短編・僕は先輩の隣へ行く
「大事な話があります」
そうメールしてかれこれ数分、僕はこの数分間に何度メールの確認をしたか分らない。
ここ数日の鬱屈した日々から意を決し、ようやく送れたメール、先輩は返信してくれるだろうかなどと一人不安になる。
季節は冬、長いようで短いような思い返せば案外長かったようなそんな1年ももうすぐ終わりを迎えようとしているそんな時期。
学校はとっくに冬休みに入っていて、まだ昼だというのに何の予定もない僕は
コタツの中で気持ちよさそうに寝息を立てている猫と一緒に暇をもてあましていた。
面白くもないTVを一日眺めながらどうにも晴れない憂鬱な気持ちが溜息として自然と吐き出てしまう。
ここ数日、冬休みに入ってからずっとこんな調子だ。
それもこれも原因はメールの送り先の人物にあるわけなのだが。
あぁ本当ならきっと今頃…
そんな心の叫びを敏感に感じ取ったのだろうか、さっきまですやすやと寝ていたはずの猫が唐突にコタツから顔を出し僕を鬱陶しそうに睨んだ。
「何だよその目は」
負けじとこちらもムッと睨み返すもすぐに我関せずといった具合で猫はいそいそとコタツの中に戻っていく。
”貴様のような小物など相手にするのも馬鹿らしいニャ”
そう言われたような気がした。
確かに僕は小物だ、多分今の僕はミジンコよりも小物で中二男子よりヘタレだと思う。
何せあれほど毎日欠かさず行っていた部活も冬休みに入ってから一度も行けずじまい。
ようやく送った、たった1通のメールにですら戦々恐々としているのだから
と、その時
ピロリン♪と間抜けなメロディが鳴った、テーブル上の携帯をとると一通のメールが受信されていた。
差出人は「先輩」と表示されている。
僕が知っている唯一の上級生で、僕の所属している美術部の部長で、僕の憂鬱の原因。
慌ててメールの中身を確認する。
あまりに慌てたせいでコタツに足をぶつけて、中の猫が「ふぎゃっ」と悲鳴をあげたが、なに気にすることはない。
文面はこうだった。
「今日の19時、いつもの場所で待ってる」
様々な思いや考えが脳内をグルグル駆け巡るもそれらをひとまず置いて「わかりました」とだけ返信した。
× × ×
吸い込まれそうなほど綺麗な長い黒髪と瞳。
一見大人しそうな文学少女だが実は校内1の問題児。
それが先輩の特徴だ。
2年前の4月、最上級生だった中学から新入生の高校へと変わった入学式の日、先輩と出会った。
長い式が終わり、顔も名前も全く知らないクラスメイト達(まぁ何人かは同じ中学もいるが)もその頃になるとおずおずとコミュニケーションの輪を広げようとしていた。
かくいう僕も入学式の日隣同士だったやつとは今でもよく話す。
我が校は部活動にも積極的で部活勧誘はかなり激しい。
大抵の生徒はその勧誘に負け何かしらの部活に入ってしまうほどだ。
入学式の日は特に激しく1年教室周辺は人でごった返す。
そして僕も例外に洩れず様々な部活から勧誘された。
中でも柔道部主将のゴリラマッチョ(仮)からずっと入部しろという熱視線を浴びせられていた。
しつこく入部を迫られよしんば貞操の危機すら感じたほどである。
だが漠然とやりたいことのあった僕はどの勧誘にも屈さず、人ごみを掻き分け
ゴリマッチョからの執拗な追跡を撒くことに成功し、なんとか校舎3階奥の「美術室」に辿りついた。
そう、やりたいこと、とは「絵を描くこと」だったのだ。
画家になりたいとも、なれると思って美術部に入ろうとしているわけでもない。
ただ、高校3年間くらいは自分が本当にやりたいと思ったことをやりたくて、やりたいと思ったことに全力になりたかった。
それが僕にとってたまたま「絵」だったのだ。
実にやる気のなさそうな顧問だったが入部希望ももう出した。
あとはこの扉を開けて先輩達に挨拶をと思ったところで、ふとおかしいぞと違和感を感じる。
この辺りは随分と静かだな、校内は部活勧誘でどこもかしこも祭りのようなのに。
美術室からも人の声らしきものは聞こえない、それどころか物音すら聞こえない。誰もいないのだろうか、しかし鍵は開いているのだ。
不思議に思いながらも扉を開けた、すると──
明かりの消えた部屋に
奥深くに片付けられた机と椅子
完璧に掃除の行き届いたタイルの上に「布団」が敷かれていた。
「………」
あまりの事態に戸惑い固まってしまう、なんだこれ。
困惑しながらも部屋の電気を点けると布団の中から「うぅ…」というぐぐもった声が聞こえた。
「うわっ!」驚いて思わず声を上げてしまう。
「うぅ…誰だぁ、勝手に人の部屋にはいってきたのはぁ」
そんな声と同時に布団がもぞもぞと動き出し、やがて中から人が出てきた。
「う~…よく寝たぁ…ん? 君は……どちらさん?」
眠たそうな目をこすりながら布団から這い出て来た女の子。
その女の子を「ハテナ」の化身みたいな顔で見つめ完全にフリーズしてしまった僕。
僕と「先輩」の出会いはそんなシュールな出会いだった。
× × ×
「ふむ、確かにここは美術室で私は美術部だ。なんと部長だぞっ!」
「あ、そ、そうですよねっ、なんだてっきり昼寝部かなんかと間違えたのかと」
「でも私絵描いたことないんだけどね」
「え!」
「ついでに部員も私しかいない」
「えぇ!」
「美術道具? なにそれ食えんの?」
「えぇぇぇぇ!?」
「君ここに来てから驚いてばっかだね」
楽しそうに笑う先輩だった。
