見えない恐怖
これは、私が関東で業務に従事していた時の実話です。
埼玉県は浮間舟渡の建設現場に従事していた森田は、今日も自宅へ帰れない覚悟を決めて、寝袋を用意していた。
「なかなか図面が終わらないなぁ。はぁ。しかも、ちょっと、今日は冷えるし。」
もう4月だと言うのに、外は真冬の様な冷え込みだ。
仮設のプレハブ小屋は意外に断熱が効いていて致命傷となる寒さではないが、今日は特に底冷えが激しい。
「ラジオでも聞くか。」
集中力が低下してきていたので、ラジオに手を伸ばし、電源を入れる。
・・・特に番組らしい放送はない。
寒々しい時計に目を向けると、2:30をさしている。
「確かに、深夜だけど、番組らしい放送が何にもないって。。。今日は、金曜日だぞ。地方ってこんなに番組がないもんなのかぁ。それとも電波が悪いのかな?」
そういいながら、森田は昔ながらの手法で、ラジオをポンっと平手で叩き、その衝撃で電波が届く様になるか試してみた。
すると、何やらFMらしい放送が俄(にわ)かに聴こえてきた。
「お。なんだ、やってるんじゃないか。やっぱり電波の調子が悪かったのか。」
しかし、どこかおかしい。
どうもFMではないようだ。
少しボリュームをあげてみると、
「か〜。。。。れ〜。」
音楽と思っていたのは、ノイズで、そのノイズに、女性の声が時々混じっているように聴こえる。
「げっ。なんか気持ち悪っ。」
そういいながら、ラジオの電源を切ろうとしたその時、あってはならないことに気付いた。
「え!??ちょっと待ってよ。コンセント抜けてるじゃんか。。。」
そのラジオは元々電池を入れる裏側のケースは壊れているので、コンセントでしか動作しないはずなのだ。
「これ。。。どうなってんだ。」
とブツブツ独り言を言っていると、再び
「か〜。。。え〜。。。れ〜。。。」
「え!?今、帰れって、、、そう聞こえたような。。。」
森田は、あまりの気持ち悪さに、そのノイズの乗ったラジオの音量をいっきに最小に絞った。
しかし、「ザー」という雑音がゼロになることはなく、その音に混じり、うっすらと先ほどの声が聞こえる様な気がしていた。
「あーもう!一体なんなんだよ!気持ち悪くて仕事にならんよー。。。寝袋も用意したことだし、今日は寝よ。」
そういいながら、寝袋を広げ始めようとしていると、上階から何やら物音が聞こえる。
「お!?小林組の人、まだ仕事していたのか。ちょっと、顔出しに行こっと。」
森田は、寂しい時は、これほど人の温もりを感じれるのかと、内心、驚いていた。
普段は、人一倍、社交性の強い森田だが、本当は、人見知りが激しく、人付き合いも苦手なのだ。
ところが、関東に出てきて、心機一転、自分を変えてみようと、別のもう一人、「社交性の森田」を演じてみたのだ。
そうすると、周りの受けはよく、自分自身にも自信が湧いてきた。
それが、今の彼を下支えしている。
「誰が残っているのかなぁ〜。」
そういいながら、自分の事務所の扉を開けて、会議室を横切り、表に通ずる引き戸を開けた。
「さっむー!」
外は思った以上に気温が低く、肌を刺す様な感覚だった。
そして、鉄骨の外部階段を上がり、小林組の事務所を覗き込んだ。
どうやら、電気は点いていないようだ。
「あれ?もう寝てるのかなぁ。」
部屋の電気が消えているせいで、中がよく見えないが、外から見た感じでは、人の気配がしない。
そして、引き戸を開けようとしたが、鍵が掛かっている。
「え?」
そう、このプレハブ小屋は、外にロックをつけて鍵をかけるタイプなので、外から鍵がかけることが出来ない構造になっている。
「あらら。気のせいだったんか。そらそうだよなぁ。こんな深夜に、こんな小屋で寝泊まりするような人、いないよな。。。」
そういうと、森田は再び、事務所へ戻った。
「一層、寂しくなっちゃったよ。」
いると思った人間がいない方が、一人ぼっちを覚悟していたときよりも、一層寂しさが襲ってくる。
そういう意味でも、今夜は、特に長く感じる夜だ。
「おやすみー」
誰に言う訳でもなく、森田は今から寝ますという挨拶をし、部屋の電気を消した。
そして、少しして眠りに付きそうになっていたとき、またしても、上階で物音が聞こえる。しかも、今度は明らかに聞き間違いでも、気のせいでもない。
紛れもない、人の足音だった。
「まさか!泥棒?」
いや、待てよ、泥棒がわざわざ鍵をかけるか?
