アナテマ・フィジクス
2011年に作ったノベルゲームを小説に書き直して投稿してます。公式サイトはこちら http://anathemaphysics.herokuapp.com/
最後の夏、夜の屋上で奈美と話す
熱気の消えた、ゆるい風。裏の林から虫の声が聞こえる。
頭上を仰ぐと、思っていた以上に多くの星がまたたいていた。いまは七月。深夜一時過ぎだから、あれはもう秋の星座……えーと、形からしてペガスス座だろうか?
コンクリートの床を歩く自分。それが自分じゃないようで、さっき見ていた夢の感触がまだ肌に残っている。
あれ?
誰かいる。鉄柵のそばで、口を引き結んで空を見上げる女子生徒。
ああ、あいつか。
たしか名前は、えーと、洲原奈美。二ヶ月くらいまえに入部してきたやつだ。
俺は科学部っていう高校の部活に所属してる。物理でも、化学でも地学でもなんでも科学らしいことをやってるとこだ。
そんなに専門的なことはしない。活動内容はゆるい。部内で最近流行してるのは電子工作だ。Arduinoとかいうので遊んでいるやつが何人かいる。
ちなみに俺はその中に入っていない。最初はやっていたけど、熱中できる時期は過ぎてしまった。 今夜のイベントは天体観測のだ。科学部が月一くらいに行っている合宿で、金曜の夜に部員が集まり、翌日の朝まで空を眺める。
洲原は観測に集中してるらしく、近づいていっても動かない。
邪魔しちゃ悪いかな。
足音をたてないよう注意しながら、非常口の電灯から離れたところまで歩いていく。
せっかく屋上まで来たんだ。ちょっとでもいい星を見たい。
かろうじて表情がわかるくらいの距離で、なんとなく洲原を見つめる。
中学生と間違われるほどちいさな身体で、釣り目がちで大きな両目。子猫のようだとひそかな人気があるのもわかる。
だが実際に話してみるとすぐわかるが、あいつは子猫なんてもんじゃない。
洲原はとにかく気むずかしいやつだ。科学部では口数がすくなく、まず自分からはしゃべらない。
ぶ厚く大きな英語の本をよく読んでいて、話しかけるとものすごくいやそうな顔をする。
「あなたにわたしの読書を邪魔する権利があるの?」と言わんばかりの強い瞳で睨まれたことは、科学部部員ならだれしも経験したことがあるだろう。俺もある。 それでも顧問が注意しないのは、あいつがとんでもない天才だかららしい。
洲原はおそろしく頭の回転が速いやつで、しかも知識量が並みじゃない。理系の分野ではすでに大学レベルに達してるとかなんとか。
それで誰からも邪魔されず、自由なふるまいがなかば許されている……らしい。 片目を閉じて、真摯と呼んでいいほどの姿勢で望遠鏡に視線を注ぐ洲原。
端正な顔立ち。こうして見てるだけだと、ただの女の子に見えるけどな。
いや、「ただの」じゃなくて、きれいな女の子。見かけだけならかわいいと言っていい。
微動だにしないそいつは凍りついたみたいで、まるで俺たちの時間が止まったみたいで――。「よし」
洲原の声が聞こえた。
そいつは鉄柵に手をかけ、よじ登った。
「え__?」
足を回して、乗り越える。
あっさり柵の向こうに行ってしまったそいつは、足下に首を巡らせた。
屋上の、柵の外。一歩踏み外せば転落する、そんな場所だ。
「なにしてるんだ」
思わず呼びかけた。
そいつは俺に目を向けた。はっと目を見開き、なにか言おうとして。
「あっ」
その手が柵から離れた。
「あっ……え? ちょ、や、やああああああっ!」
「おわっ」
俺は跳んだ。
腕を伸ばし、かろうじてそいつの細い手首をとらえた。
体重がすべて腕一本にかかる。
「ぐっ……お」
重い。落ちる。耐えられない。
「やっ……お、落ちるぅ!」
「落とさねえよっ」
右手も伸ばして、両手で捕まえる。これでなんとか持ち上げられるだろう。
「離さないで! あたしの手を離さないで!」
「わかってる!」
体勢を整え、一気に引き上げようとする。
……?
足が、浮いた。
上半身を前に出しすぎていた。後ろに戻れない。俺、もしかして、こいつと一緒に落ちる?
