雨の降る日に、猫は鳴く vol,2 「スコォル」

雨の降る日に、猫は鳴く vol,2 「スコォル」

*この物語は完結しています

 国の内陸に位置する干船(ひせん)市には、砂漠が存在する。
 しかし、一言に砂漠と言っても名ばかりの代物で、実際は二つの地方都市の間に広がっている程度だ。唯一の交通手段として設けられた鉄道で縦断すると、経由駅である「砂丘(さきゅう)駅」での停車時間を含めても30分程度しかかからない。

 その、砂漠の中に立つ「砂丘駅」は、とある大学のためにわざわざ設けられたものだ。その大学の名を「国立干船大学」と言い、説明するまでもなく、砂漠のど真ん中にぽつねんと建造された、酔狂な建物である。学部は、大きく分けて文系と理系の二つだが、主に力を注いでいるのは理系で、特に植物学の研究が盛んに行われている。

 敷地内には、五階建てのキャンパスが二棟と、学生用の寄宿舎、教職員用の宿舎、菜園などが設けられているが、その中で最も目立つのは、高さが3階建てほどもある、ドーム状でガラス張りの『熱帯植物園』だ。文字通り熱帯雨林の植物群をそのまま移植展示することに成功したもので、学生や教授たちの、実験・観察のために使用されている。

 その熱帯園の全景を見下ろすことができる、最上階の大講義室にて、この大学に着任して間もない講師・石河宗平は、国文学の教鞭を取っていた。主な内容は、古典作品として見る「王祖(おうそ)物語」。この国を統べる王族の起源と国の成り立ちを説いた歴史書である。
 石河は先ほどから、その物語が書かれた年代やら時代背景やらを解説するために、教科書代わりに使っているプリントを片手に持ち、黙々と板書を続けていた。学生たちの視線が、チョークを持つ指先と、自分の背中に向けられているのが分かる。初夏の午後、そして休日前であることも手伝って、学生たちの何割かは、机に突っ伏している。叩き起してやりたいが、自分にも身に覚えがあるために、そう偉そうなことは言えない。そのことを覗けば、まずまず、順調に授業は進んでいた。

 このまま何事もなく終わってくれればいい。
 黒板に『作者不明』、と記述しながら、そう願う。
 こんな大きな教室の、大勢の学生たちの前で、失態は演じたくない。

 しかし儚くも、その願いは裏切られた。

 がりがり…っ

 それは、自分で持っていたチョークの先端が黒板にめり込み、砕けて粉になった音。やがてぱらぱらと白い粉が舞い、パキッという軽い振動が指に伝わった。半分になったチョークが、と乾いた音を立てて足もとに落ちる。静まり返った講義室の中では、その音は大きく響いたが、石河の耳には入ってこない。

 あぁ、またか。
 
 ギンギンという大きな耳鳴りがして、何も聞こえない。
 目眩で足元がふらついた。
 持っていたテキストがばさばさと音をたてて舞い落ちる。

 暑い…。

 またたく間に、全身にびっしょりと汗をかいた。薄手のジャケット、白いワイシャツと夏物ネクタイが、肌に張り付く。耳鳴りは止まない。高熱が出ているのではない、ということは、自分でもわかった。これは、体の内側で起こっていることではない。自分をとりまいている気温が、湿度が、がんがん高くなっているのだ。しかも、それを感じているのは、どうやら自分一人であるらしい。

 黒板に片手をついて、後ろを振り返る。学生たちが、様子のおかしい教員を前にして、顔を見合わせていた。

 やがて、その耳鳴りを飛び越えるように、教室の天井からゴゴン…という音がした。腹に響くような、大きな太鼓のような音。ぐらぐらする頭を天井に向けた。並んだ木目と、規則正しく並んだ蛍光灯が見えるだけで、何も変わらない。しかし、それとは裏腹に、音はゴロゴロと大きくなっていく…。

 やがて、朦朧と上を見上げている石河の頬に、ぼたり、と大粒の水滴が落ちた。
 それは足もとにも、落としたチョークや紙束の上にも、ぼたぼたと降り注ぐ。

 何もない天井から…雨?

 それはやがて講義室中に広まって行く。
 どんどん激しさを増し、あっという間にバケツをひっくり返したかのような、どしゃ降りとなった。

 『スコォル』、か…?

 そう思ったとき、講義室も、自分が立っている教壇も、騒ぎだした学生たちの顔も、まるで朝に漂う霧のように、あっという間にかき消えた。

 どれくらい時間が経っただろう。
 気が付くと、一人森林の中に佇んでいた。
 背の高い木々が鬱蒼と生い茂り、その根元はさらに低木やシダ類で覆われている。目の前には濁った川がトロトロとながれ、その向こうにも、さらに密林は続く。雨煙で良く見えないが、離れたところに、丸太で出来た簡素な家々がたち並ぶ集落が見えた。褐色の肌をした裸同然の青年が、ちらりとだけ姿を見せる。

 降りやむ気配のないスコールは、それらのもの全てを激しく打ち続け、大地の泥を撒き散らし、生き物たちの気配をかき消していた。

 にゃおん。
 
 どこか近くで、猫が鳴いた。石河は、声がした方向へ、ゆっくりと自分の首を動かしてみる。すると、大きな葉をパラソルのように広げた木の幹に、すらりとした人物が寄りかかっているのが見えた。

 黒いスリムパンツに、肩のあたりが裂けたデザインの、同色のチュニック。ベリーショートの髪に、幅の広いチョーカー。切れ長の目で色が白く、薄い唇には紅をひいていた。ゆっくりと瞬きをしながら、こちらを見つめている。一瞬でも美人だと思ったのは、大きな不覚だ。何故なら体には、女性特有の凸凹や丸みが、一切ない。

 その人は、唇の端を引き上げるようにして微笑むと、長い指をぱちん…と鳴らした。

 そこで石河は、ようやく我に帰る。
 全身に汗をかき、体を硬直させて教壇の上に立ちすくんでいたようだ。目の前には、大学の事務員や学生たち、次の講義のためにやってきた別学科の男性講師などが輪になって取り巻いている。

 「石河先生、大丈夫ですか。わかりますか?」

 困惑したような顔の女性事務員が、石河の肩を支えながら、顔を覗き込んでいる。おそるおそる腕時計を見ると、授業時間はとっくに終わっていた。男性講師が、講義中に突然ぼんやりされたそうで…とおそるおそる話しかける。
 「誰が呼びかけても反応しなかったとか。急いで医務室に…。」
 その言葉に、いいです、大丈夫です、と答えた。
 「だって、顔色が真っ青で…。」
 返事をする代わりに、袖でぐいっと額の汗を拭った。そして、そのまま左耳の下あたりをさすってみる。
 
 また、大きくなっている。

 あ、猫。

 石川をとりまくざわめきの中で、一人の学生がそう言った。見れば、スリムで毛並みの良い、けれども普通よりも一回りほど大きな三毛猫が、人ごみを縫うようにして、廊下へと走り去って行く。

 また、別の誰かが言った。
 
 あの三毛猫、(オス)だったな。


 石河は、散らばっていたテキストをかき集めると、心配を続ける事務員に適当な返事を返し、大急ぎで教室を出た。

 学生たちをかき分けながら、長い廊下を黙々と歩く。やがて突き当たったガラス戸を押して、非常階段へ出た。夕暮れ前の、重たい曇り空が視界に広がった。普段、この場所は風が強く、周囲の砂が巻き上げられて目鼻に入るので、学生たちはおろか、教職員もめったにこない。しかしここ数日に限って風はなく、空は曇り、空気は湿っている。つまり、一人になるには絶好だ。本来なら乾燥しているはずのこの土地でも、今の時期に限っては、1ヵ月ばかり静かな雨模様が続く。そのせいで、普段は金色に輝いているこの荒野もすっかり鉄色に見える。

 大きく深呼吸しながらゆっくりと階段を降り、踊り場で歩みを止める。手すりに寄りかかって腕を外に投げ出し、顔を突っ伏した。手に持ったままの教材やプリントが邪魔くさい。眼下には、あの『熱帯植物園』が見える。

 あぁあ、一体何だっていうんだ。

 そう独り言を言いながら、もう一度左手で首筋を触ってみる。

 そこには、15㎝ほどの細い木の枝(・・・・・)があった。

 自分で考えても馬鹿馬鹿しい。しかし、間違いなく生えているのだ、木の枝が。しかも、その先端には、青く光る若芽まで出ている。それは首のラインにあわせるように丸くカールし、すでに喉仏近くまで達している。試しに、その枝を指で摘まみ、思いきり引っ張ってみた。

 「いててててて。」

 それは、痛みこそすれ、抜ける気配は一切ない。何だって言うんだ、本当に…。

 その時、かつん、という乾いた音が一つ、石河の頭上で鳴り響いた。
 続けて、かつん…かつん…とゆっくり、かつリズミカルに鳴り続ける。 

 石河は黙ったまま、眉根を寄せた。いつもは誰もいないというのに、どうして、こんな時に限って人が来る?しかも、あの足取りは女だ。高いヒールを履いた、体重の軽い女。先ほどの教室にいた学生や事務員だったら面倒なことになりそうだ。

 足音はどんどん近くなってきて、やがて、彼の背後へとたどり着く。頼む、話しかけないで欲しい。面倒臭い。そんな気分じゃない。しかし、意に反して、その人物はそこから下には降りて行かなかった。反対側の手すりに、こちらを向いて寄りかかる気配がする。足もとに、何かをどさり、と置いた。

 やがて、かちり、というライターの着火音がして、煙草の煙が漂ってきた。変わった香りだ。
 石河は強い不安感を覚えながら、おそるおそる後ろを振り返る。

 そこにいたのは、先ほど熱帯雨林の中で出会った、あの人物であった。

 両手両足を軽く組んだ姿勢で、じっとこちらを見つめている。足もとにはガマ口に似た留め金の付いた、赤い旅行カバンが置いてある。靴は想像通りの、高いヒール。色は濃い紫色だ。表情も夢で見たのと全く同じ。きつい切れ長の目をゆっくり瞬きさせ、気だるい雰囲気を漂わせていた。左手の指に挟まったスリムな煙草からは、細い糸のような煙が立ち昇る。
その人は、やはり口の端を引き上げるように微笑み、言った。

 「こんにちは。石河先生。」

 目つきだけじゃなく、声色にまで気だるさと気の強さが混じっている。年齢は、いくつなのだろう。今年で28になる石河より、一回りぐらい上に感じられるのだが。

 「あなた、さっきの…」

 石河がそう言うと、ふふん、と今度は声に出して笑う。
 「少し、授業を覗かせて貰ったわ。危なかったわね、あなたもう少しで、あの夢から帰って来られないところだったのよ。」
その人物は、もう一度煙草を咥えて、煙を吐いた。その手で、黒い綿のパンツの尻ポケットから、名刺入れを取り出した。優雅な手つきで、その中から一枚引き抜き、こちらに渡した。その名刺をおそるおそる受け取る。

 「篠澤(しのざわ)(みつる)…」
充、は男の名前ではないか。

 「さすがね。一度で読める人は、なかなかいないわ。」
 「製薬会社?本当に?」
 そ…と答えながら、吸い殻入れに灰を落とした。会社と書かれている割には、連絡先が一切書かれていないではないか。
 「簡単に言うと、薬売りネ。先生の病気を治しに来たのよ。」
 その言葉に、思わず体の向きを変えて、篠澤充と向かい合う。向こうはヒールなので石河よりも頭が上だが、靴を脱げばさほど変わりはなさそうだ。
 「うさんくさい…。」
 「フン、よく言われるわ。」
 「この名刺、本物ですか?うちの学生に得体のしれない薬とか売ってるんじゃないでしょうね。」
 失礼ね、と言いながら、篠澤充は寄りかかったまま瞳を閉じた。
 「先生みたいな得体の知れない患者(   )を診るんだもの、その薬だって得体が知れないモノに決まってるでしょ。」
 ぴしゃりとそれだけ言うと、喉の奥の方で、ごろごろと音をたてた。どうやって出したんだろう。ひとしきり鳴らし終えると、いいチョーカーね…とこちらの首元を見ながら、言った。

