「何言ってんだよ。瞳だって相づち打ちながら、そ~ね~何でもとっかかればいいのよね~って頷いてたじゃないかい。もしかして、聞いてなかった? 」
『へいへい……。聞いてませんでした! 』なんて言えるわけもなくわたし、
「いいね~。世のため人のため、お国のためなら大賛成。ヒロ、給料悪くなさそうだし、頑張ってね。」
 あ~あ、わたし、何やってるのかしら。
その日は、いきなり偏頭痛になやまされ、任務もそこそこに、家路に急いだ。『ヒロ、ゴメン。このままだとヒロ……。』心の中で、謝罪しながら偏頭痛に耐えながら、車を走らせた。遠くで雷が鳴っている。春雷ってのかな。芽吹いた山桜の街路樹が大きく枝を揺らせている。『大丈夫。ガンバレ。ヒロ。』

十三日目

 井戸掘りの求人を求めて、ハローワークの受け付けに並ぶ。求人数は開戦以来、充実してきた。公共事業というか、政府の補助金付きで、今まで棚上げになってきた事業が一気に加速した。
順番が来た。
「こちらの札をお持ち下さい。」
朝一で並んだので、番号は十二番だった。
 ピンポーン……十二番のカードをお持ちの方、六番の窓口へ……。機械のアナウンスで呼ばれた。
六番の窓口には、やっぱりというか、この前の慇懃な係員がまたしても担当だ。せっかくだから、名前を覚えよう。名札には、『奥』とある。珍しい姓とも言えないが、どこかで呼ばれる時は奥様、奥さんなのかと感心している間も、説明は続く。
「……というわけで、今回の求人は締め切られたようです。」
いくら求人数が増えていようが、人気の求人は、すぐに終了してしまう。あれこれ、迷って過ごした私が甘かった。
「ところで、以前ご登録頂きました求人につきまして、当方に連絡が回っておりまして、先方様より直接お話をされたいと、明後日の午前十時に当方の会議室にご足労頂きたいという事ですが、ご都合いかがでしょう。」
すっかり忘れていた。確かに登録した。随分連絡がないので、諦めていたし、いろんな事があったので立ち消えたものと思っていた。今頃になってとは、もしかしてかなりブラックな会社なり法人なのかも、と訝しげな気持ちになりながら、
『とりあえず、話だけ聞くくらいならいいか。』と思い直した。井戸掘りの仕事が募集終了、というのが少しだけショックだったのかも知れない。
「奥さん、よろしくお願いします。明後日の午前十時ですね。」
頭を下げて、ハローワークを後にした。

 ヒロくん、ごめんなさい。わたしがうまい事できてたら、これから起こる事、避けられたかも知れないのに。結末さえ思い出してくれるだけだったけど、わたしじゃ何も力になれなかった。
瞳は、ヒロの背中を陰で見送りながら、次の段階に事は及んで、自らの手を離れた事を悔やんだ。
『明後日の十時。山本さんにまかせるしかなくなった。引き継ぎだけは、しっかりやらなきゃ。』

十五日目

 久しぶりにワイシャツにネクタイ、スーツは黒。首が締め付けられる感触は、気が引き締まる。とはいえ、あまり乗り気ではない、きょうの面接。二週間以上、ほったらかしになっていたという事は、別の誰かが採用されてすぐ辞めて、その補充が私。と勘繰る。書類上は、優先順位上位に私はなく、次々と下ってやっと私の順番と思ってしまう。
それはそれで割り切れるが、とにかく、ブラックな法人だったらいやだなぁ、と足取りが重い。

 午前十時二十分前に、ハローワークに着いてしまった。時間つぶしに検索パソコンを眺めようと踏み出すと、ちょうど前からこの前の担当の奥さんが、満面ニッカニッカしながら近づいて来た。
「お早うございます。奥です。」
「お早いですね。一昨日説明いたしました先方様も、既に来られていますので、どうぞ。御案内いたします。」
ズンズン足早に階段を上がり、小部屋のドアを開けた。いきなり、心の準備のないままに、奥はさっさと、
「お待ちください。」
言い残して、部屋を出る。
ひとり取り残されて、焦りながらも部屋を見渡す。会議用の長机と折り畳み式のパイプ椅子。これ以上ないと思えるほどの殺風景な会議室。壁の色は、くすんだ感じのクリーム色。窓は、はめ殺しの小さな窓。隣の建物とかなり接しているらしく、光はほとんど差さない。春の陽射しは程遠く、寒々とした風が吹く気配。
だんだん不安になって来た。そう、ドラマの取り調べ室みたいな部屋。

