それは意外にも静かに 7

ちょいと忙しい

「おう、葉子ちゃん。なんだ、その大荷物は?」
店に入ると、私を見たマスターが大きなトートバックを指して聞いてきた。

「ああ、ちょっと遠足の帰りですよ」

午後の便で福岡から東京に帰って来た。夕方から夜のバイトのシフトが入っていたので、空港から直接向かった。予定をギリギリで組む癖が付いていた。

「楽しい遠足だったの?」
マスターは、子供をあやすのがうまいんだろうか。

「ええ。それは非常に興味深いものでした」
なんて生意気な子供なんだろう。大人に甘えすぎだろう。

夕飯時、大体午後7時から8時の店は、ちょうど喫茶店とバーの転換の時間ということもあって客の数は少なく、のんびりと仕事ができる時間だった。

そんな時間も経っていくほどに客が少しずつ入ってくる。扱う食器がコーヒーカップからビールグラスになっていく。

夜の早い時間は、店の近くで働いているサラリーマンらしき人たちが同僚と軽く飲みに来る。夜が深くなってくると、きっとどこか違う店で宴を始めた客が飲み直しにここに来る。

色んな客が来てお酒を飲みながら話をして行く。でもそれは決してカオスな空気ではない、なにかこう無作為ではあるがどこか整頓されているようなこの空気が大好きだった。

様々な人間が立ち寄り、言霊を置いていく。それがどんなに薄いないようだろうと、はてそれが嘘の話しだろうと何だってよかった。
話が生まれるには、何か必ず背景がある。
背景を背にした絵が何枚も宙に、この店の中に浮かんでる。そんな気がする。

カウンター席には、時折“おひとりさま”が座る。

今日も、少し前からその方がいらっしゃった。
「こちら、ギネスになります」

少し寸胴に見えるグラスに並々と注がれた黒ビールを手にするとその女性は、煙草に火を付けた。
この日、カウンターにはまだ彼女しか座っていなかった。

「黒ビールお好きなんですか?」
試しに話しかけてみた。バーに一人で来て、カウンターに座るお客は大体、何か喋りたくて座ることが多い。そうでなければ、この質問に対する反応を見ればわかることだ。


「本当は、そんなに好きじゃないんだけどね」

彼女の顔はどこか暗かった。それを隠すかのように笑顔を作っていたが、それはあまりにも不自然に映った。

「それなら、他の種類もございますが」

「いいの、手っとり早く酔っぱらいたいから」

「それでは、何かショットはいかがですか?」

「いや、そんなにお酒強くないからさ。これで十分、ありがとう」

「かしこまりました。あの、失礼かもしれませんが、もしお疲れなら、リラクゼーション効果のあるキャンドルでもいかがですか?」

「そんなのも出してくれるの、いいね、お願いします。でもさ、単に疲れてるわけじゃないから効果はきっとここだけかもしれない」

「はあ、複雑に疲れてらっしゃるんですか?」

女性のお客さんは、あははとやっと本当の笑顔を見せてくれた。
私は、急いで裏に周り私のロッカーから福岡土産の袋をあさると薄ラベンダー色のそのキャンドルを一つ出すとまた表に戻る。
取りとめキャンドルを入れるものがないので、しょうがなく使っていない灰皿を使った。

すっと、お客の前にそのキャンドルをだすと彼女は喜んでくれた。

「仕事で疲れてるなら解決の仕様がわかるんだけど、彼氏が原因だと思うんだよね」

キャンドルの炎が揺れる。

最近、転職に成功した彼氏が仕事の関係で彼女との約束を頻繁にキャンセルせざるを得ない状況があるのだという。
転職先で始めたばかりなので、上司の誘いが断れなかったり、スタートで足を引っ張るまいとついつい張り切ってしまうらしい。
彼女との約束をキャンセルすることについては、毎回申し訳なさそうな顔をするし、やっと念願叶った彼の再出発を邪魔したくないけど、今のこの状況にイライラが募っているのだ。
誰も責めることができない状況で彼女は、すでに自分自身を責めていた。
彼の再出発を心から応援、歓迎していない自分が情けないと。

「なるほどね」

彼女の長い説明の後に、機能的にこの短い言葉を置いてみる。

「一つ言えることは、自分を嫌いにならない方がいいかと。というか、自分は自分だけでも好いてあげないと」

「え、どういうこと?」

「だって、そんな状況の中で彼を責めることができないってところまで辿り着いてることがすでに、とても寛大だと思いますよ。人によっては、再出発や転職だろうと何だろうと彼女を優先してくれない彼氏を責めますからね。ご自分を褒めてあげてくださいよ」

