花天月地

月は美しい輝きを放つが、見上げなければその輝きを知ることはできない。
                                         -作者不明-

1

 なだらかな丘の上に、美しい学園があった。
 森を背にして建つその学園は、白亜の壁が暖かな陽の光を受けて輝いていた。その景色は、山と森が広がる緑の世界と美しく調和した、まさに芸術ともいえる風景であった。
 学園の中は他に類を見ないほど広大で、かつ綺麗であった。美術の粋を集めた彫刻がありとあらゆるところに惜しみなくあしらわれ、廊下の壁にはめ込まれた宗教画を模したステンドグラスは、パステルカラーの影を純白のリノリウムの床に落としていた。
 その絵画のような世界を、さらに引き立てるような女子学生が廊下を静かに歩いていた。無粋な足音を極力立てず、それでいて自然な出で立ちを保つ女子学生は雰囲気からして他の女子学生との格の違いが際立っていた。
 「おはようございます! エレーナお姉様」
 廊下で窓硝子を拭いていた女子学生は、その気配に振り向くと、花が咲くような笑顔をほころばせて歩いてきた女子学生に挨拶した。
 「おはよう。朝から熱心ね。いい心がけだわ」
 エレーナと呼ばれた女子学生は、挨拶をした女子学生が今しがた拭いていた窓を見上げると、慈しむように目を細めた。
 女子学生はエレーナの事を『お姉様』と呼んだが、別に血の繋がりがあったわけではない。この学園では尊敬する上級生の事を、敬意を込めて『お姉様』と呼ぶしきたりになっていた。
 「お姉様、おはようございます」
 また別の女子学生二人組が挨拶をしていった。エレーナが挨拶を返すと、二人は嬉しそうに顔を見合わせて笑った。
 「それじゃ、頑張ってね」
 エレーナは窓拭きを再開した女子学生に声を掛けると、また廊下を歩いていった。
 エレーナは学園の中でもトップクラスの成績の持ち主だった。体を動かすことは苦手だったが、勉強に関してはだれにも負けたことはなかった。
 特に、『魔法学』においては教師たちをも唸らせるほどの卓越した能力を持っていた。

2

 この『聖アンジェラス女子学園』は、この世界で唯一の魔法学園であった。
 周囲の附属施設だけで集落一つに匹敵するほどの巨大な学園には、大陸の各地から魔法を駆使する『魔導師』を目指して魔法を学ぶ『魔導学生』と呼ばれる少年少女が集まってきている。ここを卒業してゆく魔導師たちは人々にとって憧れの的であった。
 魔導師を目指す人にも様々な理由と目的がある。親が魔導師だからと魔導師になる者もいれば、全くの素人から魔導師を目指す者もいる。必ずしも最初から魔法が使える人ばかりではないのだ。
 彼女、アリッサも魔法が使えない学生の一人だった。
 多くの学生ははじめ魔法を使えなくても、訓練して魔力の修練をするにつれて自分の奥底に眠る魔法を呼び起こしてゆく。その時に呼び起こされた『初めての魔法』は、その人個人の特有の魔法だと言われている。他の人にはない特有の魔法は他の汎用的な魔法を使う基礎となるのだ。
 逆に言えば、特有の魔法が発動しなければいつまで経っても魔法は使えない。アリッサは魔法を引き出す訓練を受けたにもかかわらず、アリッサ特有の魔法、『固有魔法』が発動しなかったのである。
訓練は続けているようであるが、未だにその気配すら無い。
「アリッサ!」
 学園の片隅の小さな温室でくつろいでいたアリッサは、背後から唐突に呼び掛けられた自分の名前に、はっとして振り返った。学園で友達がほとんどいないアリッサの名を呼ぶ人物は決まっていた。
「エレーナ。なんでこんな時間に? まだ授業は終わってないだろう?」
 まるで他人事のように言うアリッサに、クスリと笑ったエレーナは、質問には答えずに温室の天井を見上げた。
温室内をゆっくりと羽ばたく群青色の羽の蝶が天井の光を受けて優雅に煌めいていた。
「あなたと一緒よ。サボっちゃった」
「一緒じゃないだろ。あたしは魔術学の授業を受けたところで、魔法が使えなきゃ応用の仕方なんて習っても意味がないからな」
「うぅーん。悲観的ね」
「現実的なだけさ」
 アリッサはそう言うと、腰掛けていたベンチから立ち上がって大きく伸びをした。そのせいで丈の短い制服の裾から露出した腹部を、エレーナはすかさずつついた。
「きゃぁ!」
「あら、見かけによらず可愛い声出すじゃない。やっぱり体は女の子ね」
 反射的に腹部を隠したアリッサは真っ赤になりながらエレーナを睨んだ。
「あ、当たり前だ! というか、誰でも腹を不意に触られれば変な声が出るだろ!」
「そうかしら? まあそれはいいとして、もう一回今の声を聞かせて頂戴。ね?」
「なにが『ね?』だ。そんなの御免だ」
 アリッサの背中から絡みつくエレーナはいつもの優等生というより無邪気な子供のようであった。エリートのエレーナも、普段の仮面を外して心を許せる相手はアリッサだけだった。
 その楽しそうな風景を温室の外から眺めていた一人の女子学生は、ガラス張りの扉の取手を握ったまま悔しそうに顔を伏せると、扉は開けずに元来た道を引き返した。
 女子学生の目には一粒の涙が浮かんでいたが、その表情は悲しみとは程遠いものであった。