 コンコン。
ドアのノックの音と間髪入れず、
「失礼します。」
の声に飛び上がるらように、立ち上がってしまった。
私の背後から回り込み正面に立った人物を見て、目が飛び出しそうになる。
「まずは挨拶させて下さい。わたくし、国家情報収集委員会の山本と申します。さ、どうぞお掛け下さい。」
握手を交わしながら、にこやかに微笑む山本という人物は、黒の詰め襟の上下で、肩と胸には妙ちくりんな金色の紐の装飾といったいでたち。顔は健康的に日焼けし、笑うと白い歯が光る三十代半ばと思える人物だった。
国家ナントカ委員会とかでなく、どう見てもどこかの隊に属してるだろ。という姿だった。
 私が腰を抜かしそうなのを察したのか、
「あっ、私の外見に驚かれるのは仕方ないですね。どう見てもどこかの隊所属っぽいですね。でも、嘘偽りなくどこの隊にも所属しない、一応国の委員会所属です。委員会も、国家総決起法の制定後に、慌しく招集されたもので生まれたてホヤホヤですよ。わたくしの前職は消防士です。ですから、自分で言うのも変ですが制服が合うのでしょう。」
ニカッと笑いながら、また歯が光る。
 少し落ち着いて、聞いてみる。
「それで、その委員会がなぜ私なんかに用があるのですか。どちらにせよ、国家の重要な任務で……。」
「すみません。途中で言葉を遮って申し訳ございません。任務でなく、お仕事です。」
「少しばかり、国からお願いされていますが、お仕事としてハローワークより募集させて頂きました。任務でしたら何らかの強制力が伴いますがあくまで仕事の紹介に過ぎません。どうか、説明だけでもお聞き頂けないでしょうか。」

 「開戦から半月が過ぎました。国はその直後より部隊を戦地に派遣し、未だ睨み合いが続いている事は、様々な情報によりご存知の事と思います。政府は、部隊派遣については何も異存はなかったのですが、部隊内の歯止めについては、少し不安だったようです。」
歯止めとは、万が一部隊が暴走して命令なく相手方に攻撃を仕掛けてしまう場合に対する備えらしい。部隊内では、相互監視のシステムが存在するのだが、政府は同じ釜の飯を食った者同士で果たして、本当に歯止めが機能するのかという議論があったらしい。そこで、
「全く利益や、目的を共有しない立場の人間、そう、あなたのような人間を配する事で、歯止めをより強固なものにする法整備を急ぎ決定し、人選を急いだ。というわけなんです。」
山本は、一気にまくしたてた。
「じゃあ、私はそんな、宗教や思想にあまりかぶれていない人間の一人の何人かに選ばれたわけですね。でも、開戦から半月たった今頃、少し遅すぎやしませんか。もう何人かはその、仕事に赴いているのではないですか。」
少し、嫌味を言ってやる。ダメで元々だ。
「何をおっしゃいますか。あなたが第一号ですよ。」
「ヘッ……。」
エッ……ウソ……。
山本の言い分では、厳選な身辺調査には早すぎるくらいのスピードで候補者を絞ったらしい。プライバシーの問題もあるので、他の手を借りずに委員会独自での調査は今も難航中らしいのだが、とにかく、リスト最上位の私以外はまだ、誰も面談に至っていない事、見る限りかなりの説得力を持って、熱弁した。

