ついてない日

その日は芦野義彦にとって、とても大切な一日であったのだが……、

 そもそも、その日の天気は朝から上々であった。約束の刻限まで一時間半を残して、芦野(あしの)義彦(よしひこ)は自宅をあとにした。バス停まではほんの十五分で、乗車時間は待ち時間込みで四十五分くらいだ。そこから目的地までは十分(じゅっぷん)もかからない。何度か足を運んでいて、経路はしっかりと把握できている。
 バスに乗ると、予定通り単独席を確保することができた。この路線は、次の停留所からいつも混みはじめる。やがて、二つ、三つと停留所を過ぎるうちに、車内の座席は完全に埋め尽くされてしまった。可哀そうに、これからの乗客は立ちながらの乗車となる。
 ふと気が付くと、義彦の横には片足を引きずった老人が立っていた。物欲しそうな目で義彦の方をじっと見つめている。義彦は反射的に目を逸らした。せっかく最上の座席が確保できたのだ。このあと、三十分はバスに乗っていなければならないし、乗客はどんどん増えていき、やがては足の踏み場もなくなってしまうのだから。
 何よりも、自分には一世一代の大勝負が待ち構えている! 少しでも体力は温存しておきたい。
 結局、苦渋の決断として、義彦は老人に席を譲る選択を選んだ。もう少し早く老人が乗っていれば、他にも空席があったのにと悔やまれる。タイミングは実に最悪であった。このあと当然のごとく、義彦が座れる席はめぐって来ることはなく、片腕を動かす隙間もないほどびっしり混雑しきった車内で、奮闘と憔悴を繰り返しながら、ようやくバスは目的の停留所にたどり着いた。

 バスから降りた義彦は、小走りに足を速めた。渋滞のためだろうか、到着時刻は予定よりも十五分遅れていた。それでも、約束の時間までは、どうにかこうにか間に合う。
 一つ先の歩道で、小柄な老婦人が、物欲しげな目でこちらを見つめている。嫌な予感がしたものの、義彦は目を合わさないようにして、横を通り過ぎようとした。
「あのお、すみません。中央郵便局に行きたいのですけど、ご存じないでしょうか?」と、救いを求めるかのように、婦人が義彦に話しかけてきた。
「ああ、郵便局ならそこのビルの向こう側にありますよ」
 たあいもない質問で助かったと、義彦はほっと胸をなで下ろした。すると、婦人はニコニコ顔で、
「あのお、よろしかったらそこまで案内していただけませんか?」と、あつかましく頼み込んできた。
 義彦は戸惑った。正直なところ自分はとても急いでいるのです、と返したいのはやまやまであったが、所詮は、たった一区画先まで誘導するだけのことだ。なんとか間に合うだろうと、義彦は婦人を案内してあげることにした。
 ところが、この老婦人、足の状態がかなり悪いようで、異常に歩行が遅かった。義彦は焦った。すぐ目前の角を曲がれば郵便局が見えるのに、そこまでたどり着くのに相当かかりそうだからだ。案の定、交差点の角まで着いた時に、約束の刻限はあっさりと過ぎてしまった。
「ほら、おばあさん。あそこに郵便局が見えますよね」
 婦人は腕に嵌めた小さな時計をちらりと見ると、「ああ、あそこですね。どうもありがとうございました。本当にご親切に……」と、賛辞の言葉を何度も義彦に投げかけた。
「それでは、これで……」
 義彦は軽く会釈をするや、全力疾走で目的の第二白川ビル五階に向かった。エレベーターを待つ時間がこんなに長いのかと感じたのは、これがはじめてだった。もう五分近くも遅れてしまっている。楽天家の義彦も、さすがに心臓がバクバクと波打つ鼓動が聴こえた。

 面接室は、エレベーター出口からすぐだった。ドアの脇には、待機のための椅子が並べられている。義彦は服装の乱れを整えてから、おそるおそるドアをノックした。
「はい、どなたですか?」
「ええと、受験生の芦野義彦です。遅れてしまって、大変申し訳ありません」
 何といってよいのかわからず、咽喉元から絞り出すような、なさけない返事しかできなかった。
「どうぞ、お入りください」と、中から声がした。

