親父の道
1:再会
お袋が死んだ。
病気だった。癌というヤツだ。
葬儀は、それはそれは空しいものだった。来たのは俺と親戚数人だけ。小さな葬儀場で行われた、小ぢんまりとした葬儀だった。
「ありがとうございました。ありがとうございました」
この言葉を発したのは全部で9回。縁起の悪い数だ。
「ありがとうございました」
「タッ君、大変だったわね」
親戚の伯母さんが言った。目に涙を浮かべている。2人は仲良しだった。
「いえ……本当に、ありがとうございました」
「何かあったらいつでも言ってね。……お父さんは?」
親父は来ていない。
あの人のことは、俺はもう死んだものとして捉えていた。
俺もお袋も散々迷惑を被ってきた。仕事もろくにしないで毎日酒を飲み、ギャンブルで金を使い、叶う筈のない夢を延々追いかけている。お袋が何か言うと暴言で返していた。暴力を振るわなかっただけまだマシだったか。「どれだけ頭に来ても、女と子供に手を出すのは人でなしの証」、それがあの人のモットーだった。
あの人が家を出て行ったのは、俺が高校を卒業した時のことだった。そのときはちょうど、お袋の癌が見つかった頃でもある。
お袋が入院したというのに、あの人は病院に行こうともせず、何も言わずに出て行ってしまったんだ。それから今日に至るまで、あの人は帰ってきていない。
「まぁ、ね。帰ってきたら、お父さんにもお線香を上げさせてね」
「いいですよ、あんな人」
「確かに馬鹿な人だったけど、あの子が選んだ男だからね。加代子も会いたいと思うし」
加代子とは、お袋の名前である。
「帰ってきませんよ。それに、お袋が辛いときに出て行った人ですよ? お袋に悪いですよ」
「まぁ、そうね。……じゃあ、タッ君も気をつけてね。いつでも連絡してね」
「はい、ありがとうございました」
全員帰って行った。
静かな部屋。家にいるのは俺と、多分ここにいるはずのお袋の霊のみ。仏壇に飾られた写真の中で、お袋は満面の笑みを浮かべている。
果たして、お袋にとって、今回の葬儀は満足出来るものだったのだろうか。人一倍頑張って俺を育ててくれたのに、その最期があんな様じゃあんまりじゃないか。
写真を手に取り、俺はその場に座った。全身から力が抜けてしまった。涙も出ない。人が亡くなったとき、ドラマなんかだと泣いている人が出てくるが、実際はこんなものなのかもしれない。当たり前だった日常が突然終わるのだ。衝撃が強すぎて涙も出ない。
寝よう。何だか疲れてしまった。写真を仏壇に戻して寝室に行こうとしていると、突然玄関の方で大きな物音がした。泥棒か、とも思ったが、すぐにそれは違うとわかった。音の主はドカドカと廊下を進み、俺がいる部屋に入ってきたのだ。
茶色いジャンパーに、その中に着ている髑髏柄のシャツ。ジーンズは所々擦れている。
親父だった。3年前に家を出て行った親父が帰ってきたのだ。
「よう」
軽く挨拶する男。もう60過ぎの筈なのに見た目は50代に見える。白髪は短くカットされていて、目つきはまだ鋭い。手にはハンバーガーを持っている。よく見ると、口にはケチャップが少し付いていた。
「母さん、死んだって聞いてな」
こんな格好で手を合わせに来たというのか? 呆れてモノも言えない。
親父は仏壇に近づくと、食べかけのハンバーガーを写真の横に置いた。
「今更何しに来たんだよ」
「言ったろ? 母さんが死んだって聞いて、急いで戻って来たんだよ」
「ふざけんなよ!」
思わず親父の胸ぐらを掴んでいた。親父はビビることなく、鋭い目で俺を見つめている。
「手ぇ離せよ」
「ふざけんなっつってんだよ。俺達を置いて行って、今更戻って来て……いい加減にしろよ」
「おい、俺は別に置いて行ったわけじゃ……」
