夜汽車

夜汽車

*この物語は完結しています

 靴の下で、乾いた貝殻がパキッと音を立てて割れた。

 夜、海岸線に設けられたアスファルトの道路を、(あお)は一人で歩いている。
 湾曲した真っ白な砂浜が、満月に照らされて薄青く光るり、岬の灯台が沖にいる船に向かって、絶えることなく信号を送り続ける。

 あれじゃあ、まるで墓標じゃねえか。

 月明かりの中で白く、ぼんやりと立っている灯台を見て、青は思った。そして、口の端にくわえていた煙草の煙を、大きく吐き出す。柔らかい潮風がそれをどこかへと運び去って行った。

 波はまるで眠っているかのように、穏やかだ。その上、この海岸はずっと沖のほうまで遠浅になっている。しかし、そのことに気を許してどんどん遠くまで行くと、突然の深みにはまるらしい。そのせいで、夏は毎年のように行方不明者が出る。

 あいつなら、喜んで靴下を脱ぐんだろうな…と、弟子の顔を思い浮かべながら思った。冬哉は、一族の人間にしては手は珍しく、水辺が好きである。比べて、青は靴を履いたままでも、海岸に降りることはほとんどない。靴の中に砂が入ることも、裸足に砂がまとわりつくのも、好きではない。

 冬哉め、うまいことやってんだろうな…。

 青は自分が初めて患者を治療したのはいつだったろうと、記憶をほじくり返してみようとして、やめた。思い出したくない。
 その時、ふとカモメの騒ぐ声が聞こえてきて、辺りを見回した。太陽の下を生きるものは、とっくに寝静まっている時間だというのに、どうしたものか…。
 すると、青がいる位置から十数メートル先のところに、ぼうっとした丸い、赤い光が見えた。火でもなく、ライトでもない。身を屈めた大人がすっぽり入れるくらいの大きさの、球体の光。点滅するわけでもなく、それ以上大きくなるわけでもなく、光り続けている。その色は赤く染まった月のようでもあるし、群生した彼岸花のようでもある。カモメたちは、その光の周りを、せわしなく舞い飛んでいた。青はその場に立ち止まって、じっとそれを睨みつける。間違いなく、あの光はこの世のものではない。

 めんどくせえな。

 大きく煙を吐きながら、青は呟いた。余計なことに巻き込まれている時間は、あまりない…。それでも歩みを進め、やがて2メートルほど手前まで来たところで立ち止まった。青は目を細めて、それをじっとにらむ。

 その光球は、海岸から道路に上がるために設けられた、小さな階段上に位置している。その球体の中心で、誰かが座りこんでいるのが見えた。頭を両ひざに埋めて、肩で息をしている。息遣いまでは、カモメの声で描きけされて聞こえないが、ずいぶん苦しそうである。

 青は、そこで再び歩きだした。

 その人物は、やがて崩れ落ちるようにして、砂浜の上に膝と両手をついた。着ているものまでは、よくわからなかったが、背恰好からして男だろう。
 やがて光は消え、カモメが四方に散っていく。その中の一羽が、青の肩をかすめ飛んだ。力強いその羽が耳を打ち、何かが目の前にふわり、と舞い落ちた。トランクを持っていない方の手でそれを掴むと、一枚の朱色をした羽であった。カモメのものではない。形状はカラスのそれに似ている気がしたが、大きさが違う。やがて、その羽を見知らぬ方向へぽいっと放りすてると、青はすっかり短くなった煙草を、吸い殻ケースにしまった。

 ゆっくりとその男の元へ近づき、今は誰も座っていない階段に腰かけて、脚を組む。痩せて、頼りない背中である。 着物の上に白い羽織をまとってはいるものの、手足ばかりがひょろ長い…というのはすぐに分かった。青は、仲間の若い薬売りを思いだした。同じように、ヒョロリとしたやつがいる。しかし、すぐに頭の中で打ち消した。仲間の男たちは、痩せていようが小さかろうが、それぞれ手足や背中、にたくましさがあった。旅に出れば、否応なく長距離を歩く。山にも登れば、谷を下ることもある。今は小さくて細い冬哉も、そんな暮らしを続けていれば、いずれはそんな体型になっていくはずだ。