結局

 もう洋上に出て、ひと月が経過した。自己紹介の挨拶を交わし、乗組員に次々と船内を案内される。意外な船内の広さに戸惑いながら、専門的な用語に頷く。実は全く分からない事だらけで、お手上げなのだが、説明をいちいち聞いとけば、微かでも役に立つかも知れない。
私の紹介時の立場はというと、そのまんま、隊の監督をする一般市民という説明がなされた。なんか隠密にしても、メッキはすぐ剥がれてしまうだろうし、案外すんなりと受け入れられた。
乗組員は、皆かなり若い。日焼けした肌に歯が眩しい。それに、人懐っこい。乗船して、一週間もすると、
「あ、ヒロさん。どこか判りにくいとこがあれば、案内致しますが、何か不自由はないですか。」と、ヒロさんヒロさんと声を掛けてくる。一週間散々船内を迷子になっているうちに、名前と顔が売れてしまったらしい。

 任務でなく仕事として乗船した私は、乗務員と変わらぬ制服を支給され、使い捨てライターくらいの大きさの通信機を渡された。これがいわゆる、面接時の山本が言っていた、何か隊の中で判断ミスがあった時用の通報装置らしく、踏みつけらても壊れないし、完全防水なので、シャワーの時も身に付けておくように、というのが唯一の仕事だ。個室も用意されている。他の部屋がどうかは分からないが、個室では喫煙も許されている。
 ただ、ブラブラしているだけだと、大変だろうと、もう一つ任されたのは、船内の乗組員の生活をレポートすること。カメラとタブレットを渡され、プラプラしながら、乗組員や馴染みのない機器を撮影し、コメントを載せて委員会に送信する。機密とされる部分も
撮影されているかも知れないのだが、検閲は向こう任せになっているので、むしろ安心。
そんな立場の人間がプラプラするのだから、乗組員は邪魔だろうしいい気はしないと思うのだが、不思議と『ヒロさん、ヒロさん。』と、人懐っこい態度は相変わらず続いている。
いつものように、船内をプラプラ散策していたある日、一人の顔馴染みに声を掛けられた。
「ヒロさん。ジムがあるのをご存知ですか。もし良ければ、一緒に汗を流しませんか。」
「ジム使っていいのかい。隊員の皆さんの任務の一環で身体を鍛えてるのに、悪いよ。」
「大丈夫ですよ。いつでも自由に使えますから。お仕事に支障がなければ、御案内します。今からでもどうですか。自分は任務の時間外ですから。自分と一緒に鍛えましょう。」
時間は、持て余すくらいあるし、私だけ弛んだ身体でウロウロしているのは、かなり卑屈な気分だった。この際、十分な時間を利用して引き締まった身体を目指してみよう。
 甘い考えだった。隊員が利用するジムには、トレーナーのような係員がいて、まず、どう鍛えたいのか聞いてきた。う~ん……。何をどう鍛えたいのかなんて、全く考えていない私の隣から、人懐っこい私について来た安田隊員が、
「見栄えのいい筋肉マッチョなんて、役に立たないから、持久力を鍛えてみるのなんてどうですか。」
「なるほど、確かに誰かに見せる訳でもなし、持久力なら……。すみません。持久力を鍛えるメニューでお願いします。」
軽い、ウォーキングから始まった。確かに最初は軽いウォーキングだった。が、隣の安田隊員は、少しずつ負荷を掛けてくる。ウォーキングなのに、息があがる。息があがると、負荷を軽くする。といった繰り返しを小一時間。終わった頃には、ふくらはぎとももがパンパンに。
「や、安田くん。きょうはこのくらいで。」
「そうですね。かなり負荷の高いウォーキングでしたが、お疲れ様でした。」
私は終わった途端、その場に正座した。そしてしばし。
「ヒロさん。どうかされたんですか。正座したまま、具合悪くなったんじゃ……。」
「あ、これね。脚がパンパンの時、正座すると回復早いんだよ。隊でやらないかな。忍者の回復術らしいよ。」
「ほ~う。今度試してみます。」
忍者の回復術が成功したのかしないのか、運動不足の身体は、個室に戻ってすぐ、眠りに誘った。