 面接室の中は、片仮名のコの字型に長机が配置されていて、受験者のための椅子がポツンと中央に置かれていた。正面の机には三人の面接官が座り、両脇には記録係と補佐官だろうか、それぞれ二名ずつの男女が腰かけていた。
 義彦は、氏名を名乗るなどのお決まりの儀式を行い、中央の椅子に着席した。七羽の禿鷹の前に投げ込まれた瀕死の野うさぎのような気分だった。
「どうぞ、気楽になさってください。だいぶ、息があがってみえるようですから」と、向かって右側の面接官がやさしい言葉をかけてきた。
「はい、どうやら、もう大丈夫です。どうぞ、よろしくお願いします」と、義彦は腹に力をこめなおした。
「ここに来るまでの道中は混んでいましたか?」
 左側の面接官が、さりげなく世間話のような口調で訊ねてきた。
「いえ、多少バスは混んでいましたが、いつもの混雑ぶりでした」と、義彦は軽く答えてしまった。一瞬、場が静まり返った。義彦は何やら嫌な予感を感じた。
「ところで、貴方(あなた)は五人のうちの最後の受験者なのですが、これまでの四人の方々は、みな時間をきちんと厳守してこの会場に姿を現しています。それに対して、貴方は約束の時刻に七分と二十秒も遅刻しています。さて、これについてどう説明してくれるのでしょうね?」と、真ん中の意地が悪そうな面接官が、したたかに攻撃を仕掛けてきた。
「その……、まあ、運が悪かったというか――。いやいや! 何も弁解することはありません。すべては、わたしの不注意によるものです」
 観念した義彦は、きっぱりといい切った。
「それでは、気を取り直して、質問をさせていただきますよ。貴方にとって、最後の挽回のチャンスとなりますからね」と、真ん中の面接官が眼鏡下からうすら笑みを浮かべながら切り出した。
「あいさつは大事であると、学校で教わりましたね。でも、本当にあいさつって大切なのでしょうか? 貴方の率直な考えをおっしゃってください」
 これはこの会社での第三次面接であった。さすがに最終選考となる試験問題で、道徳感に訴える答えが期待されているとは思えない。この質問は、あいさつという文化について独自の分析を述べよというものだと、義彦は解釈した。
 それならばと、義彦は落ち着きはらって、意見を語り出した。
「最初に、あいさつという概念が存在しない文化を考えてみます。そこでは、仲間とその日はじめて出会った時にも、何もゼスチャーを交わしません。その際にもお互いの信頼関係は存在しているはずですが、昨日存在した信頼関係が今日も継続しているという保証は何もありません。そこで、あいさつという概念がない文化にいる場合、互いの信頼関係を確認したい時には、何らかのリアクションを相手にとらなければなりません。例えば、『今日はよい天気ですね』と相手に問いかけて、そのリアクションを観察する、などです。英国人がさりげなくするこの質問は、見ず知らずの相手、すなわちあいさつが自然にできない相手に対して、相手の信頼を確認するための行為であると思います」
 ここで、義彦は考えを整理するために一呼吸入れた。大丈夫だ。あとの展開論理を間違えなければ、この質問に的確に応対できたことになる。
「このように考えると、あいさつを交わすという行為は、社会の中で他人との信頼関係を形式的に確認する有効な手段として、定着していったのだと思われます。誰でも、毎日、刻々と変わる情報を確認したいという願望はあります。しかし、自分からその確認を具体的な行為として切り出すためには、ある種のエネルギーが必要になります。あいさつは、この行為を形式化したということに、わたしは意義があると思います」
 我ながら満足のいく受け答えができたぞと、義彦は内心安どした。
「つまり、信頼ということが、社会生活において、しいては相手とうまくやっていくために不可欠であると、貴方はおっしゃるのですね?」
「もちろんです。信頼関係というのは、人間が社会というコミュニティの中で生活をしていくうえで、もっとも重大な役目を果たしていると思います」と、義彦は調子に乗って断言した。
「ところで、信頼を損なってしまう行為としては、例えば何がありますかね?」
 左側に座っている、イベントのゆるキャラのような容姿の面接官が、訊ねてきた。
「それは、相手に対する裏切り行為ですね。たとえば、約束の破棄とか……」
「とおっしゃると、約束の刻限を守らないとか?」
 しまった! これでは、自ら首を絞めるスパイラルに落ち込んでしまっている。
「おっしゃるとおりです。たしかに、僕は……、いえ、わたしは今日貴社と交わした約束の刻限に遅刻するという、約束を破る行為をいたしました――」
「弁解はそれだけですか?」
「はい、これだけです」
 うつむく義彦の額からは、冷や汗がこぼれ落ちた。