「バーテンさん、面白いこと言うね」

「それに、これは少し厳しい意見かもしれません。例えば、彼にドタキャンされた時間は、ドタキャンされてもお客さんの時間でもあるんですよ。なんだろう、時間に題名を付けるとしたら、その時間が“デート”から、そのドタキャンによって“自由時間”に変わるみたいな。それを、ただシクシク悲しんでいたりイライラしてすごしていてはもったいないかなーと、思うんですよね。可愛い自分を、ただ悲しませたくないじゃないですか。だから、うんと使ってしまうんですよ自分の為に」

「なるほどね」

ついさっき私が置いた言葉を、今度は彼女が置いていた。
他のお客から注文を受けるために私は、少しその場所を離れた。

しばらくして戻ると、彼女のグラスは空になっていた。

「次のグラスはいかがにしますか?」

「そうだねー。じゃあもう一杯小さいのお願いします」

「あら、酔っぱらわなかったですか?」

「いや、もう大分ふらついてるんだど、面白いからもう少し飲みたい」

「ありがとうございます」

「もう、バーテンさん面白いんだもん」

「あはは。毎日インターネットのコラム読んでネタ集めに必死ですよ」



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追加した、小さい黒ビールをゆっくり終わらせると、彼女はそれはそれは自然で素敵な笑顔を残して帰って行った。

福岡の土産にと健さんが沢山買ってくれたラベンダーのキャンドルの火はまだふわふわと揺れていた。


カランカラン


閉店間際の平日の深夜に、珍しく来客だ。

「いらっしゃいませ」

振り返って来客に声をかけると、そこに立っていたのは晃央だった。

「電話でないから、こっちかなと思って。作業が以外とはやく終わったから」

「大正解だったね」

「やったね」


「おや、珍しいお客さんだ」
裏から戻ったマスターは、晃央の来店を喜んだ。

下戸な晃央に、マスターはノンアルコールカクテルを作ってくれた。


「さてさて、お迎え様も来たことだし」
小さくカウンターの中でつぶやくと、マスターはテーブル席に残っていたひと組のお客に歩み寄り声をかける。


手早く片づけを終え、裏で帰宅のために支度をする。
普段使っている小さなカバンの横に大きなトートバックを見て立ち尽くす。

どうしよう。


店の外に出ると、マスターと晃央が立ち話をしていた。

私は、何もなかったかのようにそのトートバックを右手に持つ。
「お待たせしました」

マスターが店の扉に鍵を掛ける。

晃央はトートバックに気付いていないようだ。

「おつかれさまでした」
マスターと別れると私達は、ゆっくり歩き出した。

「今日、車なんだ」
大きい鍵を見せて微笑む。

大きなトートバックを後部座席に置いて、助手席に乗り込むと車はゆっくり動きだした。


「大きな荷物だね」
聞きなれた低くて美しい声。
「福岡行くって言ってたじゃん。今日、帰ってきてそのままバイト行ったんだ」
嘘はついてない。隠していることはあるけど。
「そうなんだ。おつかれさま。じゃあ楽器は?」
福岡には、楽器は持っていかなかった。本当は仕事じゃなかったし、2日くらい休憩も兼ねて家に置いて行った。
「あ、楽器は店に置いてきた。重いし」
「俺が車だって初めに言っておけばよかったね」

穏やかな会話


「明日は何してるの?」
晃央の部屋について、カーキ色のソファーの横に荷物を置いていると、後ろから抱きしめられた。
「明日もバイトだよ」
「えー。忙しくしてるんだね」
「そうかな」

絡めていた腕を解くと、晃央は彼の楽器が置いてある小さな部屋に行った。

入ったとたんすぐに出てきた。

「じゃあこれを聞く時間もないかな」
透明のプラスチックのケースに入ったCDを渡された。
表のラベルには縦に数字の1から4の項目と何か題名が手書きであった。

「もしかして、これ新曲?」

「うん。まああと数曲の撮り残ってるけど、とりあえずできてるやつ」

異常に照れくさそうにする彼を初めて見た。

「ありがとう」


その2週間後、MARKSMANの新アルバムリリースのニュースがホームページに載っていた。

それは意外にも静かに 7

それは意外にも静かに 7

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-26

Copyrighted
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