True Sky Memories page6
True Sky Memories page6 -日本演算研究所-
「ニュースをお伝えします。昨日、日本最大の仮想都市-グランデ-が「ベートノワール」と呼ばれるテロ組織に襲撃されました。ネットアクセス中の強制切断、攻撃プログラムによる死者は出ませんでしたが、めまい・失神等を訴える人は後を絶たず、病院に運び込まれる市民が後を絶ちません。なお、今回のテロによる損害は数十億にも上り、仮想世界は混乱を極めております。警察の対サイバーテロ組織は、事前に予告・対策があったのにもかかわらず、なぜここまで被害が増えてしまったのかと非難をあびており、今日中に具体的な対策、謝罪を行うとのことです。専門家によると今回の事件は――」
「ひどいものですね」陽次は小声でつぶやいた。
「警察の対策チームって何にもできなかったのかな」
「聞いた話によると、対策チームはテロ組織の中でも特に強いICMと戦っていてグランデの防衛まで手が回らなかったみたいだよ」
「誰が悪いんじゃない。悪いのはテロ組織」
「ほんと、どうなってしまったんですかね」
グランデがベートノワールに襲われた翌日、陽次たちは生徒会室に集まっていた。テロが起こったことにより、学校では一切のネット回線の使用が禁じられていた。そのため、今はめっきり数の減ってしまったデジタルテレビを引っ張り出し、それでニュースを見ていた。ベートノワールによる被害は大きく、通信の要のメインサーバーを破壊されてしまったため、通信速度と安定性に非常に大きな問題が発生していた。そのため、インターネットはおろか、企業の取引、物流、果ては病院にまで被害が及び、ネット世界はおろか、現実世界ですら大きな混乱に陥っている。ベートノワールという組織は人々の想像以上に巨大な組織らしく、まさに戦争に匹敵する脅威となっていた。
「そういえば、きょーくんはどうだった?」キリカが問いかける。
「まあ、元気そうでしたよ。一晩ゆっくりしていたらだいぶ楽になったって」
「そっか。ならよかった」
グスタフと呼ばれた男が乗っていた黒いICM、それに一方的な攻撃を受けた恭平はすぐさま病院へと運ばれた。仮想世界にアクセスしている最中、何かしらの影響により強制切断をされてしまった場合、通常ならば安全装置が働き、特に問題なく仮想世界からログアウトすることができる。強制切断による人体への影響はそう大きなものではなく、ナノリアクターが消耗してしまう程度であり、時間が経てば正常に戻る。しかし、悪意のある攻撃プログラムなどにより、異常な負荷がナノリアクターにかかった場合には、使用者に大きな負担、あるいはショックを与えることがある。恭平は、黒いICMによる過剰な攻撃により、大きなショックを受け、倒れてしまった。しかし、特に命や健康に別状はなく、二、三日安静にしていれば問題ないという状態だ。
「けど、ほんと、誰も死ななくてよかったね」
「人体への影響は元々ナノリアクターの課題でもあったからね。しっかり安全対策がされているよ」
カチーンという音が灯の頭で鳴る。
「あのね、樋渡君。そういう問題じゃないでしょう。安全対策されていればいいってもんじゃないんだから」陽次の隣に座っていた灯は、ソファーから立ち上がり、陽次に向かって声をあげる。
「そういうことだよ。死なないんだ。死ぬはずがないんだ……」
陽次の言葉はわずかに震えていた。
「そーいえば、結局キリカたちを助けてくれたのは誰だったんだろうね」
場の空気に耐えかねたのか、キリカが話を切り出す。
「あれは、その……タイミングよくサイバーポリスの人が来てくれて、僕たちを助けてくれたんですよ」陽次はあわてて答える。
「たしか、ものすごくかっちょいいICMが助けてくれたよな?」
「あぁ、それです。テロ対策の特殊チームだそうです」
「へぇー、そうなんだ。おしかったなぁ。ぜひ、プログラムを見せて欲しかったんだけどなぁ」