「置いてったんだよ! 俺と、病気で苦しんでたお袋を置いて、あんたは出て行ったんだよ!」
流石に効いたらしく、親父は俺から目を逸らした。
俺が手を離すと、しばらく仏壇を見つめていた。
「大体、お袋が死んだって何でわかったんだよ?」
「ぁあ? いや、虫の知らせだよ」
この期に及んでまだふざけたことを抜かすのか。
でも察しは付く。伯母さんから連絡を受けたのだろう。伯母さんはこの人の姉だ。だから連絡先も知っている。今の時代、携帯という便利な道具があるから、手紙でなくとも簡単に知らせることが出来る。
伯母さんが何度もこの人にメールを送っていたことは知っている。が、親父は今まで1度も返事を寄越さず、帰って来ることもなかった。今回はお袋が死んだということで戻って来たみたいだけれど。
「間に合わなかったな」
「あ?」
「金、返すつもりだったんだけどな」
言いながら、親父はジャンパーのポケットからクシャクシャの封筒を取り出した。そこそこ厚い。そこから出て来たのは大量の万札。全部折れていて汚い。紙テープで縛られていないから、全部出すのが大変そうだった。……こんな金、どうしたのだろう。
「仕事してたんだ。まぁ、博打も少々」
次の瞬間、俺は思わず親父を殴っていた。21のひ弱な男の弱々しいパンチだ。殴った直後、大量の万札が宙を舞った。
「それで、それで罪滅ぼしのつもりなのかよ!」
「い、いや、これは……」
「もうふざけんなよ! いつまでもいつまでもくだらない夢追いかけて……」
「おい!」
親父が怒鳴った。その迫力は健在だ。俺も黙ってしまった。
「くだらねぇ夢っつったか?」
ああ、言った。だが、何故か今までのように口を動かすことが出来ない。
「聞いてんだよ!」
とうとう首も動かせなくなってしまった。今度は俺が親父から目を逸らすことになった。
何も答えず、部屋の隅っこを見つめたままの俺を見て、親父はため息をついた。そして、俺の肩に手をかけた。
「ついて来い」
「え?」
親父は怒るでもなく、俺に向かってそう言った。
「いいから、ついて来い」
「嫌だよ。何処に連れてくつもりだよ」
「ついて来ないとお前、後悔するぞ」
この人のことを尊敬しているわけではない。頼りにしているわけでもない。今まで何を言われても、ちっとも言うことを聞かなかった。だけれど、今のひと言は何故か重く感じた。行かなきゃ何かが終わってしまうような、そんな気がした。
2:展望台
親父は床に散らばった万札を数枚拾い上げてポケットに突っ込み、仏壇の上に置かれた骨壺を持ち上げる。
「おい、何やってんだよ」
「いいから、早く来い」
親父は白い箱を持ったまま出て行ってしまった。俺も親父に従ってついて行く。外に出ると、玄関前に停めてある中古のオープンカーが見えた。知らない車だ。何処かで買ったのだろうか。こんな物を買いに行く暇があるのなら、お袋の見舞いだって出来ただろうに。
ドアを開けて助手席に座る。なんだか固い。親父も運転席に腰掛け、エンジンをかけた。白い箱は後ろに置かれたボックスの中に置かれた。せめてもの配慮なのか、フタは開けっ放しだ。それでもやはり納得はいかなかったが。
排気ガスが器官を汚染する。耐えられなくなって咳き込むと、親父が鼻で笑った。
「まだまだ青いな。成人したってのに」
「覚えてたのかよ」
親父が俺の年を覚えていたのは意外だった。家族のことなんて眼中に無いと思っていたから。
「馬鹿にすんな。これでも慶応出てんだよ」
反対に、俺は親父のことを何も知らなかった。親父が所謂インテリだってことも今初めて知った。名門校を出ていてもこの仕上がり……学歴というのは不思議なものだ。
車は音を上げて走り出す。今は夜だ。後で苦情が来たらどうするのだ。