 やがて、男の爪は鋭いものから人間のものへと変化した。それに安心したかのように、大きく深呼吸している。青はその背中に声をかけた。

 「おい」

 相手はぴくり、と肩を動かした。
 
 「具合がわるいのか、坊主」

 その言葉はもちろん、知ったかぶりである。間違いなく、この青年には何かが憑いている。それが何らかの形で、この男を苦しめている。いや、自ら苦しんでいるのかもしれない。それは、青には分からない。

 男は、俯いたままの状態で、こちらに顔を向けた。月の光が逆光となってよく見えなかったが、年齢は、おそらく二十歳前後だろう。額には脂汗が浮いているように思える。流れるように垂れた前髪の中から、鋭い眼光がこちらを睨んだ。
 「どこが苦しい?」
 男はそれに対して、妖しげに笑った。瞳が、ゆらゆらと群青いろに輝いている。
 「答えろ。」
 青は強い声を出した。自我を取り戻させねば、会話ができそうにない。

 すると男は、再び顔を俯かせた。
 一瞬の沈黙が流れたのち、大丈夫です…と絞り出すような答えが返ってくる。澄んだ声だった。髪の毛が、さらさらと潮風で揺れている。

 「どこのどなたか、知りませんが…あなたに関係ありません…。」

 青は、喉の奥でごろごろという音を出した。

 「確かに、お前さんが言ってることは正しいかもな。」
 そう言いながら、青は片手で煙草を取り出し、口の端に加えたまま、マッチで火をつけた。口の中に苦い味が広がる。
 「たしかに、俺には一切関係ない。」

 「じゃあ、もう行って下さい…。見られたくないんです」

 そうはいかねえんだなァ…と青は苦々しく呟いた。これでも、薬屋のはしくれである。しかも、妖しげなるものを相手に商売をしている。それなのに、こんな状態の人間を放って帰るのは、後味悪い。


「ほら、飲め。」
青は砂の上に、手のひら大の布包みを放った。中にはさらに、小さく折りたたまれた紙の包みが、5つほど入っている。
 ついでに、瓶に入った水も置く。

 そこでようやく、男は上体を起こした。
 青に背を向けて、砂の上にすっかり座り込む格好である。着物の袖に風邪が入り込んで、小さく膨らんでいる。青は、そこでまた煙を吐いた。

 「なんです、この包みは。」

 「試作品だが、憑き物の力を抑える薬だ。」

 男は、そこでようやく、体をねじってこちらを向いた。
 色の白い、シャープな顔つきだった。鼻筋が通り、まゆが細く、瞳には淡い光をたたえ、それでいて影のある印象を持っている。先ほど見た、狂的な表情はすっかり消えていた。いまは戸惑いだけが浮かんでいる。

 指で煙草を摘まみ、口から離しながら、これは女にもてそうだな…と青は思った。

 「あなたは、何者なんです…」
 「見ての通りだよ。」

 男の瞳が、青と、砂上の薬とを交互に見比べている。どうすべきか、迷っているのだろう。みれば、すぐ近くに、小ぶりで立方体に近い形の、木のトランクが置かれていた。

 「こんな時間にこんな所で何してるんだ?」
 青はそう言いながら立ち上がる。
 「家に帰る途中なら、送ってやる。」

 けっこうです、と言いながら、カバンを拾って立ち上がった。足元がふらついて、すぐに膝が落ちる。その原因は、おそらく体調のせいだけじゃない。ろくに食べていないのだろう。

