ファミリー

ファミリー

君を抱きしめるチャンスが有った時
僕は自分の背丈と同じくらいの楽器を抱えていた

君を車で誘おうとした時
助手席はリクライニングされて大きな楽器が横たわっていた

あの時 楽器さえ無ければ もうちょっと違った運命が有ったのかもしれない


もちろん僕に君を抱きしめるような資格が有ったのかは解らないけど


それで こんなストーリーを書き綴っているんだ

Ⅰ

父が離婚した。
そう言うと、ちょっと言い方がおかしいかもしれない。父と母が離婚したのだ。
でも、どう見てもあれは、父が離婚したとしか言いようがない、ワンサイドゲームのような話だった。

家族にしてみれば青天の霹靂というやつだ。もちろん離婚を切り出された母もそうだっただろう。
銀婚式を迎え、今度の三月には弟も高校を卒業するという頃だ。今さら何を思って、家族をばらばらに分解させるのだろうと、ちょっと不可解だったが、父の言い分にも一理有るとは思った。

我が家は六人家族。父と母、兄と私と弟の三兄弟、それにお祖母ちゃんだ。
それぞれのキャラクターを表現すると、父は放任主義の子煩悩、母はゴーイングマイウェイ、お祖母ちゃんは口煩い昔気質、兄と弟は母に似て、我が道を行くタイプだし、男兄弟に挟まれた娘の私は、自分で言うのもなんだが、しっかり者の姐御タイプだ。
母に言わせると
「笙子はお祖母ちゃんそっくり。しゃべり方も、声の大きさも。」
という事になるらしい。

父もお祖母ちゃんからの血を受け継いでいるはずだから、私と同じようなタイプのはずなんだが、今までは優しくて大人しい性格だと思っていたんだ。
今回の反乱までは。

反乱。そう、今回の出来事は父の反乱と言っても良いだろう。
ある意味ではしいたげられていた立場からの卒業ともいえる。別に母が父をいじめていたわけじゃ無いんだけど、父にしてみればかなり我慢をしていた部分は有ったのだろう。

例えば、毎朝の話とかだ。

母は極端な朝寝坊だ。そして寝起きが悪く、起き抜けの不機嫌さは大変なものだ。仕事はパートタイマーで、十時に出勤すれば良いから本人は問題無い。
昔は父がその母を起こして、朝食の準備をさせていた。でも、そのために時間を掛けるより自分で朝食を作る方が簡単だと言って、だんだん自分でやるようになってしまった。
たぶん、時間の問題も有るけど、不機嫌な母が当り散らして、暴言を吐くのを受け止めるのが嫌になった部分も大きいんじゃないかな。

私が中学の頃からそんなだったから、当然お弁当もそうなった。
小中学校は給食が有ったから良かったけど、高校に進学するとお弁当を持って行く事になる。もちろん学食が有ったり、購買でパンを売っていたりするんだけど、主流はお弁当だ。
兄は、学食で食べるのは怖いと言って、弁当を持って行きたがった。上級生が大勢で、一年生で学食に行くのはかなり少なかったらしい。

兄はちょっとの期間、母の作った弁当を食べた事が有ると思うけど、私と弟は高校時代三年間、ずっと父の作ったお弁当だった。
母は
「学食が有るんだから、そこで食べればいいじゃない。それともパンでも買えば。」
などと言って、作りたがらなかったが、父が、
「皆がお弁当を食べてるのに、一人だけパンじゃかわいそうだ。」
と言って、お弁当を作って持たせてくれた。
中身は卵焼きやウインナー、冷食なんかで、それほど凝ったものでは無かったけど、ともあれ皆と一緒にお昼をするには充分なものだった。

朝だけじゃない。母は台所に立って、料理をするのが嫌いだった。

今考えれば、母が台所に立つのを嫌がったのは、お祖母ちゃんとのいろんな確執が有ったからかもしれない。

お祖母ちゃんは昔気質の人で、自分のペースでてきぱきと物事を進めるタイプだ。だから、母が子供たちの食事の準備をしたり子供向きメニューを作ったりするのを、のんびり待っていられない。
それに、その頃はせっかちなお祖父ちゃんが居たから、なおさらだった。
自分たち二人分を先に用意して、さっと食べる。おかずは漬物や煮物などで、二人で食べても余るから私たちや父に食べさせようとする事も、よく有った。
そして、その後で、母が子供たちの食事を作るんだ。

お祖母ちゃんはそれを横目で見ながら、
「あたしたちはもう食べちゃったから、要らないよ。」
なんて言う。
「子供たちだけにそんなものを食べさせる。」
って、嫌味のように言う事も有ったし
「もっと早くから支度を始めて、あたしたちの分も作ってくれればいいのに。」
とも言ったりした。
そう言う割には、母の作った料理には手を付けず、
「こんなに沢山じゃあ食べきれない。」
なんて言う事も有った。

それでだんだん母はお料理が嫌いになっちゃったんじゃないかな。

父はそんな嫁姑の間で、なんとか上手くやって行けるように、お祖母ちゃんの使った鍋やまな板を洗ったり、食器を片づけたりしていた。
そして母がエスケープしたりすると、自分でお料理もした。

父と母を比べると、父の方が料理は上手だ。もちろん、母だって普段はそれなりに食事の支度をしているし食べれば美味しい。
でも、父のは男の料理で、作る時にちょっとだけアレンジをする事が有る。そんなところがウケたりすると、ますます腕もあがるし、レパートリーも増える。
今までも、ささみの上にワサビを塗って焼き、刻み海苔を散らしたものだとか、茎まで付いた生姜に豚肉を巻いて焼いたものだとか、意外な料理を作ってくれた事もある。
どこでそんな料理を考えたのって訊ねたら、飲みに行った時に出されたものを、見よう見まねで作ったんだと言う。

