自殺防止人
俺は死ぬ。
理由なんかどうでも良い。どうせこれから死ぬのだから。
金がないと認めてくれない。学歴がないと認めてくれない。社会的地位が低いと認めてくれない。
どいつもこいつも狂っていやがる。金はまだ良い、まだわかる。でも、学歴だの地位だの、目に見えない物でどうやって他人を判断する? そんなもの、人間が勝手に作ったものじゃねぇか。神様が言ったのか? 「高い地位に着け、良い大学を出ろ」。あの神様がそんなことを言ったのか? 聖書の何処に書いてあるって言うんだ?
まぁ、そんなことは俺にはもうどうでも良いことだ。俺はもうじき死ぬ。先にこの世からオサラバしてやる。この崖から飛び降りてやるのさ。マスコミ共、俺を食い物にするが良い。俺はお前達に殺されたんだ。くだらない妄念に捕われてるお前等“人間”に殺されたんだ!
……でも、いざ飛び降りるとなるとやっぱり怖いな。
水って柔らかいけど、こんな高さから一気に突っ込んだら痛いんだろうなぁ。風も強い。向かい風だ。飛び降りたら風で身体が流されて岩の壁にぶつかるかもしれない。じわじわ死ぬのは御免だ。我が儘を言うようだが、死ぬならもっとスッと死にたい。痛みを感じる前にあの世に飛びたいな。
いやいや、もう良い。考えるだけ時間の無駄だ。さぁ、深呼吸をして……
「死ぬんか?」
突然、俺を呼ぶ声がした。
恐る恐る振り返ると、そこにはボロボロの服を着たオッサンが立っていた。髪も髭も伸ばしっぱなし。所謂ホームレスだろう。可哀想に、彼等も言ってみればこの世の中の犠牲者だ。
「死ぬんか?」
「え? あの、俺ですか?」
「他に誰がいるんだよ」
「そうですよね。えーっと、はい、そうです」
「ふーん。そうかい。じゃ、どうぞ」
それだけのために俺を呼び止めたのか?
迷惑な男だ。せっかく心を決めたというのに台無しだ。ほら、また怖くなってしまったじゃないか。精神を集中させるのにまた時間を使う羽目になった。
目を瞑って心を鎮めようとしていると、男はまた話しかけてきた。
「スッキリ死ぬことは、無理だろうなぁ」
「は?」
「水にぶつかるか、壁にぶつかるか。水にぶつかって海に沈んでも、魚の餌になるだけだからなぁ」
何のつもりだ? 恐怖心を煽って自殺を止めさせるつもりなのか?
「それに、ここは自由な土地じゃないから、自殺したら家族が金を支払うことになるなぁ。……あ、いいんだよ? 死にたいならほら、どうぞ」
「な、何なんだよ?」
死ぬのを一旦諦め、まずはコイツをこの場から離すことにした。
オッサンに詰め寄り、両肩を強く掴んだ。オッサンは怯えるでもなく、俺の顔を見てニッと笑った。
「本当は、死ぬつもりなんてないんだろ?」
「え?」
「この世から消えたいんじゃない。誰かに、認めてもらいたい。違うか?」
何も反論出来ない。
悔しいが、この男の言うことは正しい。
本当は死にたいんじゃない。誰でも良い、誰かに認めてほしかったんだ。注目してほしかったんだ。よくニュースでやってる、ビルの上に立って「俺は死ぬぞ!」とか言ってる人達と同じだ。言うだけで、飛び降りる勇気が無い。
あれだけデカい口叩いたけど、死ぬ気なんてない。寧ろもっと生きたい。俺を空気みたいに思ってほしくない。それだけなんだ。
肩から手を離し、その場にしゃがみ込んだ。波の音が恐ろしく感じた。
「ふぅ、死ぬってのはな、そんなに甘いもんじゃねぇのさ」
オッサンは俺の隣に座って話を続けた。
「俺は昔、大きな事故にあってな」
「何でそんな話を?」
「まぁほら、黙って聞け。数年前にあった大きな交通事故、知ってるか?」
情報が少ない。それだけではどの事故のことを言っているのかわからない。
「俺は、死にかけたんだ」
「へぇ、そうですか」
「死ぬ瞬間ってのはな、楽じゃねぇんだ。そりゃ苦しいもんだ。息はし辛いし、身体は痛むしな。徐々に意識が薄れていく、その最後の最後まで、苦しみは続くのさ」
何故だろう。
