夜の夢

夜の夢


ひとりの少年が青い暗い街路を歩いていた。空の月はあいにくの灰色の雲で見えず、少年は等間隔に突っ立っている街灯を頼るほかなかった。彼はただ歩を進めていくと、黒い建物のシルエット群のあいだあいだから、光の道を見つけた。それは空中に浮かんでいた。少年が歩いている街の、はるか真上に、きらきらと輝く光の道はあった。そこにはうすい黄色と、赤い色の光が、たがいに煌きながら、光の道を走ってゆくのである。…ごうううん、ごうううん、と光が駆け抜ける音が…無言をつらぬく家々を縫って飛び越え…地鳴りが聞こえる。街のいっさいは静寂で、この寥々とした小夜をいろどるのはその骨盤にひびくような、低い、地鳴りの音しかなかった。いや、それは少年にとって数秒前までのことだ。今この刹那、少年はみずからの後ろにちかづく、人の足音を耳にした。
「だれですか。」
少年はとっさに、後ろを振り向き、あやしき影の正体を暴こうとした。
足音だけを許して街灯のスポットにあらわれたのは、少年よりふたまわりくらい小さい背の高さの、少女だった。黒い街を背景に、白いワンピースを着た彼女が、ぼおっと街灯に照らされているのを見るのは、少々少年にとって寒気を感じるものでもあった。さいしょ少年は、街に噂される、人を陥れる幽霊怪物のたぐいだと容姿をみて推理した。しかし、その少女の憂いの表情をたくわえた顔つき、…火照った頬、すこし汗で額にはりついた黒い髪、を梳かすような、なでるようなしぐさをしながら、少女は少年をじっと見つめた。少年はそのさまをみると、ふいに彼女のあたりに生気がたちこめているような気がして、彼女を人間だと考えこんだ。
「だれですか。」
少年はさっきの質問をくりかえした。
「あなたこそ、」
少女は初めてくちびるを開いた。
「今まで街で見かけたことのない顔ね。どこから来たの?」
「ぼくは、」
少年は自分の故郷を、国の名前を言おうとした。けれど、それ以上少年の渇いたのどから出る言葉はなかった。今の少年には断片的な記憶しか残っていなかったのだ。それは、はてしなく蒙昧で、しかも今の彼にはそれを啓くてがかりもなかった。
「…。」
自分にみかねた少年は、はるか天を、いや、その天を覆う光の道を指差した。ごうううん…。
「あら、あそこから来たの。ふーん。」
少女はそれで納得した。
頭上の光の道に、ひときわ大きな赤い光が駆け抜けて行った。それはまるで一瞬だったので、少年たちには、赤い彗星が空に落ちてきたように見えた。その光景に少年は感動した。そのようすを見た少女が口を開いた。
「あれはただの光だけど、…知ってる?流れ星って、神様が空のドアを開ける瞬間の光なのよ。わたしたちは夜のとばりに閉じ込められていて、神様はたまーに、中身が気になってドアを開けて、わたしたちを覗こうとするのよ。」
「へえ。知りませんでした。神様は、雲の向こうに住んでいるのですね。自分の国では、神殿に住んでらっしゃると聞きました。」
「それは、親身な神様ね。」
少女は立ち話に飽きたようで、来た道を戻っていった。少年は、名残惜しくて、思わず白い背中に声をかけた。
「ついていってもいいですか?」
「いいけどあそこから離れちゃうわよ。」
少女は振り返らずに言った。
「構いません。」
少年は云った。駆け足で、彼女を追いかけて行った。石畳の街路は、走るのには不向きなようで、少年は何度もつまずきかけた。暗い夜がそれに拍車をかけた。
少女のとなりにまで追いつくと、少年は満足して走るのをやめた。彼女のとなりにいると、風がふわふわとそよぐたび、少女の髪はそれに乗り、甘い匂いを少年の鼻までもってきては、彼の気分を高揚させた。少年が少女を必死に追いかけていったのは、はたから見れば蜜に狂乱する蜂のようで、いささかコッケイでもあった。
ふと彼は後ろを振り返った。闇と建物にとざされた風景には、もう光の道はうつっていなかった。空は黒く濁り、街の建物のそれと区別がつかなくなってきた。あの地鳴りも、もはや聞こえず、占めるのは少年と少女の足音のみなのだった。そして頼るのは街灯と少女だけであり、彼はやや不安な気分が増してきたので、少年は少女の顔を覗き込んでみた。
少女は彼の視線に気がついてそちらをみた。少女は少し怪訝そうな顔をしたが、すぐに戻って言った。
「わたしの祖父は大陸から来たの。大陸の一族の血が、わたしには入ってるから、あなたみたいな人にとっては、わたしはゲテモノなのよね。」
「そうなのですか。いいえ、ゲテモノなんて。美しいです。」
「ありがとう。」
少女は笑って返事をした。少年は彼女の反応に満足した。
「ぼくは海に出たことはありませんが、大陸の話は知っています。ここの何十倍と広い曠野がひろがっていて、人々は馬の親戚みたいなどうぶつを飼い慣らして、それにまたがって移動しながら暮らしている。そうでしょう。」
「わたしもそう聞いたわ。わたしの祖父は、王様がらみの反乱にいやけをさして、こっちに渡ったみたいなの。」
「王様がらみの反乱?」
「そう、なんでも、正妻の不妊の后が、はしために恋した王様に怒って、そのはしためとの間にできた王様の子供を、嫉妬のあまり首を締めて川に流しちゃったらしいの。それに怒った王様は、正妻とその親族だった貴族たちを刑罰にかけたりして、気がついたら国中おおさわぎの反乱合戦よ。」
ふわっと下から持ち上げる風が吹いて、彼女のスカートをゆらした。少年は彼女のふくらはぎを見た。街灯に照らされたそれは、真っ白で、もしかしたらこの少女は夜の間にしか外出せず、産まれてから一度も日光を直に浴びていないのかしらんと思ったくらいだった。
「…おそろしいですね。向こうの人々は。」
「そう、けど、わたしが今ここに居るってことは、わたしの祖父は割合おくびょうだったみたいだね。」
少女はそれからも国の話をした。異国に興味があった少年にとっておおいに興味をひくものであり、同時に彼女の博識に感心した。夜の不安は、いづこへか消えていた。
「ここよ。」
しばらく談笑しながら歩いていくと、とつぜん目の前に、建物が闇から浮き上がった。
少女はどこからかカギを取り出すと、扉に差し込み、解錠して戸を開けた。
「狭くてごめんね。」
少女が中に入ったので、少年もそれにつづいた。
少女はそれを見て、扉の前までゆき、戸を閉め、カギをかけた。とたん、少年は少女におおいかぶさった。彼は少女の柔らかい肩を抱いた。少女も少年の腕に身を任せていた。彼は少女のうなじに顔を寄せた。髪の毛からの少女の、甘ったるい匂いが彼を刺激した。しばらくのあと、少年は彼女の肩に手を乗せ、いったん彼女を胸元から引き離し、互いの顔が見れるようにした。紅をさした少女らしい彼女の頬や、愛くるしい小さなくちびるに彼はキスしようと顔を少女の顔に近づけていった。少女もそれに応えるように、潤んだ瞳を閉じた。とたん、部屋の天井がぱっくりと開いて、神々しい光が部屋を、少女と少年をつつみこみ、その割れた天井から、光の中から、誰かが覗いているのが分かった。急に少女と少年は恥ずかしくなり、その身を互いに引いてしまったのだった。

夜の夢

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夢の記録

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-27

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