お祖母ちゃんも父の料理にはケチを付けることは無い。
自分の息子だからっていう理由も有るだろうし、男がやる料理だから、基本的にあまり期待してないんだろう。だから、失敗しても当たり前で、上手く出来ればポイントは高い。
それどころか、息子に料理をさせる嫁が悪いというような事を、ぐちぐちとぼやく事も有った。

でも、そんな父の作った料理も、母の口に入る事はあんまり無かった。
お祖母ちゃんと子供たちで食べて、父は自分の作った料理をつまみに、何杯もお酒を飲んでいるのが、いつもの光景だった。

母の分もちゃんと有るんだけど、お祖母ちゃんが居る時に、一緒の食卓に着く事は、無かった。
寝ていたり、お風呂に入っていたりして、食卓を避けていたんだ。

そんなこんなで、だんだん家族の軸がずれてしまったんじゃないかな。

父は、ずっと母の味方で、お祖母ちゃんの嫌味や愚痴は無視していたんだけど、それも限界が近かったんだろう。
会社から帰って来て、母が夕食の支度もせずに、寝ていたりすると、とっても悲しそうな顔をしていた。そして大きくため息をついてから、台所に立って、夕食を作り始めるんだ。

それはある日、いつものように父が会社から帰って来て、母が夕食の支度もせずに居た日だった。
私と兄の目の前で、母に切り出した。

「長い事こうやってたけど、ちょうど二十五年になるし、キリも良い。もうお終いにしよう。疲れちゃったんだよ。」
母も私たちも何の事だか解らなかった。
父は鞄から一枚の書類を取り出した。
離婚届だった。
「このあいだ、市役所に行った時に、もらって来たんだ。これにサインをして、ハンコを押して、窓口に提出すれば、それでお終いになる。簡単だろう。」
そう言って、父は力無く笑った。

「どういう事。なんでいきなりこんなもの出して来るの。解らないわよ。」
母は、いきなりの出来事のショックを、怒りのエネルギーに変えてしまったようだった。
「いちいち説明した方がいいのかい。もう解ってるだろうに。」
父はあくまでも冷静だった。

「一家の主婦が朝飯も作らない。晩飯も作らない。そりゃ、パートタイムとは言え仕事をしてるんだから疲れる事も有るだろう。時々ならば大目に見てもいい。でも、もう何年もお前の作った朝飯なんて食べたことが無いんだよ。たまにあるのは、日曜の十時過ぎに食べさせてくれるくらいだ。それが一番の理由。」
「だって朝起きられないんだもの。仕方ないじゃない。」
「でも、バレーボールの試合の時には、起きて行くよね。やろうと思えば出来るのに、やらないだけなんだよ。バレーの試合は大事だけど、俺や子供たちの朝食は、大事って思ってないって事だよ。」
「そんな事無いわよ。試合なんて何か月に一度だから出来るっていうだけで、毎日なんて無理よ。」
「世間一般の主婦は、それを毎日やってるんだよ。しかもフルタイムの八時間労働で、朝夕の食事を支度する人だって大勢居るだろう。」
「でも、人それぞれ、出来る事や出来ない事は違うでしょう。」
「東大合格レベルの難しい事をやれって言ってるんじゃないんだよ。大人として、主婦として、朝起きて飯を作るのは、子供が自転車に乗れるか乗れないかのレベルだろう。」
「だって、自転車に乗れない子供だって居るじゃない。」
「お前は、笙子が幼稚園の時に、自転車の練習をさせて、乗れるようにしたじゃないか。子供には練習までさせて、やらせるのに、自分は無理の一言で、努力も放棄するのか。」
「私には無理。」
母の声は、だんだん小さくなった。
こうやって理詰めで話をすれば、父には敵わない。泣くか、逆切れして暴れるか、どちらかしか出来なくなるだろう。

「そう言うところが、二番目の理由。」
今度は何を言い出すのだろう。
「昔はそんなじゃなかったのに、いつの頃からか、無理とか、駄目、出来ない、なんていうそんな言葉ばかり、出てくるようになっちゃった。自分で自分の限界を決めて、それを超えようとしてないのが、嫌なんだよ。」
「そんな事無いでしょう。パートだけど仕事にも行ってるし、朝は無理でも夕食は作ってるよ。」
「子供のいろんな書類も俺が書いたし、授業参観も行ったし、お前のチームの練習予定表まで俺が作ってるじゃないか。」
「だって、そういうの得意でしょう。」
「確かに俺の方が上手だけど、お前はそう言って俺にやらせるだけで、教えてやるって言っても『私には無理』って言うばっかりじゃないか。」
「できるんだものいいじゃない。」
「そうやって人にやらせておいて、出来上がったものに『ここが変。これは駄目。』って言うだけなんだもの。やる方は嫌になるよ。
それに、うちの会社にもいるんだ、ちょっと何かやらせようとすると『私馬鹿だから、そんな難しい事、出来ません。』って言う奴が。お前もそれと同じようなものだろう。」
「そこまで言ってないわよ。」
「じゃあ、いままでやった事を思い出してみろ。ご近所のお付き合いでも、学校の事でも、なんでもかんでも俺に任せて、お前は何もしないじゃないか。
どうしても母親が行かなきゃならない時だって、ぐずぐずとして、行きたくないって愚痴を言って。俺がご近所の奥さんに、すみません、ウチのはちょっと調子が悪くて、って、断りに行った事だって、何度も有っただろう。」
そこまで、一気に言い放つと、反論が出来ない母と、あっけに取られてる私たちを残して、自分の部屋に行ってしまった。

考えてみれば、父と母が結婚して一緒に居るのは、不思議だった。
元々は、同じ会社の別々の支店に居たという話だが、それはきっかけだけの話だろう。支店どうしの交流会で知り合って、仲良くなったっていう話も聞いた事が有る。
でも、生活や趣味の面では、これほど違うのも珍しいかなって思うほど、二人には共通する点が無かった。