風が心地よい。エアコンなんていらない。自然の風がこんなにも涼しいとは。今まで熱くなっていたのだが、風が良い具合に熱を下げてくれ、丁度良い体温になった。あまりに気持ちよくて、目を瞑ると眠ってしまいそうだった。
「寝るなよ。俺は運転してるってのに」
「疲れてんだよ」
「俺も疲れてる」
「ああ、そうかよ」
何が疲れてる、だ。どうせ好きなことをやっていたのだろう。働いていたと言っても、この3年であそこまで金を増やす程だ。タダの仕事ではなかろう。それともギャンブルで増やしたというのか? それはそれで考えものだ。
しばらく町中を走った後、首都高に乗る。心無しか風が少し強くなった気がする。
時間が時間なだけに、走っている車は殆どがトラックだ。こんな時間も運転とは、大変な仕事だ。
「……は……んのか?」
親父が唐突に聞いてきた。轟音のせいで何と言っているのかさっぱりわからない。
「は? 何?」
「仕事はしてんのか?」
「仕事?」
「そうだよ」
「何でいきなり?」
「は? 何だ?」
「何でいきなりそんなこと聞くんだよ?」
親子揃って似たような反応。この男の血が俺の中にも確かに流れていることを悟った。
「別に良いだろ、親子なんだからよう」
聞こえたが、敢えて答えなかった。生物学上は親だとしても、まだ俺はこの人を許したわけではない。いや、許す日は一生訪れないかもしれない。
親父もしつこく聞こうとはせず、それから1時間弱、俺達は言葉を交わさなかった。
途中でサービスエリアの看板が現れたが、親父はSAには行かず、その直前に高速を降りてしまった。降りた場所は田舎で、暗く静かな道が続いている。
「もう少しだ」
「何処に行くんだよ?」
「まぁ黙ってろって」
時刻は午前4時。ぼちぼち日が昇る頃だ。若干明るくなっている。
車はそのまま山道に入る。暗い山というのも何だか不気味だ。どこからか白い手でも伸びて来るのではないかと想像する。
しかし、そのような怪異は全く起こらず、林道を抜け、開けた土地に出た。一応展望台のつもりなのか望遠鏡が2台設置されており、木製の柵で周りを囲ってある。車を停めると、親父は骨壺を持ち上げて下車した。何が何だかわからないが、俺も同じように車から降りた。
「ここ、何なんだよ?」
「うーん、もうじきだな」
時計を見ながら遠くの空を見つめる親父。
少しすると、オレンジ色の大きな円が、ゆっくりと上がって来た。円からは絶えず眩しい光が放たれる。光は大地を照らし、幻想的な光景を作り出す。この展望台から見る朝日は神秘的だった。
「結婚する前、たまぁにここに来たんだ。母さんを連れてな」
「母さんと?」
「ああ。バイクの後ろに乗せてな」
お袋からも聞いたことがなかった。朝から晩まで仕事していたし、そんな話をする余裕も無かったのだろう。
小遣いを溜めて買ったバイクで、親父は数ヶ月に1度、お袋を連れてここに来ていた。ロマンチックなことをしたかったらしい。何がロマンチックだよ、こんな不良みたいな見た目で何言ってんだか。
何だかおかしくなって、つい吹き出してしまった。
「あ、笑いやがったな?」
嬉しそうにニヤニヤする父親。恥ずかしくなって顔を後ろに向けた。
「勝手に笑ってろよ、ばぁか。お前も好きなヤツが出来たらそうなるんだからよ」
優しい口調で、親父はそう呟いた。
チラッと後ろを向くと、親父は骨壺を抱きかかえて笑っていた。まるで、お袋に朝日を見せているかのようだった。
3:料亭
展望台で少し仮眠をとった後、俺達はそこから出発した。親父も眠かったらしく、車に乗って壷をボックスにしまうや否やすぐに眠ってしまった。俺も眠かったから、助手席で同じように床についた。が、あの神々しい光のせいで、深くは眠れなかった。そのうえ直接日光を浴びているので暑かった。
