サン・トロンの幽霊

はじめての投稿です。少し前に書いたものを、手を入れ直してみました。そもそも前書きって何を書けばいいのか分からないので、簡単に。

広大な草原がどこまでも続いている。四方八方眺めてみても新緑の緑が地平線まで続いている。幻想的な風景だった。
その中を真っ直ぐ貫く道路を一台の車が走っていた。あまり使われていないのか、真っ黒なアスファルトに引かれた白線は輝かんばかりにはっきりと残っている。
やがて道路は小さな丘へとたどり着いたが、丘を登ることはなかった。丘の斜面に作られた人工的な四角い入り口に車は消えていった。内部は全体がコンクリートで固められており、無数の木箱や巨大なトラックが乱雑に置かれていた。その合間を縫うように進む車は、奥に立っていた誘導員の指示に従って停車した。同時に、壁の金属製のドアが開いて、飛行服を着た男が二人、出てきた。
停車した車に二人は近付いていった。一人は左目に眼帯をしていた。
「予定より早くねぇか?」
眼帯の男は、隣に立つ男を見ることなく言った。もう一人の眼鏡をかけた長身の男は、優しそうな笑みを絶やさずに言った。
「遅すぎるよりマシだよ」
「お出迎え、ありがとうございます!」
車から出てきた男は飛行服の二人より少しばかり若いように感じた。制服の襟に付いている階級章を見ると、どうやら新人のようだ。新人は小さな体に似合わない大きなバックを車のトランクから引っ張り出してくると、よたよたしながら担いだ。
飛行服の二人が小さくため息をつくと、小さな新人は敬礼して胸を張った。
「新人(ルーキー)か」
「本日からこの第四急襲航空団、第十五飛行隊に配属されました、待宵光彦(まつよいみつひこ)です。よろしくお願いいたします!」
「僕は黒江(くろえ)豊(ゆたか)。よろしく」
眼鏡の奥で笑顔を作った豊は光彦と握手した。そして、くわえようとしていた煙草を箱に戻している眼帯の男に言った。
「ほら、君もだ」
「…樫出真之(かしでまさゆき)だ。第十五飛行隊の飛行隊長だ」
「よろしくお願いします!」
「一つ聞きたい。新人」
真之は片目で光彦を睨みつけた。光彦も負けじと睨み返した。正直なところ、光彦は真之にあまりいい印象を受けなかった。真之の瞳はまるでカエルを睨む蛇のように、言いようのない威圧感を放っていた。
「貴様、ここは言わば捨て駒に近い扱いを受けている秘密航空団だ。たとえこの中の誰かが死のうと、それは無かったことになる。そんな人権もクソもないこの場所で、生き残る自信はあるか?」
「……はい」
「よし、来い……おまえも男なら、生き残ってみせろ」
真之はそう言うと歩き出した。豊はやれやれといったような顔で真之と光彦の後を追った。
施設の中は全体がコンクリートの打ちっぱなしであり、居住者の事など全く考えてないような複雑な構造をしていた。右に左に曲がってゆく通路はまるで迷路のようであった。無言を嫌う豊は、施設についてあれこれ光彦に説明していた。
「ここは極秘任務なんかに使われる『存在しない前線基地』なんだ。米国のエリア51とかと似たような存在。ここのすべての情報は国家機密扱いだ。ここを退職した兵士には、もれなく『護衛』という名の監視員が付く。ここの情報は墓まで持って行くことになるんだ」
「……そう、ですか」
「大概の人間はここから出て行かない。だから護衛が付くことも稀だ。兵士として来た奴はほとんどこの基地の地下に埋葬される。……この下には歴戦の勇者が眠っている」
「ええっ!? 本当ですか……?」
驚いて足を止めた光彦は、後ろから肩を揉まれた。緊張をほぐしてあげようとした豊だったが、どうやら裏目に出たようで、光彦はビクリと肩をふるわせた。
「怖がらないで。僕たちは勇者を守ってるんだ。これほど使命感に燃えることはなかなか無いだろう?」
くすくすと笑う豊から目を離し前を向くと、同時に真之がちらりと後ろを向いた。いつの間にか煙草をくわえていた。
「一発でも爆弾が落とされれば、その勇者たちは粉々だからな。気を抜くなよ」
真之はそう言うと、口から白い煙を吐き出した。

一行が向かった先は格納庫だった。格納庫には三機の戦闘機が格納されていたのだが、光彦は格納庫の電灯が全て点くまでその存在に気付かなかった。
なぜならば、そこにあった戦闘機は完全に真っ黒で、光をまったく反射しなかったからである。直視してもシルエットを見ているように錯覚する。戦闘機は全体的に三角形に近い形をしており、一般的な戦闘機のイメージとはかけ離れていた。
「これが、俺らが操る機体、『朔(さく)日(じつ)』だ。米国のF-117ナイトホークをベースに純国産の夜間戦闘機に作り替えたものだ。夜間戦闘に必要なものは全て装備されている」
「今までこれで数々の敵を倒してきたんだ。僕らの頼れる相棒だよ。手足と言っても言い過ぎじゃないくらいだ」
豊は嬉しそうに言った。
「僕もこれに乗るんですか?」
「当たり前だ。お前の機は奥で整備中だがな。早速だが、明日の夜に敵輸送艦隊を急襲する作戦がある。今日は早く寝て準備しろ」
「はい」