 初回のジムトレーニングの翌朝、食堂で遅めの朝食を摂っていると、昨日の安田隊員が声を掛けてきた。
「おはようございます。きのうは、よく眠れましたか。少しハード目のトレーニングメニューだったのに、よく付いてこれましたね。」
「確か、軽めに慣らして行きましょうって話じゃなかったかな。道理で筋肉痛が酷い。」
「いえいえ、最初はそのつもりだったんですが、大丈夫そうだったんで、ついつい隊員と同じペースでやらせていただきました。その件については、ごめんなさい。」
反省なんて微塵も感じさせない態度だったが、憎めない安田。
「ところで、きょうは何かご予定はありますか。もしよろしければ、本日も自分がお付き合いいたします。どうでしょう。」
とか言いながら、私の返事なんて全く無視の気配。筋肉痛以外は、疲れも残っていないみたいなので、迷いながらも、ジムに連行されていた。
 「さあ、本日は二時間ばかし鍛えてみましょう。」
まずは、昨日と同じウォーキングから始まる。脚の筋肉痛は、歩き続けるうちに気にならなくなった。まだ二日目なのに、力が付いている実感がある。間接の動きがスムーズな気がする。『二時間なんて軽く行けそう。』と調子づいた頃。
「はあ。ちょっと休憩。」
安田隊員は、おもむろに正座する。
「隊でも、正座で休憩するんだ。」
「いえ、ヒロさんが昨日正座で回復させていたのを試してみたら、効果があったので、きょうから始めたんです。お陰で、正座回復術の信者は急増中です。」
なるほど、確かに、各々のメニューを終えた隊員の数人が正座で呼吸を整えている。
「自分が朝早くにジムでトレーニングしてから、四、五時間でこれですから、信者はまだまだ増えそうですね。さあ、あと一時間やりますか。」
 そうした毎日を過ごすうちに、私のトレーニング時間は、乗船三週間目には毎日五時間のメニューを平気でこなす程に、鍛えられていた。

 遊んでいる訳ではないが、一ヶ月後には船上生活を有意義に過ごすようになっていた。

曇天、凪

 夢……。
大魔王が私に命ずる。
『逆立ちして、地球を一周せよ。』
そんな事できるわけない。誰か別の人に命じればいいじゃないかと思ったところで、魔王は受け入れてくれない。
意を決して、逆立ちしてみる。
できた。こんなに簡単だったのか逆立ち。
疲れもしない。
これならなんとかなりそうだ。一歩一歩地球一周を目指す。
あと少し、あと少しで地球を救える。
あと少し……。
まだまだ、腕も背中も腰も、力はみなぎっている。
あと、もう少し……。
 大魔王がふいに、高らかに笑う。
『時は過ぎた。約束の時は過ぎた。人類の罰を受けよ! 』
大地が裂け、宇宙に取り残される自分ひとり。
『あぁ……。また失敗してしまった。もう少し心が強ければ……。』

 船内が慌ただしい。警報ブザーが遠くで聞こえる。けたたましいノックの音。
「ヒロさん。ヒロさん。起きてますか。起きてください。ヒロさん。ヒロさん……。」
 『よかった。まだ地球は壊れていない。現実に帰ってきた……。』
「はい……。あ、今起きました。今出ます。」
あてがわれた個室から顔を出す。
安田隊員が、緊張の面持ちで綺麗に直立している。
「何ごとですか。かなり船内が慌ただしいようですが……。」
全部を言い終わらないうちに安田隊員は、
「非常招集です。ヒロさんを別室で司令が待っております。素早く身支度して下さい。自分は外で待機し御案内いたします。」
可能な限り素早く、身支度を整えながら、『司令がなんの用があるというんだ。非常招集なら隊員各々が持ち場で責務を果たす訓練はできているだろうに。私はただの一般人に過ぎないし……。』
「安田隊員、準備整いました。」
イヤイヤ、安田の早足に付いて急ぐ。

