それは意外にも静かに 6

遠足

何を大事な話があるわけじゃなかったけど。
疲れて帰ってきたときや、なんか機嫌がいいときはやはり彼の声が聞きたかった。
ときどき遠くから聞こえる、片手間にはじかれるギターの音が聞きたかった。
長風呂をしてるときのチャポンて水の音と、風呂場に響く彼のリラックスした声が聞きたかった。
またあのソファーで2人で熱いお茶を飲みたかった。
話を聞いてほしかった。一緒にくだらないことで笑う時間がほしかった。
あのやせ細った腕に包まれたかった。
何の包容力もないけど、あの柑橘系の匂いに包まれたかった。


スタジオの場所も知っていたし、行こうと思えば行ける。でも行かない。
泣いて会いたいと言えば、また合鍵をくれるだろう。でもそれは嫌。

そういえば、私は晃央の前で泣いたことがない。

おんぶにだっこな女には絶対なりたくなかった。
寂しさは自分で埋めれないといけないと誓っていた。

晃央に振られるのが怖いからと言えればかわいいんだろうけど。

違う。



そう強く思っているのは5年前からだった。



正確に言うと、おんぶにだっこな女になりたくないのではなく、
自立した女になりたかった。



彼が、当時そんなことを言っていたから。

頑張ってたな、あの頃。

自立した女ってなんだかさっぱりわからなかったから。


福岡に行く飛行機の中で、何年も前のことを思い出していた。

宿泊先は心配しなくていいと言っていた。友達が経営してるホテルに格安で泊まれると言っていた。

晃央には、仕事で福岡に行ってくると伝えてある。

乗っている飛行機が着陸態勢に入るとアナウンスを入れる。
ドキドキする。5年ぶりに会う友人、徳井健太郎。”忘れられない”人、健さん。

空港の到着ロビーに入ると、彼は一人で立っていた。
彼に歩み寄るごとに心臓の鼓動が強くなっていた。

180センチ以上の長伸で、ジーパンとグレーのTシャツに何か黒いものをはおっている。なんてことない出で立ちだけど、綺麗に整えられたヘアースタイルと、きりっと背筋が伸びているので、彼の出す“完璧な好青年”の印象は絶対的だ。少し痩せて肌の乾燥が気になったけど、あの時と変わらない健さんがいた。

5年ぶりの再会は、案外静かだった。

無難でありきたりな“久しぶり”“元気”の単語を繰り返す再会のあいさつ。
私の小さなトランクを目にすると彼は、何も言わずにそれを運び始めた。
駐車場に停めた車を発進させる。
何年ぶりにこの助手席にいるんだろう。車内は、今でも変わらない健さんの匂いでいっぱいだった。
車は、あの時と違ってずいぶん大きい車種になっていた。

福岡市街地を走る。
私はずっと顔を左に外に向けて市街地を見ていた。
しばらく走ると、健さんが用意してくれたホテルに付いた。
フロントで鍵を受け取る。

エレベーターで上に上がる。

部屋は最上階にほど近い、それはそれは豪華な部屋だった。
三角形のデザイン。鋭角部分は全面窓になっていて、福岡市が一望できる。
楕円を描くようなカウチ。大きな画面のテレビ。
別室のベッドルームにはキングサイズのベッドが堂々と横たわる。

連絡するのが遅くなって、この部屋しか空室がなかったと外を眺めながら言っていた。


必要な荷物だけ持って、すぐ街にでた。

いろいろなものを見る。

いろいろな話をする。

今までのこと、今のこと。
お互いに今を基準に自分の前と後ろを説明する。

健さんは、1年前に福岡で友人と小さい会社を立ち上げたらしい。
そういえば、5年前に出会った時もそんなことをしたいような話をしてたかな。
雇われる人間のままでいたくないと言っていた。
そんなことを考えたこともない私には、全く意味がわからなかった。
彼の真似をして、経済系の雑誌を読んだり、そういう類の本を読んでみたこともあったけど、そういうことを考えている人がいるんだということがわかるくらいだった。

福岡の名産がメニューにならぶ、家庭的で焼酎がおいしい居酒屋で晩御飯にする。
5年前のあの日々のように、馬鹿な話をして大声で笑って。

楽しかった。ひたすらにその時間を楽しんだ。
後のことなんて、どうでもよかった。

何も考えないようにしていた。
どうせ、時間は限られている。その時間を全部、幸せな気持ちで過ごしたかった。

酔い覚ましに、外を少し歩いた。
よく風の抜けるきちんと整備された川沿いを歩く。

素直に素敵な時間だと思った。
知らない土地だけど、すごく頼れる人の横で、なんでも話ができて。
おいしいご飯を食べて、のんびり外を歩けて。

そういえば、こうやって誰かとのんびり外を歩いたの久しぶりだな。
一人でよく散歩はするけど、一人だし。
晃央となんて絶対にできない。

そうか。私は一人の女性として、色々できなてないことがあるのかもしれない。
好きな人と普通にドライブしたり、外でご飯食べたり、帰り道にこうやって歩いたり。

終いには、この放置っぷり。

「あのホテルの最上階に、いいバーがあるんだけど、まだ飲める?」

そういえば晃央は下戸でもあって、彼とお酒を飲んだことはない。

「そうだね、歩いて少し覚めたし」

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私達が行きたかったバーは、不運にも定休日だった。

仕方なく、私達はホテルの部屋にあるお酒で飲み直すことにした。
小さな冷蔵庫に何本かの白ワインが入っていた。

飾りのように立ててあったワイングラスを布で軽く拭くと、冷えたワインを注ぐ。

楕円形のソファに座り、グラスの音を鳴らす。
明かりを減らし、テレビを付けずにラジオを小音量で流す。
部屋の内装があまりにもお洒落なので、ここがバーの個室と言われても違和感はないなと思った。