 「見えるんですか。この木の枝が?」

 きわめて冷静にそう尋ね返したつもりだが、内心はぎょっとしていた。周囲の者は愚か、多くの医者たちが見えなかったのに。
 「それで、まさか、今俺に起きている妙な症状にも、詳しいっていう、そういう話?」

 「まあ、そういうことかしら……。物わかりがいいじゃない。」

 そうかな、と石河は聞き返す。

 「そうか…少しばかり、ホッとしましたよ。」
 どう頑張っても、目の前の人物は得体が知れない。しかし、掴めるものなら藁をも掴む…といった気持でいた人間にとって、突然差しのべられた救いの手だ。
 「見える人っていたんですね。俺は本当に自分がおかしくなったんだとばかり…。」

 充はこちらの話を聞きながら、煙草の先から立ち昇る煙を見つめている。見惚(みと)れている、と言ってもいい表情だった。

 「最初はね、とにかくこの木を何とかしようと思って、隣町に行って、いろんな病院で診て貰ったんですよ。脳外科、内科、外科、皮膚科と…それから眼科。でも、どの医者にも『木の枝なんかない』って言われまして…。疲れているようだから精神科に行けって…。」
 「どの患者も皆同じよ…。」
 手中の煙から石河の背後へ、ゆっくりとその視線を移動させながらそう呟いた。振り返ると、砂漠の中を一筋、列車が通って行く。
 「あちこちに行って、信じて貰えなくて…アタシたちが駆け付けた時には、もう手遅れってことも珍しくないの。」
 ということは、俺のほかにも、患者はいるのか…。

 「ところで、俺がこんな妙な病気に罹ったことを、誰に聞いて来たんです?」
 すると、充は形のいい眉をちょっと困ったように寄せた。
 「それは教えられないわね。企業秘密。」
 「ふうん…。ますます胡散臭い。」
 「あら、それなら追い返してもいいのよ。ただし、そのチョーカーを外してあげられるのも、白昼夢から助け出してあげられるのも、今のところアタシだけよ?ここでアタシの治療を断ったら、後がないのよ…」
 「弱いところ突いてきますね。」
 「事実を言ったまででしょ…。」

 少しずつ、風が出てきた。砂埃が頬を撫でる。充は、カバンから長いショールを取り出してクビと頭に鳴いた。それが風をうけて、ふわり、と広がる。

 「まあ、いい…任せます。どっちにしろ、このままじゃあ俺は遅かれ早かれ、大学を首になり、檻の付いた病棟に放り込まれる運命ですからね。治せるっていう相手が一人でもいるのは、ありがたいのかもしれません。」
 「素直だわ。」
 石河は、それだけが長所で…と応える。

 「それで?俺は一体、どうしたんでしょうか。この木の芽は何?どうやったら抜けるんですか…?」

 すると、ちょっと待ってちょうだい、とこちらの話は遮られた。

 「まずは、どうしてその木が生えて来たのか、その経緯を教えて貰わないと…。それに合わせてこっちが説明するわ。その方が分かりやすいから。」

 石河は、踊り場から熱帯植物園を見下ろした。ことの発端は、あの場所だ。

 「ここから見えるあのドーム…。アレね、熱帯園なんですよ。物好きですよね。わざわざ、こんな砂地に、南国の植物を植えるなんて…。」

 すると、あら、アタシ嫌いじゃないけど…という意外な返事が返ってくる。
 「遠目から見たら、オアシスに見えるじゃない。」

 オアシスね…、と石河は呟く。

 「オアシスの維持管理って、大変なんです。ただでさえ、ここには水資源がない。それなのに常に一定の湿度を保つための水を、遠いダムから引いてこないといけない。ちょっとでも湿度と温度の調整が狂うと、たちまち枯れてしまう。」
 
 理学部で教授の助手をやっている友人の声が、頭に響いた。『ごめん、今夜だけでいいからさ。熱帯園の見周り、変わってくれないか。家族が倒れてさ、どうしても1週間、家に帰ることになったんだよ。同じ学部の連中に頼もうと思ったんだけど、みんな時間が合わなくて…』。
 「一昨日の夜のことです。友人に頼まれて、夜中に熱帯園に行きました。その『オアシスの管理』ってやつです。」
 「どうして、わざわざ、夜中に行くのよ。」
 (みつる)は、煙草をくわえながら、ちょっとばかり眉間にしわを寄せている。その口元で、じりじりと音をたてながら、赤い光がぽっと灯った。
 「理学部の連中が、毎日帰り際に見廻りしてるらしくて…。時間が夜中になったのは、単に俺の仕事が遅く終わっただけなんですよ。作業内容は、ドームのガラスが壊れていないか見て、湿度と温度をチェックして、それから一応中を見回って…。」
 「ずいぶん厳重なのね…」
 毒草があるからだと、石河は説明する。現地の住民たちが薬や矢毒に使うためのもので、他の木と一緒に持ち込まれた、貴重なものだ。
 「侵入して、盗むやつがいるかもしれないからって。で、俺も熱帯園の鍵を持って、懐中電灯を持って、しぶしぶ出かけて行ったんです。」
 順調にドームの中を見回った。内部には、もちろん人の通る場所は設けられているから、その通りに歩いて行くだけだ。

 「園の一番奥には、トコヤシ、っていう木があります。一番古くて一番大きい木。周りには、子供でも越えられるくらいの円形の柵があって…。でも、俺がその前まで行った時、そこにトコヤシの木は無かったんです。」

 「盗まれたとか?」

 まさか、と石河は笑った。
「本当に大きいんです。人が持って行ける代物じゃない。丸い柵の中には、トコヤシの代わりに…」
 
 ここで、自分で見たものがにわかに信じられなくなって、一瞬黙りこむ。
 
 「女が立っていました。」
 
 女、と充は怪訝な声を出した。
 
 そう、女。いや、少女と言った方がいいかもしれない。
 裸同然のような、熱帯雨林の現地民のような衣装を着ていた。
 懐中電燈の僅かな明かりの中でもそれがハッキリと見えたことが、今思えば不思議なことだ。黒髪で、小柄な、褐色の肌の持ち主だった。

 「年齢は、14~15歳くらいだったかな。最初は演劇部のやつらが潜り込んだのかと思いました。でも、それじゃあ説明のつかないことがあんまり多くて。演劇部だったら他に何人かいるはずだし、その子はどう見てもこの国の人種じゃなかったし。大体にして木はどこに行ったのか…とか。」

 困惑して、その少女にライトを向けた。おい…とか、ちょっと…とか、そんな言葉をかけたような気がするが、よく覚えていない。少女はライトを照らされた瞬間くるりとこちらを振り返った。黒々とした眼で一瞬食い入るようにこちらを見つめたあと、、突然背負っていた筒から矢を引き抜いて、腕に持っていた弓にあてがい、石河に向けて切りきりと引いた。

 その時、矢の先が青く点滅していたのを、はっきりと覚えている。

 「性質の悪い冗談だと思いました。」
 
 ひゅっという軽い音…。それから、ざくり、という刃物が肉を裂く時の、一瞬の衝撃。

 「おかげで、首元を押さえて地面でのたうち回るはめに…。何が起きたんだか、まったく分かりませんでした。とにかく痛くて…。」
 痛みの次に、暗闇に飲み込まれるような、冷たい恐怖に襲われた。何しろ、首に矢が刺さったのだ。自分はこのまま死ぬのか、これは殺人になるのだろうか…と、気が遠くなる中でそんなことを考えた。いつの間にか少女の姿は消え、あるべき場所に、トコヤシの木が佇んでいた。

 「目を覚ました時は、まさかと思いました。ほんとうにそのまま死ぬと思ったから。相変わらず首は痛くて、手をやってみたら、何故だか、刺さっていたはずの矢が無くなっていて。光を当ててみたけど、血も出てなくて…。その代わりに、大きな青いニキビみたいなのがぽこっと…。」

 充は、納得したように黙ってうなずいている。何か、思い当たるものがあるのだろうか。

 「気味が悪くて…まだ首は痛かったけど、とにかく、急いで自分の宿舎に帰ったんです。」
 疲れているのかも知れない、暑さと暗闇の中で幻覚でも見たのかもしれない、と自分に言い聞かせたかった。しかし、アレが全部幻覚だとしたら、首にあるこのニキビは何なのか?部屋の中にある鏡に首元を写しながら、石河は頭を抱えた。心なしか気分の悪さを感じて、そのままベッドに入った。

 「もちろん、寝付けませんでしたね。朝までには首の痛みが取れたけど、そのあと、かわりにもっと妙なことが起き初めて…。」
 今日のようなこと?と充が聞く。白昼夢のことを言っているのだろう。
 石河は、ええ、と軽く答える。

 「5月の初めだっていうのに、部屋の気温と湿度がぐっと高くなるのが分かりました。最初は熱が出たと思ったんですが、寒気もないし。真夏の熱帯夜って感じなんですよ。汗だくになって起き上がって、窓を開けようとしたら、目の前を蝶が一匹、飛んでいくんです。しかも、赤や黄色を多く使ったステンドグラスみたいな、見たことがないくらい綺麗なやつ。」

 熱帯の蝶。
 そう呼ぶのにふさわしい妖しさと美しさだった。
 周囲の気温はやがて下がり、いつの間にか目の前の蝶もかき消えた。もう一度布団に入ったけれど、結局一睡も出来なかった。朝になってから、明るい中で改めて自分の首元を見た。

 「頭抱えて座り込みました。だって、例のニキビから芽が生えていたんですから。」
 そこから先の…つまり昨日一日のことは、すでに話した通りである。どの病院でも、『原因不明の幻覚症状あり』。

 「病院を回る間にも、何度か妙なものを見ました。皮膚科に行った時かな、また暑さが襲ってきて、売店で瓶に入った水を買ったんです。そしたら、瓶の中に、魚が。」
 「ピラニアとか?」
 充はからかうように言った。
 「もっと長かったな。うろこが大きくて…赤と金色の綺麗な魚だ。尾が丸くて大きい。アー…」
 そこでまた、ごろごろという奇妙な音が聞こえてくる。
 しばらくして、その喉から、アロワナ、という言葉が出た。

 「南に行かないといないわね。綺麗だわ、あれは。」
 
 そうなのだろうか。よく知らない。

 「俺が妙なものを見るたびに、この木の芽が成長するんです。このままだと全身を覆っちまうんじゃないかと…。」
 「そうね、たぶん…。」
 さらりとそんな答えが返ってきて、ぎょっとする。
 「放っておけば、の話よ。」
 いつの間にか、周囲には夕暮れが迫っていた。空気の中に水の匂いが混じる。石川は、俺の話はそんなものです…と、話を打ち切った。

 充はしばらくの間眉を寄せてうつむいていたが、やがて長い首をついと上げた。
 「トコヤシっていったかしら?あれはどうして、この熱帯園に運ばれてきたの?」
 石河は、あー…と唸る。
 「たしか、絶滅寸前のものすごく珍しい木だとか。」

 そう、と興味があるのかないのか分からないような返事が返ってくる。
 「植物も絶えるのね。」
 当たり前でしょう、と石河は笑う。

 「そんなだから、移植の許可を得るのに随分手間がかかったらしいですよ。それから…。確か、史学の連中も関わってたように思うんですが。民族学だったかな?」

 石河の頭に、理学部の友人の顔が浮かんだ。確か、次のようなことを言っていたような気がする。
 「あの木の近くには、もともと原住民の大きな村があって、長い間信仰の対象だったとか…。」
 「信仰?」