そう、心の中で思いながら、寝袋から出て、また、上階へ様子を見に行った。
今度は、気配を殺しながら、上階へ上がり、扉の外からそうっと中を覗いた。
そして、持参した懐中電灯を一気に、部屋の中に照らしてみた。
誰もいない。。。
隠れる様な場所もない。。。
疲れているのかな?
森田はそう思いながら、また、自分の寝床へ戻り、眠りに入ろうとした。
だが、事件はその数分後に起こった!
先ほどの足音が一層大きな音となり、そのまま、上階の引き戸を「ガラガラー!」
と雑に開ける音がした。
次の瞬間、なんと、その足音は、カツーン、カツーン、カツーンと、鉄骨階段を下りてくるではないか。
しかも、あり得ないことに、先ほど小さくしていたはずのラジオのボリュームが、なぜか、徐々に大きくなり、「かーえーれー。・・・こーろー」
と、ここから直ぐに立ち去れと言わんばかりの女性の声が、不気味にも部屋を覆い尽くした。
森田は、動物の直感からか「殺されてしまう」危険を感じ、絶対に外へ出まい、誰も入れまいと、部屋の鍵を内側からかけ、寝袋の中へ顔を埋めた。
そして、耳を澄ましていると、その足音は一旦止まった。
しかし、それも数秒のことだった。
足音は、森田の事務所の横の会議室の表に通ずる引き戸を「ガラガラガラー!」と、ものすごい勢いで開けるとともに、会議室へ入ってきた。
そう。今まさに、その足音は、森田の隣の部屋に入ってきている。
次に、会議室の机や椅子を、「ギーギー」と激しく床に摺って移動させながら、なんと、森田の部屋に一直線に向かってきているではないか。
少しばかりの静寂ののち、遂にその時はやってきた。
さきほど閉めた森田の事務所の取手が、「ガタガタガタ!!!!!」と外れんばかりに振動し始めた。
明らかに、向こう側から、ドアノブを回し、鍵を壊して入ってこようとしている。
少しして、再び静寂が訪れるが、次の瞬間、開くはずのないそのドアがゆっくりと開き、森田は間もなく気を失った。
***
キーンコーンカーンコーン
朝を告げる目覚ましが、耳をつく。
「うわー。。。怖かった。それにしても、ものすごいリアルな夢だったな。」
そういいながら、森田は寝袋から出ながら、目をゴシゴシし、いつもの様に、外へ出て歯を磨こうとして、会議室側の扉を開けると、恐怖で体が硬直してしまい、歯ブラシと歯磨き粉を落とした。
机や椅子は乱れ、会議室の外へ通ずる引き戸は開かれ、鉄骨階段に泥まみれの大きな足跡が残っていたのだ。
そう。
あの夜の出来事は夢ではなく、まさに、現実に起こった出来事だったのだ。
見えない恐怖
このストーリーを書きながら、その時の情景を思い出してしまいました。
本当は、もっと詳しく書きたかったのですが、あまりのトラウマで、最期の仕上げが少し急いだ感じになってしまいました。