3

 退屈な午後。静寂の教室の中に教師が黒板にチョークを打ち付ける音だけが響いていた。
 ただでさえ昼過ぎの一番眠くなる時間帯に魔法史学という、魔法の歴史の授業が入ることによって、学生の殆どは夢の世界に旅立っていた。
「……つまり、千年以上前の古い文献の中には未だ観測されていない魔法というのも数多く記述されており……」
 六十を超えそうな老教師は手元の資料を眺めながら、淡々と言の葉を連ねていた。まるで睡眠魔法にかけられたかのように一人、また一人と力尽きてゆくのであった。
 唯一真面目そうに黒板に視線を向けていたのは、言うまでもなくエレーナであった。老教師の言葉を一言一句聞き逃さぬようにと、険しい顔をしながら黒板を睨んでいたエレーナだが、実のところは授業などこれっぽっちも聞いてはいなかった。
「……まあ、そういったものは昔の著者が後から創作したものもあると言われているから、定かではないし、同時に……」
 ふと、黒板から視線を外すと、教室の中で一つだけ無人の机があり、エレーナはそれを見て少し悲しそうに目を伏せた。
「……またサボっているのね」
 朝から姿が見えないアリッサの事である。数学や物理学など、基礎学力の授業には大体姿を見せるアリッサだが、魔法関連となると煙のように姿を消すのである。
「屋上かしら」
 窓際の席に座るエレーナは窓から見える温室を見下ろした。透明な天井のお陰で中がよく見えたが、それらしい人影は無かった。他にサボる場所といえば、屋上ぐらいだった。
 いまだ終わる気配のない教師の声を聞きながら、エレーナは授業が終わったら屋上に行ってみようと思った。開け放たれた窓からは、季節外れの冷たい風が吹いてきていた。