母の趣味はバレーボール。地元のママさんバレーチームのエースだ。
だから自分のチームの事は一生懸命だ。参考書なんかも時々買って来て読んでいるし、テレビでナショナルチームの試合なんかが有ると、録画して何度も見直している。
その他の趣味は、一番は寝る事かな。お布団を干すのと、お洗濯は好きだ。
ふかふかの布団にパリッとしたシーツを敷いて、一日中寝てるのが理想だなんて、笑って言った事もある。

一方で父の趣味は音楽。今は地元の交響楽団でコントラバスを弾いている。
数年前から、昔の友達に誘われて合唱団で歌も唄っている。
家でもギターを弾いたりすることもある。運動はどっちかと言えば、苦手な方じゃないかな。

でも、父は母のチームの試合を見に行ったりもするし、テレビで試合をやってれば、母と一緒に見たりもする。
母は、父の演奏会には行った事が無い。
「ああいうのは、苦手なのよ。音が大きいと圧迫感で胸が苦しくなるし、小さくて優しい音だと眠っちゃいそうだしね。」
なんて言い訳をしている。私にはよく解らない感覚だ。

そう言えば、母は音には過敏だ。大きな音が駄目なだけじゃなくて、小さい音でも神経質になる時が有る。
いつだったか、壁にかかった時計のコチコチという音がうるさいからって、電池を抜いてしまった事が有った。ひどい時には、パソコンのマウスのクリックする音が気に障ると言って、パソコンをやめさせたりする事も有る。
お祖母ちゃんの話声の大きさと口数の多さも苦手だった。
「そんな怒鳴るみたいな大声で話すのはやめてください。」
って、時々言ってた。
でも、お祖母ちゃんはその場ではしゃべらなくなるけど、翌日には元通り。
「だって、死んだお祖父さんの耳が悪かったんだから、こういう声のボリュームになっちゃったんだもの。仕方ないよ。」
って言って、それっきりだ。

母は夕食時をエスケープして、お祖母ちゃんが居なくなってから現れて、何か食べたり、お洗濯したり、テレビを見たりすることが多い。
そんな頃、居間のパソコンを父が使っていると、気に障るらしい。
「もう、そのカチカチする音をやめて!」
なんて言うから、父は不満そうな顔で寝に行ってしまう。
その後で、何時間かテレビを観てから寝るのだから、朝起きるのも厳しいだろう。
生活パターンがそんなふうになってしまっているのだ。

母はしばらく呆然としていたけど、お風呂に入った。何かあるとお風呂にこもるのはいつもの事で、長いと一時間以上出てこないんだけど、その日も長くなりそうだった。
お祖母ちゃんも、居間の様子がおかしいと気が付いたのだろう。
様子をのぞきに来たが、私が大まかな話を教えてあげたら、それっきり黙り込んでしまった。
あの年代の人だから、離婚なんてするものじゃないと思っているし、我慢するのが当たり前だという発想しかない。でも、母がこういう態度を取るのは、お祖母ちゃんにも原因の一端は有るし、父だって、ここまで我慢してきて、限界が来たのだ。
自分の息子に、もっと我慢を強いるのも、思うところが有るだろう。
「まったく、涼子がちゃんとしてないから、こんなふうになるんだ。」
なんて言うけど、だからどうしようという考えも無さそうだった。

私と兄は、勝手に夕飯を食べて、弟にも食べさせて、部屋に戻った。
両親の離婚なんて、重大な事件が目の前に降りかかって来ているという実感は無かった。
兄も私も、もう二十歳を過ぎたし、両親には、それぞれの思いの通りにさせてあげれば良いんだ。弟だって、高校卒業したら就職することが決まっている。
この家から出て行けと言われると、ちょっと困るかも知れないが、どちらもそんな事は言わないだろう。

父は、私にだけこっそりと話してくれた。
「もしも最初からお母さんが居ないなら、帰ってからご飯を作ったり、洗濯したりも、当然の事として、やるだろうけどね。帰ってみたらお母さんが寝ていて、自分が家事をしなきゃいけないって思ってがっかりするくらいなら、最初から居ない方が良いって、思っちゃったんだよ。」
確かにそうだろう。自分でやるしかないと最初から思っていた方が、段取りも考えやすい。
「それに、お母さんの考え方や言い方が、だんだんマイナスの方になって来て、このままだと、殴ったりとかするような事件でも起こしそうで、自分を抑えるのが、嫌になったんだ。」
そう言えば、最近は良くそういうケンカもしていた。

父が食事の支度をしてから現れて、冷蔵庫の中の消費期限の肉を使ってないって責めたりして、じゃあお前が作れば良いだろう、なんて父が怒っていた事もあった。
運動会やゴルフの前日、支度をしている時に、明日は降るかもね、なんて言って、父や兄が気分を壊した事もある。
例えば、降水確率が50%だったら、父は
「大丈夫、半分は晴れるんだから。それに降るって言っても、1ミリくらいの降りかもしれないしね。」
って言う。それなのに母は
「50%も有るんだから、雨が降るわよ。」
なんて言って、父が嫌な顔をするんだ。

父が交響楽団や合唱団に入って、いろんな演奏会や練習に行くようになったのは、私たちが中学生や高校生になって手がかからなくなってからだ。
父は、子供たちが遊んでくれなくなったから、なんて、笑いながら言ってたけど、もしかしたら、母と一緒に家に居て、あれこれと会話することから、逃避していたのかもしれない。今になって考えると、思い当たるところも有る。

その後も、母と父は一週間ほど、あれこれと話をしていたが、結局、離婚することに決まった。
母の実家は、隣の県にあり、今はお祖母ちゃんと叔父さんの二人暮らしだ。
叔父さんは母のお兄さんなんだけど、いまだに独身で居る。
お祖父ちゃんは十年程前に亡くなった。
実家はもともとは農家で、家も大きく部屋も多い。そこに戻る事になった。