「それでは、我々と貴方の間の信頼というものは、確立されません。貴方は、契約を破棄されたわけで、その信頼を取り戻すためには何をすればよいと思いますか?」
「つまり、それは……。その今後の行為を持って、築いていくしか……」
「とはいっても、貴方がもしここで試験に落ちてしまえば、貴方が信頼を取り戻すことはできませんよね。さあ、貴方が我々に対して信頼を取り戻せるかどうか、これが最後のチャンスなんです!」
 義彦は考えた。ここで、今朝起こった事実を説明して詫びれば、先方の要求に応じたことになる。しかし、今朝の行為を正直に話しても、とっさの作り話であると取られてしまうのが落ちだ。何しろ、見事に作り話のような出来事であったのだから。そして、たとえ事実とはいえ、自らの意志で行った行動である。弁解じみた説明をするのも、気がはばかられた。
 義彦が何も答えないのを確認すると、真ん中の面接官は当てが外れたというような素振りで溜息を一つ吐いた。しかし、すぐに気を取り直したように義彦に視線を向けてきた。
「それでは、最後の質問です。この質問は貴方の論理的な思考力を問うものです。準備はよろしいですか?」
「はい、お願いします」
「ある島に五人の海賊がいました。彼らは手にした百枚の金貨をこれから分けようとしています。その分配は次の規則の下で行われます。五人の海賊には一位から五位までの順位が付けられています。最上位の海賊、この人を親分と呼ぶことにします。まず、親分が金貨の分け方を提案します。その案について、親分を含む全員が順番に、賛成か反対かのいずれかの投票をします。投票した海賊の人数の半分以上の賛成票が得られれば、その提案は成立して、その案の通りに金貨の分配が行われます。もし、賛成票が足りなければ、提案者である親分は殺されてしまい、残った海賊で、最上位の海賊が新しい親分になり、金貨の分け方をあらためて提案します。以下、同じ規則で投票が行われて、最終的に一つの案が認められるまで、この手順を繰り返します。そして、五人の海賊の中で、貴方は一位であるとしてください。貴方は親分として、百枚の金貨を五人でどのように分配せよと提案しますか? 補足しておきますが、ここにいる海賊たちはみな極めて論理的で、かつ貪欲です。彼らは利己的なので、お互いに共謀することはありません。さらに、全員が、自分は絶対に死にたくないと思っています」
 なんだ……、この質問は? 義彦はうろたえた。この質問が数学の論理性を問う質問であると認識するまでに、若干の間を要した。
「ずいぶん、複雑な質問ですね。わたしが親分の海賊であり、わたしにできることは、金貨百枚を分配する提案ですね」、と義彦は質問の要点を確認した。
「その通りです」と、真ん中の面接官が穏やかに答えた。
 義彦は考えた。複雑な問題であるが、答えは意外と易しそうに思えた。しかし、自分はすでに遅刻という大失態を犯している。なんとかこの不名誉を挽回しようとするならば、これは本当に最後のチャンスである。面接官たちをあっといわせるような解答を用意しなければならない。
 数分の沈黙のあと、義彦は顔をシャキッとあげると、ゆっくりと自分の主張を展開した。
「三人以上の賛成を得られないといけないのですから、百枚を三等分して三十三枚ずつの金貨を他の二人の海賊に与えるという提案をすれば、その二人から賛同を得られるはずなので、自分が殺される心配はないですね」と、義彦はまず正解と思われる答えを述べた。
「それなら、どの部下に三十三枚ずつの金貨を与えるのですか?」と、真ん中の面接官。
「そうですね。誰に分配しても賛成は得られると思うので、まあ上位者を優先して、二位と三位の海賊にそれぞれ三十三枚ずつ手渡すという提案にいたします。もちろん、親分であるわたしは三十四枚の金貨を受け取ります」
 義彦が答えた時、右の面接官が笑いをこらえるような表情をみせた。真ん中の面接官が念を押すように訊ねた。「それが、貴方の最終的な解答ということでよろしいですか?」
「ああ、実はそうではありません」と、義彦は慌てて答えた。
「と、おっしゃいますと?」
「論理的には先ほどの提案でよいはずですが、その……、現実問題として、もし自分が親分だったら、一部の部下に不満が出ることの方が、後々の統率のことまで考えると損失が生じると思うのですよ。だから、わたしが親分であったら、二十枚ずつ五人に公平に分配します。もちろん、わたしの分け前は先ほど述べた正解よりも大幅に減ってしまいますけど……」
「それでは、親分である貴方の取り分はたったの二十枚ということになってしまいますが、それでよろしいのですね?」
「はい、それでかまいません」
「わかりました。これで面接試験は終了します。本日はどうもありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」