だが僕の方はそれどころじゃない。
「そ、そりゃ驚きますって、じゃあ先輩はここで何してるんですか!?」
「え? ん~~~」
先輩はしばらく考えた後思いついたように
「まったり?」と答えた。
「これは……これはひどい…」
これは予想外だった。
どうりで顧問もやる気なさそうだったわけだ。
美術部入部希望ですって言ったら
「…びじゅつぶ? …………………………あ…! ああ! 美術部ね! はいはいはいはいそういえば私が顧問だったっけ(笑)」
とのたまい、説明するより実際に見たほうが早かろうとこの美術室の場所を教えられたのである。
だから美術部が過疎化している可能性やあまり真面目に活動していない可能性も考えたのだ。
けれどそれでもいいと僕は思っていた。
何はともあれ絵を描く場所という環境そのものが大事だったのだ。
しかしここははっきり言って先輩のプライベートルームだ。
誰が予想できるかこんなん。
「よく廃部にならないですね」
「ふふん、私はゆーとーせーだからねっ!」
「それ答えになってるんですか?」
あとで分ることだが実際の所先輩は学校始まって以来の天才と評されるほどで全国模試でも3位以内に入るレベルの学力を持っている。
それだけじゃない、およそ殆ど全てのことはそつなくこなすはっきり言って完璧超人だ。
それこそ学校側もある程度のわがままは許容するらしい。
無い胸を張ってドヤ顔の先輩のこのアホみたいな答えもあながち間違いでは無かったりする。
「ところで君は新入生だよね?」
「そ、そうですけど」
「にゅうがくおめでとー、そんな君にはゼリーをやろう! おいしいぞー」
「なんでゼリーが…ってかなんで美術部に冷蔵庫があるんですかっ!」
「まぁまぁ。はい、私特製ゼリー」
はぐらかされつつゼリーを受け取らされた。
戸惑いつつ「い、いただきます」といい一口食べる。
何これ、うまっ。
もう調理部とか入れや。
その様子を見た先輩は
「ドヤっ!」って顔をしてた、というか言った。超うざい。
よく室内を見ると、美術室には小型のテレビからパソコン、簡易型の調理器具などあらゆる生活道具が揃っている。
この人はここに住む気か。
「授業でも一切使わない忘れられた教室だからね、私が乗っ取って改造しちゃった☆」
「もう何でもアリかあんた」
なんだか力が抜けて僕はソファーにへたりこんだ。
結局僕の美術部生活は半ば頓挫してしまったようなものである。
失敗した、僕にとって絵を描けない美術部なんて麺のないラーメン、ご飯の無い炒飯、卵の無いオムライスのようなものだ。
こんなことなら隣の席のグルグル眼鏡君が入るといっていたカレー部に入った方がまだマシだ。
と早くも自暴自棄になりかけ、カレー部への入部希望届けを書こうか本気で悩んでいる時。
「それで」
先輩の囁くような声が左耳すぐ近くから聞こえた。
気づけば先輩もすぐ隣に座っていたのだ。
ふわっといい匂いがした、シャンプーの香りだろうか。
少しドキッとして思わず先輩の方を見ると、先輩はその大きな瞳でこちらをジッと見ていた。
「君は、絵を描きたいんだよね?」
「え、えぇ」
「そのために、ここに来たんだよね?」
「そ、そうです」
「そっか…どのくらい絵が描きたい?」
「え…?」
「君の絵を描きたい気持ちはどのくらいなのかな?」
僕のやる気を聞きたいのだろうか、先輩は本気なのか冗談なのかよく分らない顔をしている。
というか顔が近い、顔が!
僕は動悸する鼓動を隠しながら正直に答えることにした。
「もし絵を描けなかったら、自暴自棄のあまりカレー部に入ります」
「あーそりゃ大変だ…カレー部か…」
しばらく「カレー…カレー…」とうわごとの様に呟いていた先輩は突然閃いたように席を立ち
「ちょっと待っててね」と言いどこかへ行ってしまった。
それから約10分後、先輩は大量の画材を持って帰ってきた。
何故かカレー鍋も持ってきていた。
「先輩、それは?」
「カレーだけど?」
「じゃなくて! いや確かにそっちも気になりますけど」
「いやぁカレーの話するから急に食べたくなっちゃったんだよ。で、カレー部からぶんどってきた」
照れくさそうに笑う先輩、何この行動力。
「今日はカレーパーティだ! 遠くインドに想いを馳せながら2人でカレーを食べよう」
確かにカレーは好きだ、放っておくと毎日カレーを食べているまである。
そして鍋の中のカレーからは特段スパイシーな香りがする。フッ…なるほど、カレー部の名は伊達じゃないという訳か…。
などと不適に笑っている場合ではない。
先輩は「今日のカレーはどんなカレー♪」などと作詞作曲先輩によるカレーの歌を口ずさみながら2人分のカレーをよそっている。
「カレーは分りましたけど、この画材は…」
「ん? だってここは美術部じゃん。君は絵を描くためにここへ来たんでしょ?」
100%その通りだが先輩に言われると殺意の波動に目覚めそうになる。
だがそんな僕の気持ちとは裏腹に先輩はすごく楽しそうに画材をセットしている。
あっという間にここが美術部っぽくなった、カレー鍋が異彩を放っているがあれはカレー部とのコラボということで勘弁して欲しい。
そして先輩は画材の向こう側にぽつんと置かれていた椅子に座り実に楽しそうにこう言った。
「私を描いて見て。君の絵が気に入ったら、ここを美術部にしてあげよう!」
いや、ここ美術部なんだよね?