「集落の入り口に立っていて、部族のものを守るのだそうです。それから、村人が捧げものを持って、日々のことを祈る…とも聞きましたね。でも、その村ももうすっかり廃れて、来る人がないとか…。」

 そこまで話を聞くと、充はすっかり短くなった煙草を灰皿にしまい、腕を組む。
 薄暗さで、表情は良く見えなかった。

 「納得。今分かっていることだけ、説明するわ。まず、あなたの体を侵しているものは、『セジン』と言う名の毒なの。」
 「セジン?」

 石河は怪訝な声で聞き直した。

 「そうね、もともとは人間の心が生み出した、感情の残りカスみたいなもんかしら。普段はそのへんを漂っているだけの無害なものだけど、一か所に多く蓄積されると強い毒性を持つようになるの。それが『セジン毒』。セジン毒を宿した植物や動物のことは、宿主と呼ぶわね。」

 感情の残りかす?そんなものがあってたまるか。人の気持ちは使い終わった食器ではない。

 「セジンを持った宿主はその姿を変えて、人を襲うようになるの。襲われた人間には、奇妙な諸症状が現れて、やがて人でいられなくなる。その毒を、患者(   )以外に肉眼で見ることができるのは、『ウチの人間』だけね」

 普段ならそんな話など、笑い飛ばしていただろう。そんなことあるわけないだろうが、と。しかし、首から木の枝をはやしておいて、そんなセリフは言えない。
 「つまり、そのトコヤシが『宿主』で、宿主が姿を変えたのが『その女の子』ってワケ。長い間そのジャングルに立って、村の人間たちのあらゆる感情を浴び続けて来たんでしょう。獲物が取れるように、村から悪魔がいなくなるように、病気が治るように、子供が無事に生まれるように、憎い者がいなくなるように…。人間のそんな生きるための欲が、いつの間にやら積りに積もって、セジンになったんだわ。あり得る話よ。で、そのまま熱帯園に運ばれてきて、目の前を通りかかった先生が標的になった…。」

 「いや、ちょっと待って下さい。」
 それじゃあ、途中で説明がぶっ飛んでいるではないか。

 「あの木は、もう何年もずっとこの熱帯園にあって、たくさんの人間が、あの木の前を通ってるんですよ。それが、どうして今になって俺が標的になるんですか?」
 すると、知らないわよそんなの、という無責任な答えが返ってきた。
 「女の子だったんでしょ。惚れられたんじゃないの?」
 そんな…と言いながら、熱帯園を見下ろした。何の変わりもなく静まり返っている。木に惚れられても嬉しくない。

 「ま、先生真面目そうだしね。アタシはタイプじゃないけど。なんか退屈そうだし…。」

 余計なお世話である。こみあげてくる何かを、苦労してぐっと呑み込みながら、『人でいられなくなる』ってどういう意味です?…と尋ねた。

 そのまんまの意味、と(みつる)はうなずく。
 「まあ、患者によって千差万別だけど…この人間世界から、はじき出されるわね。そして、人間としての死を迎えられなくなる。」
 石河は眉根を寄せた。よく意味が分からなかったが、それ以上の説明はしてくれない。
 「ま、とにかく、アタシはどうしても、それを防がなくちゃいけない義務があるわけネ。」
 「義務、ね…。それってつまり、俺の体内から毒を消す薬を売ってくれるってわけですよね。あなたは薬売りなんでしょ?そのカバンの中に入ってるとか?」
 「いいえ、アタシが作るのよ、これから。」

 いとも簡単に、『薬売り』はそう答えた。吃驚して、返す言葉が見つからない。

 「これから仲間に連絡して、処方箋を送って貰うの。それを見て…なによ、その顔」
 充の声がワントーン上がる。いやいや、こちらの気分も察してください…。
 「大丈夫なんですか?変なもの入れないでくださいよ。」
 すると、しっつれいね、とこちらの顔を睨みつけながら、ますます声を高めた。
 「舐めてんじゃないわよ、これでもプロよ。」
 そう言いながら、ヒールを履いた足を組み変えるのをみて、何だかますます不安が募る。そのとき、白昼夢でない『本物の雨』が、自分の額にぽつり、と落ちた。みれば、周囲はもう随分暗い。

 「そろそろ、行きましょう。」

 充はそう言いながら、ショールを首に巻きなおした。片手でバックを持ち上げ、肩に背負うようにして持ちあげる。促されるままに、石河は先に階段を下りていく。どこかの教室から光が漏れ、同時に学生たちのささめきが聞こえてくる。
 「あの女の子は、どうなるんですか?」
 少し後ろを、ゆっくりとした足取りで下りてくる充にむかって、尋ねた。
 「そうね、必要なら退治しなくちゃいけないわね。」
 退治するって、どういうことだろう。あの少女を殺すのか、それとも木を切ってしまうのか。
 「そうそう、あの木なんですけど…」
 木を切る、という短いセンテンスで、ふとあることを思い出した。
 「中身はもう、ほとんど空洞だそうですよ。」
 その言葉に、かつん、というヒールの音が一瞬止まる。

 「もともと老木だった上に、無理に移植しましたから、あっという間に中身がスカスカになったらしくて…倒木注意の看板が出ていると思いますよ。まあ、寿命ってやつですかね。」
 ふと振り向くと、充はすっかり暗くなった熱帯雨林を、じっと睨んでいる。何か見えるのだろうか。
 「どうかしましたか…。」
 「いえ、何でもないわ。」
 再び階段を下りはじめたその表情は、心なしかさきほどよりもきつい。地上の芝生に降りたところで、雨は本格的に降り始めた。かろうじて、今立っているところまでは階段の屋根になっているため、濡れずにすむ。

 「で、俺はこれからどうすればいいんですか?」
 あら、いけない…と言いながら充はカバンの中からティーパックのようなものを取り出し、こちらに渡した。
 「はい、これ。」
 何ですか、と受け取る。中には何か、何か粉状のものが入っている。
 「これはね、症状を遅らせる薬。言っとくけど、悪いものじゃない。処方箋が届くまでの時間かせぎよ。」
 そう言われると余計に怪しくなるのは、何故だろうか。思い切り中身を振ってみると、使い終わったホッカイロのようなざらざらという音がした。
 「ちょっとやめなさいよ、マラカスじゃないんだからっ」
 石河はしぶしぶそれをポケットにしまう。充は、その場から歩きだす気配がない。
 「ええと、これからどうするんですか?泊まるところは?」
 すると、得意の笑みを浮かべながら、何よ、と呟いた。
 「心配してくれてるわけ?おあいにくさま。アタシをタダで止めてくれるトコロなんて、ざらにあるのよ。」
 「はぁ、そうですか。でももう隣町に行く足はありませんよ。この駅で列車が止まるのって5時の便が最終ですから。不便なもんです。あ、言っときますが、ウチの学生誘惑するのはやめてくださいね。」
 「ちょっと!馬鹿にしてるでしょ。」
 「別に。」
 「あんたは自分のことだけ考えてればいいの。アタシはこれからちょっと調べたいことがあるし。それより、帰ったらすぐに薬飲みなさいよ」

 返事をする代わりに、来ていた薄手のジャケットを脱いで頭にかぶり、階段の屋根の外に出た。濃厚な水の匂いが鼻に入ってきて、湿った芝に革靴が沈んだ。このまま帰ろう。本来なら自分の研究室…と言っても講師なので相部屋だが…に戻るべきだが、とてもそんな気になれない。明日は大学が休みだ。明後日にでも、具合の悪さにそのまま帰ったと、相部屋人に平謝りするとしよう。
 
 しばらく行ってから、本当に放っておいて大丈夫だろうか…と思い直して、振り返る。
 
 しかし、そこには雨に煙る非常階段があるだけで、すでに誰の姿も見えなかった。

 
 寄宿舎に帰ったのち、すっかり夕食を取り忘れたことに気が付いた。あの風変わりな人物のせいで、頭から飛んだのだ。どうしようか。
 部屋には一応、簡単な煮焚きが出来るよう、コンロが二つ付いている。といっても、料理などしない石河は、大抵学食で済ませている。そのほか、部屋の内装としては、小さい浴室とトイレ。ベッドと一緒に並んだ、食事用の小さなテーブル、その上に乗った鏡、細い衣装ケース、乱雑に積まれた書籍の山…。仕事に使うものは皆研究室に置いてある。カーテンが引かれたサッシの向こうには、1階である者には特権の、小さな庭。
 正直なところ、食べなくてもいい、とも思う。自分はどちらかと言えば小食な方だ。しかし、薬を飲むなら何か胃に入れるべきなのだろう。一応食糧棚をあさってみると、昨日隣町で買った卵が出て来た。全部で3つ。そういえば、茹で卵を作ろうとしていたのをすっかり忘れていた。仕方なくそれを全部茹でて、2つだけ腹にしまう。

 本当に飲んで大丈夫なんだろうな。
 改めて、先ほど貰った紙の包みをポケットから取り出して眺めながら、思った。しかし、どう考えても、あの奇妙な人物以外に、自分を助けてくれる人はいないような気がしてならない。

 まあ、いいか、もうどうなっても。イチかバチか。
 
 特に飲み方の指示が無かったので、普通に水で流し込み、そして後悔した。

 うわあああ、ああああ。

 流し台で長いこと咳き込んだのち、そんな叫び声をあげる。
 「うわああ、生ぐせぇ…。それに酸っぱい…。」
 そう言いながらうがいをし、もう一杯水を飲み干した。
 「どうやったらこんな味になるんだよ、姐さんよ…。」

 幸い吐き気は無かったものの、あまりの不味さにこれ以上何かをしようという気にもなれなくなった。まだまだ寝るのには早い時間だったが、部屋着に着替え、早々にベッドに入る。
 近くのテーブルに置いてあった鏡を取り上げて、横になったまま、自分を見つめた。確かに、真面目そう…という印象くらいしかないような、地味な顔つき。目にも無残な…とまでは行かないだろうが、特別にいい顔つきではない。それに輪をかけるように、ここ2~3日の疲れがにじみ出ている。木の枝は相変わらずぼんやりと不吉に光り、この先の不安をあおるかのようだ。見るのが嫌になって、鏡を置く。しばらくじっと目をつむり、まどろみがやってくるのを待つ。
 さらさらという雨の音に混じって、どこからか猫の泣き声が聞こえて来る。
 
 みゃあああおおおおおおうううう。

 そういえば、キッチンの近くにある小窓、ほんの少し開いてなかったっけ。野良猫でも入り込んだら、面倒だな。閉めておかないとな…。

 うつらうつらとそんなことを考えつつ、昨夜の睡眠不足も手伝って、あっという間に眠りに落ちた。


 石河が本格的な眠りに入った頃、例の熱帯園の周りを、1匹の大きな三毛猫が、しゃなりしゃなりと歩いていた。長くてしなやかな尻尾が、まるでメトロノームのようにリズム良く左右に揺れる。夕暮れから降り続いている猫鳴キ雨が、艶やかな毛並みをしっとりと濡らしていた。

 猫は、出来ることなら、園の中に忍び込むことを狙っていた。しかし、全てがガラス張りになっているために、それは叶わない。
 
 フン、ほんの1か所でもビニール製のところがあったら、爪で破ろうと思ったのに。

 ただ、園を真上から見たときの、入口からちょうど対角線上の位置…つまり園の一番奥にあたる場所…から中を覗き込むと、運よく目的のものを見ることができた。葉が異様に大きいシダ類や、背ばかりが高い木の中に、ぼんやりと青く光るものが見える。

 いた、『宿主』。

 夜目の効く大きな瞳で、食い入るようにそれを見つめる。間違いなく少女の姿をしていた。丸い囲いの中に、力なく座り込んでいる。その様子からは、人を襲うような元気が感じられなかった。宿主は本来、もっと獰猛に動き回るものなのだが…?
 そこでもう一度目を凝らしてみて、あることに気がつく。
 少女が背負っている筒に、矢が入っていない。
 『寿命』…という石河の言葉が胸に蘇る。