「キリカ先輩、さすがにそれは無理なんじゃないですかね……」
「むー。やっぱ無理かぁ」そういうと、キリカはため息をつきながらソファーにもたれかかる。「あ、そうだ。みんなできょーくんのお見舞いに行こうよ」
「お見舞いですか。いいですね。行きましょう」灯は元気よく手を上げた。
「よしよし。すいちゃんも行くよね?」
「うん。今日は大丈夫」
「やた。よーくんは? 大丈夫?」
「あー、ごめんなさい。この後、ちょっと用事があって……」
「ぶーぶー。友達のお見舞いにいかないなんて薄情だぞー」
友達という言葉を聴いた瞬間、陽次の表情が少しだけ曇った。
「まぁ、樋渡君も予定があるみたいですし。今日はあたしたち三人でいきましょう」
「むー、しょうがないかぁ。よーくん、せめて後で電話ぐらいするんだよ」
「わかってますよ。では、お先に失礼します」
陽次は立ち上がると、バッグを持ち、入り口へと向かう。
「樋渡君」
「ん?」
ドアまできたところで陽次は振り返る。灯がソファーから立ち上がり陽次のほうを見ていた。
「えっと……なんでもない」
「……? まあいいや。じゃあお先に」陽次はドアを開けると、廊下へと出て、再びドアを閉めた。「……薄情、か」
悪気はない、ただの冗談であったキリカの言葉は、陽次の心に深く突き刺さっていた。当時の光景が頭をよぎる。大勢の中、たたずむ一人の少年と動かない大人。陽次はそれをただ遠くから見ているしかなかった。ただ、呆然と。
「やめよう」頭を振り、思考を中断する。そうだ。これから行かなければならないところがあるんだ。自分にそう言い聞かせると、用事は廊下を進み、階段を下りる。玄関で靴を履き替え、学園を出た。出たらすぐに右に曲がり、大通りへ出る。あとは道なりにまっすぐ進むだけだ。
大通りは心なしか、いつもより交通量が少なく感じた。テロの影響だろうか。一部でネット回線が使えなくなってしまったため、物流が止まっているとニュースで言っていたのを思い出す。こうして改めて考えてみると、今の社会はネットに頼りきっている。それが使えなくなると、人々はこんなにも混乱してしまうのか。技術を、道具を使うことで人間は強くなると、誰かが言っていたが、今の人間はその技術に飲まれてしまっている。人間を助けるためのものが人間を退化させる。一体、技術は人間をどこに導こうというのか。そんなことを考えているうちに、陽次は目的の場所に到着した。――碧丘(みどりおか)警察署。市内でもっとも大きな警察署だ。昨日、シェプファーによってベートノワールと撃退した後、陽次たちはネットポリスによって救出された。灯やキリカは被害者として扱われ、特に何もなく開放されたが、シェプファーに乗って、黒いICMと戦った陽次は警察へと呼ばれた。
「あの、すいません。昨日のテロのことで呼ばれた樋渡ですけれども」
「はい。樋渡さんですね。待ちしていました」
初めて体験する警察の事情聴取に、気を重くしながらも、陽次は警察署の奥へと案内されていった。
二
「ふぅ……」
事情聴取が終り、警察署の外へ出ると、太陽はもう間もなく西に姿を隠そうとしていた。時計に目をやると、現在は十九時間近。夏が近いとはいえ、すでに辺りは暗い。むわりとした初夏特有の気候に不快感を抱きながらも、陽次は帰路につく。
「ずいぶんと時間がかかったわね」
不意に声がかけられる。声は後ろのほうからした。陽次はそちらのほうを向く。
「日野さん……」
声の主は灯だった。まだ家に帰っていないのか、制服のままで彼女はそこにいた。
「そりゃ、まあ、警察に呼ばれてるとは言いづらいよね」灯は陽次に一歩近づく。
「あんまり心配をかけたくなかったからね」
「ふーん」灯は中腰の姿勢を取り、陽次を見上げる。
「な、なに……?」
「べつに」灯は元の姿勢に戻ると、今度は陽次に背を向けた。
「あ、そうだ。会長はどうだった?」
「元気だったよ。もういつもどおりね。念のため、明日一日安静にしたら学校に来るって」
「そうか。ならよかった」