そんなわけで僕と先輩の部活動はちょっぴりスパイシーな匂いと共に始まったのだった。
× × ×
なんやかんやで見事、先輩のプライベートルームを美術部にすることが出来た僕は色んなものを描いた。
だが一番描いたものはまず間違いなく先輩だろう。
ことあるごとに自分を描けとせがんでくるものだからこの2年で人物画だけはやたらと向上した気がする。
美術室に行くと大抵先輩はいる。
授業も殆ど免除されているらしく、この前は1人で朝のHRから放課後まで某ゾンビゲームを全作クリアしていた、アホか。
職員室からホームスクリーンを持ってきて某未来の猫型ロボットのおばあちゃんの思い出を一緒に観たこともある。先輩の嗚咽のせいで僕は泣けなかったが。
調理部から借りてきたといってオーブンを持ってきて、ウェディングケーキみたいな超大作ケーキを作っていたこともあった、調理部に入部しろ。
元々そんな性格だからか先輩は我が学校きっての変人として名を轟かしていた。
その上更に人気もあるときたもんだ。
そのパッと見可憐な容姿から男女問わず憧れられ、無駄に男前なので後輩女子からは絶大な人気を誇る。
ラブレターを貰っただの告白されただの浮ついた話を聞いたのも1度や2度ではない。
ただし言動も行動も基本的にエキセントリックな人なので夏を過ぎる頃には先輩は異性からすっかりただの変人として扱われるようになっていた。
そんな日々をこの人は3年間やっているのだ。
1年の頃は上級生と同級生に。
2年からは後輩に。
いずれも春頃までは高い人気を誇っていたが、先輩にときめいた誰もが恋慕の感情からスーパーマンを見る目に変わって行った。
まぁ相変わらず同性からの人気は凄いのだが。
ただ基本スペックが高いから何でもやるし目立つだけでやっていることはほとんど遊んでるだけなのでほぼニートと変わらないと思う
なので以前先輩に学生ニートと言ってみたら後日僕の下駄箱にこれでもかというくらい大量の練りけしが詰め込まれて下駄箱がパンパンになっていたことがある。
その日以来クラスの女子の間で僕のあだ名が「ネリ・ケシ夫」になり枕を濡らしたのは遠い思い出だ
一部で「ケシ・カス朗」派もいたらしいが少数派だったため「ネリ・ケシ夫」派の波に抗うことが出来ず、歴史の彼方に葬り去られたらしい。どうでもいい。
ともあれそんな先輩の珍騒動に僕が堂々のゲットインし始めたわけだからしまいには僕まで変人扱いされる始末である。
ただ、そんな毎日自体には不思議と悪い感じはしなかった。
むしろ騒がしくも馬鹿馬鹿しくも居心地のいい日々が愛おしかったくらいだ。
そんな僕と先輩の日々のなかでたった一つ、マイフェイバリットメモリーを挙げるとするならば間違いなく学校祭での「燃える校長事変」だろう。
我が校では学校祭での行事として、部活内でも1つは何か出し物をしろというものがあった。
当然強制ではないのだが、優秀な出し物を出した部活には部費のアップや部室内冷暖房取り付けの優先、内申点向上などの特典が満載のため自然とどの部も参加したがるのだ。
もちろん美術部にまともな部員は実質僕しかおらず、また他の部と違い華やかなことも出来ないのでやるとしたら精々僕の個人展(笑)になるだろうな、と考えていた。
タイトルを「激突!!100億パワーの絵画達」か「美術室爆発!僕がやらねば誰がやる」のどちらにしようか僕の僕による脳内会議を執り行っていた所、先輩が唐突に
「今年の美術部は伝説を作る!」といかにも頭の悪そうなことを言い出した。
これで全国3位だからこの世は間違ってると思う。
なんでも去年も出し物をやる機会はあったらしいのだが、当時の先輩は自分のクラスで「天下一武道会」を開き、50人の腕自慢の頂点に輝くという女の子にしてはかなりアウトな事件を起こしていた為出し物は出せなかったそうだ。
今度は「暗黒武術会」でも開くのかと戦々恐々としていたが、先輩のアイデアは意外にも「花火」だった。
というか先輩は花火を作ろうとしていた。なんでも昔知り合いの花火師に作り方を教わって免許を貰ったそうだ。本当に何でもありだな。
結果としてその作戦は大成功だった、僕達は見事最優秀部として学校中に名を馳せた。元から先輩の名は馳せているけれど。
大空に咲いた大輪の花、学校だけじゃなく近所の人たちからも賞賛されるくらい美しい花火。
先輩監修の元初めて作った花火が空に咲いたときは思わず涙ぐんだほどだ。
ただ惜しむらくは、その花火の火花が屋上で酒を煽っていた校長の頭に落ち、校長のヅラが燃えたということだ。