 もしその話が本当なら、いまの宿主の様子からして、『もう人を襲う力は残っていない』…ということになるのだろうか?だとしたら…いまのまま放っておくのが得策だ。襲う力がないものの首を、わざわざひねるような無駄な時間は使わない。
 一つ手間が省けたことに安堵して、猫は宿主から目を離した。あとは、石川に特効薬を作って飲ませるだけだ。先ほど雨に乗せて送ったメッセージは、こんな夜でも仲間に届く。明け方までには、その処方箋が届くだろう。
  そう思った瞬間、ふいに雨がやんだ。足もとの芝生についた雫が、青い光を受けてキラキラと光り、その上に三角耳のシルエットが伸びていく…。
 猫はぎょっとして背後を仰ぎ見た。
 薄くなった雨雲がお役ごめんとばかりに、ちぎれては消える。
 やがて、不吉な光をたたえた、大きな月だけが残った。

 にゃおう…。

 猫はその様子を、呆然として睨みあげる。


 石河は、いつの間にか開け放たれたカーテンの向こうから差しこんだ、明るい日差しで目を覚ました。風が、軽く窓をたたいている。その音の中に、ぱらぱらと砂の音が混じっていた。
 晴れたのか…?雨季じゃなかったっけ?
 ウン、と毛布の中で伸びをしながら、そんなことを思う。(みつる)の言葉通り、頭がすっきりしている。何の夢も見ることなく、暑さや幻覚に襲われることもなかった。しかしなんとなく、体の節々が痛いような気がする。
 ところで、なぜカーテンが開いているのだろう、寝る時は閉まっていたはずなのに…と、横になったままで頭をあげる。すると、窓の近くで、壁に寄りかかるようにして、充が座りこんでいた。綿のロングパンツは昨日のままだが、上着は黒のブラウスに着替えている。それをみて、思わず大きな声を上げようとしたが、なんとかかんとか、抑え込む。それは単に理性によるものではなく、声をかけてはいけないような雰囲気が、その周囲に漂っていたからだった。

 充は、手に持った煙草を片手でいじりながら、じっと青い空を見つめていた。
 ただ、遠くを眺めているというのではない。本当に手の届かない、遠い場所に憧れているかのような表情だった。昨日見たような妖しい表情もきつい印象もなく、哀しさや静けさだけが、そこにはあった。
 ずいぶん経ってから、煙草を持っていない方の手で前髪をかきあげようとして、やっと石河の視線に気がついた。とたんに、きゅっとこちらを睨む。

 「何よ、起きてたんなら、見てないでそう言えばいいじゃない。」

 寝ている間に上がり込んだくせに、随分とひどい言いようだ。いやいや、待て待て待て。それ以前の問題ではないか?

 「ど、どこから入り込んだんですか?全部鍵はかけたのに!」
 すると、あそこから…と尖った顎をキッチンの方へ向けた。そこには、夕べ寝る直前に気にしていた、あの小窓。
 「冗談やめて下さいよ。」
 とてもじゃないが、人が入りこめるスペースではない。本当に猫1匹の大きさなのだ。
 「冗談じゃないわよ。こう見えて体は柔らかいんだから。」
 石川は横になったまま目線を天井に向け、首をかしげた。狭い所を通過するのに、硬いとか柔らかいとか、関係あるのだろうか。たしかに、スレンダーなのは認めるけれども…。そんなことをまじめに考えている間にも、『その体の柔らかい方』は、吸うのでもなく、捨てるわけでもなく、煙草をいじり続けている。
 「いいですよ、煙草。別にこの寄宿舎は禁煙じゃないし…俺は吸いませんけど。あ、火がないとか?灰皿は持っていましたよね」
 
 すると、充は少し眉を寄せてから、昨日と同じように、口の端を引きあげた。
 
 「いいこと教えてあげましょうか。この煙草はクロモノといってね…黒い花で作る煙草だからそう呼ぶのだけど…一本吸うごとに、少しだけ寿命を延びるの。それが何日なのか、何カ月なのか、あるいは何年なのかは、わからないけど。」
 そんな話に、内心ため息をついた。
 これだから、愛煙家は困る。体によくないモノをどうにかして、良く見せようとするのだから。
 
 「猫、飼ったことある?」

 ぽつり、とそんなことを訊く。突然煙草の話からそれたので、石河は戸惑った。

 「犬なら…ありますけど…。」
 「いいわ、犬でも…。その子、今はどうしてる?元気?」
 「いや、学生の時に死にましたよ。老衰で。」

 そうでしょ?と充は呟いた。なにが、そうでしょ、なのか。

 「猫も同じ。必ず、人間より先に死ぬの。どうしても」

 そう言いながら、今度こそ煙草にライターで火をつける。軽く唇を噛んでいるのが分かった。石川は、今の一連の話題に関して、何も聞かない。目覚めたときに充がまとっていた雰囲気も、ペットが死ぬ話も、煙草の話も、石川には意味がわからないことだ。しかし、きっとそれは、目の前の人物の中では、全部一つにつながっているのだろう。水面に出ている氷山が一見ばらばらに浮かんでいるように見えても、水面下では一つの大きな氷であることと同じだ。わざわざ、その冷たい氷に手を触れようという気分にはなれない。

 「ねえ、不躾なこと聞いてもいいですか。」
 「何よ。」
 かるく睨まれる。その目つきに、聞くのをやめようかとも思ったけれど、途中でやめたら余計に怒るような気がして、結局その疑問を口にした。
 「何でおっぱい入れないんですか。」
 「何ですって?」
 顎をくいっと上にあげて、見下ろすように聞き返した。やっぱり怖い。
 「俺、充さんみたいな人…って前にも会ったことあるけど、もっといろいろ、体を作り変えてましたよ。あなたほとんど、そのまんまじゃないですか。」
 本当に不躾な質問なのねェ、と声を大きくした後、大きく煙を吐いた。
 「あのね、アタシは余計なものをつけたり取ったりするのは嫌なの。持って生まれたものをいかにしてきれいに見せるかが大事でしょ。そんなの、誰だって当たり前のことよ」
 「はぁ、そんなもんですかね?」

 充はまた、フン、と鼻を鳴らして下を向く。

 「ところで、ちゃんと薬は飲んだみたいね。」
 「体に良さそうな味でした。効き目もそれなりに。そうそう、毒を消す薬って、いつ処方して貰えるんですか。夕べ飲んだ薬って、たんなる時間稼ぎだって言ってましたよね。」
 もうちょっと、かかるわ…と言いながら、充は顔をあげて空を睨む。先ほどとはうって変わって、雲の上に宿敵でもいるかのようだ。
 「その『処方箋』ってどうやって届くんですか?ここに郵便物が配達されるのって午前と午後の2回だけですよ。」
 「うるさいわね、秘密よ。仕事に関しちゃ、あんまり細かいことは教えるなっていう先祖代々の決まり事なの。とにかく、仲間からの返信はもう少しかかる。」
 充は、言葉に詰まったように瞬きしながら、煙草を口に運んだ。

 「果物、食べたら?」

 そう言われて、ベッド近くのテーブルを見た。大きくて平たい皿に、いちご・びわ・マンゴー・キウイが並んでいる。それぞれ皮を残さぬよう、丁寧に剥き、均等な大きさに切り、彩りよく並べられている。皿の端には、ホイップクリームが一盛りと、クラッカーを数枚、添えられていた。

 「……。」

 充がやったのだろうか…。

 いや、あたりまえか。残念ながら、自分には、病気で寝ている間にこんな素敵なことをしてくれる恋人はいない。いや、もしかしたら、白昼夢を見ている間に、そういう家庭的な女の子といい感じに…。

 「その果物ね、昨日大学の中で買ったのよ。」
 さらりと発せられたその言葉に、現実を噛みしめる。

 「ああいう場所を何て言うのかしら…。」
 「購買部、ですか?」
 確かに、学内では、菜園で栽培した果物や野菜、それを利用した商品などを販売している。しかし、基本的には大学関係者以外には売らないはずなのだが。
 「誰にでも売ってくれるのねえ。果物のほかにオーガニック化粧水も買ったのよ。」
 ベッドから起き上がりながら、にわかに色どりが良くなったテーブルの上をしばらく眺め、迷いに迷った結果、果物を口に運ぶ。確かに、これなら胃にも優しいだろうし、どれも季節のものだから、滋養もあるだろう。思えば、まともに果物なんか食べたのは、昼の定食に付いていた薄い林檎ぐらいだ。
 充は聞いてもいないのにカバンから大学のマークが入った瓶を取り出し、パッケージを読みあげる。
 「ええと、アロエとへちまの…やだ、ライチの美容成分も配合ですって。何か胡散臭いわね。肌荒れしたらどうしようかしら。
 クラッカーにキウイを載せながら、石川は決意する。

 この病気がうまいこと治ったら、事務局に行ってセキュリティ強化を申し出よう。

 


 石河が目を覚まし、(みつる)との奇妙な会話を始めるよりも、ほんの少し前のことである。
 
 干船(ひせん)市から、やや離れた土地に位置する山の中腹にて、一軒の茶屋が開店の準備を進めていた。その茶屋は、緩やかな山道を歩いてきた登山客に、飲み物や保存食のドライフルーツを提供している。店を切り盛りしている主人はすでに70歳近い老夫人だ。
 店の内部はさして広くもないけれど、主人が休憩するための二枚分の畳が設けられている。足の短い木のテーブルに、小さなラジオ。夫人は、掃除をしたり、飲み物を仕込んだりといった一通りの仕事を終えると、必ずそこに座ってラジオをつける。ここは、山中で電波が届く最後の高度だ。
 その日も、ようやく朝靄が晴れた辺りで、スイッチを入れた。少しの間、事件事故などのニュースが続き、やがて古い音楽に切り替わる。そこでいつもの通り、カリカリという乾いた音が聞こえて来た。勝手口の戸を、猫が爪でひっかいている。ああ今日も来たな…と、夫人は畳を降りてスリッパを履き、その扉を開く。そこには若いメス猫が2匹、並んで夫人を見上げていた。片方は白くて右耳だけが茶色い。もう片方は一回り小柄な、キジトラ。
 2匹は迷うことなく室内へと入り込み、畳に上がると、ふわりとテーブルの上に飛び乗った。夫人はその様子を見ながら、レジカウンターの横に大切に置かれていた、木製の小箱を開ける。中には、それぞれ違う人間の字で書かれたメモの束が入っていた。夫人はそれを大事に取り出して、クリップで止める。

 ラジオの番組は先ほどから天気予報に切り替わり、各地の空模様を伝え始めた。キジトラはテーブルの上に座り込み、目を大きくしながら、耳をラジオに傾けている。白いほうは、尻尾の先端を小刻みに揺らしながら、退屈そうに寝そべっている。しかし、耳だけはラジオのスピーカーのほうにむけてピンと立ったままだ。天気情報は国の中心である王都から始まって、西の海岸地方、北側に広がる寒冷地、この山が位置する山間部…とすすみ、東側の砂漠地へと移っていく。

 『続いて、干船市とその周辺の空模様です。先週の終わりに雨季に入ったこの地域ですが、昨夜辺りから雨雲が徐々に減り始め、現在は晴天となっております。このままの状態がこれから1週間ほど続くとみられ、このまま、雨季の終了となった場合は今夏の水不足が懸念される事態となり…』

 すると、2匹は吃驚したように顔を見合わせた。慌ててテーブルを降り、畳を降り、夫人の足元にやってきて、みゃおみゃおと合唱する。持っていたメモの束を渡すと、キジトラのほうが、口で受け取った。やがて、2匹はそのまま、開けたままになっていた扉から出ていく。