子供たち三人は、それぞれどちらに行こうと自由だと言われ、兄は、母と一緒に、母の実家に行くことに決めた。
大学を出た後、フリーターの生活をしていたので、どこに住んでも同じだと思ったらしい。この家で、お祖母ちゃんと父に、きちんと就職しろ、なんて言われるのが、嫌になったのもあるのだろう。叔父さんとは小さいころから話が合ったから、向こうの家の方が居心地は良いかもしれない。
私は自宅通の大学生だから、ここに住んでいる方が都合が良い。というか、母の実家からじゃ通えない。弟も卒業後に就職する予定の会社は、この家から通えるところだったから、今まで通り、この家に住むことになった。

兄が、母の傍に居てあげるなら安心だ。
ちょっと頼りないかもしれないけど、何かあれば私や弟に連絡が入るだろう。
そんな事を思いながら、もしも、なんてことを考えてる自分にあきれていた。
もしもなんて言うが、いずれお祖母ちゃんがこの世を去り、順番から言えば、叔父さん、母という順で、兄が最後に残される。その頃には兄も、今の父くらいの歳にはなってるだろう。結婚して子供が居るかもしれないし、叔父さんみたいに独身かもしれない。そんな遠い先の事まで想像して、母の実家の事を考えてしまった。

年末も近いある日、二十五回目の結婚記念日も、弟の十八歳の誕生日も過ぎて、両親は離婚届を出した。そして、兄と母は、引越し屋さんのトラックに荷物を積んで、母の実家に引っ越して行った。

Ⅱ

父が再婚した。
母と離婚してから一年半後の事だ。
私と弟とお祖母ちゃんと四人で夕食を食べていた時に、急にその話を切り出された。

「今度、再婚しようと思ってるんだ。」
「ええっ。そんな相手が居るの。」
「いい人なのか。今度の人は。」
「こんなバツ一で子持ちのおっさんと一緒になるなんて、どういう人だよ。」
みんなそれなりに驚いている。

日々の生活の中に、母が居ない事にも慣れた頃だ。炊事や掃除洗濯も、それぞれに分担して、生活に不自由は無いけれど、この先を考えると、ちょっとだけ不安も有った。
兄は居ないものとして、私か弟が、いずれは年老いた父の面倒を引き受けなければならないだろう。独居老人の孤独死なんていうニュースが、我が身のように気になる。
もう五十歳を過ぎた父が、まさかもう一度結婚するなんて、思っても居なかったのだ。

再婚相手の美歌さんは、父より十五歳下だから、私より十五歳年上っていう事になる。三十七歳で未婚だそうだ。
どういう縁でそんな事になったのか聞いたら、同じ合唱団の人だという話だった。
まさか、兄や私でなくて、父が結婚するなんて、ほんとうにサプライズだ。でも、今までいろんな苦労をしてきた父が、もう一度幸せになるって言うのなら、素直に祝福してあげたいと思った。

「どうやって合唱団の人を捕まえたの。」
って尋ねたら
「オーケストラにも美人が居たんだけど、誘おうと思ったら、助手席にはコントラバスが乗っていて、乗せられなかったんだよ。合唱の時は助手席が空いてるからね。」
なんて笑ってごまかした。
そう言えば、私たちが小学校の頃から乗っていた車は、ちょっと大きめの三列シートの車だったけど、数年前に買い替えたのは普通の車だ。
それを買う時にも、実際にコントラバスを自動車屋さんに持って行って、車に積めるか試してみてから買った。
助手席にはコントラバスと私以外は乗らないものだと思っていたんだけど、けっこう頑張ったんだな、って、感心してしまった。

「やっぱり、おかあさんって呼んだ方がいいのかな。」
「笙子も、もう大人なんだから、美歌さんって名前で呼べばいいんじゃないかな。あいつだって、こんな大きな娘に、おかあさんって呼ばれても困るだろう。」

私は兄にもメールして、父の再婚の事を教えてあげた。
返信のメールには、ニコニコマークの絵文字が返ってきた。

その次の日曜に、父は、美歌さんを家に連れて来た。そして、もうひとつの驚きが待っていた。
美歌さんは、優しそうでしっかり者っていうイメージだった。かなりの美人で、どうして父なんかと結婚する気になったのか、不思議なくらいだ。
父とお祖母ちゃんが、お茶の支度だなんて言って、席を外してる時に、訊いてみた。
「お父さんのどこが気にいったんですか。なんて言って口説かれたの。」
「あのね。智之さんは私のずっと先の将来の事まで心配してくれたの。」
「ずっと先って。」
「今、私は三十七歳でしょう。これから三十年後を考えてみろって。」
「どういう事なんです。」
「このまま独身でその年になって、お金を貯めて老後は養老院で淋しい日々を過ごすなんて、人生の半分を捨てちゃうようなものだって。自分の遺伝子を後世に残すのが、生物の自然の姿だし、その中に苦労もあるけど喜びも有るって、そんなこと言って口説かれたのよ。」
「それって、もしかして、子供を作るって事ですか。」
思わず美歌さんの、お腹の辺りを眺めてしまう。

「そうよ。今話題になってるでしょう。四十歳を過ぎれば、妊娠や出産はかなり確率が低くなるし、リスクが大きくなるって。私の歳がそろそろ限界に近いんじゃないかな。」
「だって、父はもう五十二歳ですよ。今から育ててくのは大変じゃないですか。」
「その時にこう言ってくれたの。君がイエスって言ってくれるなら、俺はあと二十年頑張るつもりだ、って。」
「二十年って。」
「子供が生まれて成人するまでだって。
それに、もし俺に何かあっても、成人した兄弟も居るし、たとえ半分でも、何も無いよりは良いなんて言うの。父親の居ない子供が全て不幸になるわけじゃないって。」
「そこまで考えてるんですね。」
「それにね。」
そう言ってちょっと美歌さんはくちごもる。そしてお腹をゆっくりと撫でる。
「もう、居るの。」
これには私も弟も驚いた。すでに事態は進んでいるんだ。
「あなたたちの弟か妹がね。」