出会ったばかりの人なのに、この人の言葉はスッと中に入ってくる。【死】というものを勝手に解釈してた俺と違って、【死】というものを直に感じた人の言葉だからだろうか。
ずっと俯いていた俺も、いつの間にか姿勢を起こしていた。その反応を見て、オッサンはまたニッと笑った。
「死のうと決意したってことはだ。お前さんにだって、まだまだやる気があるってことだろ? うん?」
「やる気、ですか?」
「死ぬのは1回だけだからな、そんなわけのわからないものに挑もうとするなんて余程のガッツがなきゃ無理だろう。それに、お前さんはさっき、恐怖心を押さえようとしてたんだろ?」
「はい、そうですね」
「言ってみりゃ、1つのことを成し遂げようとする気力だわな。ほら、こんな良いタマを2つも持ってるじゃねぇか」
何かと誤解を招く発言だ。ここが都会じゃなくて良かった。俺まで変な目で見られることになる。
でも不思議と、男の話を聞いていると心が温かくなった。うっすらとだが、俺は口元に笑みを浮かべていた。
「お前さんは何がしたいんだ?」
「夢ってことですか?」
「おう、それ以外にねぇだろう」
「夢……」
深い絶望は、俺が嘗て持っていた夢を記憶の底に沈めてしまっていた。いったい何だったか。手探りで夢を探す。
そうだ、確か俺には、小さい頃から持っていた夢があった。それを志そうとしたのは、小学校に上がってからだった。
「あ、兄ちゃん、俺もそんなに急いでねぇからさ」
「黙っててください」
もう少しで、もう少しで1部が見えそうなのだ。
いつも友達や親に話していた夢。中学に上がっても、高校に上がっても、片時も忘れなかった夢。意識が薄れていったのはその後だ。
短大に入って、すぐに退学して、仕事もろくに見つからない。世の中の厳しさを知って、俺は部屋に閉じこもっていた。そんな俺に、親はずっと声をかけてくれた。そのとき、親は俺の夢の話をしてくれたのだ。
『あんた、俳優になるって言ってたのはどうなったの?』
「……俳優だ」
「ほう、そうか」
「俺は、俳優になりたかったんだ!」
1人盛り上がる俺を見て、オッサンは口をあんぐり開けて驚いている。気持ちを落ち着かせようとしたが、それは出来なかった、夢を思い出した途端、まだ俺が夢を持ち続けていた日々の記憶が次々に蘇ってきたのだ。
「刑事モノのドラマを観ていて、リアルで緊張感のある映像に夢中になったんだ。架空の出来事なのに、まるで本当のことみたいに表現出来る。俺はそれに興奮したんだ。だから俺も、そんな人間になりたいと思ったんだ」
「なるほどな」
ポケットからタバコとライターを取り出して、オッサンが立ち上がった。
「これじゃあ、まだまだ死ぬわけにはいかねぇよなぁ?」
死のうとしていた俺だったら、こうも簡単に人に動かされて頭に来ていたことだろう。だが、今の俺は違う。大切なことに気づかせてくれたこの人に感謝している。
「まだ、死ねませんね」
「よし。じゃあほら、こんな所にいねぇで早く行け!」
「はい!」
「夢、叶えろよ!」
「はいっ!」
俺は走り出した。
曖昧な物で判断されてしまう嫌な世の中。だけどもう逃げない。戦ってやる。認めさせてやるんだ、俺の力を!
青年が去った後、老人は携帯電話を取り出して電話をかけた。
「……あ、もしもし? 1人改心させたよ。これで、俺も天国に行けるんだろう?」
『今のは50点です』
「はぁ? 何でだよ? アイツは自殺やめただろうが!」
『交通事故で死にかけたっていう、あの嘘は良くなかったですね。生前の癖が出てしまいましたね。流石は元詐欺師だ』
「ちっくしょう、駄目なのかよ」
『天国側も、悪い癖の抜けていない方を入れるわけにはいきませんからね。しっかりと自分の本心を伝えて、閻魔大王様も認めてくださるような方法で改心させてください。あと2回同じことをしたら、地獄に戻ってもらいますよ』
「ちっ、あいよ」
不機嫌そうに電話を切ると、男は次の相手を捜すために歩き始めた。
元詐欺師が天国に行けるようになるまで、まだまだ先は長い。
自殺防止人