キャッチボール(3)

阿門 遊

三回表・三回裏

三回表

「どうだ、受験勉強の進み具合は?高校の志望校は決まりそうか」
 翼にボールを投げながら尋ねた。
「まあまあだね。取りあえず、順調かな」
 翼から、答えになっていない曖昧な返事とボールを一緒に受け取る。言葉は大暴投だが、ボールは私のグラブにストライク。パシッという心地よい音が鳴る。
「そうか。悪くないのなら、いいことだ」
「父さんこそ、仕事はどうなの?毎日のように夜も遅いし、土・日曜日の休みの日でも仕事場に行っているけど・・・。相変わらず、忙しいみたいだね」
 今度は、私の番だ。翼に負けまいと速球を投げ返す。力が入りすぎたのか、球はややカーブ気味に回転し、翼が構えているグラブと逆方向の右肩辺りに向かった。
 私が仕事場から帰宅したとき、翼は既に自分の部屋で受験勉強に精を出しているため、普段の日は、あまり出会うことはない。仕事が終わった後、会社から自宅までのやや上り坂の道を、自転車で約二十分かけてたどり着く。自宅の玄関のドアを開ける音、そして、外の世界から逃れるように慌てて中に入り、しっかりとドアを閉め、鍵をかける音。今日の疲れを背広と一緒に脱ぎ捨てるため、タンスを開閉する音。何の肩書きもない裸の自分がいることを痛切に感じる。
 湯船からお湯が溢れ出る音。誰も見ていないテレビから、自分や家族とは一切無関係の事件が垂れ流されるニュースの音。コップにビールを注ぎ、泡が割れるたびに、今日一日が終わったことに対し、後悔の念や安堵感など、錯綜する思いを実感する音。その時、勉強の疲れのためか、「あーああ」という翼の原始的な、言葉にならない音が発せられる。
 私と翼は、音を通じて、お互いの存在を確認しあっている。 
「そうだな、まあまあだな」
 これも相手の問いに、正確には答えていない。
「父さんにとっては、忙しいことはいいことなの、それとも悪いこと?」
「難しい質問だな」
 忙しいことは、会社に仕事があることであり、その仕事を任せられている私にとっては、生活の糧を得ることができるし、また、自分が評価されていることに繋がるのだから、ありがたいことである。
だが、一方で、同じ会社の同僚たちが、定刻時間になると、机の上を片付け、そそくさと職場を離れるのを見ると、何故、自分だけがいつも残って仕事をしなければならないのかと不満を持つこともある。仕事にやりがいを感じる反面、自分から仕事をとった後に、何が残るのか、不安にかられることもある。
「父さんは、今の仕事をするために、受験勉強をして高校や大学に入学したの?」
 先の質問にまだ答えていないのに、もっと返答に窮する根源的な質問が浴びせられた。
 人は、目標や目的がないと自ら進んで行動できないなまけものの動物だと思う。しかし、その行動で到達できるのは、目の前の小さなフラッグを切ることだけだろう。
 例えば、翼が、今直面している高校受験であり、三年後に迎える大学受験である。もっと身近なことであれば、学期毎の中間試験や期末試験であり、毎日の宿題であろう。一つ一つの課題を乗り越え、最終ゴールへと向かう。
 もちろん、高校や大学への入学、企業等への就職が目的ではない。生きるという過程の中で、自分の可能性をいかに実現していくのかが大事なことであろう。次々と現れる目標という名の、山や川、海や大陸を乗り越えながら、自己実現を果たす。
 ただし、その最終目的地がどこなのか、誰も知らない。ゴールに辿り着けるのかどうかもわからない。鎖に繋がれた飼い犬のように、小屋の周りをぐるぐると回り続けているだけなのかもしれない。
「そうだな、そうとも言えるし、そうとも言えないかもしれない。たった一つ言えることは、翼、お前とこうして、キャッチボールをしている時が、一番楽しいということだ。お前が小学生のときは、毎日のようにやったものだなあ」
 私は、答えを逃げた。しかし、翼は、私が投げたボールを捕球するため、右足を二、三歩踏み出し、立ち向かう。すばやい動きのせいで、ボールはグラブの先の網の部分になんとかひっかかった。まだまだ、キャッチボールは続けられる。
「ナイス、キャッチ。机の前に噛り付いている割には、体はなまっていないようだな」
 私は、子どもの気を引こうと、大声を上げる。
「これぐらいの暴投なら大丈夫だよ、父さん。それより、変化球を投げたの、それとも自然にかかったの?俺のことより、自分のことを心配したほうがいいんじゃない?」
 相変わらず、生意気なものの言い方だが、当たっているだけに、辛いものがある。それを見返すため、思い切って投げる。行動こそ真実を示してくれる。ストライクよ、来い。
 だが、得てして、現実を変えようとする願いが深ければ深いほど、状況は、反対の方向に突き進む。ボールは、翼の背丈の倍以上の高さの空間を素知らぬ顔で通り過ぎた。
 以前、二人でキャッチボールをしていた空き地も、今は四軒の家が建築中だ。私と翼は、二階建ての家を取り囲んでいる足場の下や、木切れやダンボール箱等が申し訳程度に片付けられている廃材置き場、コンクリートの基礎工事付近など、思いつく限りの場所を捜してみたが、ボールはどうしてもみつからなかった。
「残念だけど、今日は、このくらいにしておこうか」
「そうだね、父さん。でも、お陰で、いい気分転換になったよ。この後の勉強がはかどりそうだよ」
「そうか、それならよかった。邪魔じゃなかったら、また、勉強の合間にキャッチボールをやるか」
「いいよ、僕なら。それより、父さんの方が時間の都合がつかないんじゃないの?」
「なあに、お前とキャッチボールをするという目標さえはっきりとしていれば、時間はいくらでもとれるさ。時間はあるものじゃなくて、作るものなんだ」
「二人とも、何しているの?夕食の準備が出来たから、早く、家の中に入ってらっしゃい。お風呂も沸いているわよ」
 妻の声が玄関先から聞こえてきた。
「父さん、食事だって。母さんが呼んでいるよ」
「そうだな。家に入ろうか。見あたらないボールは、父さんが明日の朝にでも、探しておくよ。だけど、どうしても見つからなければ、新しいのを買わないとな。いつでも、お前とキャッチボールができるように」
「ありがとう。父さん」
 私と等身大の影が、玄関の扉の中に消えた。私も続いて入る。影の大きさが逆転される日は近い。