父のあの歳になって、これから子育てをするっていうのは、大変な覚悟だろう。
私たちの時だって、母よりもいろんな事をしてくれたのだ。
まあ、美歌さんと二人での役目だし、たとえ兄弟だろうと、いろいろ口出しする理由も無い。

弟は単純に自分より年下の家族が増えるって、喜んでいる。
「あんたね。うっかりすると父親に間違えられるわよ。」
「それを言うなら、姉ちゃんだって、母親に間違われるだろう。」
本当に、年回りからすれば、そんなでもおかしくはない。
父が授業参観にでも行けば、お祖父ちゃんが代理で来たって思われるんだろうな、なんて、想像して笑ってしまった。

一緒に暮らすようになってから、美歌さんが教えてくれた。
「智之さんってば、世界中で一番愛してるって言うから、じゃあ、一番大事にしてくれる、って訊いたら、一番大事なのは笙子だ、なんて言うのよ。」
「えっ、それは美歌さんに失礼じゃないのかな。」
「やっぱりそう思うでしょう。でもね、自分の血を引いている娘が一番らしいわよ。
じゃあ、貴之くんと広之くんは、って訊いたら、男の子と父親はライバルだから、可愛いなんて感情は要らないんだって。なんだか面白いよね。」
「お父さんって理系の人だし、生物学とか好きだからなあ。」
「そうなんだよ。たとえ血がつながっていても、雄同士って雌を取り合うライバルだから、遠慮は要らないんだって。動物の話じゃないのにね。」
「そうそう。ジーンだとかミームだとかいろんな話をするけど、結局は、子孫を残せ、結婚して子供を作れっていう話なんだ。」
「まあ、私もそんな話に乗せられちゃったんだけどね。」
そう言って美歌さんは笑う。
「お前の優秀な遺伝子を、次の世代に残さないなんて人類の損失だ、なんて、かなり変わった口説き文句よね。」

二人は、身内だけで結婚式を挙げて、我が家で同居生活をする事になった。

美歌さんのご両親は、お祖母ちゃんよりはちょっと若いくらいだった。
三人兄弟の末っ子の美歌さんの将来を心配していたので、結婚してくれる事になって、とっても喜んだらしい。
私は思わず、美歌さんのお母さんに言ってしまった。
「こんなに大きなこぶが付いてますけど、本当に良いんですか。」
「ええ。そういう人が居る方が何かと安心だわ。歳ばっかりとって、まだまだ世間のあれこれを知らない娘だから、よろしくお願いしますね。」
なんだか私の方が、父の保護者にでもなったような言い方をされてしまった。

美歌さんのお兄さんとお姉さんも同じように喜んでくれた。
どうやら、世間一般では結婚というのは、それなりに価値があるものらしい。これで一人前とか、やっぱり家庭を持たなきゃとか、使い古されたようなセリフが、結婚式では飛び交った。
もちろん兄も来た。私が連絡して来るように言ったのだ。
母や叔父さんに遠慮があって、ためらっていたらしいけど、実の父親のおめでたい日なんだから、顔を出すようにって、私が言ったんだ。
「それに、美歌さんにも失礼だよ。式に顔出さないなんて、結婚に反対してるみたいじゃない。」
「いや、結婚には大賛成なんだけどね。お母さんがいじけそうだからさ、ちょっと困ってるんだ。」
そんな話をして笑ったけど、きちんと式には参列した。

歳の差、再婚、こぶつき、そしてこれから生まれて来る新しい命。
いろんな面で、話題には事欠かない結婚だったけど、みんなに祝福されて、美歌さんも父も幸せそうだった。

父と美歌さんの新婚生活は、いままでの我が家に美歌さんが引っ越して来るところから始まった。
せっかくなんだからちょっとの間だけでも、二人っきりで新婚生活をしたらどうかって、周りの皆の方が気を使ったんだけど、あっさり美歌さんは否定した。
「だって、二人ともフルタイムで会社に行ってるんだし、家に帰って誰かが居る方が、誰も居ない部屋で智之さんを待ってるよりは良いわよ。
もうちょっとすれば、この子も生まれて来るんだし、私は産休は取っても、仕事を辞めるつもりは無いから、おかあさんや笙子ちゃんに手伝ってもらえるのをちょっと期待してるんだ。
新しく部屋を借りて引っ越して、半年もしたらまたここに越して来るなんて、無駄だし面倒だもの。最初からここに居るわよ。」
そうきっぱりと言い切って、私と弟とお祖母ちゃんの三人と一緒の家で暮らすことにしたのだ。

今まで兄が居た部屋や父と母の部屋が有るから、スペースは大丈夫だ。
共同生活の中で、私やお祖母ちゃんや弟が負担していた家事のローテーションの中に、美歌さんが入るんなら、二人っきりでの生活よりは楽かもしれない。
例えば、お風呂とトイレの掃除は弟、お買い物はお祖母ちゃん、洗濯は私とお祖母ちゃん。朝はそれぞれ自由に食べて、お弁当が必要なら自分の分を作る。
弟と父は社員食堂だから、お弁当を作るのは、大抵は私一人だ。
弟が何かの都合でお弁当が必要な時は
「姉ちゃん、お願い。」
なんて私に頼る事も有る。
夕飯は一番初めに帰って来た人や、今日は作るからねって宣言した者が作る。
そんなルールが今まで有ったのだ。それを分担する人が一人増えて、みんなの負担が軽くなった。美歌さんもすべてを二人っきりでやるんじゃなくて、五分の一の負担だから気楽だって言う。

結婚式の後、五日間の新婚旅行から帰って来た二人は、すんなりとこの家のメンバーに溶け込んでいった。

美歌さんはお料理も上手だし、お祖母ちゃんとの会話なんかでも上手くやっている。
お祖母ちゃんは、いままで母を呼んでいたのと同じように、「美歌、美歌。」と呼び捨てだ。息子の嫁なんだから当然と思っているんだろう。
私と弟は、美歌さんって呼んでる。美歌さんは、笙子ちゃん、広之くんって呼んでくれる。