「……ねぇ」灯は正面を向く。「キリカ先輩たちにあのICMのことを黙っていたのも心配させないため?」
「……言う必要はないかなって」陽次は顔を逸らす。「キリカさんのことだ。きっと、ICMを調べて、テロ組織に対抗できるものを作る、とか言い出しそうだからね。巻き込まないためにも言わない方がいいと思った」
「そっか」
「もしかして怒ってる?」
「んーん、そんなことないよ」灯は顔を上へ向ける。「ただ、ちょっと心配だなって」
「心配? なにが?」
「樋渡君が。なんか、一人で全部抱えてそうだから」
「そんなことないよ。現にさっきまで警察の人に相談してたんだ。大丈夫だよ」
「そういうことじゃない」灯は陽次に視線を向ける。「そういうことじゃないんだよ。もっとこう、なんていうのかな。樋渡君の本心、それを溜め込んでるんじゃないかってこと」
「僕の本心?」
「そう。あたしは怖かった。昨日のこと。いくら仮想世界が安全に作られているとはいえ、リアルな分、本当に死んじゃうんじゃないかって思った。だから、家に帰ってお母さんに、家族に全部話した。そういう正直な思い、不安とかを溜め込んでいるんじゃないかって」
「正直な気持ち、か」
「そう。そういうのを溜め込まないで、誰かに相談したほうがいいよ。だって、あたしだったら、そんな、見知らぬICMなんて持ったら怖いと思うよ……」
灯の表情が暗いものへ変わる。そこから彼女が自分を気にかけてくれていることが伺えた。
「まぁ、僕は大丈夫だよ。さぁ、もう暗いし、そろそろ帰ろう」
「……うん」
自分の気持ち……そんなものとっくに気づいている。しかし、僕は気づかないふりをする。目を逸らす。自分はそんなこと思っていない。いつも通りだと自分を騙す。そう思っている自分を、さらに騙す。そうやってごまかしてばかりいるから、やがて本当の自分がどれなのかがわからなくなる。一体、僕とはどんな存在だったのだろう。陽次はそんな問いを自分に投げかける。お決まりのパターン。自分を騙すときの常套句だ。
「……ねぇ」灯が口を開く。彼女の視線はある方へ向いている。
「あぁ」陽次は彼女が何を思っているのかすぐにわかった。
「あれ……あれだよね」
「あぁ」
二人の視線の先、そこには一人の男性が道路にうつ伏せになって倒れていた。
「死んで……ないよね?」
「た、たぶん」
「あ、あんた確認してよ」
「えぇ、僕が?」
「そうよ!」
「ひ、日野さんがいってよ」
「なんであたしが!?」
「だってほら、日野さん度胸あるし……」
「ちょっと、それどういう意味よ」灯は眉を吊り上げる。
「ご、ごめん。特に意味はないよ」陽次はあわててつくろう。「じゃ、じゃあ、二人で行こう」
「そう……ね。そうしましょう」
二人は男性をじっと見つめる。そして、少しづつ近づいていった。五メートル、四メートル、三メートル、二メートル……もう手を伸ばせば届く距離だ。
「い、いくわよ」
「うん……」
陽次と灯は同時に男性の背中へと手を伸ばす。がたがたと震える二本の腕。それが男性の背中に触れる瞬間、ビクンと彼の背中が動いた。
「ひぃぃぃい!」
二人はあわてて身を引く。
「い、生きてる?」
「んあぁ……勝手に人を殺すな」
男性はボサボサになった頭をかきながら、上半身を起き上がらせた。
「くっそ。まさかこんなところでぶっ倒れるとはな」
やってしまったといった様子で男性は辺りを見回す。男性は、金色の髪を後ろにすべて流しており、黒のサングラスをつけている。座ったままなので正しくはわからないが、身長は陽次よりも高いだろう。百八十はあるかもしれない。
「あ……あの?」灯は男性に問いかける。
「ああぁん?」
「ひぃ! だ、だいじょうぶですか?」
「うーん。ちょっと頭がクラクラする」男性は頭をかいていた手で、今度は頭を殴り始めた。「だめだ。すまん、お二人さん。デート中悪いが、ちょっと家まで肩を貸してくれないか?」
「で、でででで、デート? 違います。彼は別に恋人でもなんでもないです」灯は顔を赤く染めながら、手を振り回す。