 三回裏

一羽のカラスが建設中の家のてっぺんで休んでいる。首をゆっくりと振り、目は自分の頭の後ろの方まで動かし、全方位に気を配りながら餌を探している。
 カラスの動きが止まった。足場の板の上にひっかかっていたボールを見つけたのだ。これは、一体なんなんだ。うまい食い物ではなさそうだが、少し確かめてみるか。カラスは、足場の鉄板の上に飛び降りると、くちばしで、二、三回つついてみる。ボールは、勢いに押されて一回転した。妙に固く、とても食べられそうにはない。それでも、何か役にたたないかなと首をひねって考えてみる。
 そうだ、子ガラスの遊び相手になりそうだ。こうして、餌を探している間、子ガラスたちは、お腹をすかしてピイピイと泣いている。遊び道具でもあれば、気を紛らわすこともできるだろう。
 そう思うと、カラスは、先ほど突いたくちばしを今度は大きく開けて、目の前の丸い物体を咥えようとした。ボールは、予想以上にはさみにくいし、重い。このままだと高さ三メートル下の地面に落としてしまいそうだ。もう一度、しっかりと咥え直す。これなら大丈夫だろう。さあ、日も暮れてきた。子ガラスたちが待っている巣に帰ろう。
 両方の翼を広げようとしたが、足場の鉄柱が邪魔で、半分ほどしか伸ばせない。そんな状況の中で、できる限り羽ばたく。やっと足が空中に浮き、尾が上がったものの、ボールは依然として、鉄板の上だ。くちばしが四十五度の傾きで鉄板に突き刺さっているように見える。
 もっと、勢いよく羽ばたかなければ持ち上がらないぞ。それに、このままでは、自分の体も地面に突き刺さりそうだ。自らを励ますカラス。目の前にある物体が、餌でなくても、一度、子どもたちに持って帰ろうと決めた以上は、なんとかしないと。目の前の目標をクリアすることが、生きていくことに繋がるのだ。さあ、この新築の家と一緒に、ボールを持ち上げる気持ちで更に強く羽ばたく。
 すばやく上下に動く羽の勢いで、風が巻き起こる。次第に、ボールが浮いてきた。一センチ、五センチ、十センチ、そして、カラスの体は足場を離れ、ボールと共に宙に浮いた。もう、重力なんかに負けないぞ。ここから先の空は、自分たちの世界だ。カラスは、ちじめていた羽をようやく精一杯広げると、空気を叩きながら夕暮れの空に消えて行く。その先にある一番星が、キラキラッと瞬いた。

キャッチボール(3)

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三回表・三回裏

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-21

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