 「これから、友人が経営している古美術店に行きます。」
 「おい、あと一時間で深夜の最終列車が出るんだぞ。骨董品店なんかとっくに閉まってるだろ。」

 男は、その店は特別なんです…と言いながら、もう一度立ちあがろうとする。青はその二の腕を掴んで、立たせてやった。細くて軽い、というだけの印象しかない。女のようだ。

 「離して下さいっ…」
 
 短く叫んで、男は青の腕を振り払い、鋭い眼できゅっと睨んだ。

 「その店は、夜に来るお客も多いんです。だから、深夜まで開けている。これから、その店主に会いに行くんです。」
 青年は、取り落としたカバンを持ち上げながら、水と薬も手に取った。こちらに差し出そうとするのを、青は断る。
 「返さなくていい。いらないなら捨てろ。どうせ、商品じゃない。」
 でもな、と青もトランクを持ち上げながら言う。

 「うちの薬は本当に、全部が全部、手づくりだ。誰かが楽になれるように、一本一本薬草を栽培して、乾燥させて、作っている。お前のように細っこい女がな、大きなザルに目一杯、花や草や木の皮を摘んで運ぶんだ。結構な重量なんだぞ。」

男は力なく、あなたは…と呟いた。

 「なんだ、言ってみろ。」

 「あなたは、ずるい…。」

 すると、男は素直に、薬を鞄の中にしまい込んだ。ほかに、トランクの中に何が入っているかまでは、わからなかった。

 青はまた、口のなかでふん、と唸る。

 吸い終わった煙草を吸い殻入れにしまい、その店に服や宝飾品はあるか、と男に向かって問う。
青年は、少し口を開けたが、またすぐに閉じる。

 「あるんだな?」

 男と青は、先ほどまでいた海岸線を離れ、ほど近い商店街へと足を向けることになった。
 青は、すぐ後ろを黙って静かに歩いている男を横目で覗き見る。
 足元は細いブーツをはいているようであったが、歩く音はほとんど聞こえない。シンメトリーに伸びた前髪のせいで、表情はよくわからなかった。このとらえどころのなさはどこから来るのだろう。少なくとも、先ほどまでのふらつきは感じられない。

 やがて、ほとんどが真っ暗に静まり返っているなかで、一件だけ明かりがついている店が見えてきた。

 「ほら、あの店ですよ。」
 その口ぶりは、僅かに不機嫌である。恋人との間に、見知らぬ男が割って入ったかのような雰囲気であった。
 
 看板を見上げると、「古美術 宇尾貝(うおかい)」と書かれている。
 
 「何て読む?珍しいな」
 「うおかい、です。店主の名前ですよ」
 「変わった名前だな。そういうお前はなんていうんだ。」
 「有明(ありあけ)です。有明夕壱(ゆういち)

 そう言うか言わないかのうちに、男の瞳は、店の中の人影をとらえた。今までの暗い表情は消えて、安堵と喜びの色を浮かべる。青の傍らを過ぎ、さっとガラス戸を押しあけて、中に入ていく。からん、という乾いた音が闇の中で響いた。

 「拓巳(たくみ)っ…!」

 男は、その人影をそう呼んだ。

 拓巳と呼ばれた人物は、カウンター代わりにしているらしいガラスケースを、丁寧に布で拭いている。こちらに背を向ける形でしゃがみ込んでいるので顔は見えないが、年齢は男と同じくらいだろう。ウェーブがかった褐色の髪を、後ろで一本に結んでいる。
 青は、男が開けた扉が閉まる直前に、するりと店の中に入り込んだ。

 なんだ、ここは。

 そこは、古美術店というよりは、むしろ古道具屋に近かった。百味箪笥や鏡台、衣装ケース、化粧箱。そんなものばかりぎっしりと並んでいる。宝飾品はどこにもない。

 しかし、青が本当に気になっているのは、内装や商品のことではなかった。何か、無数の存在が、この店の中に居付いている。嫌な雰囲気ではないが、こちらが何者であるかを、じっと探っているようだ。