パニックに陥った校長は「私の髪が! 私の髪が!」と言いながら燃えカスになったヅラを握り締め校庭内を2週半し、学校祭での話題を根こそぎ掻っ攫っていった。
おかげで現行犯として生活指導の教師に捕まり、僕は3日間の停学と反省文提出を余儀なくされた。
何故かちゃっかり先輩は無罪放免になっていた。なぜ実行犯が罪に問われないのか…。
ただし停学期間中先輩が毎日僕の家に来て課題を手伝ってくれたりご飯を作ってくれたりかなり至れり尽くせりだったので僕にとっては良い思い出だったりする。
聞く所によるとその後も校長は「私の髪が燃えた」と言い張り最後までヅラだということを認めなかったという。なにそのプライド。
ちなみに僕はその日得た 結果としてその作戦は大成功だった、僕達は見事最優秀部として学校中に名を馳せた。元から先輩の名は馳せているけれど。
大空に咲いた大輪の花、学校だけじゃなく近所の人たちからも賞賛されるくらい美しい花火。
先輩監修の元初めて作った花火が空に咲いたときは思わず涙ぐんだほどだ。
ただ惜しむらくは、その花火の火花が屋上で酒を煽っていた校長の頭に落ち、校長のヅラが燃えたということだ。
パニックに陥った校長は「私の髪が! 私の髪が!」と言いながら燃えカスになったヅラを握り締め校庭内を2週半し、学校祭での話題を根こそぎ掻っ攫っていった。
おかげで現行犯として生活指導の教師に捕まり、僕は3日間の停学と反省文提出を余儀なくされた。
何故かちゃっかり先輩は無罪放免になっていた。なぜ実行犯が罪に問われないのか…。
ただし停学期間中先輩が毎日僕の家に来て課題を手伝ってくれたりご飯を作ってくれたりかなり至れり尽くせりだったので僕にとっては良い思い出だったりする。
聞く所によるとその後も校長は「私の髪が燃えた」と言い張り最後までヅラだということを認めなかったという。なにそのプライド。
ちなみに僕はその日得た 結果としてその作戦は大成功だった、僕達は見事最優秀部として学校中に名を馳せた。元から先輩の名は馳せているけれど。
大空に咲いた大輪の花、学校だけじゃなく近所の人たちからも賞賛されるくらい美しい花火。
先輩監修の元初めて作った花火が空に咲いたときは思わず涙ぐんだほどだ。
ただ惜しむらくは、その花火の火花が屋上で酒を煽っていた校長の頭に落ち、校長のヅラが燃えたということだ。
パニックに陥った校長は「私の髪が! 私の髪が!」と言いながら燃えカスになったヅラを握り締め校庭内を2週半し、学校祭での話題を根こそぎ掻っ攫っていった。
おかげで現行犯として生活指導の教師に捕まり、僕は3日間の停学と反省文提出を余儀なくされた。
何故かちゃっかり先輩は無罪放免になっていた。なぜ実行犯が罪に問われないのか…。
ただし停学期間中先輩が毎日僕の家に来て課題を手伝ってくれたりご飯を作ってくれたりかなり至れり尽くせりだったので僕にとっては良い思い出だったりする。
聞く所によるとその後も校長は「私の髪が燃えた」と言い張り最後までヅラだということを認めなかったという。なにそのプライド。
ちなみに僕はその日得たものが2つある。
1つは女子の間で僕のあだ名が「ヅラハンター」に変わったこと。もういっそ殺せ。
そしてもう1つは花火に照らされた先輩の嬉し涙を見て芽生えた、僕の想いだ。
× × ×
時刻は18時、身支度を終えた僕はジャケットを羽織り、マフラーを巻き、外へ出た。
外はもうすっかり暗く息は白くなっている。外灯のわずかな灯りが僕を頼りなく照らしていた。
この分だともしかしたら雪が降るかもしれないな。
少しだけ早足で僕は学校へと足を進めた。
途中ジャケットのポケットが震える、着信だ。
ディスプレイにはやはり先輩と表示されていた、迷わず出る。
「はい」
「今日も寒いね、ちゃんとあったかい格好してる?」
「もちろん。家でいちばんモコモコのジャケット選んできましたから」
「Oh! そりゃふぁんしーだね」
「先輩は今どんなカッコしてるんですか?」
「セクハラはやめたまえ」
「違います!」
いつも通り。
いつも通りの会話でいつも通りの先輩だ。
だけどきっと僕の声は震えていた。
寒いからじゃない、怖いからだ。
先輩が何を言うかはもう知っているから、解ってしまうから怖いのだ。
それが聞きたくないから、聞いたらもう戻れないような気がしたから。
先輩はなおいつもの調子でしゃべり続ける。
僕も出来るだけいつもの調子で答える、壊れないように。壊さないように。