窓から目下にする福岡市の夜景はなかなか綺麗だった。
もうその日は綺麗なものを見すぎて、夜景のすばらしさはもう私のキャパを超えていたので感動が薄くなっていた。

しばらくすると、私達のグラスもワインの瓶も空になりそうだった。

「さてと。じゃあ俺はこれくらいで」

健さんは、ソファに掛けた上着を手にする。

「はい。今日はどうも、ありがとう」
なんでこんなセリフが言えるんだ?
左胸がドキドキしはじめた。
本当は、帰ってほしくない。今晩はずっと一緒にいたい。
やっと、やっと会いに来れたのに。
ずっとこの日を待っていた。あの日から。
ある程度時間が経ったら、成長できたと実感できるようになったら。
時間も経った、成長も少しはした。
だから来たよ。来たんだよ。
でも、やっぱり私はまだ“妹”なの?
見せないと、もうあの時の私とは違う。

健さんの背を追って部屋の扉に走る。

「帰っちゃうの?」

彼は足を止める。でも何も言わない。息を大きく吐いた。

私はもう一歩背中に近寄る。

「帰っちゃうの?」

同じ台詞しか出てこない。
もう、質問したってしょうがない。だめもとでも言いたいことを言おう。

「帰らないで」

健さんはもう一度大きく行きを吐くと、ゆっくりこっちを振り向いた。

怖くて顔が見れない。ずっと床で私の靴と彼の靴が向かい合っているのしか見えない。

ゆっくりお互いに腕をまわす。
涙が出そうになる。

5年前も付けていたのと同じ香水の匂いがする。車の中より強い。
その匂いに胸を締め付けられそうだ。
こんな近くにいられるのは初めてだ。
彼のTシャツが頬に触れる。肉厚の胸板、高い体温。

「はーあ。我慢してたのに」

頭の後ろに手が周っていたのがわかった。

時間が止まればいいって、本気で考えてしまった。


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健さんは右手で私の頭の上でポンポンと軽く叩いた。
直後、私は衝撃的な質問をされる。

「彼氏と何があったんだ?」

「なんのこと?」
うろたえた。非常にうろたえた。恋愛のこと、晃央のことなんて一言も話してないのに。

「あのなー、隠したって無駄だよ。首の裏にしっかりキスマーク付けられて。まるで後ろに目があるみたいだ。すげーやきもち焼きなの、葉子の彼氏?」

健さんの車は少しだがオープンにできる屋根部分があった。今日は天気がよかったのでそれをずっと開けてドライブをしていた。風がよく通る車内で、信号待ちの時に見えた私の首の裏にキスマークを発見した。

やれやれとまた部屋に戻り、冷蔵庫のビールを2缶出して開けるとソファーに座った。

「人が過去に帰るときは、現在に何か問題があるからという場合が多いんだ。まあ人は大小に差はあっても常に問題は抱えている。だから、楽しかったり充実してたりと、現在とちがった過去の思い出を引き出したがる。それが、気分転換になったり、問題解決のヒントになったり、次に進むエネルギーをもらえたりすることがあるから。地元に里帰りしたら、地元の友達に会いたくなるだろ?それがいい例えだよ。
そこで、今だ。目的もなくふらっと俺のところに来て、単純にすごく嬉しかったけど、何か相談とか、もしかして報告があるのかと思った。聞けば仕事は順調、健康に問題もなさそう。俺は、単に気分転換だったんだと思った。それでこれ。確かに葉子は綺麗な魅力的な女性になった。俺はすごく嬉しい。でも、お前の一夜の友にはなれない」

「一夜の友なんかじゃなかい」

「じゃあ何だったのかな」

説教だ。願いよ届けって願う神様の存在は信じてないけど、きっと死んだ祖父母あたりに見られていたのかな。最初からこの浮ついた気持ちを。

静かにゆっくりとした口調だったけど、絶対にすごく怒ってる。

健さんの質問に答えることができなかった。

「仮に、今俺たちがそういう関係になったとき。俺は俺が嫌いになると思う。葉子に彼氏がいるってわかってて、それでも寝て。その後、きっとお前が傷つくか悩むかする。俺は、自分にとって大切な人間を本当に大切にしたいから、俺は俺が可愛いからできないよ。それでもお前がもっと本気なら、時間をかけて2人で考えようよ。俺にはたまにするメールだけじゃ判断材料に足りないよ」

私は今すでに私が嫌いだよ。

ソファーに両膝を抱えて、口を尖らせて話を聞いていた。

「はい」

諭してくれることに、イエスとしか言えない。

「葉子、もっと自分を愛してあげな」

私はきっと5年前にストップしたビデオの録画ボタンをストップさせたまま保存して、今日また続きを録画したかったのだろう。
セットは何もかもあのときのままで、止まっていたのか。

実際は違った。セットも背景も登場人物の状況も変わっていて、その差異に気付いていたのは健さんだけだった。

それでも彼がこんなに私に優しくしてくれたのは、前に録画したビデオを大事に保管してたからなんじゃないかと願ってみた。


福岡市の高級ホテルのスイートルームに横たわるキングサイズのベッドはしわ一つ残さずチェックアウトのその時間まであった。

私はあの後、それでも一人で寝たくないと泣きついた。セックス交渉なしに。

健さんはそれでも男としての欲求に負けそうな気がしたのか「近親相姦は趣味ではない」と意味不明なことを吐いた。

結局私達は、あの楕円を描いたソファに片仮名のハの字になって寝床についた。

寝落ちる直前に「あり得ないよ、こんなこと」と、ぼやかれた。

それは意外にも静かに 6

それは意外にも静かに 6

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-26

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