4

「やっぱりここにいたのね」
 エレーナは屋上に通じる重たい鉄扉を押しあけると、見慣れた後ろ姿を見つけた。
 屋上の手すりに肘をついて、広大な森林を眺めていたアリッサはゆっくりと振り返った。だがその表情はいつものエレーナと話す時のような笑顔は見られなかった。何かを思い詰めたような、悲しそうな顔をしていた。
「ああ、エレーナか」
「どうしたの?」
「いや……なんでもない」
 そう言ってアリッサは、またエレーナに背を向けて風景を眺めた。話したくないという意思表示にも思えた。
エレーナは小さくため息をついたアリッサに近づくと、アリッサの背中を優しく抱きしめた。ボーイッシュな見かけによらず、壊れてしまいそうなほど小さな背中だった。
 抱きしめられたアリッサは何か言おうとしたが、再び吐き出したため息と引き換えに胸に押し戻した。エレーナはそれを見逃さなかった。
「何でもいいわよ、話して?」
 エレーナはアリッサの耳元で優しく言った。抱きしめる手の力を少し緩めた。
 しばらく口をつぐんだままだったアリッサは絞り出すように小さな声で話し始めた。
「『無能者狩り』が始まった。魔法が使えない人たちがどんどん死んでる。明らかにあれは魔導師の仕業だ。あたしの村はまだ大丈夫みたいだけど、時間の問題だろう」
「そんな! 魔法を使えない人なんていっぱいいるでしょう?」
「使えない人みんなって訳じゃないんだ。親族に魔導師がいるのに魔法を全く使えないやつとか、魔法の訓練を受けたのに魔力のかけらも見られないやつとか、な」
 エレーナははっとして口に手を当てた。それは暗にアリッサのことを言っているようではないか。
悲しそうに目を伏せたアリッサの目じりには一筋の涙の跡が残っていた。ずっとここで泣いていたのかもしれない。エレーナは自分の鈍感さを恨みながらアリッサを強く抱きしめた。
小さな肩は小刻みに震えていた。
 やっと自分の悩みを打ち明けられたせいだろうか、いつの間にかアリッサは嗚咽を止められなくなっていた。慈しむようにアリッサの頭を撫でていた学園最高の魔導学生は何かを決意したように顔を上げると、静かに口を開いた。
「誰が『無能者狩り』なんて馬鹿なことをやっているの?」
 普段言わない『馬鹿』という単語に違和感を抱きながら、アリッサは小さく答えた。
「表立っては否定しているけれど、狩りを始めたのはこの学園の魔導師の連中だ」
 アリッサの言葉を聞いたエレーナの瞳に、暗い炎が灯った。

5

「逃げましょう」
不意に発したエレーナの低い声には怒りと決意が滲んでいた。このまま学園にいれば、アリッサの身に危険が及ばないとも限らない。エレーナは学園を脱出するのが最良の方法だと考えた。
 涙を拭ったアリッサは頷くと、屋上のドアに向かって歩きだした。
だが、アリッサがドアに辿り着く前にドアは先に開いた。
「……こんなところに居たのかね」
 屋上に上がってきたのは魔法史学の老教師だった。
先程の授業の時とは打って変わって、鋭い目つきで二人を見つめていた。手を後ろで組み、立ち塞がるように立つ老教師はとてもさっきの眠気を誘う授業をしていたとは思えないほどの威圧感を放っていた。
「あの……」
「アリッサ君、君にお客さんだ。下で待っているから、早く行きなさい」
 アリッサはエレーナを見た。アリッサの瞳からは既に涙は枯れていた。
 アリッサとともにドアをくぐろうとしたエレーナは、突然二の腕を掴まれた。老教師はエレーナを見ることなく言った。
「君はここに残りなさい」
「何故ですか?」
「彼女の客は彼女だけを呼んでいる。君が一緒に行く事はない」
「離してください」
 エレーナは腕を振り払おうとしたが、老人とは思えない強烈な力でさらに握ってきた。エレーナが怒鳴りつけようかと老教師を見た時、老教師が口をモゴモゴと動かしていることに気がついた。
 エレーナはそれが、老教師が魔法を使う前の癖であることを知っていた。とっさに老教師に掴まれていないほうの手のひらをかざすと、老教師が魔法を使う前に魔法を発動させた。
「触らないで!」
 エレーナが叫ぶと同時に老教師は体をくの字に曲げて吹き飛ばされた。
砂埃にまみれた屋上の床に転がってゆく老教師を見ながら、少しやり過ぎたかなと思ったエレーナだったが、快感の方が優っていた。
「良いのか?」
「ざまあみろ、だわ」
「校門の方は無理だろう。裏の森から逃げれば、万が一見つかっても逃げ切れる」
 そう言って、倉庫となっている一階の空き教室に入ったアリッサは、森に面した教室の窓を開けると、ふとその手を止めた。
「どうしたの?」
 エレーナは首を傾げた。
「エレーナ、このままあたしと一緒に逃げるつもりか?」
「当たり前じゃない」
「あたしと逃げればエレーナまで狙われることになる。あたしだけで逃げれば……」
「馬鹿言わないで」
 エレーナは明るく言った。
「あのお爺ちゃんをふっ飛ばしちゃったのよ? それに、あなたを一人で行かせるなんて危なっかしいじゃない」
「……よく言う」
「ふふ、学園トップの私が逃げ出すなんて、誰も思わないでしょう。教師たちの慌てる顔が見てみたいわ」
「悪い顔になってるぞ」
 そう言って笑ったアリッサは埃まみれの教室から森の中に飛び出した。エレーナも続いて窓から飛び降りると、森に入った。今までで一番楽しい時かもしれないとエレーナは思った。
 今から何が起きるのかわからないが、その不確定な未来に胸が高鳴っていた。