「そういえば、君のオススメのあの映画観たよ」
「あーゲボリアンですか?」
「うん、なんていうか結局ゲボリアンって誰だったわけ?」
「多分序盤で出てきたあのおっさんですよ、あのチンパンジーみたいな」
「おっさんってあの主人公のお隣さんの?」
「そうです、あいつしかいませんよ。まぁあくまで僕の予想ですけど」
「ふーん、なんでも来年の夏にはゲボリアン2上映するみたいだね」
「……」
そこで一旦会話が途切れた。
いつものように上手く切り返しが出来なかった僕が悪い。
慌てて僕は話題を切り替える。
「それにしても天気予報見ました? 今日雪降るかもらしいですよ」
「みたいだねー。いっぱい降ったら雪だるまでも作ろうか」
「凝りすぎて彫刻の域にまでなってる先輩が容易に想像つきます」
「君だって、かじかんで絵が描けなくなるって言ってさっさと美術部戻ってるの想像つくよ」
「さすが先輩、だてに部長じゃないですね」
「ふふん、その後も分るよ。美術部で手持ち無沙汰になった君は校庭で巨大雪だるま制作中の私を描くんだよ」
「先輩せわしなく動くから描きづらそうですね」
「描けるでしょ? それでも、私なら」
「まぁ…何十枚も描いてますから」
「目指せ百枚!」
「先輩の絵ばっか延々百枚って僕すごい気持ち悪いですよ」
「いいの、描いてよ。思い出はいくらあったっていいでしょ?」
「……」
また上手く切り返せなかった。
否定でも肯定でも良い、とにかく繋げば続くはずなのに。
僕にはそれがたまらなくもどかしくて、痛くて、辛かった。
「そろそろ電車乗るんで一旦きります」
「うん、待ってるからね」
まるで逃げるかのように電話を切ってしまった。
電車に乗るのは嘘じゃない、そろそろ駅につくのも本当だ。
ただ、僕は確実に目を背けてしまった。
言い訳のように出てくる言葉は僕の心を真綿のように締め付け、やがて僕自身となって責め立てる。
改札を抜けた先、少し遅れているらしい電車を待ちながら鼻奥からつんと熱くなる衝動を必死に堪えた。
暗い、暗い夜空からやがて、ぽつりと何かが降ってくる。
雪だ。
× × ×
「好き、です」
今から1年と2週間前、つまり去年の2学期終業式の日
僕は先輩に告白した。
先輩にプリティでキュアなハートをキャッチされてから約半年以上。
中々出なかったなけなしの勇気を振り絞って僕はようやく想いを告げたわけだ。
「先輩が好きです、大好きです」
先輩の元々大きな目が更に大きく見開いて真直ぐに僕を見ていた。
「先輩は奇天烈で、変人で、残念美人だけど実は完璧超人だから、僕なんかとは釣り合わないかもしれないけど」
「あれ?これ私告白されてるんだよね?馬鹿にされてるんじゃないんだよね?」
何事か先輩が呟いていたが構わず僕は言葉の続きを搾り出した。
「それでも僕は先輩と一緒にいたいです、付き合ってください」
心臓の音がスラッシュメタル並みのビートを刻んでいる。
こういう時1秒が果てしなく長く感じてしまうというのは本当らしい。
先輩が口を開くまでの間僕の脳内では。
「行けるか!?」
「いや無理だろ」
「馬鹿、諦めんなよ!」
「夢見てんじゃねーよ童貞」
「はいはい、無理無理」
「所詮ヅラハンターなんだよお前は」
などといった反省会という名のフルボッコが始まっていた。
緊張と不安で胃 が逆流しそうになる。ダメだ、ふられてこの上先輩に今後ゲボ次郎とか名づけられたら僕はこの先生きていけない。
やがて先輩が口を開く
来る…!
僕は先輩の言葉に反射的に目を瞑ってしまい
そして
「うん…私も君のこと…好きだよ」
「…ふぇ…?」
「だから付き合おっかっていってんの」
ヅラハンターでもゲボ次郎でもなく「先輩の恋人」になることが出来たのだった。
ちなみに後日先輩は
「君の顔色が赤から青に変わって最後には土気色になっていったよね~、あれはすごかったな~」との感想を述べてくれた。
その様子が面白くて5分くらい返事をしなかったそうだ。
1秒が果てしなく長く感じてしまうとか詩的なことを考えてた僕に心から謝って欲しい。
そうして嬉しそうに笑う先輩を見てあぁこの人は本当に鬼だな、と思ったのは言うまでもない。
そして嬉しそうに笑う先輩があまりにも綺麗で、そんな僕の恥ずかしい詩的表現なんかどうでも良くなるくらい先輩に見蕩れてしまった、ということも言うまでもないことだろう。
× × ×
結局電車は雪が止むまで運行停止を余儀なくされたと知り、僕は諦めて歩いて先輩の下へ向かうことにした。