 目の前の二人は、そんな風変わりな客の存在に、まだ気づいていない。
 

 「夕、お前…その顔どうした?」

 店主の声は、室内に凛と響いた。

 「また発作起こしたのか。だから心臓の薬を貰いに行けって言ってるだろ、何度も何度も」

 夕…有明夕壱は、先ほどとは打って変わって、柔らかな表情を作っている。
 なるほど、店主の「宇尾貝拓巳」には、体調不良の原因を心臓が弱い、とでも話しているのだろう。その言葉が信じられるほど、明るい中で見る有明の顔色は、青白かった。
 「奥で休めよ…。無理して手伝いに来なくても良かったんだぞ。」
 「ああ、そんなこと言わないでください。拓巳の顔を見たら、もう治りましたから…。それより、これが約束の『ハマナスのコンポート』です、どうぞ…。」
 有明は、例のトランクから、赤い実の入った瓶を取り出して、宇尾貝に渡した。物珍しげに中身を覗き込んでいるところを、有明は楽しそうに見つめている。

 「おい」
 青は、そこでようやく声をかけた。

 「仲がいいんだな。お前らデキてんのか?」
 
 店主はギョッとしてこちらを振り返った。
 
 もちろん、冗談である。しかし、驚いたのはむしろ青のほうであった。

 へえ…。 
 うちの一族に、こういう若いのがもう一人ぐらい、欲しいもんだな。

 意思の強そうな眉に、健康的な肌。鼻は小ぶりだが、口もとがギュッと引き締まっている。それは、見るからに負けん気の強さを表していた。大きな褐色の瞳は、奥のほうまで澄んでいて、強い光を宿している。その視線は、見る相手の心中まで、まっすぐに届くだろう。生気あふれる、と言ったところか。身長はさほど高くもないが、体つきもしっかりしている。白いパンツに、動きやすそうな長めの厚底ブーツ、グリーンとブラウンを基調としたベストにネクタイ、そしてワイシャツ…と言った服装だ。

 夕壱が、明け方に浮かぶ病んだ月なら、宇尾貝は夏の朝日のようだ。
 それくらい、この二人は正反対の印象を持っている。

 「すいません、旦那。気付かなくて。いらっしゃいませ…。」
 宇尾貝は、そう言いながら頭を下げたが、顔に不審な表情を作っている。青は特に気にしない。こんな時間に真っ黒な男が入ってくれば、警戒したくなるのが普通だ。
 有明は宇尾貝の後ろで、突然会話に割り込んだ青に、鬱陶(うっとう)しそうな目線を送っている。

 「うちの店に、なにか、御用で?」

 すると、以外にも有明が、こんなことを打ち明けた。

 「拓巳、この人は変な人じゃないんです。僕が浜辺で体調を崩していたところを、ここまで送って下さったんですよ。何か、欲しいものがあるようで…つまり、お客でもあるわけです。」
 「そうでしたか。」
 宇尾貝は、さっと顔から不審の色を消した。こいつが世話になったみたいで…と頭を下げる。

 「ふん、大したことじゃない。それよりお前、いい面構えだな。そっちの細いのが惚れる気持ちが、わからんでもない」

 青は無表情のまま、そう言った
 やっぱり、冗談である。

 有明は、薄い、形のいい唇を引き上げながら笑った。

 「そうでしょう?とても可愛いんですよ、素直で。でも、申し訳ありませんが、旦那にはあげませんよ?」
 そう言いながら、ゆるゆるとした宇尾貝の前髪を、白い手でいじっている。宇尾貝は、ふに落ちない、という顔で眉根を寄せた。
 「そうかい、そりゃ残念だな。」
 青がそう答えると、宇尾貝はぱっと友人の手を軽く振り払った。