柵を越えて、その向こう。電灯が届かない、暗闇が正面に見えた。
取れそうで取れないバランスがとうとう崩れて。
本当に、落ちた。
「うおおおっ」
「ひゃああ!」
痛い。けど、死んではいない。大けがもしていない。せいぜい軽い打ち身程度。
目を開けると。
身体の下に、そいつがいた。
運が良かったのか悪かったのか、手が胸をつかんでいたりはしない。
でも。
顔が近い。温かな息を肌に感じる。
「どいて」
「あ……」
「どいて!」
「わ、悪い」
急いで跳ね上がり、洲原から離れる。
立ち上がった洲原はむすっとした態度。そうなるのも当然だが。
あたりをみわたす。
——なんだ。
「もう一段あったのか」
俺たちがいるのは、屋上のふちの下。二メートルほど床が低い、屋上の下フロアだった。
上フロアからここに来るルートはない。隣接しているのに、柵を乗り越える以外に行き来できないみたいだ。屋上に来る機会がなかったから、こんな場所があるなんて知らなかった。
「なにしようとしたの?」
きつい目で洲原が詰問してきた。
「いや、えと、勘違いするな。変なことしようとはしてない」
「そうじゃなくて!」
「助けようとしたんでしょ。あたしが落ちそうだとか、勝手に誤解して」
「お、おう」
「……あんなとこから落ちないわよ」
「でも実際落ちただろ」
「それはあんたが突然出てきたから! 誰もいないと思ってたのに……びっくりしたのよ。」
そうかよ。さっきのはどう見ても危険だったと思うがな。
「それに、落ちてもたいしたことない」
「……ああ、なるほど」
それはわかる。 ふたつのフロアに分かれている屋上。その高さにはせいぜい二メートルくらいの差しかない。気をつけていれば、落ちても怪我はしないだろう。
だが俺が助けようとしたせいで、こいつはうまく着地できない体勢で落ちてしまった。罪悪感がないわけじゃない。
「すまなかった」
「んー……」
不機嫌な顔は変わらない。
「謝るよ。ごめん」
「……」
「申し訳ございませんでした……どうかお許しください……」
「……あはっ」
洲原の顔つきがやわらいだ。
「もう、いいわよ。気にしなくて。悪気はなかったんだし」
ふう、よかった。もう怒ってないみたいだ。
「なに、しようとしてたんだ?」
「星座を見ようとしてた」
「……それで、なんで柵から降りようと?」
「しし座が見たかったのよね。上の屋上フロアからだと見えないけど、下フロアだったら見えるかと思ったの」
「じゃあ、見えるか? ここから」
「うーん……」
せまい屋上フロアを歩き回ってから洲原はこう結論づけた。
「無理ね、やっぱり」
「……」
痛い思いをしたってのに、あんまりだ。
「ところで、誰か来たら、叱られるんじゃないか」
「そう? どうせ見つからないと思うけど」
「万が一がある」
「んー……じゃ、戻る?」
「そのほうがいい」
このフロア、明かりがなくて歩きにくい。また転んだりしたら踏んだり蹴ったりだ。
それに、隠れてこいつとふたりきりでいるのは、なんというか、恥ずかしい。
屋上の上フロアに戻って、一息つく。
「そういえば、あんた……土岐野、だっけ?」
「あ、ああ」
名前を呼ばれたのでいちおう答える。
……ところでさっき、こいつ呼び捨てじゃなかったか? 洲原は一年、俺は三年だってのに。
「ずっとあたしのこと見てたの?」
「え、っと」
「屋上に出てきてから、あたしを助けるまで」
「ずっと、てわけでもない。一分くらい」
「一分。すごく長いわね。それで、柵を乗り越えるとこも見てたの?」
「ま、まあそういうことになる」
うぁぁ、と細い声をもらして洲原は両手で顔を覆う。指のあいだから真っ赤に染まった頬が見えた。
「くぅ……恥ずかしい……声かけてくれればいいのに」
こいつ、こんなやつだっけ?「悪い。話しかけづらかったから」
「え、なんで?」
「なんでって……なんとなく」
「そっか。なんとなくか」
「…………?」
いつもの洲原とは態度がちがう。なんだか居心地が悪い。悪いことをしてる気分になる。