 通された部屋は、何らかの作戦会議室のようだった。
かなり大きなモニターに、牛耳島を中央にした表示があり、色分けされた敵国艦船が将棋の駒のように映し出されている。それを遠巻き囲む同一色の艦船は、日本艦隊だろう。艦隊運動は、恐らくオンタイムで画面上を動き回っていた。今までで最も慌しく動いている事だけは分かる。
「未確認情報ながら、今まで牛耳島に背を向けて停泊していた敵艦船は、左舷を牛耳島に寄せる形でゆっくりと艦隊運動を始め、上陸体制に入ったかもしくは、既に上陸したものと思われます。対して我が艦隊は、特殊部隊を編成し……。」
この場に私は必要なのか。かなり重要な局面のようだが大丈夫なのか。と思ったものの、案内の安田隊員は後ろ手をくんで直立不動。話し掛ける空気でないのは明白。
『特殊部隊とは何だろう。安田くんも入っているのか。でないと、落ち着いて聞いてられる内容じゃないな……。』それにしても、私はなぜここにいる……。
次々と、作戦の中枢は語られる。
「今回の任務には、佐藤隊員。山田隊員。藤原隊員。安田隊員、それを監視する……ヒロさんの五名で編成され……。」
「……。」
「えっ! 」
思わず、声が出てしまったが、今発言せずにいつ発言するか。
「すみませんが……。今、私の名前が呼ばれたような気がするのですが、聞き違いですよね。いや、すみません。大事な会議の最中に声を出して。いえ、今後は黙ります。ていうか、今すぐ退席します。」
「ヒロさん。間違いなくあなたです。」

 悪夢のような会議。作戦。
何度も断った。しかし、あなたの唯一の仕事がこの時のためにある。仕事だから、断る事はできない。の一辺倒と、命を懸けた男たちの圧力、目眩を覚える『国のため』の言葉。私が参加しなければ、作戦は悪夢にならない。たぶん精鋭に違いない四人の男たちなら、一人で百人くらい簡単に渡り合えるだろう。私さえいなければ。頭が痛い。お腹が痛い。どこもかしこも痛い。と駄々をこねたところで、作戦会議は止まらない。
なんでだ。やまもとのやつこんなことひとこともなかったやんけ。せつめいぶそくやろ。いやブラックやないけ。
心の中で、私をおだてて採用した山本に対する恨み節をつぶやく。
それでも、会議は当たり前のように二時間近く続いた。
「健闘を祈る。」
はぁ……。解散。
 「ヒロさん。大丈夫ですよ。そう見えないかも知れませんが、自分たち、本物の特殊部隊の精鋭ですから。」
四人の精鋭に、一人のド素人。勝算は乏しい気がする。

 作戦は、全て四人の精鋭に任せて、俺はとにかく必死に付いて行くだけだった。
既に、牛耳島に上陸した。これだけでも奇跡。
牛耳島で目指す地点は、ただ一つ。任務は、島の最高地点に到達し、日本の国旗を高々と掲げて、日本の主権を宣誓する。ことらしい。そんなもんで果たして他の国家が納得するのか、疑問だが、国がそうするというのなら自棄糞でやるしかない。
 作戦の三時間くらい前、俺は、遺書めいたものを残し、あてがわれた船室の引き出しにしまった。恐らく死ぬだろうとか、父さん母さんありがとうとか、子供たちへとかでなく、戦争がもし終わったならこうなればいいのにといった、小っ恥ずかしい世界へのメッセージめいたものだ。
死ねば、子供っぽい戯言だって恥ずかしくない。