6

 学校を脱出したアリッサとエレーナだったが、着の身着のままではさすがに厳しい逃避行になるだろうという事で、二人は学寮に戻って荷物を取ってくることにした。
 まだ授業が続いているこの時間であれば、教師は寮にはいないだろうし、ましてや学生に見つかることも無いだろうと踏んだのだ。
 木陰に隠れるようにして学寮に辿り着いた二人は、幸運にも辺りに誰も居ないことを確認すると、鍵を開けて中に入った。
「使える時間は十分だけよ。寮監が居ない時に鍵を開けると防犯魔法が発動するわ。向こうに伝達されるまで五分、教師達が来るまでに五分かかるわ」
「心配しなくても、もう荷物は整えてある。いつか逃げ出すつもりだったんだ」
「じゃあ、丁度良かったわけね」
 部屋に入ったアリッサは机の下から大きめのリュックサックを引っ張り出すと、中身を確認した。
非常用の食料と水が数本だけ入っていたが、それで充分だった。
「よし、これで良い。エレーナ!」
「はいはい、焦らないの。靴はちゃんと履き替えてきたわよ」
 そう言ってエレーナは分厚いブーツを鳴らしながら部屋から出てきた。黒い制服と合わせると、どこかの軍服のようだった。
 お互い顔を合わせて笑顔を作ると、廊下を玄関に向かって走り出した。ブーツがゴツゴツと床を鳴らしたが、足取りは軽かった。しかし、玄関まで来た時、そこには一人の少女が立っていた。
「なぜこんなところに居るのですか? ……お姉様」
「あなたは……」
「そこの女も! 『狩り』からちょろちょろと鼠のように逃げやがって」
「狩り、だと……」
 エレーナはその少女を見たことがあった。小柄で可愛らしいその女子学生は、いつか窓を拭きながらエレーナに挨拶をした、あの女子学生であった。ただ、その顔にはあの時のような笑顔ではなく、深い憎しみと嫉妬の念がにじみ出ていた。
「お姉様、なぜそのような無能な者と共におられるのですか。私はずっとお姉様だけを見ていましたのに……」
「無能な者、って……」
「私はずっとお姉様だけを想っていましたのに……それをいとも容易く、ましてや無能力者なんかに奪われてたまるものですか。私は、あなたからお姉様を取り戻してやる」
 女子学生の虚ろな目がアリッサを捉えた。しかしその双眸は暗い深淵を見つめているように定まっていない。
 想い人を取られた悲しみは女子学生の心を崩壊まで追い込んでいたのかもしれない。今や女子学生は復讐しか頭にないようである。
その手に持つ呪文の練り込まれたナイフだけが鋭敏な輝きを放ち続けている。
「お前なんかがいたから、お姉様は……!」
「貴女、ホントに馬鹿ね」
 呪いの言葉を遮るように、はっきりとした声が廊下に響いた。エレーナは腰に手をあてると、見下す様な目で女子学生を見た。
 模範的な優等生らしからぬ態度と言動に、アリッサまでもが驚きの表情でエレーナを見ていた。
「お、お姉様?」
「ねぇ、もし仮にアリッサが居なかったとしたら、今私の隣にいるのは貴女だったと思う? 私と手を繋いで、夕暮れの温室でくつろいでいたのは、貴女だったと思うかしら?」
「……」
 質問する、というよりは事実を一つ一つ突き付けてゆくような冷徹な声は、抑揚がなく、威圧的であった。
「答えないのね。まあ、薄々貴女にも解ってきたでしょう? 答えはノーよ」
 その言葉が引き金となったのか、女子学生は膝から崩れ落ちた。止めどなく流れる涙を拭おうともせず、ただただ虚空を見つめていた。
 アリッサはそれを見て、同情はしなかったがいい気味だとも思えなかった。
 この少女はエレーナにとって一番大事な存在になりたかっただけなのである。いつも隣に居たかっただけなのである。その想いが、いつの間にかアリッサへの憎しみと変わり、善悪の判断も曖昧になっていったのであろう。
 なおも無言で少女を睨み続けるエレーナに、アリッサは呟くように言った。
「行こう」
 エレーナは小さく目を瞑ると、座り込んだ少女の脇をすり抜けて行った。
 目を瞑ったのが救済の祈りなのか、怒りを鎮めるためだったのかは遂に分からなかった。