大体1、2時間眠った後、俺は親父に起こされた。親父は7時きっかりに起きていた。体内時計はどうなっているのだろう。眠い目を擦って背伸びをしていると、聞いてもいないのに親父がが、
「仕事をしてたら、時間が染み付いちまった」
と説明してきた。一応真面目に働いていたらしい。どんな仕事かはわからないが。
「よし、次行くぞ」
「は? 今度は何処に行くんだよ?」
「うるせぇ、いちいち聞くな。黙ってついて来い」
エンジンを唸らせ、車は山を下り始めた。がたがたと揺れるものだから気持ち悪くなってしまった。
「おいおい吐くなよ? 大事な車なんだからさ」
「子供より車の方が心配なのかよ」
「へっ、そのぐらい元気なら問題ねぇな」
約30分かけて、車は山を下りた。
朝になってわかったが、この辺りにはスーパーやファミレスもある。思っていたより田舎っぽくはない。ここの人達には悪いが、昨夜、俺はもっと古くさい村を想像していた。
とはいえマンションは建っておらず、瓦屋根の家が点々としている。犬の散歩に出る老人をよく見かける。高齢化は進んでいるようだ。
「腹、減ってるか?」
と親父。
「あぁ、うん」
「そうか。ちょうど良いや」
次に親父が向かったのは、町中の古い料亭だった。名前は「星の家」。建物は洒落ているのに、名前はそうではない。
隣の駐車場に車を停めると、親父はまた白い箱を持って降りた。レストランに骨壺を持って行って良いものだろうか? 気になったが、お袋をここに置いて行くのも何だか気が引けたので、俺は何も言わなかった。
木製のドアを開けると、カランコロンというベルの音が鳴る。ハンバーグだろうか、焼けた肉の、唾液腺を刺激する香りが鼻を突いた。
「空いてるか?」
「はーい、いらっしゃ……あれ? キヨちゃん?」
カウンターに居る中年の男が、目を見開いて親父を見つめた。知り合いらしい。
「久しぶり。やっぱり店継いだのか」
「まぁね。俺には俳優は無理だって悟ったんだ。……あれ? もしかして」
男性が俺を指差した。親父は「息子だ」と紹介した。
親父に教えてもらってわかったが、彼は田宮幸四郎と言って、高校時代の同級生なのだそうだ。ここは田宮さんの父親が経営していた店で、彼が後を継いで店長になったのだ。
カウンター席に腰掛けると、親父は白い箱をテーブルの上に置いた。田宮さんが首を傾げた。
「そ、それって」
「ああ。死んじまった。2日前に」
「え? ……そうか」
田宮さんは箱を見つめると少し悲しそうな表情になった。
「キヨちゃん、よく佳代ちゃんを連れてここに来てたもんな。そうか、もう会えないんだな」
「母を知ってるんですか?」
「ああ、1度たりとも忘れたことは無い。高校で出来た友達のことは、今でもしっかりと覚えているよ」
親父とお袋の出会いは、高校時代にさかのぼる。
もともと仲が良かったのだが、親父はお袋にひと目惚れしてしまい、思い切って告白したそうだ。それも、この店のこの座席で。
学校帰り、或いはあの展望台に行った帰りにこの店に寄り、ハンバーグを食べる。それが当時のデートスタイルだった。田宮さんには既に相手がいたから、2人の恋愛を心から応援していたという。
「それから、学園祭の打ち上げなんかもここでやったよな」
「ああ、そんなこともあったな」
「そうそう! キヨちゃんがはしゃいであの時計壊しちゃってさ! あの後俺が怒られちゃったんだからな」
楽しそうに話す2人。心は懐かしき高校時代に戻っているようだ。
「え? それは知らなかったな。悪い悪い」
「もう時効だよ。はい、ハンバーグ定食2つですね」
と、注文をしていないのに、田宮さんが皿を2つ俺達の前に置いてくれた。ああ、この香りだ。腹が鳴ってしまった。