 牛耳島に上陸すると、すぐに急勾配を登らなければならない。急勾配というより、崖。人の住まない島なので、雑木と背の高い草が生え放題だ。よく、道なき道というが、道はない。とにかく、びっしり生えた草をかき分け、急斜面の雑木に必死につかまり、頂上を目指す。
互いの姿は、油断するとすぐに見失ってしまう。
ふと、先頭を行く安田隊員が止まり、私に小声で囁く。
「……ヒロさん、左手に敵がいます。見えないけど、間違いありません。一人やりますが、心配なく。」
身振り手振りで最後尾の隊員に合図を送る。
隊員は、草むらと雑木林に溶け込んだ。
 残り四名。無言で進む。激しい勾配のため、目的地までは緩い勾配を手探りしながら進む。息はとっくに上がっているし、窮屈なヘルメットとゴーグルの中で、汗が目に滲みる。二時間は、歩いたろうか。歩くというより、四足歩行。いつの間にやら、自分自身に問いかける。『何やってんだ俺。』粘土質の土と草の汁で滑る。『藤原くんは、一人で敵と格闘して、勝てたのか。』最後尾から抜けた隊員の事を思う。『特殊部隊と言っても、敵も特殊部隊だよなぁ。』遭遇したら、互いに戦い、どちらかが死ぬ。死は、この島では身近だ。『今、どのくらいだろう。』草丈二メートル近い中で這いずり回っていると、直接の太陽は見られない。距離感もさっぱり掴めない。荒い息でひたすら這い回る。キツい。静か。自分の荒い息遣いしか聞こえない。耳を澄ます。やっぱり自分の息遣いだけ。笑いたくなる。要するに、隊員たちの呼吸は全く乱れていない。無性に笑いたくなる。鍛え抜かれた体力と判断力と、動じる事のない膂力。そんな肝の据わった若者が、日本にはいる。この場にいる。なんとも心強い事じゃないか。鍛練の賜物と簡単に受け止められない。誰の目にもほとんど触れる事のない、頼りになる若者。そんな若者と共に過ごせるなんて、そう滅多にある事じゃない。いや、いわゆる普通の暮らしを望んでいたなら、一生巡り会えない若者たち。やっぱり、笑いたくなる。『面白い。』
 安田隊員がふと、手を上げた。全員ストップ。すぐ後ろの私の所まで下がって、囁く。
「ヒロさん。ここからは全員散開して進みます。もちろん、自分とヒロさんはペアで、あとの三名は、周辺を警戒しながらです。」
あとの三名でなく二名だろうと、思いながら後方に目をやると、抜けていた藤原隊員がいつの間にか、最後尾に戻っている。
『無事で良かった……。』

 「あと、五分休憩です。例の忍者の回復術しながら、携行食と水分補給して下さい。」
変なもので、戦地の荒野で正座しながら補給する五名。
「目的地までは、あと一時間弱です。もう、足掛かりになる場所を頼りに、登るだけですから迷う事もないでしょう。」
無言で他の三名は、草むらに消えた。
「ヒロさん。自分の伸縮棒に国旗を結んでいます。これを、お手数ですが持って貰えますか。自分はヒロさんの護衛に徹します。」

 船室に二人の男女。
「山本さん。この部屋のどこかに、結末のメモが残されているはずよ。ヒロは何か思い出して、残したはず。」
「大丈夫ですよ。大した荷物も無さそうだし、世界を巻き込んだ物語の結末なんて、こんな引き出しには……。あったかも……。」

 『チキショー。』
『安田隊員、どこに消えたんだ。俺の護衛に専念するって、居なくなったら、護衛出来ないじゃねえか。』
『やばい。』
変な汗、出てきた。
また、目が霞んできた。
『帰ろうかな。帰っちゃおうかな。帰るぞ。』
帰れる訳がない。どこに敵が潜んでいるか分からないなら、前に進む以外にない。万が一死ぬなら、逃げ帰る無様より、前のめりに死んでやろう。もしかしたら、安田くんがひょっこり戻って来るかも知れない。
『チキショー。旗を立てりゃいいんだろ。立派に立ててあげましょうってんだ。コノヤロー。』
武器なんて持ってやしないし、何かないかな。適当な棒切れとか、手頃な石とか、ねーなぁ。
『ったく、誰だよ。こんな理不尽な戦争考えついた奴。作戦だって、誰に対して旗振るんだよ。あ~ぁ……。』
泥にまみれ、汗にまみれ、両方にまみれながら、文句も尽きかけた時。……。……。
『あぁ……。ここ、頂上? 』
こんな棒切れ、とっとと立てて帰るぞ。
敵が迫っていようが、いますぐ狙撃されようがどうでもいい。棒を伸ばして、旗ほどいて、全体重をかけて我が領土に突き刺す。