花天月地

 森を抜け、山道に入ったところで、アリッサはエレーナに恐る恐る聞いてみた。
「なあ、さっきの奴の事なんだけどさ」
「ああ、あの女子学生の?」
「うん。 あいつ、『狩り』がどうとか言ってたけど、あいつが無能力者狩りをやってたのか?」
 エレーナはしばし黙っていたが、地面を見つめたまま話し始めた。
「あの子はね、学園理事長の孫に当たる人なのよ。私も理事長に会ったことあるけど、その時にあの子と知り合ったの。悪い子じゃないし、成績もなかなか良いのだけど、ちょっと思い込みが強いところがあるのよねぇ……」
 我を失い、果てには憧れの先輩に振られた少女。一体何が悪かったのだろうか。ふと考え込んだアリッサは、頭を振ってその考えを振り払った。今は人のことを考えている余裕は無い。
「ちょっと、寄り道しましょうか」
 エレーナはそう言うと、歩を早めた。慌ててアリッサも後を追う。
しばらく急な坂を登ると、開けた場所に出た。森と広場との境目には、朽ちかけた木の門のようなものが辛うじて残っていたが、既に門の意味をなしていなかった。
 二人は目の前に広がった光景に、言葉を失った。
 一面の純白の世界が、そこには広がっていた。
 よく見ると、それはまだ蕾の状態のヤマユリの花であった。身を寄せ合うようにして、見渡す限りユリで埋め尽くされていた。
「すごいな……」
「『永刻の花園』と呼ばれているわ。この千年間、一度も花開いたことがないらしいわ。絶対に枯れないのに、花は咲かない」
「変な花だな」
「世界中の魔導師が必死になって咲かそうとしたけど、ダメだったみたい」
 アリッサはその場にしゃがみこむと、一つのユリの蕾を見つめた。手のひらほどはあろうかというほど大きなヤマユリの蕾は、淡く発光しているように見えた。
 蕾を見つめながらアリッサは、自分が魔法を使えないことに劣等感を抱いていた事が、どうしようもなく些細なことであると感じた。人と違うことがそんなに嫌だったのだろうか。魔法が使えないことがそんなに嫌だったのだろうか。全部どうでもよくなっていた。
 アリッサは立ち上がると、少し離れたところにいるエレーナを見た。いつの間にか、エレーナもこちらを向いて立っている。
魔法が使えなくても、自分には最高の親友がいる。それだけで最高の気分だった。
 薄雲のかかる月の明かりに照らされ、シルエットとなった山稜を背景に、エレーナは静かに口を開いた。
「あのね。わたし、あなたに言えなかったことがあるの。ずっとずっと、前から思っていたのに言えなかった事」
 エレーナは一言ずつ、言葉を選ぶように言った。
「いつ言おうか迷っていたのだけれど、やっと決心がついたわ」
 大きく息を吸い込むように空を仰ぐと、エレーナはアリッサをまっすぐ見つめた。アリッサは、その言葉を待つかのようにじっと立ったまま、動かなかった。