「流石だな」
「ここに来たら、これしか食べなかったじゃん」
これが、両親思い出の1品。手を合わせてから、俺は肉を口に運んだ。
美味い。噛んだ瞬間肉汁が口の中に広がる。ごはんもふっくらしていて美味しい。隣の親父は既に半分も平らげてしまった。本当にこの定食が好きらしい。
田宮さんは俺を見て笑っている。
「やっぱり親子って似るんだなぁ。食べてる時の笑顔が佳代ちゃんそっくりだよ」
「そ、そうですか?」
「目は俺似だろ?」
「うん? あぁ、まぁそうだね」
突然俺が話題に上がって、何だかそわそわしてきた。
「家の息子も今高校3年なんだけど、ちっとも勉強しなくてね。キヨちゃんのことを見習ってもらいたいよ」
「え? 親父が?」
思わず声を上げてしまった。飯が器官に入ってむせた。
「お前信じてなかったのかよ? 慶応出だって言っただろ?」
「そうだよ。成績も毎回校内で10番以内に入ってたし」
動揺が抑えられない。慶応卒だということはまぁ多少は信じていたが、偶々受かっただけだと考えていた。それがまさか、学生時代は校内で10番以内だったとは。クラス10番以内だっただけで盛り上がっていた自分が恥ずかしい。それよりも、謙遜もせず堂々とこんなことを言う父の方が恥ずかしかったが。
食事を済ませると、親父がポケットから万札を出して田宮さんに渡した。
「ありがとうな」
「いやいや、こっちこそ。……佳代ちゃんのことは、残念だったな」
「まぁな。間に合わなかったしな」
「あ、あの時の?」
「ああ。結局、出来なかったけどな」
いったい何の話をしているのだろう。
会計を済ませると、親父はもう1度田宮さんに礼を言ってから、先に出て行ってしまった。話の内容も気になったが、俺も田宮さんに会釈して店から出た。
「ほら、早くしろ」
「さっきの話」
「ん?」
「間に合わなかったとか、あの時の、とか。あれ何だったんだよ?」
「後で教えてやる。取り敢えず乗れ」
教えてくれれば良いのに、親父は何も言わずにエンジンをかけた。
後ろからはカタカタと音がする。ボックスの中で骨壺が揺れていた。
4:砂浜
車はまた高速に乗った。次は何処に行くのだろう。家に帰るのかと思ったが道は逆方向だ、それは違う。
このドライブで、俺の親父に対する見方は少しずつ変わって来ていた。だが、親父は何のために俺を連れて来たのだろう。同情を狙っているのか? いや、それは違うだろう。この人はそんなセコい手は使わない。
朝になると車の量も若干多くなってきた。昨夜よりもうるさい。
「なぁ、さっきの質問、答えてくれよ」
「後でな」
「後って、気になるじゃねぇか」
「あまり急ぐな。好い事ねぇぞ」
やはり親父は親父だ。俺はまた不機嫌になった。
1時間ほど走ると、車は再び高速を降りる。時刻は午前9時。日差しが強い。
「混みそうだったからな。ちょっとガソリン入れる」
「え? サービスエリアとかあったじゃんかよ」
「うるせぇなぁ。俺はこの道がいいんだよ」
この辺りの土地には詳しいらしく、降りてすぐの所に古いガソリンスタンドがあった。ここは店員がおらず、自分の手でガソリンを入れなければならない。
車から降りて、管を車に繋げる。その間、親父はブツブツ呟きながら時計を見ていた。
「ここからだと……あぁ、まぁ良いか」
「さっきから何考えてんだよ? 俺にも教えろよ」
「しつこいなぁお前は。お楽しみが無くなっちまうだろ? ま、そこは俺に似たのかもな」
親からは良いものだけでなく、いらないものまで受け継がれる。鋭い目とせかす性格、それからだらしなさは多分親父から受け継いだものだ。
ガソリンが満タンになると、親父は再び車を走らせた。もう何も聞かなかった。どうせ教えてくれないのだから。