 「へんっ。楽勝楽勝、どうだ! 」
風を切る不思議な笛の音。肩に、衝撃。ゴーグルに何か飛び散る。次は、腹部に衝撃。赤い。ゴーグルが赤い。もしかして、血。もしかしなくても、血。旗さおに掛けた手がヌラヌラする。また、どこかに衝撃。
 やられた。
『傷が深いと、痛くないらしい……。全然痛くない。大量の出血。やばい。意識が遠のいてきた。やっぱり、痛いかも。熱いかも。』
『かなり、やばい。これでもいいか……。』

遺書

 ……誰かの目に触れる事があれば、随分幼稚で恥ずかしい物ですが、したためます。……かなり若い頃になりますが、私、遊び半分で小説の真似事を書いた時期があります。……題名は、『祭と平和』。物語の序盤では、世界で戦争紛争がなくならない嘆きや、国が栄えているようで借金に喘ぐ実情、富を手に入れた富裕層の幻想と怯え、などを書いたような気がします。……舞台は、現代よりも少し未来で、国家も個人も何か焦りを感じつつ、何も踏み出せないジレンマにイライラする社会を描きました。……ある日突然、日本は平和な日常を捨てて、全世界に向けて、宣戦布告してしまいます。……しかし、どの国に対しても攻撃を仕掛けようとしません。今と全く逆の立場でストーリーは進みます。……戦争を最も嫌うだろう国民は、いわゆる金持ちは、むしろ喜んで財産を国家に提供し、一般の庶民は国土防衛という大義名分の元、一体感を増し、日々の国家事業に邁進する。……やがて、世界中の国々も同様に、敵国日本に対する以上の熱心さで国が熱気を帯びてきて……。たぶん、ここら辺で、ストーリーは頓挫しています。だから、私なりにストーリーを完結させたいと思います。……。

 「大したもんだよ。この人。計画がはずみで発動してしまった世界の最終話をちゃんと完結させてしまったんだから。まあ、元はと言えば、この人のちょっとしたお遊びが発端だけどね。」
「確かにそうよ。でも、それが噂話として、三十年以上かけて世界中に伝わるなんて、本人が一番オドロキじゃないかしら。未完成の作文が、世界を動かして、本気か本気でないか分からない世界大戦を引き起こしたんだから……。」

 「この度政府は……、国の全ての債権債務をの放棄を宣言致します。」
世界中のトップが世界大戦下、他国に貸し付けたお金、他国から借り受けたお金を全て白紙に戻す。と宣言したわけだ。
 「これは、どえりゃー事になったぞ。」

 「政府からお伝え致します……。」
国を挙げての世界同時借金踏み倒しの三日後。世界大戦は、お互いに無条件で終結した。
犠牲者は、恐らくではあるが日本側の、勝手に牛耳島の山頂に旗を立てた男。
何の為に、戦地に侵入して国旗を掲げたのか。どこの誰なのか。一切不明。
そもそも、日本の部隊の戦闘服に似せたデザインだが、どの部隊の制服とも違うという事は、判っている。
テレビでは、どこかのオカシイ奴が勝手に、万歳と叫びたくやったのだろうと、ボヤいていた。
とりあえず、狙撃された男に届いた弾丸は、威嚇用の高性能な赤色ペイント弾で、逃げた一団の消息は不明。

 「あ~あ、それにしても酷いですよね。結構命懸けで任務を全うしたのに。」
オカシイ一団の、隊長の安田が愚痴る。
大戦終結から一ヶ月の喫茶店で、苦い顔でコーヒーを啜る安田。
「偽物じゃありませんよ。あれ、本物の特殊部隊用スーツですからね。特殊部隊用だから、誰も知らないだけ。知ってましたか、ヒロさん。」



 

あん時から今。続き

約27000文字を書き上げました。本当はストーリー紹介に毛が生えたくらいの、骨骨小説を目指していたのですが、いつの間にやら肉が付いてしまいました。まあ、肉も適度に付いてないと、訳が分からない事になりそうだったので、しようがなしと言う事でお許し下さい。

あん時から今。続き

あん時から今の、続きに過ぎません。

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-10-08

Copyrighted
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  1. 七日目、八日目、九日目
  2. 十日目
  3. 十三日目
  4. 十五日目
  5. 結局
  6. 曇天、凪
  7. 遺書