「私、あなたの事が大好き。他には何も要らない」

 アリッサは少し驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔になった。そして、エレーナに近付くと、優しく包み込むように抱きしめた。かつて学園の屋上でエレーナがアリッサを抱きしめたように。
「えっ、あ、アリッサ!?」
「本当はあたしから言うつもりだったのに。学園トップのエレーナが、こんな落ちこぼれのあたしと仲良くしてくれて、今までどんなに救われたか……」
「アリッサ……」
「だからあたしも今ここで言う。あたしもエレーナの事が大好きだ。……愛してる」
「うん」
 アリッサは強くエレーナを抱きしめた。劣等感に沈みゆくばかりだった自分を、唯一救い出してくれたエレーナを、ただ抱きしめていた。
 その時であった。巨大な満月にかかる雲が夜風に流され、月はその衣を脱ぎ去ると、共鳴するかのように周りのユリの蕾が揺らめきだした。
 異変に気づいたのか、アリッサはあたりを見渡した。
「え……」
ゆっくりと花開いてゆくユリ。その花弁は大きく腕を広げるように反り返り、純白のフリルを惜しげもなくさらけ出す。
 あっという間に花開いてゆく様子は、まるで早送りする映像を見ているようであった。
 ようやく自体を飲み込めたエレーナも、言葉を見つける事はできずに、ただ一斉に開花してゆく花々を見つめることしか出来なかった。
「……なにが、あったのだ」
 ようやく口にできた言葉はそれが限界だった。
「まさか、古術……?」
「こじゅつ? なんだそれは」
「昔の文献にしか載っていない、今は忘れ去られた魔法のことよ。現代では確認されていないから、伝説のような扱いになっているわ。その文献も千年も昔ものらしいから……」
 そこまで言って、エレーナは突然言葉を切った。すこし険しい顔になりながら、何処か空を見つめている。
「……どうした」
「千年以上前の魔法……固有魔法……花園……」
「おい、大丈夫か」
 ぶつぶつと独り言を呟きだしたエレーナに不安を抱いたアリッサは、エレーナの肩をゆすろうと思って手を掛けた途端、エレーナはとびきりの笑顔でアリッサに振り向いた。
 その豹変ぶりはあまりにも唐突で、アリッサは伸ばした手をとっさに引っ込めた。
「ど、どうした」
「分かったわ! アリッサ、あなたの固有魔法はこれだったのよ」
「いきなり何の事だ」
「だから、これよ!」
 そう言ってエレーナは手を大きく広げてその場で一回転した。ようやくアリッサにもエレーナが言いたい事が分かった。
「この花を咲かせるのが、あたしの魔法……?」
「そうよ。しかもそれは伝説の魔法、『誘いの笛』よ。この世界の不均一になった魔力を平均化する魔法。世界中の余った魔力はこのユリに吸収されて、また千年の眠りにつくのよ!」
 楽しそうに話すエレーナを見ながら、アリッサは浮かない表情をしていた。
「じゃあ、エレーナはどうなるんだ?」
「なにがかしら?」
「均一化ってことは、強い魔力は吸収されるんだろう? だったらエレーナの魔力も……」
「ええ、自分でも分かるわ。かなり弱くなってる」
 その言葉を聞いて、アリッサはうなだれた。学園トップの魔力は、自分のせいで失われていっているのである。
「何しょげているのよ」
「だって! あたしのせいでエレーナは……!」
 エレーナはやれやれといった様子でアリッサを見つめた。
「別に良いじゃない。私には魔法が無くたって、あなたが居るのだもの。それに、わたしは魔法なんかで優劣を決めるような女じゃないのよ」
 エレーナは優しく微笑むと、アリッサにキスをした。切なさは無い。ただ喜びだけが溢れていた。
「いい夜ね」
 盛大に咲き誇る百合の花を、淡い月光が優しく照らし出していた。
月はまだ、登り始めたばかりであった。

花天月地

どうもこんにちは。全開に続いて今回も部誌に掲載したものになります。もともと硬派な小説が好きなのですけれども、今回はすこし明るいキャラ立てにしてみました。この「花天月地」は、魔法の世界を描いたファンタジーになりますが、私の固い頭だとなかなか発想が浮かばず、苦労しました。もっといろいろな本を読まなくては……。ここまで読んでくれた方に感謝です。

花天月地

世界唯一の魔法学園に通うエリート魔導師のエレーナは、親友のアリッサから「魔法が使えない者を排除する」という通称「無能者狩り」のことを知る。学園一のエレーナは、親友とともに学園から逃げ出し、「奇跡」と出会う。ファンタジー初挑戦作品。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-09-23

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著作権法内での利用のみを許可します。

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