「日野さん、落ち着いて落ち着いて」
「あれ、違ったのか。まあいい。ちょっと頼む。すぐそこだからさ」男性は腕を上げて、二人を促す。子供がやる「だっこ」のポーズだ。
「仕方ない。日野さん、そっちの肩を持ってあげて」
「あ、あたしは別にデートなんか……」
「おーい、日野さーん?」
「ひぇっ? あ、うん。わかった」陽次の一言で我に返ったのか、灯は頭を左右に振り、気持ちを入れ替えると、男性の左腕の下に頭を入れる。
「じゃあ、せーのでいくよ」
「わかったわ。せーのっ。うわっ。重っ!」
「ははは、こう見えて九十八キロあるんだよ」
「えぇ!? そんなに!?」
「あほか、そんなにあるわけないだろう」
「樋渡君。今すぐ落とそう」
「ああ、ごめんごめん。すまん。悪かった。頼む」
「あんた、自分の立場をわかってるのかしら?」
「いやぁ、ついボケてしまう性格でね」
「やっぱ落とそうかしら……」
「あああ、すまない。あ、そこをまっすぐ頼む」
「本当に落としたくなってきた……」
「まぁ、日野さん、落ち着いて」
陽次たちは男性に肩を貸したまま、彼の言うとおり道を進んでいった。途中、灯が何度か落とそう、道路に投げようとつぶやいていたが、陽次がそれをなんとかなだめ、目的地までたどり着いた。
「ここだ」
「日本……演算研究所……?」
「あぁ、ここの所長が俺だ」
到着したのはどう見ても研究所とは思えない古いビルだった。建築してから四十年は経っているであろう、その建築物は、所々の外装がはがれており、元は白だったと思われる塗装は、薄汚れており、まるで長年使った上履きのような色をしていた。これなら、まだ小学校のパソコンルームの方がまともなものを作れそうだ、と陽次は思った。
「よっと、さんきゅう」男性は陽次たちの手を解き、自分で立ち上がる。「ん、お前……」
「え?」
男性は陽次をじっと見つめていた。いや、性格には陽次の胸元、彼が大事にしているペンダントに向けられていた。
「このペンダントを知ってるんですか?」
「いや、しらねぇ。知り合いが持っているのに似てたんでついな。そうだ、ちょっと寄っていけよ。礼に茶ぐらいだすぜ」
「樋渡君、この人怪しいよ……」
「おい、娘。聞こえてるぞ」
「そうですね。せっかく誘ってもらって悪いんですけど、時間も時間なんで失礼します」
「うんうん。帰ろう帰ろう」
「そうか。残念だな。せっかく教えてやろうと思ったんだがな」男性の声がワントーン下がる。「そのICM、シェプファーについて」
「なぜ、知ってる……?」
陽次は足を止めると、男性のほうへ振り返り、彼を凝視する。男性はサングラスに手を当てながら口元をあげ、愉悦の表情を浮かべている。
「どうする? 寄っていくか?」
この男は一体何を知っているのか。陽次のICMシェプファーのことは誰にも話していない。警察にある程度の話はしたが、なぜシェプファーが自分の手にあるのかは陽次自身もまったくわかっていない。もし、それがわかる人物がいるとすれば、そう。それは、シェプファーを製造した者のみだ。彼は一体何を知っているのか。陽次は湧き上がる疑問を抑えきれずいる。
「決まり、みたいだな。よし、来な」男性はビルの入り口を指差す。
「ちょ、ちょっと樋渡君。本当に行く気?」
「僕は知りたい。なぜ、あのICMが僕の元にあるのかを」
男性は入り口へ向かって歩いていく。陽次もそれに続いた。しかし、影は二つ動いた。
「あ、あたしもいくわ。樋渡君だけじゃ……なんか心配」
「それって僕が危なっかしいってこと?」
「うん。なんか、樋渡君、気づいたら変なところにいそうで」
「変なイメージを持たれてるな……。けど、大丈夫なの?」
「大丈夫。うちの人みんな帰ってくるの遅いから。それに、何かあったら樋渡君が……あたしが戦ったほうが良さそうね」
「ひ弱で悪かったね」
「ほら、お二人さん。いちゃついてないでさっさとこい」
「べ、別にいちゃついてなんか!」
「日野さん、行くよ」