 「やめろってば、そういうの。お前がそういう冗談ばっかり言うから、来る客来る客に誤解されるんだぞ。旦那も、からかわないでくださいよ。」

 有明はその様子に笑いをこらえながら、店の奥へと消えた。

 青は、カウンター近くに置いてあった丸椅子をすすめられた。素直に座って、脚を組む。懐からいつもの通りにカードケースを出し、名刺を渡した。

 「俺は、こういうもんだ。」
 宇尾貝は、じっと食い入るようにそれを見つめている。

 「しの…?」

 「しのざわ、あお。旦那でいい。」

 宇尾貝はその名刺を懐にしまいこむ。

 「ところで、何をお探しで?」
 「レインコート。なければ、水をはじくショールやマント。そんなに時間がない。急いで欲しい。」

 店主はカウンターに両手をついて、考え込んでいる。どこかにあった気がする…といった顔だ。

 「なるほどね…。奥様にですか?刺繍の入った、シルクのショールがありますけど。」
 「俺は独り身だよ。」
 「本当に?」
 奥から丸い盆を抱えて戻ってきた有明が言った。
 盆の上には小皿が2つ、上品におさまっている。そのうちの一つを青の手元に置きながら、耳元でささやいた。
 「どうにも愛しい人がいるって、顔に変えてありますよ?旦那」

 「貴様は黙ってろ。」

 青はそうすごんだが、有明は口元で笑うだけであった。小皿の上には、例の赤い実の砂糖漬けが盛ってある。

 「悪いが、甘いもんは好かない。下げろ」
 有明は何も答えないまま、盆に皿を戻して、奥へと消えた。
 宇尾貝は、すみませんね、と苦笑いする。
 「変わったやつで…。あれはあれで、いいやつなんですよ。昔この近くに住んでいましてね。でも、両親を亡くして、遠方に引き取られて…今まで何があったのかは聞いていませんが、苦労したんでしょう。」

 青は何も答えないかわりに、子供用がいい…とつぶやいた。
 宇尾貝はそれ以上のことを聞かないまま、カウンター脇にあったセピア色の衣装ダンスから、小豆色のものを引き出してくる。
 「こんなのは、どうです?」
 それは、フード付きのポンチョだった。サイズが少し大きい気もしたが、長く使うにはいいかもしれない。
 「薄い革製ですから、梅雨の時期に役立ちますよ。前が開いてますから、ブローチで止めて使います。」
 ほら、猫耳もついてるんですよ…と言って、フードのてっぺんをつまんで見せた。小さめの三角形の布が縫い付けてある。
 「もちろん古着ですけど、いいものですよ。大事にすれば長く使える。それにこの色なら、男の子でもじゅうぶん着られます。」

 いま、何と言った?

 しかしそこで、有明がコーヒーを入れて戻ってきたために、青はそのことに関して聞きそびれた。有明はどこかから小さな引き出しを一つ、引き抜いて持っている。コーヒーを青の手元に、引き出しを宇尾貝の手元に置く。宇尾貝はその中に手を突っ込んで、かちゃかちゃと何かを選ぶ。

 「この店に入った時、何もないなあと思いませんでしたか、旦那。」
 2つ3つ、手のひらに小さいものを載せながら、店主は言った。
 「家具屋みたいじゃありませんか?ここ」
 青は、何も答えない。
 「ちょっとね、そこいらにある家具の引き出し、好きなものをどれでも、開けてみてくださいよ。」
 そう言われて、手近にあった化粧箱を開けてみる。
 手のひらに収まるような小さな漆塗りの手鏡、絞りの匂い袋、七宝焼きの髪留…丸いケースには行った塗香。小さいが洗練された品物だ。色合いも、女子供が好きそうなものばかりである。すぐ元に戻して、二段目を開ける。今度は鯉の彫りが入った短めの煙管や、銀のタイピン、シガーケース。別の、大きめの衣装ダンスも開けてみる。そこには、色も形状も長さも違う、たくさんの櫛がびっしりと、規則正しく並んでいた。まるで博物館の貝標本のように。

 「ふん、なるほどな。ここにある家具の中身は、全部こうなってるってわけか。」
 手の中にあるものを弄びながら、女性客が多くってね、と宇尾貝は言う。
 「あの人たちは、たくさんある引き出しを片っ端から開けて、ネックレスやら指輪やら帯止めやら、自分に合うもの、気に入ったものを探して回るのが好きなんです。」
 でも、片づけない…と傍らに立っていた有明は呟く。
 「出しっぱなしです。しまおうとするうちに、別の引き出しを開け始めるから始末が悪い。でも、拓巳はどんなに散らかしても怒らないんです。」
 いいんだってば、と宇尾貝は反論する。
 「俺が後で片づければいいんだから。」
 「まあ、僕はそれを拓巳と一緒に片づけるのが楽しいんですけれどね…」
 少し休みます、と言い残して、またもや有明は奥へ消えた。それきり戻ってこない。物音もなく、まるで存在がかき消えたかのようだ。