 義彦は海賊問題の対応に関しては、それなりに満足していた。本来の正解を答えるだけでなく、プラスアルファで自己主張を加えることができたのだ。ひょっとしたら、遅刻を犯す大失敗を、多少は埋めてくれたかもしれない。しかし、さすがにそれは無理か……。大切な面接で遅刻するなんて、前代未聞のことだろう。そして、それに対して適切な弁解も自分はできなかった。結局、海賊問題を無難にこなしただけに過ぎない。受験者は他に四人もいるのだから、中には海賊問題にきちんと応対できた者もいるだろう。どう考えても、自分が合格できるとは思えない。ところで、海賊問題で自分が提出した第一の解答は、果たして正解であったのだろうか? 
 義彦はしだいに不安になってきた。そこで、親友であり数学が得意な新実(にいのみ)賢一(けんいち)に、海賊問題について尋ねてみることにした。

「すると、君は二位と三位の海賊に三十三枚ずつの金貨を渡すという提案が正解であると断言してしまったんだね?」
「その通りだよ。それ以上に良い答えがあるとは思えないけど……」
「はっはっは。君――、その提案では、最善どころか、君自身が殺されてしまうぜ!」
「どういうことだ?」
「この問題は純粋に論理的なものだ。この答えを理解するためには、まず五人ではなくて、二人の場合から答えを確認していく必要がある」
「二人の場合……?」
「親分の提案がことごとく半数以上の同意を得られず、次々と親分が殺されていく。そうして、ついに海賊が二人だけになってしまった状況を想定してみる」
「ふむふむ」
「二人になってしまえば、半数以上の同意とは、一人以上の同意を意味する。すなわち、親分一人の賛成で、そのまま提案が可決されるということだ。つまり、親分は百枚の金貨をすべて俺がもらう、と提案すればいい。これで親分は最大に期待される報酬を得ることに成功する」
「それは、確かにその通りだ。単純過ぎるけれど……」と、義彦は渋々納得した。
「それでは、今度は残りが三人になった場合について考えてみよう。つまり、親分と二位の海賊と、三位の海賊の間での提案だ。半数以上の同意とは、この場合は二人以上ということになる。すなわち、親分は自分の提案に対して少なくとももう一人の同意者を必要とする。さもなければ、逆に殺されてしまうからね」
「なるほど」
「親分は、味方をどうしても必要とするが、その中で自分の報酬は最大にしたい。当然、味方になる部下が納得する提案でなければならない。それでは、ここで質問だ。この状況での親分の最善の提案とは、どのようなものだろうか?」
「親分がうっかり百枚全部の金貨を自分のものとする、なんて提案をしてしまえば、部下の二人から反対されて、自分が殺されてしまうというわけだね。だから、部下の片方にいくらかの報酬を与えなければならないということになる。しかし、部下が納得してくれる金額でなければならないわけか……。つまり、それは……、親分の取り分にそこそこ近くなければ納得してもらえなさそうだな。ということは、金貨五十枚? つまり、親分ともう一人の部下とで、五十枚ずつの金貨を山分けするという提案だ。これ以上の、譲歩は考えられないから、これが答えということか?」
「君はその五十枚の金貨を、どちらの部下に与えるというのだい?」
「それは、別にどちらでも……。当然、順位が二位の部下に与えればいいと思うが……」
「そうか。それなら、君は殺されてしまっているね!」
 あっさりと新実は断言した。義彦は真っ赤になって訊ねた。
「どういうことだ?」
「二位の海賊からしてみれば、五十枚の金貨をもらうよりも、提案に反対して親分を殺す方が得だからさ。そうすれば、残った二人の海賊の中では自分が上位にいるから、今度こそすべてを自分のものとするという提案がまかり通ってしまい、百枚の金貨を丸ごと得ることができるんだ。だから、五十枚の金貨を与えるという提案では、二位の海賊は納得してくれない。当然、一枚の金貨ももらえない三位の海賊も、親分である君の提案には反対するから、君の提案は二人の反対にあって、あえなく却下される。そして、君は殺されてしまうというわけだ!」
「そんな……。それでは、二位の海賊にいくら与えればいいというのだ。七十五枚? いいや、結局百枚すべての金貨を二位の海賊に与えなければ、彼の同意を得られないということじゃないか!」