「あぁ、もう。調子狂うなぁ」
三人はビルの中へと入っていった。入り口の先は通路になっており、奥に二階へと続く階段が見える。通路はビルの左端に通っているようで、左側は壁、右側の中央付近に扉があった。
「ここがメインルームだ」男性はその扉を開けた。「まあ、入ってくれ」
扉の先は、こじんまりとしたオフィスだった。扉の向かいの壁には本棚があり、たくさんの書籍が無造作に積まれている。左手は台所のようで、業務用の巨大なコーヒーメーカーが大部分を占拠していた。中央は応接スペースのようで、ガラス張りの机とそれを囲うように四隅に配置されたソファーがある。
「なんというか……うん、汚い」
「わかってないな。研究所とはすべからずこんなもんだ。それに、汚いんじゃない。物が多くて散らかってるだけだ」
「それを汚いって言うんじゃ……ん?」
部屋を見回しているうちに、陽次はある箇所に目が行く。それは部屋の右側。そこには巨大なキャビネットデスクと数台のモニタ、そして人が来たのにも関わらず、まったく反応を示さない誰かがいた。
「あぁ、うちのメンバー、シンだ。ちょっと無愛想なんだが、まあ許してやってくれ」
「それは別に、気にしてないですけど……」
シンと呼ばれた人物、彼はひたすらキーボードを叩いていた。時たまボサボサになった頭をかくだけで、一切陽次たちに反応を示さない。おそらく、無視しているわけではないのだろう。見えていないのだ。自分が今意識を向けているもの意外に関心を持っていない。そんな人なのだろう。しかし、なぜか、陽次は彼を懐かしいと感じた。
「まあ、座ってろ。今コーヒーを出してやる。研究所といえばやっぱりこれだ」
「そうなの?」灯は陽次に問いかける。
「いや、僕に聞かれても困るよ」
陽次と灯はソファーに腰掛けた。長年使い古しているのか、埃っぽい空気が舞う。
「はい。お待ちどうさん」
男性はトレイに乗せたコーヒーを陽次と灯の前に置く。そして、自分もソファーに座り、コーヒーに口をつけた。
「そういえば、自己紹介が遅れたな。俺の名前は長倉 優助(ながくら ゆうすけ)。この日本演算研究所の所長だ」
「長倉さん……僕は樋渡、樋渡 陽次です」
「陽次君ね。で、そっちのお嬢さんは?」優助はむすっとした顔をしている灯に視線を向ける。
「……灯。日野 灯」
「灯ちゃんね」
「ちゃ、ちゃん……!?」灯は驚いたような、怒ったような表情をする。ちゃん付けになれていないのだろうか。
「なんだ、いやなのか、ちゃん付け?」
「そんなことはないけど……」
「なら、いいだろう。よし、じゃあ早速だが、陽次君、キミのICMを見せてもらってもいいかな?」
「わかりました」
陽次は自分のコンソールを起動させ、ICM――シェプファーの情報を表示させる。白い創造主シェプファー。その姿がコンソールに表示される。
「なるほど……こいつはすごいな」
「わかるんですか?」
「これでも技術屋の端くれだからな。このICMを作ったやつは間違いなく天才だな。俺なんかとは比べ物にならねぇ」
「え、長倉さんもICMを?」
「まあな。もっとも、大半はシンが作ってるんだがな」優助はシンへ視線を向ける。
「シンさん、すごいんですね」
「しかし、本当にすごいな。まさか、ここまでの出来だとは思ってなかった」優助は感嘆の声をあげる。「おそらく、基本性能だけならば世界でもトップクラスの出来だ……」
「樋渡君のそれ、そんなにすごいICMだったんだ……」
「みたいだね。一体誰がこんなものを……」
「そういえば、なんでこの人は樋渡君のICMのことを知ってたの?」
「あ、たしかに……」
二人は疑問を含んだ目で優助を見る。
「別に大したことじゃないさ。俺ら情報技術屋にとってネット世界での動きは商売に関わる大事な情報だ。で、昨日、一番金が動くグランデでテロが起きたっていうから色々ログを漁ったりしてたら、見慣れないICMを見つけた。それがお前さんってわけよ。今日警察に呼ばれるってことまでわかってたからな。あとは、朝からひたすら張り込みをだな……」
