Laminate

羽沢タケル

 広大なスペースに整然と並べられた、天井まで屹立する古い木製の本棚。その間を縫って、ファイルに刻印された番号を頼りに、私は目的の書類を探す。いくつかの場所からそれらを抜き出し、持てるだけ持って作業机に戻る。私の一日は、ここから始まる。
 作業机の左側に、持ってきたファイルを堆く積み上げる。作業机は一人で使うには広すぎる大きさだが、私はそれほどのスペースを必要としない。まずは、作業机の右側に設置された機械の電源を入れる。モーターが回る音が館内に響きわたる。それはもう耐用年数をとうに超えているので、老婆の悲鳴にも聞こえるその音は年々大きくなっていく。温まるまでの時間も、年々長くなっている。積み上げられた山の、一番上のファイルを開く。びっしりと挟み込まれた書類の中から、必要な部分を抜き取らなければならない。留め具を外し、半分ぐらいを一旦抜き取ってから、目的の書類を抜き取る。先に抜き取った書類を元に戻し、留め具をはめ直す。そして、堆く積み上げられたファイルの山の左側にそれを置く。
 抜き取った書類を一枚ずつばらす。今度はそれらの右側に同じサイズの透明なフィルムを配置する。二枚綴りの柔らかいそれの間に、書類を一枚、はみ出さないように、慎重に挟む。そして、それを先ほどから悲鳴をあげている機械の中央に設けられた隙間に差し込むと、それは自動でゆっくりと飲み込まれる。機械の中を通って、吐き出される頃には、柔らかいフィルムは固くなり、間に挟んだ書類にぴったりと張り付く。それを機械の右側に置かれた黄色いカゴに放り入れて、ここまでが一連の作業となる。続けざまに、2枚、3枚と同じ作業を繰り返す。昼休みの一時間を除き、一日8時間、毎日繰り返す。カゴの中が9割程度溜まった頃に、一日の作業が終わる。翌日にはカゴは空になっているので、私は同じ作業を繰り返す。

 これが私の仕事だ。
 
 人はこの仕事について、なんて退屈なんだろう、と思うだろうか。しかし、私にとってこの仕事は唯一無二の天職だ、と私は考える。
 私は作業を黙々とこなしながら、その書類の内容に目を通すことを日々の楽しみにしていた。書類には、この世界のどこかにいる誰かの「人生」が書かれているからだ。
 ある書類には、大リーグに挑戦した野球選手の華々しい物語が書かれていた。またある書類には、大病を患った少女の短く儚い物語が書かれていた。
 その人の人生ごとにまとめて書類を抜き取るので、私は仕事をしながらに、それらの人生の追体験をすることができる。書類の枚数はその人生の密度によってそれぞれ異なっており、数枚の時もあれば、ファイル数冊分に及ぶこともある。ある海外のポップ・スターは、本棚の半分以上を占有しており、すべてを処理するのに一週間近くかかってしまったこともある。
 機械に吸い込まれていく書類を見つめながら、私は想像を巡らせ、ここではないどこかへ意識を飛ばす。人生という名の小旅行。瑞々しい風景は、私の感性を潤す。贅沢なひとときを手軽に手に入れられる私は、なんて幸せなのだろう。

 もちろん、私一人で作業しているわけではない。これだけの膨大な書類を一人で処理しようとしたら、私の一生がいくつあっても足りない。本棚の置かれた空間とは狭い通路を挟んで、本棚よりさらに多くの作業机が、やはり整然と並べられている。一人に一つ、専用の机を与えられる。人によっては机全面に書類を広げていたりもして、そんなにばらばらに広げてなくなったりしないのかね、と余計な老婆心を働かせると同時に、きちんと並べられた自分の机を見て溜飲を下げることも、しばしば。
この施設の中に、どんな人間がどれだけの数いるのか、私は知らない。そもそも興味がない。私は毎日決められたノルマをこなすだけだ。フィルムに紙を挟む。それを機械に通す。