「ねえ、土岐野。聞いてみたいことあるんだ。あの……。あんたはわたしをどんな人間だと思ってる?」
「……はあ!?」
なんだよこいついきなり。
「正直に言ってみて」 えーと、ちょっと待てよ。なんて言うべきか考えてみる。
洲原奈美、科学部の一年生。
整った顔のくせにいつも不機嫌で、声をかけてもつっけんどんな返事しかしない。そんな女子生徒だ。
言うまいか迷ったが、こいつもわかってるんだろう。いいや、言っちまえ。
「わがままで気むずかしいやつだと……思ってたんだが」
俺がそう告げると洲原はちいさくため息をついた。
「……そんなとこでしょうね。はぁ……。仕方ないとは思うんだけど、たまに自分でもいやになるわ」
「ちょっと待てよ。いまは考えが変わった」
「え?」
こいつは、いままでの洲原とはちがうやつみたいだ。
ふつうの女子みたいにしゃべる洲原は、まるで別人。
「おまえは洲原じゃないみたいだ。双子の姉妹だって言われたら信じちまいそうだよ」
思ったことを口にすると、洲原は目を見開いた。
「……あんたちょっと面白いこと言うわね。なになに、そういうのに萌えるの?」
「ちがう。ていうか萌えるってなんだよ!」
「双子でそっくりだけど、性格が真反対のキャラがいたらどきどきしない?」
「しない」
「ふーん、そうなの。てっきりあんたはそっち系の人かと」
「どっち系だよ!?」
く、くそ、いつのまにか洲原のペースに呑まれてやがる。
そういえば、こんなに長くこいつと話すのは初めてだ。
いつもなら、全身から漂わせた不機嫌オーラにあてられて、まともにしゃべろうとは思わない。いまみたいな状況は、たぶんこれまでありえなかった。
からから脳天気そうに笑う目の前の洲原は、どこにでもにいそうな陽気な女子そのものだ。
意地悪い微笑みを浮かべていた洲原がふっと真顔になり、俺に一歩近づいてきた。
「な、なんだ?」
星を見るように首をのばし、俺の目を覗きこむ洲原。その口元が動き、唇が開く。
「わたし、友達がいないのよね」
「は……!?」
「こんな性格してたらあたりまえだとは思うんだけど、やっぱりちょっとさみしい」
「そ……そうか」
「なんでわたし、こんな性格なんだろうなー……。好きなことを好きなだけできるよう気をつけてたら、いつのまにかこうなっちゃってたのよ」
そんなのよくあることだろ、とは言えない。
「土岐野、あんたは何時間か前まで、鬼ごっこしてて騒いでたでしょ?」
「ん……ああ」
天体観測のあいだにやることはほとんどない。観測は朝まで続くのだが、実際になにをするかは個人の自由だ。
ずっと星を眺めるのは退屈だし、深夜の学校はもの珍しいものだから、俺たちはたいてい遊びまわってる。
鬼ごっこ、あるいはかくれんぼ。単純で子供っぽいが意外と……いや、とてつもなく楽しい。
「……迷惑だったか?」
「うん。だけどちょっとうらやましかった。好きなだけ騒げるような友達がわたしにはいないから」
洲原は目をそらし、夜空に向かって語りかけるように言った。
「ああ、いかんねえ。深夜テンションだと妙なことまで口走っちゃう。いかんいかん」 俺も洲原にならって星を見つめる。
「きれいだ」
「うん、きれいだねー」
天の川が夜空を横切り、ちょうどふたつに分けている。天頂ちかくに夏の大三角。東の空の低いところにあるのは……。
「……あれ、ペガスス座か? 四角いの」
「ん、そうよ。秋の星座の代表。いまは夏だけど、深夜だからちょうどいい位置に来てるわね」
間の抜けたやりとり。だんだん首が痛くなってきた。
こいつに言わなきゃいけないことがあるような気がして、口をつぐむ。洲原の呼吸の整ったリズムが聞こえている。
それは唐突にあらわれた。
「あ…………!」
魔法のような瞬間だった。
光が唐突にまばゆくきらめき、緑色の爆発を生んだ。夜空中の明るさが圧縮されたような一瞬。
なんだあれ。流星? 花火?
それとも、俺が知らないなにか?
光が消えた。目が夜闇に馴染むまでの数秒で、洲原の表情が変わっていった。
「火球だわ……!」
目を輝かせてそう言ったんだ。
なんだそれ。かきゅう?