「もしかして、その途中で倒れて……?」
「うむ。いつ来るかわからんと思って張り切ってたんだが、今日は一段と暑くてな……。さすがの俺様も参ったわ」
「樋渡君、この人、本当に危ないと思うよ……」
「だから、娘、聞こえてるぞ。もっと小さく言ったらどうなんだ」
「なるほど……じゃあ、製作者や送り主まではわからないんですね?」優助の発言など気にせず、陽次は自分の問いを投げる。
「すまんが、俺にわかるのはそれぐらいだな。ログ解析を進めればわかるかもしれないが、なにせ量が膨大でね。時間がかかる」
「わかりました。では、何かわかったら教えてくれます?」
「あぁ、かまわんよ。ほら、俺のアドレスだ」
陽次のコンソールから新着データを告げるアラーとが鳴る。そこには、優助の電話番号とアドレス、そしてこの研究所の簡単な情報が記載されていた。
「さて、そろそろいい時間だな。引き止めて悪かったな」
「いえ、どうもありがとうございました」陽次はソファーから立ち上がる。
「帰るの?」
「うん。あんまり遅くまでいてもね」
「そうね」灯も続いて立ち上がった。
「気をつけて帰りな」優助はソファーに座ったまま手を振る。
「えぇ、お邪魔しました」
陽次はドアを開け、廊下へ出る。灯も優助に向かってあっかんべーをしてからそれに続いた。廊下を進み。外へ出る。あたりはすでに真っ暗になっており、道路を走る車のランプがまぶしく感じる。
「さて、じゃあ帰ろうか」
「そうね」
陽次と灯は帰路を進む。
「にしても、変な人だったわね」
「けど、面白い人だったよ」
「うーん、面白いというかムカツクというか……」
「日野さん、ずいぶんと怒ってたね」
「なんというかこう、いちいちイラッときちゃってね」
「ずいぶんと嫌われたもんだね」
そんな他愛もない会話をやり取りしながら陽次と灯は道を進む。相変わらず道路を走る車の数は少なく、常に車で埋め尽くされている道路は閑散としていた。普段あるものがなくなると、とたんにさびしくなる。それは人だけでなく、町並みにも言えることだった。
やがて、三叉路にたどり着いた。陽次の家は右、灯は左だ。
「じゃあ、また明日ね」
「うん、また」
「……ねぇ、樋渡君」
「ん?」
「……ううん、なんでもない。また明日、学校でね」
「あ……あぁ。また明日」
灯は軽く手を振ると、左の道を進んでいった。ある程度彼女が進んだところで陽次は右の道を進む。そして、二分ほど歩いたところで、彼は道を引き返した。三叉路に戻ってくる。こっそりと灯の進んだ道を覗いた。彼女の姿はすでになかった。陽次はすばやく三叉路を抜け、道を急ぐ。これ以上、彼女を巻き込みたくはなかった。陽次は直感的に感じている。このICMに関わっていくと、何かよからぬことが起きると。しかし、彼はその胸騒ぎに逆らうことができなかった。シェプファーを送ってきた人物。その人に会いたい。もしかしたら、その人は……。
やがて、陽次はあるビルの前に来た。――日本演算研究所。改めてビルを見ると、特にインターフォンらしきものはなかった。仕方ないとあきらめ、入り口のドアをノックしてから、ビルの中に入った。廊下を進み、右側のドアの前に立つ。深呼吸。心を落ち着けてから、ドアをノックする。
「どうぞ」中から声が聞こえた。
「失礼します」
「なんだお前か」優助は残念そうな顔をする。テーブルには空になったコーヒーカップが三つ置かれていた。
「まるで、僕が来るのを待っていたようですね」
「はん、だれが男の来客なんて心待ちにするか」優助は鼻で笑う。「で、なんのようだ?」
「シュバルツシルト、あの機体の情報が見たい」
「知らん。そんなものはもっとらん」
「いえ、あなたはグランデのログの中から僕のICM、シェプファーの戦闘ログを見つけたと言った。なら、そのログには戦った黒いICM、シュバルツシルトの情報もあるはずです。それとも……もっと別の方法でシェプファーのことを調べたんですか?」