朝から蒸し暑い。昼頃にはもっと暑くなるかもしれない。シャツの裾を前後に揺すって風を起こすがなかなか涼しくならない。親父はジャンパーを着ているが暑くないのだろうか。
ずっと昨晩のような林道が続く。また別の山に行くのかと思いきや、真っすぐ走っていると森を抜け、開けた道に出た。左手に海が見える。生臭い香りが鼻を刺激する。
「うわっ」
「良いだろ、懐かしくて」
「どこが? 何か臭ぇよ」
「まだガキだからな、お前も。俺ぐらいの歳になればわかってくる」
道は緩やかな下り坂になっており、直進すると家々が見えてくる。ここも瓦屋根が目立つ。売店も稀に見かけるが人の姿は見えない。破れた旗が見える。アイスクリーム、と書かれているのだろうか。
海の方に目をやるが、人は居ない。海の家らしき建物が見えるが、屋根が錆び付き、壁も何だか汚れている。
住宅地を抜けた所に簡素な駐車場がある。親父は車をそこに停めると、これまで通り、白い箱を持って車を降りる。中で遺骨が転がったのか、コトリという音がした。まだ眠気が取れておらず、背伸びをしていると、親父が頭を軽く叩いてせかしてきた。なるほど、やはりこの性質は父親のものだったようだ。
「ここは?」
「へへへ、秘密のデートスポットだ」
「デート? こんな所を?」
「あぁ、今時のガキは都会でフレンチか。だけどな、こういう場所も良いもんだ」
と、親父が自慢げに話す。これだけ人が少なければ、2人きりの時間を満喫出来る。それが、この地をデートスポットに決めた理由だという。
駐車場から5分程歩き、コンクリート製の小さな階段を下りると砂浜に出る。あの生臭い香りが更に強まった。海から来る風がこの臭いを運んでくるのだ。
今日は晴天だ。日の光が海に反射して眩しい。
「俺と母さんはな、約束をしたんだ」
「え?」
「どちらかが死ぬ前に、こうやって思い出の場所を巡るっていう約束を」
付き合い始めてからずっと、2人はそんなことを話し合っていたと親父は言う。その当時はバイクで回ろうと言っていたのだが、やはり歳をとると2人乗りも難しいだろうということになり、車で回ることにしたらしい。お袋はその土地毎の空気を、風を気に入っていた。だから、出来れば車は屋根の無いものが良いと言っていたそうだ。
話を聞いて、俺は初めて親父が出て行った理由を知った。お袋が癌を宣告された後、親父はあの車を探しに行ったのだ。仕事をして金を貯めたのも、これまでの罪滅ぼしのためではない。あのオープンカーのためだったのだ。白い箱を一緒に持って来たのは、どうにかして約束を守るためだったのだろう。
「くだらない夢って言ったろ」
親父が言った。
「何と勘違いしてたんだか知らねぇが、俺等の約束は、くだらないもんじゃない」
「何だよ、教えてくれても良かっただろ?」
「うん? いや、60になるジジィとババァがこんなこと言ってるのも恥ずかしいだろ」
「恥ずかしかねぇよ」
風が心地よい。いつの間にか臭いも気にならなくなっていた。
「さて、行くか」
「え? 帰るの?」
「ああ」
何だか呆気ない終わりだ。でも、親父は満足そうだった。
「お前もフレンチ料理ばっかり食ってないで、偶にはこういう場所でデートするんだな」
「食ってねぇよ。そもそも相手もいないし」
「ああ、そうか。まぁ人生何があるかわからねぇからな」
「どうかなぁ」
親父とお袋の道を辿る小さな旅はこうして終わった。
道中、俺と親父はずっと喋っていた。どれもこれも他愛のないことばかりだったが、こんなことは久々だった。
親父が教えてくれた道を、俺は今も覚えている。
今でも偶にあの場所に行く。家族を連れて。
親父の道
結末が微妙な形になってしまいました。すいません。この短編の番外編、後日談のようなものも考えております。