葛嵐.
色付き始めた椈の葉が風にそよぐ様はなかなか風情があると思うが、それらを楽しむ余裕はあまり無い。車椅子を押しながら山の坂道を登るのは思っていたより骨が折れ、額にじんわりと汗が滲んだ。一方車椅子に乗っているいっちゃんは、何やら楽しげに歌を口ずさんでいる。
「お姉さん、いっちゃんね、山から夕陽が見たいの」
一年ぶりに会って第一声がこれだった。四時間がかりの帰郷の後で少し疲れていたが、最近塞ぎがちだったらしいいっちゃんが外に出たいと言ってくれたのは嬉しかった。一人で大丈夫かと心配する母に大丈夫だよと笑いかけ、支度を始める。蜜柑の皮を肌に擦り付けてあげると、いっちゃんはくすぐったいのか喉を震わせて笑った。蜜柑の皮が蚊除けになる事を教えてくれたのは祖母だった。
「いっちゃん、夕陽よく見えるといいね」
私の声が聞こえたのか聞こえなかったのか、いっちゃんからの返事は無い。
小さい頃よく祖母と二人で歩いたこの山へ、以前は行くのが躊躇われた。多忙な両親に代わり私の遊び相手になってくれたのはいつも祖母だった。祖母は色々な事を知っていて、草木や虫の名前、天気の読み方など沢山の事を教えてくれた。おかげで私はすっかりおばあちゃん子になってしまって、親戚の人達によく笑われたものだ。だから尚更、時間をかけて少しずつ変わっていく祖母の姿を、祖母ではなくなっていく姿を直視出来なかったのだ。泣き虫だった私を包んでくれた皺だらけの手の温もりは、皺を残したまま消えてしまった。零れ落ちた砂達がまだいっちゃんの中に残っているのか、それともどこか遠くへ消え去ってしまったのかは誰にも分からない。
こうやって祖母の事を考えても胸が痛まなくなったのは、受け容れたのか、諦めたのか、両方なのか。どれでもいいと思う。
「よいしょっ!」
最後の一押し、景気付けに声を出して坂を抜けると一気に視界が開けた。連なる山々の向こうへ沈みかけた金色の夕陽が空を赤く染めている。いっちゃんはその景色を見て満足げに顔をほころばせた。喜んでもらえたのなら明日襲ってくるであろう筋肉痛も悪くないな、そう考えていた所でひたといっちゃんの笑い声が止まった。
「どうしたの?」
「夕陽、蜜柑みたい」
「ああ、まん丸だもんね」
「沙耶香、知ってるかい?蜜柑の皮はね、蚊除けになるんだよ」
そして皺くちゃの笑顔を私に向けて―――思わず言葉に詰まり、息を飲む。
「……お、おばあちゃ」
突然、ざあっと木々を撓らせ空気を切って勢いよく風が吹き付けて、去っていった。
風!風!と笑いながら手を叩くのはいっちゃんだった。
「お姉さん、風、すごかったねぇ」
「うん、びっくりしたね。冷えてきたしそろそろ帰ろうか」
そう言っていっちゃんに笑いかける。さっき吹いた風のせいか少し目が痛かった。
葛嵐.