「すごい、初めて見た」
「か、火球ってなんだ?」
「え……知らないの? 科学部員のくせに? へー、そうなんだ」
「う……」
こいつに言われるとすげえ悔しい。
「無知なあんたのために教えてあげるわ。火球っていうのは流星のなかでも特に明るいものをいうの。さっきのはたぶんペガスス座流星群のなかに、大きなやつがあったのね」
「そ、そうか」
言われてみれば聞いたことがある気がする。
さっきの光が、その、火球。なるほど。
「あーよかった、すっごくきれいだった! 合宿にまで来たかいがあったわ、ほんと」
そう話す洲原の顔は、これまで見たなかで一番輝いていた。
「ん、どうしたの土岐野?」
「あ、いや、おまえがうれしそうだから、驚いた」
「そりゃうれしいわよっ! 生まれて初めて火球を見られたんだから」
「うん、そうだな……」
すました態度のいつもの洲原とは、ほんとうに別人だ。
「知ってる? 宇宙に飛んで行ってしまう流星がごくまれにあるそうよ」
「なんだそれ。飛んで行ってしまう? 流れ星は地球に入ってくるんだろ?」
「地球の引力に呼び込まれた流星物質が、ほとんど水平に大気に突入して燃えだしたあと、その速度のせいで宇宙に脱出していくのよ。勢いよく投げた石が、水面で跳ねるみたいに」
「そんなことがあるのか?」
「うん。アメリカのジャクソン湖の火球なんかは一分半以上も滞空していたそうよ。真昼の空に太陽みたいに光る火球が走っていった写真が残ってるわ。その間の移動距離は一五〇〇キロメートルもあったとか」
「へえー」 いちど見てみたいもんだな、大気圏を通過してく火球っていうのを。
——ん、まてよ?
「それから流星はどうなるんだ? また重力に引かれて、地球に落ちるのか?」
「えーと……ううん、その確率はかなり低いと思う」「流星物質の正体は彗星か小惑星だと考えられているんだけれど、そういった天体は地球とおなじで、太陽を焦点のひとつにした楕円軌道を回ってるの。軌道は絶えず微妙に摂動するし、公転周期もまちまちだから……二回も地球の大気圏内に突入する確率なんて、ほんとうに天文学的な数字でしょうね」 洲原の説明を聞きながら、俺は頭のなかに地球とそれをかすめていく岩のかたまりを描いた。
「地球とすれちがったあとは、その流星を見ることは二度とできないんだな」
「……そういうことになるわね」
それはちょっと、切ない話だな。
細い流星がもうひとすじ空をかすめていった。
——そうだ。聞きたいことがある。
「洲原。なんでいま、気楽な口調でしゃべってんだ? いつもみたいな無愛想はやめたのか?」
「あ……そうね。なんでだろ。深夜テンションだからかな? ふだんのわたしだったら、軍事オタのあんたなんててきとうにあしらってるんだけどな」
「そんな風に思ってたのかっ!?」
「あ、ごめん、本音が出ちゃった」「ちょっと待て、おまえの言ってることに異議があるぞっ! まず俺は軍事オタじゃない!」
「学校にミリタリー雑誌持って来てても?」
「うっ……いや、オタクっていうほど詳しくないんだ」
「オタクってだいたいそう言うのよね」
「ぐぁっ……くそ、否定できない」
「部室にSATマガジンを持ち込んで読み回してる男子どもがオタクでないって? 幼稚園児でもわかるわよ」
「ぬがぁあっ!」
崩れ落ちそうになるのをぎりぎりでこらえる。
「あっははははは!」
そんな俺を見ていた洲原はこれ以上なく楽しそうに笑った。
「……なあ、洲原。おまえはそんなに性格わるくないと思うぞ?」
「え?」
「いつもは体面を気にして、好きに振る舞えないんじゃないか? 本当は人と話したくても、自分のキャラじゃないと思って、勇気をだせなかったりして」
そういう経験は俺にもある。誰でも体験する悩みだ。
「俺だって、そんなに自由に生きてるわけじゃないけど……。いまのおまえは、いつもの不機嫌そうなおまえよりずっと……その、いいと思う」
洲原はぽかんとした様子だった。
「……あ、ああ、そう……」 短くこたえただけで、口をつぐんでしまう。
「思ったままにしゃべって、行動したら、きっと友達と思えるやつもできるだろ」
俺が言ってやっても、洲原はちいさくうなずくだけだった。
どうしたんだ? さっきまで嘘みたいに饒舌だったのに。 洲原が黙ったままなので俺もしゃべれなかった。
しかたなく、空を見上げたり歩いたりした。洲原のほうを見ると、目を逸らされた。
なにか話したほうがいいかなと思って口を開いたが、結局言葉が出てこない。
無言のまま一分くらいが過ぎた。「わたし、下で休んでくる」
ぽつりと洲原が呟くように言った。
「お、おう」
「日の出を見たいから、四時頃に起こしてね」
「その時間に俺が起きてたらそうする」
「うん、頼んだ。……じゃ」
洲原が立ち去っていくのを俺は見送った。
校舎内へのドアを開け、入ろうとする瞬間、洲原がこっちにちらっと目を向けた。
俺が手を振ると、そいつも手を振り返してくれた。
いまから二年前のことだ。
大学生活
Now writing...
アナテマ・フィジクス
音楽と映像の演出を加えたバージョンをDenkinovel( http://denkinovel.com/stories/4/pages/1 )でも公開しています。
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