お腹の子供の名前は、けっこう我が家の話題になる。
定期検診で診てもらったら、どうやら男の子らしいと判って、みんなでいろんな名前を考えてる。でも、最終的には美歌さんが決める事になっている。
「私が美歌なんていう、ちょっと演歌みたいな名前でしょう。そういう特定のイメージの無い名前がいいなって思ってるんだけどね。」
なんて言って、迷ってるようだ。

今は、父と一緒に合唱団の練習にも出かけている。団の中ではだいぶ冷やかされたらしい。もうちょっとしたら歌うのも一休みしなきゃいけないのかな、なんて心配している。
「マタニティドレスで、演奏会のステージに立つのは、ちょっと無理が有るかもね。」と笑う。
合唱団には、母親になってもずっと続けて歌っている人も多いっていう。
出産や子育てなんてちょっとの間だから、すぐ復帰できるよって言われてるらしい。
まわりに経験者が多ければ、いろんな話も聞けるし、安心できるのだろう。合唱の練習から帰ってくると、そんな話も聞かせてくれる。

「笙子ちゃんも、そんなに遠くない将来に、こんなふうになるんだろうな。」
なんて、私の事まで心配してくれる。
私は、お腹の子供が動くのを触らせてもらって、同じ家の中で、女性としての先輩が居て、妊娠の経過を日々見せてもらうなんて、貴重な経験だなって思っていた。

実の母親ならば、娘が妊娠出産を我が事として受け止める頃には、そういう事を卒業してしまっているだろう。姉や兄嫁が居たとしても、一緒に暮らしているかどうかは解らない。
私の年齢で、妊婦さんと同居するというのは、実は珍しいケースじゃないだろうか。
そんなことまで思ったりもした。

仕事は出産直前まで行く事にしているらしい。美歌さんの会社でも、育児休暇とかは有るのだけど、あんまり使う人は居ないっていう話だ。八週間の産休で、復帰するつもりだって言っていた。

私は、大学生活もあと半年になり、この家から通える会社に、就職も内定している。
同級生のみんなは、卒論の目途もついて、卒業旅行だとか言っているけど、私は自分の弟が、美歌さんのお腹の中で育っていくのが面白くて、出来るだけ家に居るようになった。
家事なんかも出来るだけやるようにして、母体の負担を少なくするようになんて、思っていた。
「こんなしっかりしたお姉さんが居るなんて、この子も恵まれてるわね。まるで、お母さんが二人居るみたい。」
美歌さんも、そんな風に言ってくれる。

そして、待ちに待ったその日がやって来た。
タイミング良く、日曜日の朝だ。父は陣痛が来た美歌さんを、病院に連れて行き、そこで付き添った。私と弟とお祖母ちゃんは、家で待機して、父からの連絡を待つことになっていたのだけど、気になってしまって、何も手につかない。
本を読んでいても、最初のページを三行読んでは、また最初に戻るような事ばかりしている。

お昼頃になって、昼御飯をどうしようって、お祖母ちゃんが訊いた時に、弟が言いだした。
「こんな時に御飯作るのも大変だから、どこかに食べに行こう。」
「三人で外食かい。どこに行くつもりなんだ。」
「ほら、病院の向かいにファミレスがあるじゃない。あそこなんかどうかな。」
「お前はそう言って、御飯を理由にして、病院の様子をのぞいて来ようって魂胆だな。」
「じゃあ、お姉ちゃんは気にならないの。」
「いや、賛成する。あのファミレスに行こう。私たちはお昼を食べに行くんだ。」
結局、そんな話になって、三人で病院前のファミレスまで行った。
ファミレスで御飯を食べた後、当然のように足は病院に向く。
案内を眺めると、産科の病室は二階、分娩室は一階に有るらしい。入院してる病室は判らないから先に分娩室の方に行ってみると、そこには父がポツンと一人でベンチに座っていた。
「なんだ、お前ら。来たのか。」
私たちを見つけた父は、そう言って笑う。
「そんなに皆が心配して、これじゃ誰の子供だか判んないな。」
「それより様子はどうなの。」
「ああ、一時間くらい前にこの部屋に入ったんだけど、経過は順調そうだよ。」
「いつ頃、産まれるかな。」
「それは人によってだけど、最初だから時間がかかるかも知れないな。」
「お父さん、割と落ち着いてるね。」
「そりゃあ、もう三回もこんな経験はしたからね。」
「そうか。美歌さんは初めてだけど、お父さんは経験者だったんだ。」
「お前たちの時も、順調で安産だったから、今回も大丈夫だろう。」
「どうして、そんな事が言えるの。母体は違うんだよ。」
「大丈夫。俺は運が良いし。こんなに応援団もついてるんだから。」
そう言って笑う父の顔を見てると、本当に大丈夫なような気がしてきた。

人はそうやって命を伝えて来た。時には不幸なアクシデントが有るかもしれないけど、遠い昔から、女たちは自分の体からもう一つの命を創りだしてきた。
病院なんて無い時代にも、子供は産まれたんだ。
降水確率が10%なら雨は降らないって、信じている方が良い。まして、現代の医療の中では、アクシデントの確率は1%も無いはずだ。
今は、心配をするんじゃ無くて、喜びの時を待っているんだ。
そう思えた。

美歌さんが後で笑って教えてくれた。
「合唱団で歌ってると、腹式呼吸とかやるでしょう。一般の女の人よりも、腹筋なんかが鍛えられてるのよ。だから初産でも軽いんだって。運動してないで太ってる人なんか、まる一日掛かる事もあるって聞くから、そういうケースに比べれば楽なものよ。」