 閉められたドアの向こうで、まだ誰もいない山道を、ぱらぱらと駆けて行く二人の人間の足音がしたけれど、夫人はその姿を確認しようとはしなかった。


 「困った困った…。」

 美弥子(みやこ)は、持っていたメモの束に目を通しながら、わずかに息を荒くして言った。そこには、あちこちから寄せられた、セジン中毒の疑いがある患者(   )たちの情報が、それぞれ細かに書かれていた。全部で7件。
 
 そこは、先ほどの茶屋から出立して、1本の山道を15分ほど進んだ地点だ。障害こそほとんどないが、角度が急である。ゆっくり登っても、汗が出るくらいだ。若干高くなりつつある朝日に、周囲にあるもの全てが輝いた。新緑が芽吹き、(わらび)やぜんまいなどの山菜をはじめとしたシダ類が地表を覆い、むせ返るような生気が立ち昇る。

 「困ったぜぇ、(さき)ちゃん。砂漠じゃあ、しばらく雨降らないってさ。」

 そのきりっとした声には、働き者の、しっかりした性格が表れている。髪を短く切り、小柄で、大きな釣り眼を持った彼女は、今年で17歳になる。
 美弥子に咲、と呼ばれていたのは、一緒に歩いていた背の高い少女だ。薄いショウガ色のショートボブに、アーモンド形の目を持っている。美弥子よりも3つ下だが、外見は大人っぽい。二人とも、薄桃色の作務衣(さむえ)をきて、腰には若草色の前掛けを垂らしていた。足もとははだしに草履である。

 「私が行く。充さんのところ…。」
 咲は美弥子に言った。そのカラリとした明るい声には、絶好のチャンスだ…と言った色がにじんでいる。
 「くそう、まだ諦めてなかったか。」
 美弥子は呆れたように言った。
 「諦めてないもん、諦めないもん。」
 「その根性だけは認めてあげます。」

 昨夜遅く、干船市の大学に赴いている充から、雨に乗ってメッセージが届いた。内容はもちろん、担当している患者に関することだ。こちらで用意した処方箋は、今朝にでも、充の元へ届けるつもりだったのに…。

 篠澤(しのざわ)家の当主である与市(よいち)は、毎日決まったように降り注ぐこの山の滋雨に乗せて、仲間たちに処方箋を送っている。雨が多いこの国では、大抵の場合は間違いなく相手に届くのだが、稀にこういう事態も発生する。そうなると、誰かが、メッセージを直接届けにいかなければならない。しかし、家の者たちは、咲が山の外へ行くことに、あまりいい顔をしない。

 「だってさ、美弥子ちゃん。」
 咲は言った。自分より年上の弟子のことを、兄や姉と表現することが多い篠澤家だが、歳の近いこの二人に限っては、ほとんど友人に近い間柄だ。
 「誰が行かないといけないでしょ。今、与市さん以外の男の人は出払っているし、寛治さんもいないじゃない。だとしたら、私か美弥子ちゃんか、お師匠さまのうちの誰かでしょ。」
 「それはそうだけど。」
 そんな会話をしているうちに、やがて二人は3本の分かれ道に差し掛かった。一本は登山者用の道、もう一本は緩やかなハイキングコース。最後の1本は、一族の人間にしか見えないヒミツの道だ。2人は迷うことなく、3本目を選んで進む。この道はやがて、「花散地(ハナチルチ)」に辿り着く。そこは、この国に生えている全ての草花が、季節を問わずに咲きそろう、百花繚乱(ひゃっかりょうらん)境地(きょうち)である。その最深部に建つのが篠澤一族の、豪奢(ごうしゃ)な屋敷だ。

 「だったら、私しかいないでしょ。屋敷に残ってお師匠さまの仕事を手伝うのはさ、美弥子ちゃんじゃないと。」
 お師匠さま、と彼女たちが呼んでいるのは、屋敷で薬草づくりを一手にまとめ挙げている、万菜(まな)という女性のことだ。彼女の役目を「花守(はなもり)」とよび、代々、女性が就く。

 「そんなことないですって。あんただってじゅうぶん役に立ってますって。」
 「気を使わなくてもいいよ、別に。」
 
 咲はケロリとした顔で言った。実際、毎日菜園の手入れをしたり、薬草になるものとそうでないものを覚えたり、丁寧に花を摘んで乾燥させたり…そんな地味で、繊細で、それでいて重労働も多いこの仕事に、咲はあんまり向いていない。彼女は活発で、好奇心が強くて、たくさんの人と話をしたりするのが好きなのだ。室内で本を読んだり、専門的なことにのめり込んだり、自分で作ったノルマを自分で達成したり…。そんなことが好きな美弥子とは、そもそも性格が違っている。

 「花守は美弥子ちゃんが継げばいいじゃん。私は年がら年中お花畑にいるのは嫌なの。」
 咲は、後ろを振り返った。のびのびとした新緑のはるか向こうに、下界が見える。
 「いいなあ。アタシも薬売りがいい。」

 美弥子はため息をついた。万菜や与市が、咲をメッセンジャーとして使わない一番の理由は、これだ。『処方箋を届けた相手に無理にでも弟子入りしてしまおう』。咲は外回りに出たいあまり、そんな風に考えている。周囲が、薬売りは女性にとって危険な仕事だと何度言って聞かせても、納得しない。いいや、男性たちにだって、危なくないわけじゃない。場合によっては自分で宿主を退治することだってあるし、赴いた先の患者が、必ずしもいい人間であるとは限らない。

 それに、咲が外回りに出るにあたって、無視できない大きな問題が、もう一つある。

 以前、咲は周囲の大人たちに自分を弟子にするよう直談判を行ったことがあるが、若い薬売りたちから『いくら妹同然でも、若い女の子と二人きりで旅をするわけには』…と、早々に辞退された。すでに冬哉を連れて歩いている青にいたっては、そんな申し出に見向きもしなかった。
 そんな中で、狙いをつけたのが充である。弟子も持たず、中性的な妖艶さを持つあの人物に、咲は日ごろからすっかり、懐いている。懐いていると言えば仲がよさそうな感じがするが、実際は勝手にまとわりついているだけ。お願いだから連れて行って欲しいとせがむ少女を、充は冷たい眼できっと睨みつけ、一喝した。

 何でアタシが、あんたみたいな小娘を連れて歩かなくちゃいけないのよっ。

 美弥子は、そんな金切り声を思い出して、シビレるねえ、と呟いた。実のところ、充を慕いたくなる気持ちが、わからないでもなかった。美弥子が一番慕っているのは万菜だけれども、彼女の自分に対する扱いは甘い。怒鳴られることも少ない。それじゃあ成長しないのだから、もっと厳しくていい。

 まあ、美弥子のことはさておき、今回の充の一件は、咲にとって絶好のチャンスという訳だ。充自身の意見はともかく、今は外出の許可を出す万菜と与市さえ説得できれば…といった感じである。
 
 まあ、それが一番難しいと思いますけど…。

 美弥子がそう思いながら振り返ると、咲はまだ、下界を見つめていた。

 「ほら、もう行くぞっ。そろそろ、朝ごはんだし」

 美弥子はそれだけ言って、急いで歩きはじめる。

 今日も、やることは山ほどある。

 
 石河は、切られた果物を一通り食べ終えると、素直に二包目の遅延薬(ちえんやく)を飲み、再び眠りについた。(みつる)が二包目を渡した時、大分しぶった顔を見せていたようだが、黙って睨みつけてやったら言うことを聞いた。意外と単純である。こちらに背を向けて、丸くなって寝っている様子を見下ろしながら、充は大きなため息をつく。僅かに長めの前髪に片手を入れて、かき上げた。

 雨が降らないィ?

 全国の天気予報は、家にいる娘たちによって、欠かさずチェックされている。だから、間違いなく誰かは処方箋を持ってくるだろう。問題は、それが届くまでどれくらい時間がかかるか…。

 どう手を打とうかしら。
 
 充が見たところ、昨日の段階で石河の症状はかなり進行していた。できれば、昼までには薬を飲ませたい。石河には話していないが、遅延薬は、二包目からは効き目が弱い。鎮痛剤をのみ続けると効果が薄まるのと似ているかもしれない。

 とにかく、処方箋が来るまでの間、何とかして時間を稼がなきゃ…。

 カバンの中身を思い返して、頭の中でぐるぐるとその方法を探ってみる。対策がないことは、ない。しかし、この先どういう症状が出てくるか…にもよる。充は髪をかきあげるのをやめて、腕を組む。この二つは、考え込んでいるときの癖だ。すると、近くにあった鏡の中に、尖った顎と細い鼻筋が映っていた。眉間に深いしわが寄っている。

 駄目だわ、青にそっくり。
 充はガラの悪い弟を思い出し、指先で眉間を揉んだ。
 
 フン、弟ねぇ…。
 別に、同じ親から生まれたわけじゃない。弟子同士が年齢順にそう呼んでいるだけだ。篠澤(しのざわ)一族は実際のところ、さる「大きな一族」の中で、決まった体質を持って生まれた者だけが、親から離されて一か所に集まっているだけの集団だ。だから、お互い遠縁に当たる程度の血縁でしかなく、さらに言えば、その詳しい繋がりさえもよく知らされていない。

 まあ、別に興味ないけど…。

 僅かに空腹を感じて、ボウルの上に残っていた小さな琵琶の皮を、ナイフで器用に剝いた。丸ごと口に入れて、うーん、と心の中で唸る。山で採れたもののほうが、ずっと美味しい。そりゃあそうよね。

 「うぅ…」
 その声に、はっとしてベッドを振り返る。石河はいつの間にか汗だくになって、ベッドに上半身を起き上がらせている。
 「暑い…。」
 充はぷっと枇杷(びわ)の種を吐き出すと、慌てて駆け寄り、床に膝をついて覗き込んだ。
 「分かる?聞こえたなら返事なさい」

 答えはない。足から下にかけてある毛布を、じっと瞬きせずに見つめているだけだ。その瞳は、微かに揺れている。

 例の、首から生えた木の芽が、異様なスピードでするすると成長し、首から右腕のわきの下を通って、背中に伸びていく。枝からは、あちこちから木の芽が浮き出し、それらはやがて大きく伸びて、ふさふさとした若葉になった。枝はそのまま伸び続け、左の肩を越えて、スタート地点の首元へと一回りする。そして、次第に、腕や顔にも、うっすらと青い斑点が現れ始めた。

 青いニキビみたいなのが出来て、それから、芽が生えて…。
 石河の言葉が脳裏をよぎる。

 そうだ…。

 充は急いで自分のカバンから医療用の薄いゴム手袋を取り出して装着した。さらに大きなハサミも取り出して、首から生えた木を、根元からバッサリと切り落とす。なぜ、この方法を今まで思いつかなかったのだろう。切り口から、ドロッとしたようなどす青い液体が流れ出る。セジンだ。切った方の枝は、充の手の中で、ざらざらと土くれのようになってこぼれ落ちていく。

 これで少しは、症状の進行が収まるかもしれない…。

 その時、今まで固まっていた石河が、思い出したように肩で大きく息をし始めた。
 「大丈夫?わかる?今ね、枝を切ったから。少しはいいと思うわよ…。」
 その言葉に、ゆっくりと顔をこちらに向けた。目の焦点があっていない。
 「に、二重に見える…。ジャングルの、あの景色と、俺の、部屋と…」
 そう言いながら、自分の両腕を持ち上げ、手の平を見た。指の間、爪の間から細かな糸のようなものが出始めている。充は手袋をしたままで、そ手を取って見つめた。

 「あ、これ…俺の手?」
 声を震わせながら、石河は目を見開く。 

 「落ち着いて!足も見せてちょうだい。」
 そう言いながら、かけてあった蒲団を払う。足の裏からも白く細い根が生えていた。寝巻代わりにしていた薄い綿のズボンの裾をめくると、腕と同じように、丸い染みが出来ている。

 「これって、何が起きてるんですか…。」
 「言ったでしょ。宿主と同じ姿になるの。」
 「じゃあ、俺はこのまま…『森』になるのかな。」

 充は、眉を寄せて聞き返した。
 「何ですって?」
 宿主はあのトコヤシとかいう、木のはずだ。だったらこのまま、木に…。

 「寝ている間、ずっと夢を見てた。あの、ジャングルの夢…」
 確かに、充が忍び込んだ石河の白昼夢は、熱帯雨林の1角であった。今も、同じ場所での夢を見続けているのだろうか?