すっかり冷えた身体を途中コンビニで買ったコーヒーで暖めながら、降りしきる雪の中をひたすらに歩いた。
先輩は、もう着いている頃だろうか。時刻はもう18時50分を過ぎ19時になろうとしていた。
「電車が止まったので歩いて向かいます」とメールを出したが返事は来ない。
この調子だともしかしたら20時になるかもしれない。
自然と僕の足は駆け足になった。少しでも早く先輩に会いたかったから。
イルミネーションに輝く町を抜け、住宅街を越え、更にもう1つ町を越えた先に僕の目的地はある。
歩いていくにはうちの学校は少し遠すぎたと思う。
こういう時文系の自分の体力の無さが恨めしい。
もし僕が陸上部に入っていたら、きっともっと早く先輩の下に駆けつけられたはずなのに。
ただ、もし僕が陸上部だったらきっと先輩とこういう仲になることもなかっただろうと考えるとその矛盾が少し可笑しかった。
町の賑わいも、道行く人たちの笑顔も、降りしきる雪も、返信の無い携帯も
なぜだか全てが僕を焦らせているような気がして、寒さを通り越した痛みに耐えながら走った。
やがて体力の限界が来て荒くなった息を整えるように僕は歩みを止める。
酸欠状態になっていた身体に冷たい空気が入り込んだ。
大分走ったと思う、文系ヒョロ男で体力0の僕からしてみればフルマラソン張りに走ったとさえ錯覚するくらいだ。
だが、それでも先輩の元へはまだ遠い。
その時、ピロリン♪
間抜けな着信音が鳴った、差出人は先輩だ。
「ちゃんと待ってるからね」
そのたった一言のメールになんだかすごく力を貰った気がした。
立ち止まっている場合じゃない、僕はまだ先輩に伝えたいことが沢山あったんだ。
無意識のうちに僕の足は1歩を踏み出していた
少しでも早く辿りつけば、何かが変わるのだろうか。いや変わらない
理屈では分っている、けれども何かに突き動かされるように、抗うように、僕はまた足を進めた
今更急いだ所で何の意味もないかもしれないのにも関わらず
僕はまた走った。
× × ×
「留学するんだ私」
いつものように唐突に、先輩は言った。
「色々な大学から誘われたんだけどね、やっぱ時代は海外かなって。次に会うときは私宇宙飛行士かもね」
そんな子供の夢みたいなことを言う先輩。この人に限りそれは冗談には聞こえない
「えっ…先輩、宇宙に行くんですか?」
「だから行くのは海外だってば、まぁ会えないって点だけで言えば宇宙も外国も似たモンかな?」
「いや全然違います。というか先輩は宇宙飛行士になりたいんですか?」
「んにゃ? それも面白そうだけどね」
面白そうなんて理由だけで宇宙飛行士になれるほど甘くは無い。
ただ僕は知ってる、おそらくこの学校の全員にだって分ってると思う。この人の超人的スペックは。
ここの生徒や教師ですら誰に聞いても先輩が宇宙飛行士になる、といって驚く人はいないだろう。
それほどまでの「可能性」が先輩にはあったからだ。
最も本人はそのスペックを今までなんら有効活用してこなかったダメ人間なのだが。
「なんか失礼なこと考えてた?」
と、このように読心術まであるときたもんだぜ、ちくしょう。
「いえ全く。それよりも先輩…ホントに海外に行っちゃうんですか?」
「ホントだよ。宇宙飛行士は…大袈裟かもだけど、せんせー曰く私に日本は狭すぎるんだって」
それについては全面的に同意だ。
「先輩なら火星征服も夢じゃないですよ」
「もし出来たら可愛い火星人の女の子紹介してあげよっか」
「結構です! …あれ?」
今なにか違和感を覚えたような
「あの、いつ帰ってくるんですか」
「たぶん一生あっち」
「先輩はそれでいいんですか」
「じゃあ君はどうして欲しいの」
言葉に詰まる 。
先輩の人生は先輩のものだ、しかも先輩は普通の人と明らかに違う。
もはや怪物だ。
そんな人の人生を恋人だからと言って僕なんかがどうにかして良いはずが無い。
「まぁとにかくそういうわけ。君は私みたいな変人よりももっと女の子らしい子と幸せになったほうがいいよ。」
そして下された死刑宣告、つまりこれは別れましょうということだろう。
これがさっきの違和感の正体。
まさかというか意外とというほどヤキモチ焼きな先輩が
2人の時間を大切にしてくれていた先輩が、いつもなら冗談でも僕と他の異性を近づけるようなことを絶対に言わないはずなのに。
驚きとショックと言葉にならない沢山の想いが僕の頭を交錯する。
「え、ちょ、ま」
こんなときに限って僕の口はまともな言語を話さない。なにこれ火星語?