 仕事熱心な私だが、昼休みの時間はきっちり守る。チャイムと同時に机の上を簡単に片付けて、食堂へ向かう。食堂のメニューは一つしかないが、日替わりなので飽きることはない。今日は中華丼、昨日はカルボナーラだった。トレイに丼とコップ一杯の水を乗せて、窓際の席に座る。窓にはブラインドが掛けられていて外の様子が見えないが、私は窓際が好きだった。スピーカーから流れる音楽が最も良く聞こえる場所、というのも理由の一つだ。
 中華丼も好きだ。たっぷりの具材に絡む餡の舌触りといい温度といい、文句のつけようがない。ウズラの卵が良いアクセントになる。いつも美味しいご飯をありがとう、とコックに伝えたい気分だったが、コックの姿をいまだかつて見たことはない。
「隣、いいかい?」
 男が隣にトレイを置いた。おいおい、お前も中華丼か(と、当然のこととはいえ、ケチをつけたくなるのだ、こいつに関しては)。
 最近、こいつはいつも私の隣で、飯を食う。それはもうぐちゃぐちゃと耳障りな音を立てて食うもんだから、私はこいつより先に食べ終えていないと食欲を奪われてしまうのだ。
「今日も今日とて、退屈だねえ」
 そのうえ男は、いつも仕事に対して愚痴ばかり言いやがる。せめて口を閉じていれば耳障りな音も軽減されるだろうに、こいつはそんなこと、気にも留めやしない。
「毎日毎日、頭がおかしくなっちまいそうだよ」
 おかしいのは最初からだよ、という皮肉を水と一緒に飲み込んで、スピーカーから流れる音楽に耳を傾ける。クラシックの繊細かつ荘厳な調べよ、どうかこの男を追い払ってくれ、と祈ってみようか。
「それにしても、今日の書類はたまらなかったな。なんてったって、強姦魔の人生だ。えろかったなあ、へへへ。女の身体が手にとるように迫真だったぜ。機械に通す間も、おっ立っちまっていけなかったぜ」
 そして、内容の相違こそあれ、決まって下世話な猥談を口にするのだ。私が最も忌み嫌う類の話だ。
「なあ、お前さんよ、嫌になんねえか、毎日毎日、同じ事の繰り返しでよ」
 私は何も、嫌なことなどない。
「俺はもう決めたぜ、今月いっぱいで、ここを辞めるんだ。そして、溜めた銭持って温泉巡りでもするのさ、女をはべらせてよ、うめえ酒でもあおろうかね。どうだい、お前さんもついてくるか? 銭さえ出せば、いくらでもいい思いさせてやるぜ」
 計画なのか希望なのか、あるいはただのまやかしか、判別できないその話に私はうんざりして席を立った。男は私の背中に向けて、「お前の人生はここで打ち止めかい」という言葉と鶏がら臭い息を投げつけた。私は聞こえていないふりをした。私の人生を、お前なんぞに決められてなるものか。

 天井まで屹立する本棚の間を縫って、私は目的の書類を探す。ファイルの番号を参考に、このへんかな、と引き出してファイルの中を覗く。違う、これじゃない。このへんかな、とまた引き出して覗く。これでもない。引き出して、覗く。これも違う。これかな、いや違う。これかな、これでもない。一列、二列、三列とみていっても、まだ全体の一割にも満たないんじゃなかろうか。
 今まで、何度探しても見つからなかったのだから、今さら探してみたところで、やはりないものはないのだ。見つけられないのではない、最初からないのだ。この中に、私の「人生」など。
 これこそが私の人生だ。他人の人生を覗き見て、それをフィルムに挟んで保存するだけの、ただそれだけの人生。退屈かって? 何度も言っているじゃあないか、私は、この仕事に誇りを持っている。朝になったら黄色いカゴは空になり、それをいっぱいにするだけのノルマが与えられる。ポップ・スターの人生も、路傍に倒れる乞食の人生も、私がそれをやらなければ、ファイルの中に眠ったままだ。それを引っ張り出して、抜き取ることが私の使命だ。私がやらなければ、誰がやる。
 私は、私の「人生」を探すのを諦めた。もうこれで何度目か、数えるのも面倒だ。

 ファイルから抜き取った書類を一枚ずつフィルムに挟み機械に通して黄色いカゴに放り入れる。次もその繰り返し、その次もその繰り返し、その次も、その次も。私はこれを繰り返す。
 一連の作業の中で、ふと書類に目が留まった。私の目に飛び込んできたそれは、あの男についての書類だ。右上に男の顔写真が載っているので、すぐにわかった。この書類は食堂の、あの男の人生だ。私はあの男の人生を、今まさにフィルムに挟む。食堂で聴いたくちゃくちゃという音が耳の奥の方で再生される。フィルムに挟んだそれを、機械に通す。機械はそれを自動で飲み込み、吐き出す――はずだった。機械は老婆の悲鳴のような騒音の代わりに、低い破裂音と、黒ずんだ煙を勢いよく吐き出した。私は、初めて起こる事態に呆気にとられた。他に作業している人もその手を止め、黒煙の元に視線を集めた。すぐにスタッフが駆けつけ、機械に応急処置を施したが、耐用年数をとっくに過ぎたそれが再起動することはなかった。スタッフ達は無言でそれを机から外し、挟まれていた書類を置いて、通路の奥の方へ消えていった。
 そして私は、一人取り残された。機械を持って行かれてしまったので、ノルマを消化することもできない。最後に処理した書類は中途半端な状態で、机の上に置かれていた。男の顔写真は見るも無惨な、真っ黒焦げだ。
 私は、後ろめたい気持ちを胸に収めたまま、久しぶりに、外に出た。
 高層ビルが立ち並び、空はほとんど覆い隠されている。灰色の地面と灰色の壁。ここも中とほとんど変わらないな、と思った。開放感とは、無縁だった。

 私は、どこへも行かない。今までも、これからも。これが私の人生だ。お前が何を期待しようと、それはお前の勝手だ。私の人生は、私が決める。お前なんかに、決められてなるものか。



   完

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-23

Copyrighted
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