 「あの木は、森そのものだったんだと、思うんです。」

 それだけ言うと、石河は再び、瞳を硬直させて黙りこんでしまう。『森そのものだった』?意味が分からない。あの木は、一体何がしたいのかしら…?
 普段は無感情のものでも、セジンによって、人間のような考えや感情を持つことも、稀にある。そうだとしたら、何か目的があって、この男にジャングルの夢を見せている…?

 深夜の熱帯園で、力なく座り込む少女。
 彼女はもう、誰かを襲う力はない。
 つまり、自分の寿命がもうすぐ尽きると分かって…長い年月見続けて来た風景を、生きて来た記憶を、誰かに伝えようとしている?セジンの力を借りて?

 ああ、もう。
 手の平で両目を覆う。寿命の二文字が、自分の中の、思い出してはいけない記憶を揺さぶっている。
 充は、何かを振り払うようにぶんぶんと頭を振ると、壁にかかっている時計を見た。もうすぐ正午に差し掛かっている。

 遅い…。
 まったくもう…誰でもいいから、早く届けに来なさいよ…。

 充は舌打ちしながら、カバンから足付きの香炉を3つ、ナイフ、乳鉢を取り出して床に並べた。次に木製のトランク型の箱を取り出し、中を開ける。
 試験管、小瓶、布の包み。
 きっちりと整頓されたその一つ一つには、薬草が種類ごとに入れられている。その中から、白い更紗(さらさ)の端切れに包まれた大量の黒い花びらを取り出し、全てをハサミで千切りにした。それから、木の皮、香辛料、魚のうろこ…。出したものをそれぞれ手際良く、乳鉢で叩いたりつぶしたりして、フリカケのようなものをこしらえる。それらを均等な量になるようそれぞれの香炉に入れ、マッチで火をともした。
 
 すると、にわかに刺激のある、濃厚な香りが立ち昇る。
 
 そこでもう一度カバンをさぐり、今度は薄紫色の扇子をとり出した。床に座り込んで、石河に煙が行くよう、ゆっくりと仰ぐ。これは、薬煙(やくえん)を呼吸器官から吸い込むことで、遅延薬と似た効果を与える方法だ。相手が口を開けられない状況の時に用いる。しばらくすると、石河はげほげほと咳こみ始め、皮膚にできた染みが、わずかに薄くなった…。

これなら、しばらく大丈夫だわ…。

 自分は、一体、誰だろうか。

 大きなかたつむりが、長い時間をかけて、目の前を横切って行く。

 その間に、どこか遠くで猿が吠え、長い尾を持つ鳥が、茂みの中にちらりとその体毛をのぞかせて、すぐに消えた。

 弓や槍を持ち、全身に模様を描いた部族の男たち。
 彼らの中の一人が、仕留めた獲物の中から、オウムを一羽だけ、かかげ持つ。
 まだ、息がある。
 その喉元にナイフが突き刺される。大量に滴り落ちる血。彼らは何かを呟きながら、じっと森にたたずむ自分の周囲にそれを撒く。狩りに出て、何か収穫があると、決まってそうする。

 ふいに、ざばん、という大きな音がした。
 水面近くを飛ぶ虫を食べようとして大型の魚が踊り上がり、着水したのだろう。
 川の水面に、大きなさざ波が立っている。
 すでに、姿は見えない。
 

 おもむろに、周囲が暗くなった。
 空の高いところで、雷鳴が鳴る。
 すでに周囲に人間の姿は無い。
 スコールの気配を感じて、早々に身を隠したのだろう。
 1粒の水滴が、ぽつり、と物を打つ音。
 それが千、万、億と積み重なり、やがて訪れる無音の世界。
 雨がやみ、陽に照らされて水滴が光る。二重の虹が立ち、身を隠していた獣が、木から木へと飛び移る。

 やがて闇が来て、腹をすかせた肉食獣が、目を光らせながら徘徊を始める。また朝が来て、小動物が木のうろで子供を産み、その木が倒れて朽ち、やがて養分になって低木が生え、それをまたいで通った少年がいつのまにか老人となってこの世から消え、毎日森に陽が差して雨が降り、泥が跳ね…。

 これらの光景は、長い長い年月にわたって繰り返されてきた美しくも過酷な世界だ。
 
 あの森の、日々の営みは、今この瞬間も続いている。

 しかし、自分にはもう見ることは出来ない、戻ることも出来ない。

 引き絞られるように心が痛み、自分に残された時間の短さを感じた。
 自分はこれからどこに行くのだろう。
 
 怖い。


 その時、にわかに、目鼻に刺激が走った。とんでもない速さで、自分の意識が、どこか遠くへ引きずられていく。
 目頭と、頬が熱い。


 陽が、傾き始めている。
 煙が(みつる)満している部屋の中で、窓を見ながら充は思った。いい加減に、焦りが募る。
 香炉に継ぎ足すために大量に作り置きした薬が、すでに底をつきつつある。もう、この方法は限界だ。次の手に移らなければ。それに、目の前の患者(   )は、もはや人の形をしていない。一時は色が薄くなったかのように見えた青い染みは、時間の経過によって再び色が濃くなりだし、小さな腫れものとなり、あらゆる違った種類の植物が萌芽した。これは、仕方ないことだった。初めは効果のあったように見える薬煙(やくえん)も、結局のところ、毒の歩みを緩めることしかできないのだから。
 充は、最初のうちこそ、成長を始めた植物から順にハサミで刈っていた。しかし、しだいに追いつかなくなって、やめた。あるものは大きく成長して葉を茂らし、あるものは蔓を伸ばして石河半身を覆い、あるものは極彩色の花をつけていた。その様子は奇態であり、不思議と美しくもあった。

 俺、森になるのかな…。
 石河の言葉が頭に浮かぶ。

 確かに、これは森だ。1本の大樹が育てた、多くのもの。
 自分が落とした葉や枝が肥料となり、それを糧に萌芽した多様な草木たち。その中で、生死を繰り返した、昆虫や、あらゆる菌類。あるいは体内で育てた生き物たちだ。

 その時、突然石河の体が、ひくっと動いた。
 驚いて見つめていると、細いツタが絡まった顔の、目のあたりが僅かに赤い。慌ててその顔を覗き込むと、はらはらと子供のように涙を流していた。意識を取り戻したのか?

 「怖い…。」

 固くなった口から、小さな言葉が漏れる。

 「怖い?何が怖いの?」

 充は聞き返した。これは、石河の言葉か、それとも…。

 
 「ひとり、が…」

 微かに、唇を震わせる。

 「ひとりで…逝くのが…」
 
 (みつる)は、よろよろとその場に立ち上がった。
 ヒトリデ、逝クノガ、コワイ。

 残っていた最後の薬を香炉に補充した。
 しゃがみ込んだまま、両手で額を覆う。
 胸の中で何かが暴れている。行くべきでないという思いと、行かなければ、後からたまらない虚しさに襲われるであろうという思い。これは行きたい、という気持ちではない。むしろ、断じて行きたくない。

 そうか、怖いのは、アタシのほうか…。

 充は、カバンの底から大ぶりのナイフを持ち出して、ポケットにねじ込む。誰かに見られたらとか、この場を離れたらまずいとか、そういう冷静な葛藤は、どこかに追いやってしまった。

 初夏の夕暮れ。
 敷地内に広がる芝生の上を、寄宿舎から飛び出した三毛猫が熱帯園に向かって、猛スピードで駆けて行く。それを何人かの学生が目撃したようだが、幸運にも、興味を持つ者はいない。
 やがて、静まり返った熱帯園の中に、ガチリ、ギチリ…という、鋭い金属音が響き渡った。その音は、しばらくの間まるで格闘するかのように鳴り続け、やがてガシャン、と大きな音を立てて、入口の鍵が地面に落ちた。鍵を壊すのに使ったナイフは、再びポケットにねじ込む。

 充はそっと園のドアを開け、中に入る。むせかえるような湿気と温度、そして土の匂いが鼻をついた。鬱蒼とした葉の大きい木々が、ただでさえ淡い太陽光を遮って、暗い。順路に沿って敷かれた石畳の上を迷わずに進んでいく。幸い虫や小動物の類はいないらしく、物音一つしない。自分の靴音が、その空間に場違いに響き渡った。別に、このくらいのことを気味悪いとは思わない。ただ、水草が浮いた池が設けられており、石畳の一部は、その上を渡すように作られていた。暗く、とろりとした水の中に、見たことのない魚が波紋を作って泳いでいる。そこを渡るときだけが、何だかとても嫌だった。

 異様な緊張感の中、がつっと妙な音をたてて、前のめりにバランスと崩した。
 これで3度目。履いているヒールのかかとが、石板と石板の間にはいって、転びそうになる。仕方なく両方脱いで片手に持ち、黙ったまま、裸足で歩いた。

 ヒール、最初に買ったのは幾つだったかしらね。

 ひたひたとぬるい温度の石畳を歩きながら、そんなことを考える。猫なんて自由なもんさ、好きなように生きろと、肩を叩いてくれた人は、誰だっけ?
 人の背丈ほどもある蘭や、袋状に垂れさがった、ウツボカズラ。そして原色の花々に、たくさんのシダ類が、奥へ奥へと歩く充の両肩をかすめて行く。それら植物中のいくつかは、石河の体に寄生しているものと同じであった。そしてようやく、園の最深部まで辿り着いたところで、立ち止まる。そこから先は、石畳ではなく、黒く湿った滋養のある土が広がっていた。ヒールは履かない。どうせずぶずぶと沈んでしまって、歩きにくいだろう。

 大きな円形の囲い。その中に、ぼんやりと青く光るあの少女が、胎児のように体を丸めて、倒れ込んでいるのが、離れた位置からでもわかった。充は温かい土を一歩一歩踏みしめながら近づいて行き、柵を越えた。そして、少女の傍らにしゃがみこむ。瞼が半分だけ、力なく閉じられていた。かすかだけれど、まだ意識があるかもしれない。

 ヒトリデイクノガコワイ。

 あれは、この少女の感情が石河に流れ込み、その口を借りで出て来たものだ。この木の命は、もうすぐ、尽きる。

 真っ黒なウェーブがかった髪の毛に、そっと指を入れて梳かしてみた。それは、間違いなく人間の髪の毛の感触だ。充は、目の前の少女に、それ以上何をしてやるべきか分からなくて、ただじっと見下ろしていた。
 
 これじゃあ、あの時と同じだわ。
 
 心の中で、そう悔やんだ。空いた方の手で前髪をかきあげる。

 アタシは、何も、変わってない。

 あの時も…「あの子」が逝ってしまう時も、自分はこうして、唇を噛んで睨みつけているしか出来なかった。

 思い出さないようにしていたはずの記憶が、ありありと蘇る。血の気のない、真っ白な頬。人間の姿では、どこからどう見てもまだ10歳だったのに、その死因は老衰だった。

 あの子には、「クロモノ」が効かなかったんだわ…。

 生まれた時の自分たちの寿命は、猫のそれと同じである。そのまま放っておけば、10~13歳で内臓が老いるが、篠澤(しのざわ)家だけで作ることができる薬を服用することで、寿命を延ばすことができる。しかしまれに…充の弟子のように…薬が効かない者も生まれてくるのだ。