弟は、お昼を食べてない父のために、コンビニでサンドイッチを買って来てあげた。
父がそれを食べ終わった頃、分娩室の中から騒がしい気配が漏れて来た。
産声が聞こえる。
しばらくすると、看護師さんが赤ちゃんを抱いて出て来た。
「母子ともに無事ですよ。元気な男の子です。」
そう言って、弟にその子を見せようとする。
「俺じゃないよ。父親はこっち。」
そう言って、父を指差すと、看護師さんがあわてる。
「まあ良いじゃないか。お前の弟だぞ。」
父はそう言って笑った。視線は赤ちゃんと、部屋の扉を行き来する。
子供も可愛いが、美歌さんの事も心配でたまらない様子だ。
「お母さんは、いま産後の処置をしてますから、もうしばらくお待ちください。お化粧直しが済んだら、ご対面出来ますよ。」
そう言って、看護師さんは赤ちゃんを抱いたまま、また中に戻って行った。
しばらくすると、隣の新生児室のガラスを、内側からコツコツと叩く。
みんなでそちらに行ってみると、ベビーベッドに寝かされた赤ちゃんを指差している。
足首に巻かれた名札には、「母:岡野美歌」と書いてある。その下に名前を書く欄も有ってまだ空欄のままだ。

しばらくそのまま待っていると、分娩室の扉がまた開いて父が呼ばれた。出産後の二人での対面だ。私たち三人が外で待っていると、ストレッチャーに乗せられて看護師さんに押された美歌さんが出て来る。父が脇に付き添っている。
美歌さんは、私たちを見るとVサインを出して見せた。
「無事にひと仕事、済ませて来たわよ。あの子の名前はね、駿って付けようと思うの。
良い名前でしょう。」

こうして、私たちに家族が一人加わったのだ。

Ⅲ

父が死んだ。
七十四歳、駿が二十一歳になった頃だった。

どこの家庭でもそうだと思うが、家の中の歴史は、その家族の一番年下の者の状況とリンクされて語られる事が多い。
そういう意味では、駿の成長は、そのまま我が家の新しい歴史になっている。

お祖母ちゃんが死んだのは、駿が幼稚園の頃だった。
もう危ないっていう時に、家族みんなに言った。
「お祖父さんは孫を三人しか知らないけど、私は新しい嫁さんと四人目の孫も見られたから、お祖父さんに会ったら自慢できるよ。」
兄はその場には居なかったけど、父と美歌さんと、私と広之と駿の三人の孫に囲まれ、病院のベッドで息を引き取った。
駿は、初めて人の死というものに立ち会って、最初は理解できずにきょとんとしていたけど、お祖母ちゃんが死んじゃった事が解ると大泣きをした。

私が結婚したのは、駿が小学校二年の秋だ。
平凡な社内恋愛をしていた私は、交際三年目で、私が三十代になる直前に結婚したのだ。
彼は五歳年上で、父と同じオーケストラに入っていた人だ。私より先に、父の方が彼を知っていたのだから、父親と娘の彼氏というぎくしゃくした関係も無く、皆に祝福されての結婚だった。
結婚式には兄と母も来てくれた。母と美歌さんと、二人の母に見届けられ、式を挙げたのだ。
この時初めて、母と美歌さんは顔を合わせた事になる。
「笙子の事をいろいろと面倒見て頂いて、ありがとうございました。」
「こちらこそお世話になっています。お母さんの育て方が良かったから、笙子ちゃんもしっかりした娘に育って、私も子育てやいろんな面で助けてもらっています。」
なんて、社交辞令のような挨拶を交わしていた。
母にしても、父の再婚相手へのこだわりは無いのだろう。こうやって顔を合わせる機会になったのは、良かったと思った。

私に子供が生まれて、駿が叔父さんになったのは、小学校三年だった。
「叔父さんって言うよりは、兄貴って言う方が似合うよね。」
なんて、皆に言われていた。
私は、結婚しても近所に住んでいたので、学校の帰りによく私の家に寄っていった。ちいさな赤ちゃんが珍しいのだろう。飽きずに良く眺めていたものだ。

その後、小学校の高学年から中学校にかけて、反抗期のようなものも有った。やはり友達の中では、父親が高齢だと言ってからかう者も居たようだ。
父の事を、ジジイと呼ぶような事も有った。父は、そう呼ばれても
「おう、俺はジジイだ。ジジイで悪いか。」
と返事をして笑っていた。

「どんな父親ならいいんだ。お前の同級生の親父たちを見てみろ。若いのも年取ってるのも居るぞ。金持ちもいるし貧乏人も居る。太ったのも痩せたのもチビもハゲも居る。
野球やサッカーが上手い父親も居れば、歌が上手いやつも、頭の良い奴も居る。お前の理想の通りの親なんて、現実には居ないんだよ。」
「だって、裕くんのお父さんはサッカーも上手いしカッコ良いよ。」
「馬鹿だな。あいつは酒飲むと癖が悪いんだ。音痴のくせにカラオケのマイクを握って離さないって、みんなに馬鹿にされてるんだぞ。」
「本当なの。」
「そうだよ。ジジイを馬鹿にしちゃいけない。若いヤツは若造って言われて、世間で軽く扱われる。いずれは皆ジジイになるんだけどな。
金を持っていても、節約すれば金持ちのくせにケチだって言われ、派手に使えば成金でいい気になってるって馬鹿にされる。物事には必ず両方からの見方があるんだ。」
そんな話をして、駿を納得させたことも有った。
そんなやりとりをする傍らには、美歌さんも居たけれど、二人の会話に口は挟まず、ただ微笑んでいるだけだった。

それからも駿は、父のことを、ジジイって呼んだけど、それは軽蔑の意味では無く、親しみを込めた愛称だったように思う。
まあ、私に子供が生まれて、本当の意味でのお祖父ちゃんになっていたのだから、そう呼ばれても困りはしなかったのだろう。