 「旦那、レインコートのほうは、こちらでよろしいですか。もっと、他のをいろいろ、出してきましょうか。」
 「いや、それを貰う。俺はここの女性客とは違うからな」

 では、これを…と宇尾貝は先ほどから弄んでいたものを、こちらに見せた。それは、親指大の小さなブローチだった。青い石をはめ込んだ四角いもの、丸い貝細工のもの、雫型のえんじ色の石がはめられたもの…の3つである。

 「お好きなのをどうぞ。夕壱が世話になりましたから、サービスでつけますよ。」
 「いや、払うもんは…」
 そう言おうとした青を、店主は押しとめる。
 「いいんです。その代わりまた、ごひいきに…。」
 「ふん、根っからの商人だな。」
 「おかげさまで。祖父から初めて3代目です。」
 
 青は、丸い貝細工のものを選び取った。よく見ると、レースのような金の淵飾りが施されている。
 宇尾貝は、夜光貝なんですよ、と言った。宮殿の柱や家具などに用いられることもあるという。
 「この3つはね、どれも旅の安全を守ってくれるモノです。お弟子さんが無事に大きくなりますように。」

 これには、さすがの青も言葉が出なかった。
 何故、こいつは俺に少年の弟子があることを知っている?
 
 店主は青から代金を貰うと、丁寧にポンチョをたたんで紙の袋に入れた。ブローチは、布にくるんで十字にひもで縛る。テキパキとした手付きだった。

 宇尾貝はやがて、一仕事終えたとばかりにカウンターに座り、赤い実を食べ始めた。細いフォークが上手く刺さらなくて、あっちに転がし、こっちに転がししながら口に運ぶ。商品を合う買うのには手慣れていたが、もしや不器用なのだろうか。
 青もまた、半ば冷めかけたコーヒーすする。ものすごく、苦い。

 あいつめ、さっさと帰れってか。
 
 有明に言われなくとも、そろそろここを出なければ、列車の最終便に間に合わない。

 「おい。」

 青は、ころころと逃げまわる実を、いつまでもフォークで追っている宇尾貝に向かって、あの細いやつだが…と言った。

 「夕壱ですか?呼びましょうか?」

 いや、いい…と青は答える。

 「あいつから目を離すな。よく、様子をみてやれ。」



 青は、突然鳴った汽笛の音に、ふと眼を覚ました。
 

 いつのまにか、うつらうつらと眠っていたらしい。
 周囲はわずかに肌寒く、木の座席は硬かった。人影もほとんどなく、照明も暗い。しかし、旅慣れしている青には気にならない。

 やがて、がこん、という振動と共に、列車が動き始める。先ほどまで明るかった月は、いつの間にか雲に隠れてしまった。おかげで、窓の外に広がるはずの海は闇の中である。

 隣の座席には、皮のトランクと帽子、先ほど買った袋が置いてある。青はその中から、ブローチの包みをとり出して、紐を解いた。

 わずかな照明の中、虹色を帯びた乳白色が、ゆらゆらと輝いている。

 青はそれを内ポケットにしまい、窓によりかかってもう一度目をつむった。

 有明と宇尾貝の対照的な顔が、立て続けに浮かんでは消えていく。

 あの二人の間には、拭いきれない危うさと不吉さが漂っている。

 再び、うつらうつらし始めるなかで、青は無理に2人のことを頭から追い出した。休むべき時に、休まねばならない。

 夜汽車は、西へ西へとひた走る。

 外はいつの間にか、細い細い猫鳴キ雨が降り始めていた。

夜汽車

夜汽車

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-10-05

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