 あの時、アタシは泣かなかった。どうしても、涙が出てこなかった。

 充の手の中で、少女の目が、微かに開いた。黒々とした瞳が、こちらを見上げている。
 その視線をそらして、深く、強く、瞼を閉じる。
 再び目を開けた時、少女の目は、すでに固く閉じられていた。

 充は、絞り出すようにして、言った。

 「いいところに、逝きなさい。大丈夫だから。」
 すると、少女の口元がほんの少し、動いた気がした。
 
 おししょうさま。

 その声にはっとした瞬間、少女の姿はかき消えた。ばりばりと大きな音をたてながら、巨木は根元だけを残して、ゆっくりと横に倒れていく。思わず、土の上に膝と手をついた。巻き込まれてなぎ倒された周囲の木々や鉢植えが、派手な音を響かせる。ドームのガラスが数枚巻き添えとなって、外の乾いた空気が中に吹き込んだ。石河の話にあった通り、折れた幹の内部には、大きな空洞が…。いびつなレンコンの断面図のようだ。
 
 充はその場にしゃがみこんだまま、動かない。目の前には、自分の膝と、土にめり込んだ両手があるだけだ。自分の傍らに、いつしか、誰かが佇んでいるのは分かっていた。膝上までのハイソックスを履いた、ショートパンツの女の子。

 「お師匠さま…。」

 明るくて、からっとした声。
 それでも、充は顔を上げない。情けない表情を見られたくない。

 (さき)、と小さく呟く。

 「あんたの師匠は万菜(まな)でしょ。」

 少女はすぐ隣にしゃがみ込むと、一枚の白い封筒を差し出した。背負っている小さめのリュックの金具が、かちゃりと音をたてる。

 「与市(よいち)さんがとうとう、許してくれたの。充さんに着いて行ってもいい、って。はい、これ処方箋。」
 充は土のついた手のままでそれを受け取った。
 「アタシは、納得しないからね…。」
 「ふん、だ。いいもん、別に。」
 咲は、細い腕を充の腕に絡ませると、コロコロと喉を鳴らした。
 
 「ああ、もう、鬱陶しいわね…。大体、来るのが遅いのよ。危うく手遅れになるところだったじゃない」
 
 「じゃあ、急いで患者(   )さんのところにいかないと…。今の音で、人が集まって来るよ。」

 

 封筒に入っていた処方箋を読み返しながら、なるほどね…と呟いた。目の前では、コンロに乗った大ぶりの薬缶(やかん)が2つ、しゅんしゅんと音を立て始めている。
 そこに書かれていたのは、飲み薬ではなく、なんと「薬湯(やくとう)」の作り方。風呂桶に材料を入れて、そのエキスがたっぷり出るまで、足で踏め…となっている。そこにお湯を入れて、患者(   )の体を浸す。

 「ねえ、もう、足が真っ黒。まだ踏むのォ?」

 開け放たれた窓の外から、そんな声が聞こえた。振り返ると、夕暮れの庭に置かれたバスタブの中で、(さき)が頬を膨らませている。
 「うるさいわね、まだよ、まだっ」
 篠澤(しのざわ)製薬で最もよく使う、ぬばたまの花。その名の通り真っ黒な花びらを持つ薬草で、花散地(ハナチルチ)にしか咲かない。その実もまた黒く、今回はそれを用いている。また、ツユクサの乾燥したもの、薬草数種をそれぞれ違うやり方で刻んだもの、塩、お酢。それらをつぶすために、咲はかれこれ30分ほど、はだしで足踏みしていた。
 二人が急いでこの部屋に帰って来た時、石河はすでに、花を生ける時に使う、剣山のようであった。(みつる)は、ひゃっ!と声をあげ た咲を睨みつけ、そして後悔した。やっぱり、部屋を離れるべきではなかった。
 これはアタシの気まぐれだわ、完全に…。
 自分にどんな過去があったにせよ、宿主を見取る必要はない。患者が最優先でなければならないのに…。湯が沸騰したのを確認して薬缶を持ち上げ、庭に向かう。このバスタブは、狭くて作業がしづらい石河の浴室から二人がかりで移動させたもので、庭に設置するなり、充は薬剤と一緒に咲を放りこんだのだ。そして、いまようやくその足踏みから解放された咲は、家の中に入って行って、もう一つの薬缶を取ってくる。充は片手で運べたけれど、咲は両手で持っても重そうだった。足元がおぼつかない。
 「ちょっと、火傷しないでよ。」
 そういいながら、先に湯を注ぐ。すると、酢酸とぬばたまの匂いが混じった、とんでもない刺激臭が立ち昇る。後から湯を注ぎ始めた咲はまともにその湯気を吸いこんで、激しくくしゃみを繰り返した。湯の加減がいい頃合いになったところで、今度は二人がかりで石河を運び、湯船に落とさないようゆっくりと体を沈める…。

 「あ、植物が…」

 咲が、鼻を押さえながら言った。湯につけてから数分、次第に体から生えていた草花がしおれ始めた。石河の額に、青色に光る汗がにじみ始める。毒が体内から抜けたのだ。ようやく充はほうっと安堵のため息を漏らした。

 ああ、良かった。
 
 ゆっくりと小さな縁側に腰を下ろし、煙草に火をつける。大きく煙を吸って吐き出すと、どっと疲れが出て気がした。いつの間にか握りしめていた処方箋は、すっかりクシャクシャだ。放りっぱなしになっていた封筒に戻そうと中を開ける。そこには処方箋のほか、名刺と薄い便箋が一枚ずつ。そして、次の仕事先の詳細が示されたメモが入っていた。
 最初に便箋を取りだす。そこには処方箋に書かれていたものと同じ字が並んでいる。『充お姉ちゃんへ』…妹の万菜(まな)からだった。隣に腰かけている咲は、真っ黒になった足をぶらぶらさせて遊んでいる。こちらには気付いていない。咲に覗きこまれないうちに、すばやく目を通すことにする。

 「咲は昔から好奇心が強くて、ずっと外の世界に憬れてきました…それはお姉ちゃんも知っていると思うけど。今までは何とか言い聞かせて来たけど、大人になりつつあるこの頃は、もうそれも難しいの。

 それでね、私、自分の思考回路をあちこち組み替えてみました。

 そうしたら、私たちが持っている人生の選択肢が、とても少ないことに気付いたのです(この歳になってからで、お恥ずかしい)。だからせめて、その少ない選択肢の中で、選ぶことができるものは選ばせてあげたらいいんじゃないかと…思ったわけです。

 咲は単純な子だけれど、明るくて前向きで、力強いものを持っています。きっと、お姉ちゃんの足取りが重くなった時、腕を引っ張ってくれると思うんです。迷惑をかけることも多いと思うけど、どうか咲をよろしく。何より、あなたを慕っているから…。
 
 追伸、帰りにお魚を買ってきて欲しかったりして。まな」

 んもう、勝手なんだから。
 もう一枚は、充の持っている名刺と同じ色のものだった。片面には、「売薬担当 篠澤与市(よいち)」と書かれてある。
 与市さんてば…まぁだ、こんなもの持ってたのね。
 しばらく前に当主を継いでからは必要なくなったはずだが、どこかに残っていたのだろう。

 裏返すと、小さなスペースに大ぶりの字で書かれた、短い言葉が一行。

 『二人とも、気をつけて帰ってこい』。

 充は短くため息をつくと、再び煙を吸った。まったく、敵わないわね、この夫婦には。

 それとほとんど同じタイミングで、バスタブの中から悲鳴にも似たうめき声が上がる。

 「うあ…くさっ…」
 すでに体に生えていた草花は枯れおちて、真っ黒な湯の中で無残に浮いている。やっと意識を取り戻した石河が、体勢を変えないまま、何ですかこれ…と訊いた。

 「薬湯よ。薬湯。やっと処方箋が届いたの」
 「どろどろじゃないですか。」
 「良薬は口に苦し、でしょ。見た目の悪いもんほど効くのよ。きっと先生の手足から生えた根っこが、薬を吸いあげたんだわね。気分はどう?」
 「帰って来たんだな…っていう感じ…かな。」
 「それは良かったわね、お帰りなさい。」
 煙草を口元へ運びながら、空腹を感じた。夕べから枇杷(びわ)しか食べてない…。

 「なんだか、まだ、ずっと遠いところにいた感じが残っている気がします。」
 石河は、真っ黒に染まった寝巻のまま、その場に立ちあがってバスタブの縁に腰かけた。立ちくらみがするのか、ぶんぶんと頭を振っている。

 「もう何が何やら。俺、夢の中でずーっと…同じ位置に立っていました。昨日白昼夢で見たのと同じ場所です。感覚としては、何十年も何百年も経った気がする。ほんの7~8時間の夢でしかないのに…。」
 そう話しながら、薬湯が滴っているパジャマの上着を絞る。バスタブの中に、じたじたと水滴が落ちた。
 
 「自分がこの世にいる間に、誰かに自分の記憶を残そうと思ったんでしょう。結局、その相手がどうして先生だったのかは、分からずじまいだったけど…。」

 充は、親指でぽんと煙草をはじいて、庭の砂地に灰を落とした。普段はそんなだらしないことをしないが、今は面倒くさかった。
 「ということは、あのトコヤシの女の子は…どうなったんですか。」

 さあ…と、充は首をかしげる。
 乾いた風に交じって、砂漠の砂が頬に当たった。雲ひとつない空は、傾きかけた太陽のせいで、薄い朱色に染まっている。

「その子、どうしたんですか?」
 ふとくすぐったさを感じて脇を見る。すると、そこには片耳だけ茶色に染まったメス猫が、ごろごろと充の腕に頭をこすりつけていた。
 「懐っこいんですね。野良猫拾ってくるのはいいですけど、一応この部屋も借りものなんで、拭き掃除はしておいて貰えますか…?」

 そう言われて振り向くと、真っ黒な猫の足跡が、部屋中に点々と広がっていた。

「咲!」
 
 叱られた猫は、耳をペタっと下げたまま、その場でうなだれた。

 「『かつて、この国では大きな乱が起こった。』…と、王祖(おうそ)物語の冒頭には、そう記されています。」

 石河は、まばらに座った学生たちに向かって話した。今のところは、寝ている学生はいない。

 「他の書物や年代記と照らし合わせてみると、その『動乱』は、今からざっと千年ほど前に起こった天変(てんぺん)の乱ではないかという見方が強いです…習ったことあるだろ?天変の乱。」

 それは、この国の教育において、歴史の授業で必ず取り上げられる、太古の戦乱の名前だ。

 「では、次の文。

 『それまでこの国を治めていた大きな勢力が衝突し、全ての民草をも巻き込んだ、恐ろしく大きな戦であった』。

 大きな勢力…それが何を示すのか、ここでは言及されていません。この本は歴史書ではなく、あくまでも神話に近いものであるということを覚えておいてください。

 『国土は焦土と化し、天は煙で覆われた。やがて冬を迎え、人々は怪我や寒さ、飢え、あらゆる奇病に侵された。それを見たある若者が、最も大きく深い山に、たった一人で登りはじめた』。

 この若者…男性ですが…の名前は、王族によって伝えられ、系譜などにも記述されています。でも、やっぱりここでは出て来ない。理由は諸説あります。渡したプリントに解説があるので、後で目を通しておくように。それから、男が登ったという山は…そうだな…今で言うところの「東の山間部」あたりかな。それは、この後の話で出てきます。