広之と駿は二十歳も年が離れた兄弟だったが、良い遊び相手だった。父の年が年だから、スポーツ関係では、駿の保護者としていろんな行事にも参加した。
駿ちゃんのお父さん若いね、なんて言われ、苦笑いする事も有ったらしい。

父と美歌さんが十五歳違い。美歌さんから私と広之までが同じくらい。そこから駿までが二十歳違い。そして、私の二人の子供は駿より十歳下だ。
単純な家族関係で、親、子供、孫って居るよりも、複雑な家族構成になっているんだけど、それが良い方に働いて面白いファミリーになっている。
私の夫も美歌さんの十歳下という事になるから、そこまで含めると、年齢構成は本当にごちゃごちゃだ。

父は本当に美歌さんとの約束を守った。あと二十年は頑張るって言ったことだ。
会社を定年退職してからも嘱託として勤務し、それを辞めてからもシルバー人材センターに登録して働き続けた。
そして今でも、オーケストラにも合唱団にも参加している。もちろん合唱は美歌さんも一緒だ。

美歌さんももうすぐ定年だ。退職した後は、父と二人で温泉旅行にでも行きたいって言っていた。どこかに思い出の温泉が有って、そこに行きたいらしい。

駿も、七十を過ぎた父親のすねをかじるのは躊躇ったのだろう。私や広之が学費を出すから大学に進学しろと言うのを断り、あれこれと進路を考えていた。そしてやりたいことを見つけ、その道に進む為のステップとして、専門学校に進んだ。
コンピューターを使った建築デザインの方面で、卒業したら見習いとして設計事務所に勤める事になっている。


母の方は、お祖母ちゃんが亡くなった後、叔父さんと母と兄の三人暮らしだ。兄は相変わらず独身だけど、どうやら交際相手は居るらしい。
早く結婚しなよと、時々言うんだけど、なかなか踏ん切りがつかないらしい。
「早く結婚して子供を作らないと、お父さんみたいに死ぬまで苦労するよ。」
って言うと、
「良いんだよ、そういう血を引いているんだから。」
って、笑ってた。

広之も四十を過ぎたが、こちらは結婚が決まっている。美歌さんの後輩で、合唱団に入っている人なのだが、出会いは全くの偶然なんだそうだ。
友人に誘われて、アマチュアバンドのライヴを聴きに行った時、そのバンドでヴォーカルをやってた彼女に一目惚れして、アタックして口説き落としたらしい。

父はある日、仕事に行く予定を断った。胸が痛むと言うのだ。
もちろん美歌さんも、広之も仕事だし、駿も学校に行く。
父に朝ごはんを食べさせて寝かせた後で、美歌さんは私に電話をくれた。
私はその頃、小学生の子供二人を抱えて、パートタイムの仕事をしていた。
「悪いけど、ちょっと様子を見てあげてくれる。」
と言うのを聞いて、気安く引き受けた。

お昼頃、様子を見に行った時には、父は布団の中で本を読んでいた。
「なんだ来たのか。心配しなくてもいいのに。」
って、元気に笑った。
軽いお昼を支度して父に食べさせて、仕事に行こうとした時に、こんな事も言った。
「広之も結婚するし、駿も行先が決まったし、お前も二人も孫を見せてくれたし、すっかり気が楽になっちゃったな。
欲を言えばきりが無いけど、もう人生でやりたいことはやったし、未練はないな。」
「何言ってるのよ。これから美歌さんと二人で、ご隠居生活を楽しむんでしょう。」
「うん。でもなんだか、俺ってそういうの苦手なんだよな。二人で縁側で日向ぼっこなんて、自分の姿を想像出来ないんだよ。」
「馬鹿な事言ってないで、早く良くなってね。」

その晩、みんなが帰って来ても、父は相変わらずだったらしい。夕飯には起きて来て食卓に着いたし、ちょっと飲むかと言ってビールも飲んだそうだ。
そして、美歌さんと一緒に寝て、朝、美歌さんが気付くと、心臓が停まっていたという事だった。

連絡を聞いて、母と兄も駆けつけて来た。
美歌さんは、長男だから兄が喪主をって言ったんだけど、一緒に暮らしている訳でもないので、美歌さんが喪主という事になった。

人の死は悲しい。もう話をすることも出来なければ、触れる事も出来なくなってしまうのだ。
まして、自分の親を送るのだ。
だけど、前の日に話した事を思い返すと、そんなに不幸では無いような気もしてくる。
美歌さんには悪いけど、きっと縁側で日向ぼっこなんていうのが苦手だから、ちょっとどこかに逃げてしまっただけのように思えてくる。
三人の子供を育てて、その後でまたもう一人育てて、人生を二度も送ったようなものだ。きっとそれに満足したのだろう。
老いたものは、その居場所を後から来るものに譲ることで、次世代を育てる仕事が完了する。いつだったか、そんな事も言っていた。

「ジジイが死んじまった。」
そう言って、一番泣いたのは、やっぱり駿だった。

ファミリー

人が人生の中で最後に辿り着く死。
それは悲しい事ではあるけれど、また、ある意味では卒業の儀式でもある。
人生において後悔をしない生き方が出来れば、後悔の無い満足した死も有るのだろう。
そんなストーリーを書いてみたいと思いました。

そして、命を次世代に継承していくという、生物の根源の衝動と
人として子供に残すもの(生き方や人生における姿勢)を
上手く果たした時に迎える卒業、満足した卒業を書いてみました。

ある意味で、私のこれからの生き方の理想像でもあります。


このお話のanother side storyも有ります。
美歌の立場から、結婚に至るまでのお話です。
よろしかったらそちらも読んでみてください。
http://slib.net/24147

ファミリー

家族のありかた、つながりを模索する中で、離婚、結婚、誕生、死など 様々な問題を越えていく家族のストーリーです。 父親としての生き方、夫としての生き方、 人間として自分の子供に対して残してやれるものは何か? そんな事を考えながら読んで欲しいお話です。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-10-02

Copyrighted
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