「私も向こうでビリーみたいな軍人あがりの黒人と幸せになるからさ」
それは軽く死ねる、信じて送り出した先輩が軍人上がりの黒人とアへ顔Wピースなんて本当に笑えない。
僕にそのテの属性はないのだ。
「ビリーみたいな人って…僕と正反対すぎじゃないですか」
「だからいいんだよ」
先輩は一度言葉を区切る、そして意を決したように
僕に笑いかけた。
「未練がましい女にはなりたくないもの」
その日は奇しくも、僕が告白した日と同じ日で
僕の描いた先輩の絵が大きなコンクールで受賞した日で
記念日にプレゼントしようと先輩のためだけに描いた絵が完成した日で
僕と先輩が恋人じゃなくなった日になったのだった。
それが今から2週間前、2学期最後の日のこと。
× × ×
時刻は既に20時を過ぎていた、予定より大分遅れてしまったがようやく僕は学校にたどり着いた。
この学校で先輩と過ごした思い出は数え切 れないほどある。
その全てが僕の中できらきらと輝く宝石のようで、僕にとっては高校生活全てだ。
必然僕にとって先輩との思い出が詰まった学校とはさながら宝石箱のようなものだった。
先輩にふられてからというもの僕は長期休みだろうとほぼ毎日通っていた部活にも顔を出せず、先輩に連絡もとれずじまいだった。
どうしてはっきり言えなかったんだ、といまさらながら後悔する。
へたれもいいとこだ、チキンハートとか言われても何の弁解も出来ない。
ただそれでも、僕はもう一度先輩と話したかった。
もう一度先輩に会って、僕は僕の想いをちゃんと告げよう。
その覚悟を決める時間は沢山あったんだ。
先輩今会いに行きます、僕は心の中でそう呟いた。
正面玄関や裏口は鍵がかかっていて入れない、ではどこから潜り込めば良いのか、答えはなんと上からだ。
以前先輩と夜の校舎に忍び込んだ時教えてもらった方法で浸入しよう。悪びれることも無くそう思った。
この学校の裏手にはやたらと太く背の高い木がある。
以前先輩は高い所に登りたかったがためにその大木に足掛けを作り縄梯子を引っ掛け、大木の頂点に登りつめられるようにしたという、本当にアホだ。
校舎に忍び込む際はその大木の中ほどまで登り、校舎側を見るとちょうど手を伸ばせば届く範囲に美術室の窓があるのだ。
その窓をこじ開け浸入すればミッションコンプリート。蛇のコードネームを持つおっさんもびっくりの手際のよさだ。
普段は登れないように足掛けや梯子は撤去してあるらしいが、これがあるということは先輩は「いつもの場所」にいるということの証明になる。
何故ならこの大木からの浸入方法も僕と先輩しか知らない思い出の1つだからだ。
まるで秘密基地を持った小学生だな、と嘆息しながら僕は大木を一歩一歩ゆっくり手馴れた動きで登っていく。
中ほどまで差し掛かったところで美術室の窓へと手を伸ばす。
ガララと乾いた音が夜の校舎に響いた。
落ちないようにしっかりと窓の中の足場に体重を移動しこれで浸入成功だ。
暗い美術室の中、風で揺れるカーテンと月明かりに照らされた室内の中央、いつも座っていた椅子の上に彼女はいた。
吸い込まれそうなほど綺麗な長い黒髪と瞳
一見大人しそうな文学少女
完璧超人で残念美人な校内一の変人
そして、僕の大切な人
「こんばんわ、随分走ってきたんだね。君汗だくだよ?」
「早く会いたかったんです、こんばんわ。先輩」
先輩は僕らの部室でそこに佇んでいた
× × ×
「それで、大事な話というのは何かな?」
先輩はいつもと全く変わらない笑顔でいつもと同じように僕の目の前に居る。
この人はいつもそうだ、無駄にスペックが高いからって、一人で何でも出来るからといって僕には何も教えてくれない。
初めて会った時も、絵のモデルになってくれた時も、2人で日がな一日ゲームをしてた時も、告白したときも。
ふられたときだって僕は何一つとして先輩の気持ちが分かってなかったんだ。
先輩は何も言わないから。
僕が不安にならないように、僕が心配しないようにいつも色んなことを一人で解決しようとする。
だけどやっぱり先輩はアホだ。
どれだけ頭が良くて、何でも出来て、仮に火星人とだって友達になれるくらいすごい人だって先輩は肝心なことをまるで分かってないのだ。
というかああやって突き放せばすぐに自分を忘れてくれるだろうとか考えていること自体腹立たしい。
僕はこれから先どんなことがあったって先輩が心配で、先輩の側に居たくて、先輩が好きなんだってこと。
僕だけはどんなに先輩が遠くへ行ったって絶対に先輩の隣へ行くんだってこと。
もうそんな所まで、来てしまっているのだ。
だから、だから僕は──
「先輩、本当に留学しちゃうんですか?」
「うん、もう決定事項」
「一応聞きますけど中止とかって」
「無理☆」
うんそれは分かりきってた、だったらもう行くしかない。
当たって砕けろ
深く深呼吸して、覚悟を決めて、僕は先輩に言った
「先輩、僕は先輩が好きです。大好きです」
能面のように張り付いていた先輩の笑顔がほんの一瞬だけ、泣きそうな表情になった。
「…全く君は…困ったやつだな~」
先輩は、すぐに照れたように、そして困ったように笑った。
「でも、ダメなんだよ。だって私」
言い終わらない内に僕は言葉を紡ぐ、あの日言えなかった言葉を。
「あの時、先輩は君はどうして欲しいって僕に聞きましたね、その質問に今答えます。
留学でも何でもどこへでも行ってください。
自由で唐突で奇天烈でこそ先輩でしょ」
その言葉を聞いて珍しく先輩が意外そうな顔をした、当たり前だ。きっと先輩は引き止められると思ってたのだろうから
先輩は戸惑いながらも言葉を返す。
「そんなの分かってる。だから私は海外へ行くの」
「先輩が行きたいなら止めませんよ、応援だってします」
「じゃあそれでいいじゃん、私のことなんて忘れて君は幸せに──」
「だから! 僕が先輩の隣へ行きます! 先輩のそばにいます!
