しあわせと食卓
トマトの味が強すぎる。
強くて新鮮な酸味があたしの舌に焼き付いて、他の味なんてみじんも残らない。これ、本当に挽肉は入っているのか。
「どう?」
少し照れくさそうに顔をはにかませて、彼は自分のスパゲッティ・ミートソースを混ぜ始めた。右手の指を器用に使いながら、くるり、くるり。鏡色のフォークがワルツを踊るように回る。
「これさ、何入れたの?」
どんな味付けをしたら、トマトの味しかしないミートソースになるんだ。今日はミートソースを作るよって言われたときに、口中に広がった甘い甘いトマトと合挽き肉の風味とは全然違った。期待外れ。
「何って……合挽き肉と玉ねぎと、トマト缶かな」
「ふむ……味付けは?」
「味付け?」
彼はそこでちょっと考えた。自分でも何を入れたか憶えていないのか。料理中に思いつきで何か入れちゃったのか。
「あぁ、パスタ茹でるときに塩入れた」
「は?」
それだけ?
「それだけ?」
それだけ、って顔。逆に何を入れるんだって顔。
そこで彼がようやく自分の作品を口に入れる。ぐるぐる巻きにしたパスタ巻きを口に運ぶ間に、二本のパスタがするするするりと皿へ逃げ出した。あんぐと豪快に頬張って、自分が煮詰めたミートソースの味を確かめるように噛み締める。
「ん。うまくねぇ」
少し照れ笑いを浮かべながら感想を述べる。そうだよ、こんなのおいしくないよ。
「あー、わかった。あれが無いわ。パルメザンチーズ」
そこ?
「タバスコも欲しかったなぁ」
そう言いながら二口目を頬張る。また何本かがパスタ巻きから逃亡を図る。
「ニンニクとか、コンソメとかも入れたらおいしいよ」
「ほんと?」
ふぬけた顔と一瞬の間。
「ふむ……ニンニクとかコンソメとか、思いつきもしなかったなぁ」
さすが、といった表情であたしを見つめる彼に視線を合わせないようにして、あたしも一口含む。
時間も見ずに茹でていたパスタはアルデンテと言い張るのにはあまりにも硬すぎて、ソースに馴染まない。もにゅもにゅとした歯ごたえのある白いパスタと、トマトの新鮮さが荒々しく残った赤いミートソースはお互いの主張を崩さない。
「ほかにもさ、ワイン入れたりとか、オリーブオイルとかも入れたら面白いかもね」
「あぁー、なるほど。そういうのテレビで見たことあるかも。イタリアンとかつってさ」
彼はパスタの硬さを気にしているだろうか?そういえばラーメンも硬麺派だったなと思い出す。案外わざとやっているのかも。
「でもさ、こういうのすると、普段の俺がメシ食べっときに全然集中してないんだなって分かるよな。こう、隠し味はなんだ、とかさ。そんなん気にしねぇもん」
彼がまたパスタを口にする。硬くて酸っぱくて味気ないしょんぼりパスタを口にする。うまくない。そう言いながらも食べているときの彼の顔はすごく幸せそうな笑顔で、それを見ているとあたしも一口食べたくなる。この世にこれ以上おいしいものはないってくらいの幸福感で、あたしも満たされる。
「はは。それ、あたしも。わざわざ食べるときにまでそんなこと考えないって」
あたしがそう言うと、彼は左手でびしっとあたしを指差した。
「そう、それ。集中してないってさ。必ずしも悪いことじゃないじゃん。せっかくメシ食ってるときにさ、あーでもない、こーでもないって考えちゃうのもったいないと思うんだよ」
あ。
彼が急に話を展開させて、初めて気が付いた。
あたしのことだ。さっきから難しそうな顔して、まずいパスタの何がいけないのかを考えていた。
「やっぱさ。メシ食うときだけは、抱えてる問題とか生きてることとかも全部忘れてさ。それでただ味を噛み締めてたら、それでいいと思うんだよ」
やっぱりこの人はあたしのことを見てくれてるんだなぁ、と思いつつ、お茶を一口飲む。冷たい麦茶が舌の上のもやもやをぶっとばす。
「うん。そうだね」
「あ、でもさ。その……なんだ」
「何?」
あたしの返事がそっけなかっただろうか。そんなつもりはなかったんだけれど。
「やっぱ、明日からはメシ作るの任せるわ。誰よりもお前が作ってくれるのが、一番うまいし」
本当に照れくさそうな顔で、頬をトマトみたいに染めながらこんなことを言ってくれる。こんにゃろう。
「うん。任せてよ」
それを聞くと、彼はまた嬉しそうにミートソースを頬張った。
あたしも、あたしが作った料理をあなたに食べてもらうのが一番幸せ。
そう言いたかったけれど、やっぱりまだ照れくさい。、あたしは妙に酸っぱいミートソースを食べて、口の中でごまかした。
しあわせと食卓