「……ったく。最近のガキはめんどくせぇなぁ」優助はめんどくさそうに頭をかく。
「見せてくれます?」
「仕方ねぇな」優助はコンソールを立ち上げ、次々とフォルダを表示させていく。「ほら、これだ」
陽次の目の前にディスプレイが現れる。そこには、昨日見た漆黒のICM――シュバルツシルトの姿があった。
「これだ……たしかにこいつだ」
「シュバルツシルト。接近戦に特化した武装を多く積んだ攻撃用ICM。詳しい情報はわからないが、おそらくは第三世代の機体だ」
「第三世代?」
「あぁ、ICMにも歴史があってな。仮想世界黎明期に作られたものを第一世代というんだ。そして、ほどなくしてある人物が仮想世界においてより効率の良い機体構造を提案した。その構造を取っているのが第二世代」
「第三世代はそれとどう違うんです?」
「第一世代、第二世代のICMは仮想現実のサーバーで演算の大半を行うんだ。だから、機能に制限がかかったり、速度が遅かったり、その気になれば機体をのっとることだってできた。だが、それでは兵器としての有効性が低いと感じたやつらがいてな。操縦者に大量のナノリアクターを投入することで演算能力を強化し、自分自身でICMに必要な演算を行うようにした。この機能――ゼルプスト関数を搭載した機体を第三世代と呼ぶ」
「自分自身で演算……を?」
「第三世代のICMは以前のものと比べ圧倒的に性能が上がった。ベートノワールがネットポリスを圧倒したのは、このためだ。だが、しかし、ゼルプスト関数には致命的な欠点がある。もし、ICMがダメージを受けたとき、それは直接使用者の体にダメージを与える」優助は陽次を見る。「そして、このゼルプスト関数はお前のICM……シェプファーにも搭載されている」
「えっ……」
「悪いことは言わん。もうこの機体に乗るのはやめろ」
「この機体にゼルプスト関数が……」
「どこの誰がやったのかはわからんが、これをお前を送ってきたやつは……ったく」
「なぜ、さっき教えてくれなかったんですか?」
「……あの場で帰るようだったら、ただの興味本位。積極的にICMを使うことはないだろうと思った。だが、ここに帰ってくる、もしくは俺に連絡をしてくるようなら話は別だ。お前の中で何かしら決心したことがあるんだろうとな」いつの間にか優助の表情からふざけた態度は消えていた。真剣な、何かを伝えたがっている顔だ。「まあ、それにあの子がいる前でそんな話はしないほうがいいだろうと思ってな」
「それは助かりましたよ。けど、それでも僕はこのICMに乗ると言ったら?」
「別にどうもしねぇよ。警告はした。俺ができるのはそれだけだ」
「わかりました……」
「一つ、いいか? 何でお前は今回の事件に首を突っ込みたがる?」
「別に首を突っ込みたいわけじゃないですよ。できればテロ組織なんてごめんですし、危ない機能の搭載されたICMなんて乗りたくない。けど、もしかしたら、この機体を送ってきた人物……その人が僕にとって大切な人かもしれないんです」
「大切な人ねぇ……家族か?」
「友達です」
「なるほど……なら、その友達はよっぽどなんだろうな」優助はカップに残っていたコーヒーを飲み干す。「まぁ、そういうなら止めはしないさ。自分が思うとおりにすればいい。ただ、後悔だけはないようにな」
「ありがとうございます」
「よし、今日のところはもう帰りな。俺はちょっと仕事がある」
「お忙しいところごめんなさい」
「まぁ、気にするな。俺もいいものが見れたしな。何か、わかったことがあれば連絡してやる」
「はい。では、ありがとうございました」
「何度もありがとうありがとう言いすぎだってんだ」
陽次はお辞儀をしてからビルを出る。徐々に、彼の運命は動き出していた。これから訪れるであろう運命の本流。その先に、彼が探しているものは見つかるのか。それとも……?
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