 『若者はその村で代々続く医家の息子であり、周囲のものを救わんとしていた。家にある薬や、薬草は全て戦で焼かれ、残らなかった』。

 山に登ったのは、薬草を取るため…という印象が残る文だけど、季節は冬ですね。山に分け入ったところで、薬草どころか枯葉すらないわけです。では何を探しに行ったのか?注釈を見てください。「男は四季を通して様々な木や草や花が生えそろう土地への、入口を探した」となっています。
 先ほど、この『山』は、東の山間部あたりだと言いましたね。山間部には、古い言葉として『ハナチルチ』というものが伝えられています。このハナチルチ、土地の人の言葉では、『全ての花が(さき)きそろう土地』という意味です。

 『20日目の朝、若者は白い着物の女と出会う。それはふくろうの化身であり、花の聖地の主であった』。ふくろうが、今でも薬局や病院のマークとして使われているのは、みんな知ってるよな…知恵のある鳥、薬の知識を持っている動物、という印象はここから来ています…。」

 そこで、わずかに喋るのを区切った。すかさず、前のほうにいた男子学生が、女神は美人でしたか…と質問する。石河は、首をかしげながら微笑み、さあ…美人だったかもな?と答える。

 「ただし、昔と今とじゃあ、美意識の感覚が違うからな。今の男性が見たらちょっと…ってこともあるかもしれない。さて、『女は、自分の婿となれば、聖地で薬草を摘むことを許し、病の治療法も教えると話した。若者はその言葉通り、薬草と知識、人間の女に化けた女神を伴って、下山した』…。

 この主人公の男は、こののち、多くの人間たちを救いました。そして、弟子になりたいもの、男を慕うものが多く現われ、戦で疲弊していたこの時代の民衆から、統治者として認められていきます。

 『やがて若者は自分の集落、そして周辺諸国を統治し、領土を広げ、やがてこの国の王となった。女神との間に生まれた子々孫々もまた、医術に秀でていた…』。」


 そこまで話をしたところで、石河は腕時計を見た。講義の終了時間である。黒板からチョークを離して、次の講義時間までの課題を言い渡した。学生たちががしゃがしゃとと文具を片づける音が響く。
 ここは、2週間前に白昼夢をみたのと同じ大講義室だ。講義内容はあの日の続きで、王祖物語の現代語訳とその内容。石河は、授業に使った教材の書籍や出席表を手早く片づけ、黒板を消す作業に取りかかる。2週間前と違って、本日の講義は昼食前であり、心なしか学生たちは急ぐことなく、教室を出ていく。
 あの風変わりな薬売りが去って以来、体はすっかり元通りだ。おかしな白昼夢に襲われることもないし、急な耳鳴りに悩まされることもない。とにもかくにも、「篠澤(しのざわ)(みつる)」は、自分の義務とやらを果たしてくれたようである。

 びっしり書かれた自分の字をようやく消し終えてから座席を振り返ると、講義室の隅に女子学生が数人、輪になっているのが目に止まった。その中心にいるのは、男性のようである。きゃあきゃあという黄色い声が、ここまで届いてくる。話に夢中になり、石河が腕組みして睨んでいることも、輪に近づいて行くことにも、気付いていない。

 この大学の周囲には、説明するまでもなく、女の子が喜ぶような店はない。、簡単な日用品や食べ物なら、キャンパス内にある商店で手に入るが、女子学生がまともにオシャレをしようと思えば、隣町まで出る必要がある。それをねらって、大学関係者をよそおい、化粧品の営業や洋服のカタログなどを持ちこむ業者があとをたたない。
 教職員の光る目をかいくぐって講義に忍び込んだらしいその男もまた、そういう類の人物であるらしい。すっきりした細身にグレーの背広、同色のネクタイ、縁の細い眼鏡。なま白い細面の顔に、涼しい切れ長の眼もと、通った鼻すじ。いかにも若い女性の目を引きそうな容姿だ。

 へえこの紅カワイイ、指で塗るタイプだァ、この入れ物って(はまぐり)の形ですか?、おじさん私こっちの色がいいな、きゃあきゃあきゃあ。
 
 男はにこやかに笑いながら、さも穏やかそうに、学生たちの質問に答える。

 「お嬢さん、よくご存じですね。これは確かに、漆塗りの蛤です。わが社はもともと製薬会社でして…。昔、こうして蛤に塗り薬を入れて持ち歩いていたことにちなんで、僕がデザインしたのです。中に入っている紅の素材は、100%自家栽培している紅花を…」

 「何してるんだ?」

 学生たちはそこでようやく、石河の存在に気がついた。
 ギョッとしたように身をすくめている。

 「許可のない売買行為は退学だぞ。事務局に知らされたくなかったら、ほら、散った散った。」

 学生たちは、にわかに退学の二文字に青くなる。見ていた商品をしぶしぶ男に返し、残念そうに講義室を出ていく。男はこちらを振り向かないまま、懐からシガーケースを取り出して、スリムな煙草を1本、抜きだした。
 石河は、背後からさっとそれを奪い取り、ここは禁煙です、と叱る。
 「あら、そうなの?」
 上半身をねじって後ろを振り向きながら、その人は言った。
 「当たり前じゃありませんか。」
 男は眼鏡をはずしながら、固いのねえ…と呟く。仕事に失敗して苦々しいのだろう。眉間にしわが寄っている。

 「それより突然どうしたんですか、(みつる)さん。治療費はお支払いしましたよ。」
 「人聞きの悪いこと言わないでちょうだい。先生の様子を見に来たんじゃないの。アフターフォローっていうやつ。どう?その後問題ない?」
「おかげさまで…って言いたいですけど、アフターフォローに来た人が、自社製品売り込んだりしますか?そっちが目的だったんじゃありませんか?それにその服…」

 ああ、これネ…といいながら、充は横を向き、足を組んだ。

 「結構似合うでしょ。ウチの若いのからちょっと失敬してきたの。」

 石河は大きなため息をつく。正直、似合うのは認める。もっと言えば、黙って座っていれば、もっと似合う。言えば怒るだろうから言わないが。
 「でも、ま、元気そうでなによりね。なかなか面白い授業だったわ。」
 「いつから授業に忍び込んだんです?全然気付かなかった。」
 そうね、中盤辺りかしら…と壁にかかった時計と見ながら答える。

 「王族の起源…ていうのは、一般的にはああいう内容の話なのねえ…」

 その言葉は、ちょっと意外性を含んだような声色だった。

 「どういう意味ですか 。」
 「アタシが知ってるのとは、だいぶ違うわ。」
 
 そう言いながら、足もとに置いていたらしいビジネスマン風のカバンに、「自社製品」を丁寧にしまい込んだ。このカバンもまた、誰かのものなのだろうか。

 「細かい点に関しては、書物によって違っていたりもしますけど…でも…。」
 筋書きだけなら…どれをとっても同じはずである。

 「アタシの知っている王祖(おうそ)神話、聞きたい?タダで授業聞かせて貰ったお礼に、教えてあげてもいいけど。」
 結構です、とは言えないのが、職業病だろうか。ちなみに、時間もある。
 どう答えようか迷っていると、充はふふん、と笑った。

 「聞きたいって顔してるわね。まあ、座ったら。あのね、『人々はあらゆる奇病に侵された。それを救うため、冬にもかかわらず若者は、花の聖地を求めて山に登った』っていうくだり…。私が知っている話ではね、季節が初夏なの。ちょうど今の季節ぐらいかしらね。戦乱で傷ついた民衆を救うために、若者は自分の持っている医術の限りを尽くしたわ。確かに、家にある薬草はみんな戦火で燃えてしまったけれど、周囲の山々にはたっぷり生えていたから、それを利用したのね。」

 促されるまま椅子に座りかけていた石河は、聞いたこともない筋書きに、ぽかんとしていた。もちろん、充の口調にからかっている雰囲気はない。

 「でもね、戦の混乱から生まれたあらゆる病気の中で、たった一つだけ直せない『謎の病気』があったんですって。それを治すのには、『聖地』にしか(さき)かないと言われている花でなければ駄目だと分かったの。だから、男は山に分け入ったのよ。」

 ちょっと待て、それでは本当に、話が変わってくるではないか。
 しかし、話に割って入ろうとした瞬間、ざあざあという雨音が耳に入ってきて、驚いて辺りを見る。そこには、いつもの変わらぬ講義室がある。スコールはもう降っていない。ただ、窓を打つ雨音が、激しさを増しただけだ。

 充もまた、ちょっとだけ窓の外に目をやりながら、話を続けた。

 「20日目の朝に、『花の聖地』の主に出会うところは、同じだわね。でも、それはふくろうでもなければ、着物の女でもない」 
 
 充は、ちょっとだけ目を細め、猫よ、と呟いた。

 「1頭の大きな山猫が、目の前に現れたの。『聖地に行きたければ、主である自分の力を手に入れろ』って…。」
 
 山猫?それこそ、聞いたことがない。どうしてそこで、猫が出てくるんだ?
 
 「男は、じゃあ、その山猫と…結婚した?」

 違うワ、と充は即答する。それからすこし間が空く。

 「殺したのよ」。

 「こ」

 「殺したの。殺して、その肉を食べた。そうすることで、、『聖地へ出入りする力』と、『膨大な薬草の知識』、そして『謎の病気を治療する力』…の、3つを手に入れたと言われているわ。」
 
 食べた?山猫を?王族の起源神話に、そんな血なまぐさい展開があるものか。石河は思わず不安になる。もし、このことが王宮関係者の耳にでも入ったりしたら…。しかし、そんな心配をよそに、目の前の人物はケロリとしている。そもそも、『謎の病気』とは一体…。

 「ね?先生の話と違うでしょう、だから私も驚いてるの。まだ、続きがあるけど聞く?」

 石河は、おそるおそる、ぜひ…と頷いた。不安だが、興味はある。ちなみに、時間もまだ大丈夫だ。

 「その後、男は『聖地』へ赴いて、必要な花を摘んで帰り、その病気にかかった者を治療することができたの。」
 「それじゃ、女神との婚姻は?今の王族たちは、その女神の子孫だと語られているのに…。」
  「うーん、男が誰と結婚したか、詳しい話は知らないわ。ただ、その男と結婚相手の間に、最初に生まれた子供は双子でね。一人は人間の姿で生まれたけれど、もう一人は…。」

 もう一人は…。

 「山猫の姿だったそうよ。」

 猫…。

 「あとは同じ。男は民衆から慕われて、やがて国家を形成するにいたった…。双子の片方…人間の姿で生まれた子は、小さい頃から頭が良くて医術につよい関心があり、『王の座』を継いだ。猫の姿をした子は、生まれながらに『3つの主の力』を持っていたために、『山に入って聖地を治めた』だ…。それ以来、王族の中で双子が生まれると、その片方は必ず人の姿をしていないんですって。」

 石河の頭の中は、ぐるぐると回転を続けている。今の話の、数か所が…なにか妙に引っかかるような。

 「その話はどこで聞いたんですか?充さんの作り話じゃ…ないですよね。」

 違うわよ失礼ね、と充は眉を寄せた。

 「それに、アタシはわざわざこんなふうに話を作り直すほど暇じゃないわ。これはね、私の一族に伝わっている話。」

 一族に伝わっている?
 『謎の病気』?そして、それを『治療する力』?

 2週間前、石河と初めて会った時、充は非常階段の踊り場で、「セジンを見ることができるのは、『ウチの人間』だけ…」と言っていたような気がする。

 ということは…。

 「その、謎の病気って…まさか、セジンのことじゃないですよね?」

 充はその言葉にちょっと目を見開いた。

 「あ、そんなわけないですよね?あくまでも、神話の1パターンってだけですよね。だって、もしそうだとしたら、充さんは猫だってことになるし、おまけに、王族の一部ってことになってしまいますからね。そんな、まさか…」


 充は、石河の言葉に肯定も否定もしない。


 ただ、口の端を釣り上げるようにして、笑った。

雨の降る日に、猫は鳴く vol,2 「スコォル」

雨の降る日に、猫は鳴く vol,2 「スコォル」

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-10-03

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