僕は…先輩が好きだから!」
この人に離れないでくれとか、側に居てくれとか、そんなことは僕には言えない。
先輩の人生だ、どこへ行くのだって先輩が決めるべきこと。
それも常人よりも沢山の「可能性」を持っている先輩だ。
もっともっと広い世界へ行くべき人なんだ。
だから、僕は僕のやりかたできっと追いついてみせる。
どんな形でも先輩の隣に立ってみせる。
それが僕の決めた人生だ。
先輩は驚きと困惑の目で僕を見ている。こんな目で見られたのは初めてだ。
いつもは逆だもんなぁ。
「な、な、何言ってるの! そんなこと出来るわけ──ううん、出来たとしても、そんなことしてどうするの!」
「先輩の側に居ます」
「なんでそんな…私なんか」
「それを決めるのは僕だっ! 僕が先輩の側に行きたくてそういう道を選んだんだ!」
「ホントに宇宙に行っちゃうかもよ?」
「流石に宇宙飛行士は無理そうなのでヒューストンで待ってますよ」
「色んな国、飛び回るかもよ?」
「ドンと来いです」
「あとは…えっと…ビリーと浮気するかも」
「先輩の変人に付き合えるのなんか僕だけでしょ。それでなくても意外と乙女だからそういうことしない癖に」
「い、意外とってゆうな!」
先輩がうろたえている! か、可愛い。じゃなくて!
「だ、大体君は画家になりたいんじゃないの!? あんなに絵を描いてたじゃないっ!」
「あれはただの趣味です。別にアレで食っていきたいなんて思ってませんよ」
「なっ!」
先輩絶句。画家になりたいとか思われてたのか。そんなこと一言も言ってないんだけどなぁ。
「大体変だよそれ…普通なら引き止めるじゃん。留学なんかするなって…僕の隣にいろって…そう言ってくるんだと思ってたよ」
予想外だよ…と先輩は呟く。
やはり意外と思考は乙女だ、これで少女漫画大好きだからその影響だと思う。
「普通の女の子にならそう言うでしょうけどね…生憎先輩みたいな超人を僕なんかが日本に縛っておくなんてマネ出来る訳ないです。先輩には自由に好きなことやってるのが一番似合ってますからね」
「だから君が私の所まで行こうって? 私の変人伝染っちゃったんじゃない?」
「ははっ、かもですね」
「なんでちょっと楽しそうなんだよ~!」
先輩はう~と唸って頭を抱えている。
いつもと立場が完全に逆だ。
まぁたまには良いだろう。
いつも先輩には我侭に付き合わされているんだ。
たまには僕の我侭だって聞いてもらおう。
先輩と恋人同士になるにはきっとそれくらい傲慢じゃないとダメなんだ。
「だから先輩は行きたい所に行ってください、僕はどこでだって必ず追いつきます」
一呼吸おいて僕はもう1回言葉を紡いだ。
「もう一度僕と付き合ってください」
先輩はしばらく口をあけて呆然としてたが、次第に僕から目を逸らし、最後には背中を向けてしまった。
そうしてしばらく沈黙が続く、正直胃が痛いです。
しばらくの静寂の後、先輩がぽつりと呟いた。
「4年…」
「へ?」
「色々言いたい事はあるけど…私が大学を卒業するまで4年、それまで浮気しない? ちゃんと…好きで居てくれる?」
迷うことなく「イエス!」と答える。
振り向いた先輩はやっと「楽しそうに」笑ってくれた。
あぁそうだ。
僕は先輩のそんな笑顔が見たかったんだ。
× × ×
「そういえば先輩は結局留学して何がしたかったんですか?」
「う~ん、ホントは色々あるんだけどね~、なんか最近はどうでも良くなってきちゃった」
「貴様!!!」
「ちょ、顔怖い! ち、違うの、違うんだってば! 1年前くらいまではそれが一番やりたいことで、進路だって迷わずそうしようと思ってたの! でもやりたいことが変わっちゃったというか、君風に言うと行きたい場所が変わったというか…」
「じゃあ今は何がしたいんですか」
「秘密☆」
帰り道、そんな他愛ない会話をしながら僕達は雪道を歩いていった。
明日からはまた部活をしよう、先輩をモデルにした絵を描いて、先輩のバカ丸出しな我侭に付き合って2人でまたカレー部のカレーでもぶんどろう。
先輩が卒業するまであと3ヶ月、そしてその翌日先輩は留学する。
4年間一度も日本には戻らないそうだ。
だから僕は限りある時間、先輩と笑顔で居たいと思う。
また再会する時も心から笑えるように。
先輩が今何をしたいのかは、はぐらかされっぱなしでついに教えてはもらえなかった、一体この残念美人は何をたくらんでいるのか正直気になるところだが
先輩曰く「 4年後まで秘密」とのことだったので楽しみに待っていようと思う。
その日の別れ際──
僕は最後にどうしても伝えたかったことを言うことにした。
もし先輩にフられたとしてもこれだけはしっかり伝えるつもりだったのだ。
「先輩」
「なあに?」
「先輩に会えて、良かったです。付き合ってくれてありがとうございます」
深く頭を下げた。
顔を上げると珍しく真っ赤な顔で「わ、わ、私も…その…あ、ありが…とう」
とゴニョゴニョ言ってた、何これ可愛い。
× × ×
余談だがその後無事卒業した先輩と留学前最後の部活にと、先輩の絵(なんと通産99枚目らしい。惜しいっ!)を描いている時、途中で先輩が眠ってしまったので少し休憩がてらたまたま目に入った先輩の卒業アルバムの中身を見てしまった。
その中に「今後の目標」といった項目があり、皆具体的な目標や夢を一言添えているページがあった。
そこには一文字見慣れた文字で「嫁」とだけ書いている人がいたが
それを見た僕がどう思ったのかなんてことはそれこそきっと、言うまでもないことだった。
完
短編・僕は先輩の隣へ行く