花火の夜に
開始時刻と同時に、夜空という名のキャンバスに大輪の花が描かれる。
聞こえてくるのは、見物人の歓声、「たまやー」とかいう陳腐な掛け声、そして、けたたましく響く救急車のサイレンだけ。
僕は一人。
彼女はこない。
やはり、待ち合わせ場所を花火大会の会場にしたのはまずかった。人が多くて見付けづらい上に、人混みの中にぽつんといると、なんだか一人、取り残されたような気分になる。
誰も僕の存在を気にしない。
無造作に置いて行かれたビールの空き缶のように、僕は景色の一部として、その場の空気に溶けていくだけ──、そんな気がした。
花火はあがる。
見上げる人の顔が、同じ色に染められる。
そんな光景が妙に面白くなり、少しほくそ笑んだ。
誰も僕の存在を気にしない。
彼女はこない。
近くで事故でもあったのだろうか。
事故?
彼女はこない。
突如として、僕は不安に包まれた。彼女はここに来る途中、事故に巻き込まれたのではないかと。
彼女に連絡しようと、ケータイを取り出そうとした。
──ない。家に忘れてきてしまったのか。落としたのか。
花火を見上げる人間しかいない中、僕はただ一人、下を向いてケータイを探した。
誰も僕の存在を気にしない。
ケータイはない。
とその時、虫のようにはいつくばっている僕の目の前に、天使がふわりと舞い降りた。
「純ちゃん、何してんの?」
彼女はきた。
紫陽花が描かれた紺色の浴衣に、蛍光色が強めの黄色い帯を併せ、僕の行動を不思議そうに観察していた。
「あ、いや、何でもない」
そう言い、手をポンポンと叩きながら立ち上がった。
「人が多くってさ、探しちゃったよ」
ほっと胸を撫で下ろすように彼女は言った。まるで、迷子になった我が子を見付けた母親のように。
僕はようやく、景色の一部から脱出できたような気がする。
──小一時間が経過した。
僕を見付け安心したのか、彼女は終始、花火そっちのけで話し続けていた。
とその時、僕は、僕ら二人を見る異様な視線に気付く。みんな僕らの存在に注目している。さっきまで気にもしなかったのが嘘のように、まるで精神異常者でも見るかのような視線を浴びせ続けていた。
僕らは話すのを止めた。
すると、絡み付いていた視線から解放され、みんな元の姿勢に戻っていった。
いったい僕らが何をしたというのだろうか。僕らはただ、二人で話をしてただけなのに。
話を?
僕は、はっと気付く。
遅れてきた彼女。
救急車のサイレン。
事故。
二人で話。
注目される。
ひょっとして彼女は、この場に存在しないのかもしれない。
やはり彼女は、ここに来る途中で事故に遭い、救急車で運ばれた。じゃあ、僕が話しているのは何だろうか。
彼女の意志。
彼女の魂。
彼女の霊。
彼女の幻影。
わからない。
わからないけど、彼女自身がこの場にいないと考えるのが一番つじつまが合う。
僕は恐る恐ると、気付かれないよう彼女の手を握った。
手応えがない。
感覚がない。
やはり彼女はいない。
僕はこのことを、彼女に伝えなければならないのだろうか。
わからない。
とその時、ケータイの電子音が鳴り響く。
彼女が出る。
出る?
実体がないのに。
ケータイに、出る?
彼女は存在する。
僕は混乱する。
彼女は、電話の相手に声を荒らげ電話を切った。そして彼女は、呆れ返った口調で、僕にこう言ったんだ。
「なんかさ、純ちゃんが事故に遭って死んじゃったんだってさ」
僕はすべてを悟った。
彼女はまだ気付かない。
僕らは、忘れていた花火を見上げた。
調度、フィナーレを迎えた頃で、色とりどりの花が、真っ黒なキャンバスをその光で埋め尽くし、とても綺麗だった。
同じ色に染められる、彼女の笑顔もまた、そうであるように。
花火の夜に