 新実はフッと鼻で笑った。
「そうでもないぜ。もし、君が二位の海賊に九十九枚の金貨を与えて、さらに三位の海賊に一枚の金貨を与えれば、君の提案は成立する。たとえ二位の海賊が、百枚欲しさに提案を拒否しても、君と三位の海賊の賛成で提案は可決されるからだ。三位の海賊は、これまでのどのパターンになっても、一枚も金貨をもらえない運命にあった。つまり、一枚でも金貨をもらえる提案ならば、三位の海賊はかならず賛成をする!」
「三位の海賊からしてみれば、もし一枚の金貨をもらえるという提案に反対して親分を殺してしまうと、残った二人の間では相方が親分になってしまうから、全部を独り占めにするという提案をされて、結局自分の取り分は一枚の金貨もないことになる。どう転んでも自分に金貨は回ってこないというわけか……」
「その通りだね」
「逆に考えれば、三位の海賊は一枚の金貨がもらえるという提案を受ければ、かならず賛成をするということだ。わかったよ、答えが! 三人の場合には、自分が九十九枚を取り、三位の海賊に一枚の金貨を与えるという提案をすればいいんだ。この場合、二位の海賊の取り分は何もなくなるけど、それでも提案は可決される!」
「そういうこと。それでは、四人の海賊が残っている時に、最善の提案はどうなるのだろうか? この場合、半数以上の同意とは二人の同意でよいことになる」
「つまり、親分である自分以外に、もう一人の同意者を得ればよいということだね。さっきと同じ理屈を考えれば、親分が九十九枚、三位の海賊に一枚。残りの二人には取り分なし、とすれば、自分と三位の海賊の同意で提案は可決されるから、取り分は九十九枚ということになる」
「すばらしい。それでは、最後の場合だ。五人の海賊で行う最善の提案とはいかなるものなのだろうか?」
「半数以上の同意とは、親分である自分以外に、あと二人の同意者を必要とする。当然、二位の海賊は同意者にはなってくれないから、三位の海賊に一枚の金貨を渡し、さらに、もう一人四位か五位の海賊のどちらかに金貨を一枚渡せばいいということだね」
「ここは、注意を必要とする。三位の海賊は、一枚の金貨がもらえるという提案を拒否してしまえば、親分が死んだあとで、自分がナンバー2になってしまう。つまり、金貨が手に入る可能性はゼロとなる。だから、今回の親分の提案には賛成せざるを得ない。ところが、四位の海賊は、微妙な位置にある。もし、提案に賛成すれば、金貨を一枚得ることができるが、仮に提案を拒否しても、そのあとで四人の中のナンバー3になるのだ。つまり、その場合でも、一枚の金貨を得ることができるわけだ。そうなると、四位の海賊に一枚の金貨を与えるという提案は、四位の海賊にとっては、承諾しても拒否しても一枚以上の金貨が確実に保証されていることになり、こうなると、四位の海賊は、親分である君が単に気に入らないという理由だけで、提案を拒否することもあり得る。しかし、五位の海賊ならば、一枚の金貨をもらえるという提案は魅力的だ。提案を拒否して親分を殺しても、残り四人のナンバー4になるだけで、その状況下で報酬がもらえることはない。すなわち、一枚をもらえるという提案に確実に同意してくる。つまり、正解は、自分の取り分は九十八枚、三位の海賊に一枚、五位の海賊に一枚の金貨を与えるというものだ!」
「それならば、僕が面接で答えた、親分三十四枚、二位に三十三枚、三位に三十三枚、四位と五位には何も与えないという提案は……?」
「君の提案では、親分と三位の海賊からの同意が得られるだけなので、君は殺されてしまうことになるね」
「ならば、そのあとに出した、親分から五位まで全員に二十枚ずつ分けるという解答は?」
「その提案なら、二位の海賊以外の四人の同意を得て、提案は可決される。もっとも、その時の親分である君の取り分は、たったの二十枚に減ってしまうがね」
 新実の理路整然たる説明を聞いて、義彦は完全に観念した。頼みの綱である海賊問題に関する義彦の解答は、からきしの見当違いだった。しかも、それをさも得意げに義彦は語ってしまっていたのだ。
「せっかく最終選考まで来れたのに……」
 義彦はぐっと唇をかみしめた。

