「最終報告」

 「にゃあ」と鳴いてみたのだ。
その部屋の住人はこちらを警戒しつつも、ある程度の距離を保ってこちらを見ている。その住人というのは私と同じ猫である。どうやらこの部屋の住人は警戒心が強いらしい。喉を鳴らしてこっちを睨んでいる。私は別に縄張りを侵しに来たわけではないのだが……。ただ私がなぜ、いつからここにいるのかを聞きたいだけなのだ。

 私には記憶が無い。なぜなのかは分からない。目が覚めたときにはこの部屋で倒れていて、そこに居る「用心深い住人」が顔を舐めていた。……思えば最初はその猫も私に友好的であった。だが目が覚めたあとその猫の心配に対し、私が感謝しようと思い、大きく「にゃあ」と声を掛けたら、たちまち毛を逆立てて距離をとってしまったのである。一体何がいけなかったのやら……、考えても仕方がない、とりあえずここがどこなのか自分で確かめてみることにする。

 部屋は八畳ほど、真ん中にテーブルがあり椅子が二つある。そのうち一つは誰かが座っていたのだろうか机の下に収まっておらず、引かれたままになっている。窓から外を見ると一面真っ暗である。もう夜であろうか、窓は半分ほど開いていて風邪が通り抜けている。今は確か……七月だったか、まあ夜だから窓を開けるだけでも何とか過ごせるくらいの暑さだ。テレビが窓の側の左隅の台の上に置いてあるが、付けっぱなしになっている。画面には夜九時のニュースが流れていた。しかし、明かりが点いているのにカーテンも閉めずに窓も開けっぱなし、おまけにテレビも付けたままとは、不用心にも程がある。――まだキッチンを見ていなかった。キッチンは窓とは中央の机を挟んで反対側にある。だが私の大きさでは中の様子が見ることができない……。キッチンの入り口あたりにはこちらをじっと睨んでいるあの猫がいるが、近づけば引っ掻かれてしまいそうな警戒感がある。仕方ないテーブルの上からキッチンを覗くことにしよう。

 私は窓のあたりから中央のテーブルに近づき、机から引かれたままの椅子にひょいと飛び乗った。続けてそこからテーブルの上に飛び乗り辺りを見回す。テーブルの上には何やら薬の入っていた入れ物が散乱している。他に水の入った飲みかけのコップ、紙とペンが置いてある。大方このコップで薬を飲んだのだろう。それにしても凄い量だ、これだけの薬を一度に飲んだら頭がどうかなってしまうのではないか。紙を見てみると何か書いてある―『猫は好きに生きられる』―失礼な…、猫は猫で大変なのだ。つい先ほども同族と仲良くなれずに困っているというのに。――まさかこの大量の薬を飲んで自殺……などということはあるまい、あの猫の様子を見ればわかる。あれは主の帰りを待っている顔だ。

 キッチンの方を見てみたがどうやら人の気配はしない。いったいどこに居るのだ、あの猫の主は……。私には主が居たか定かではない、がここに居るということはあの猫の主と私には何か関係があるに違いない。おそらく捨てられているところを拾われた…といったところだろう。それならばあの猫の主はもしかすると私の餌などを買いに行ったのかもしれない。だとしたらあの猫にも当然、挨拶と感謝が必要だろう、きっとあの猫も最初のときはいきなり大きな声で話しかけたから驚いただけなのだろう。もう一度きちんと話せば仲良くできるはずだ、同じ猫なのだから。

 私は机の上からその猫の近くに飛び降りた、そしてもう一度、今度は控えめに「にゃあ」と声を掛けてみた。するとその猫は見知ったものを見るように和やかな顔になり小さく鳴き、少しずつ近づいてきた。そして私の手を舐めてくれた。――だがその瞬間猫は何か違うものを察したように一瞬で離れてしまった。そして勢いよく窓の方に翔けていく。どうしたのか、なぜそこまで私を嫌うのか、そのことが気になり私はその猫を追いかける。その猫は窓の隙間を通り抜け、ひょいとベランダの手すりに上がった。私も勢いよく窓の隙間を通り抜け手すりによじ登る、そこでまた「にゃあ」と少し悲しい感情を含ませながら鳴くと、その猫の方も小さく悲しげに鳴いた。その目は一度たりとも目をそらさず私の目を見ている。まるで何かを伝えるかのように……。

 どうしたのだ! 何が言いたい? 私の中にはそのような疑問が渦を巻く。その猫は何か自分の中で区切りを付けたかのように一度だけ鳴くとその体を外に向かわせた。……下を見てみるとコンクリートの地面の上からその猫がこちらを見ている。悲しそうな、だけれど諦めている……そんな目をしているのだ。私はあの猫を怒らせてしまってはこの部屋の主に申し訳が立たない、そう感じ猫を連れ戻さねばと思い立った。高さはマンションの三階ほどだろうか。よくあの猫は臆面もせずに飛び降りたものだ。きっと毎日やっているのだろう。仕方ない、早く行かねばあの猫がどこかに行ってしまう。私はそう思い勢いよく飛びおりた。飛び降りている途中、その猫はやはりじっとこちらを見ていた。じっと見ているのだ。――それは悲しそうな目で……。

 
 
 

 
 


 「にゃあ」と鳴いてみたのだ。――だけれど猫にはなれなかった。
 次の日の昼、警察の調査が行われている中、部屋のテレビはあるニュースを流していた。
「――女性会社員飛び降り自殺か、……警察は、女性は大量の抗うつ薬を服用しており、それによって判断力が落ち、自殺に至ったのではないかと説明しています。また隣の住人の話によると会社員の「にゃあ」というおかしな声を何度か聞いたということです――」

「最終報告」

近況報告の続編的な位置づけです。

「最終報告」

ふと思いついたので書きました。

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-09-04

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