 翌日の夕刻、携帯電話が鳴った。相手は昨日の面接を行ったグローバル・ウェルフィア社からであった。
「もしもし、芦野義彦さんですか? わたくしはGW社の入社試験担当の望月と申します。先日の当社の入社試験におきまして、貴方が合格されましたので、報告させていただきます。つきましては……」
「ちょっと待ってください!」
 あまりの驚きに、思わず義彦は言葉を発していた。
「はい、何かございましたでしょうか?」と、電話の向こうから心配そうな声がした。
「つまり、そのお、僕が……、いえ、わたしが貴社の昨日の面接試験に合格したとは、とても信じられないことであったので……、ひょっとして、何かの間違いかと……」
「いえいえ、当社が選んだ人物は間違いなく貴方ですよ」と、電話の向こうで担当者が穏やかにいった。
「でも、わたしは海賊問題も正しい解答を答えられませんでしたし、遅刻もしてしまいましたし……」
「海賊問題に関しては、貴方の解答こそが我々が求める唯一の正解でした。さらには、昨日貴方がとられた行動は、すべて我々が求めているものそのままでした。まさに、パーフェクトでした! 我々が人材で重視しているのは、何よりも第一に他者を思いやる気持ち、そして第二に誠実な心なのです!」
「はあ……」
 あまりの意外な返答に、義彦は言葉が出てこなかった。すると、電話の向こうから、担当者の誇らしげな声が聞こえた。
「とにかく、優秀な人材の発掘と確保のために、当社は常に全精力を投資しています。準備には万全を期し、それに対するいかなる労も、一切惜しむことはしていませんからね……」

ついてない日

ついてない日

  • 小説
  • 短編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-09-03

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