施設の消灯時間が過ぎ、真っ暗になった休憩室に一つの明かりが灯った。真之の煙草である。真之は紫煙をくゆらせながら深いため息をついた。
「そんなにあの子が心配かい?」
「心配とかそういったモンじゃねぇんだ。今回もきっと奴は来る。その時を何もせずに待っとくっていうのは気にいらねぇ……」
真之の隣に座った豊は缶コーヒーを飲みながら真之を見た。眼帯に隠されていない方の目は、どこか遠くを見ていた。
「……もう過ぎた事は忘れるんだ。いくら悔やんで後悔したって死んだ人は帰ってこない。それはお前が一番分かってるだろ?」
「ふん。言ってくれるぜ」
真之は煙草の火を灰皿に押し付けて消した。
真之も豊も真っ暗闇の中で椅子から立ち上がろうとはしなかった。

「新人。ついて来ているか?」
真之のぶっきらぼうな声が無線機から聞こえてくる。心配するというより足を引っ張るなよと言っているようにも取れる言い方だった。光彦は仕方なしに「はい」と返事をした。
コクピットから見える景色は、眼下に僅かの雲が見えるばかりの夜空だった。空気が澄んでいるためか、上空にはまたたく星々がはっきりと見える。
「良いか、これから敵の輸送船団を急襲する。雲の上から急降下、水面で水平を保って攻撃を開始する。各員用意!」
「了解した」
「了解です!」
「降下!」
三機の『朔日』は真っ暗な空の闇から海の闇へと急降下した。波の立たない静かな夜には人工の光でもない限り、空と海の見分けがつかなくなる。気がついたら目の前に水面が、などということも珍しくはない。僅かに見える波を瞬時に捉え、機体を起こさねばならない。
三機は完璧なタイミングで水面ぎりぎりを飛行した。輸送船団の後方から亜音速で近付くと、機体下部に収納してあった魚雷を投下した。
上昇して船団を飛び越えた瞬間、辺りが明るく照らされた。うまく魚雷が的中し炎上しているのだろう。
任務は完了した。
格納庫に戻ってきた三機はこれといった損傷もなく、ほぼ完璧な任務遂行だったことを意味していた。煙草に火をつけた真之に光彦は声をかけた。
「お疲れさまでした! 完璧でしたね」
「これくらい当然のことだ。急襲するってのに、完璧じゃなきゃオカシイだろうが?」
「…はい、そうですね」
「さっさと部屋に帰って戦果報告書を書け。今日中に本局に送付する」
そう言って真之は歩いていった。後には不満げな顔をした光彦と、やれやれと肩をすくめる豊だけが残された。光彦は怒りを静めようと拳をきつく握っていた。豊は、そんな光彦の肩を軽く叩いた。
「彼なりの忠告なんだよ。『自惚(うぬぼ)れるとミスをするぞ』っていうね。彼は任務に自分の全てを賭けてる男なんだ。任務にミスなんか許されないし、許せない」
「…だからって、あんなに無愛想なのもどうかと思いますよ」
「まあ、そうだね」
豊は真之が去っていった格納庫のドアを見つめていた。
無機質な金属製のドアはまるで真之の心のように冷たく、固く閉ざされたままだった。

光彦がこの第十五飛行隊の前線基地に配属されてきてから二年が経った。あまり華々しい活躍こそないものの、敵戦力の低下という目的は大幅に達成されていた。光彦自身も夜間強襲という特殊な任務を確実に自分の物にしていた。相変わらず真之との仲は良いとはいえなかったが。
ある月の明るい夜のことだった。第十五飛行隊の通信兵が高高度を飛行する敵の輸送機団をレーダーに捉えた。機影をみる限り護衛らしい護衛は居ないようだ。
通信兵から連絡を受けた光彦は、待っていましたとばかりに飛行服に着替えると、格納庫に向かった。重い扉を開けると、格納庫には先客がいた。
「今日の夜襲はしない」
弾薬を入れていた大きな木箱に腰を下ろして煙草をふかしていたのは真之だった。飛行服は着ているものの、ヘルメットやジャケットは着ていない。
側には豊も立っていた。
「なぜです? 敵の輸送機団には護衛がついていません。今なら簡単に墜とせます」
「…しないと言っただろ。部屋に戻れ」
切り捨てるように言い切った真之の態度に、光彦は真之が隊長である事も忘れて声を荒げた。
今日はどうも気持ちが高ぶっていると光彦自身感じてはいたが、それがなぜなのかは分からずに、苛立ちが募っていた。
「我々の任務は敵の戦力を低下させ、味方の損傷をできるだけ少なくすることではなかったのですか。確かに今日は月明かりが明るくて奇襲条件は最良とは行きませんが、それでも与えられた任務は遂行すべきではないのですか!」
「そう騒ぐな。奇襲状況が悪いとか言ってるわけじゃない。……ただ、今日は任務を中止する」
「……そんな。そんな自分勝手な事が、許されるのですかッ!」
光彦は真之を睨んだ。
仮にも、自分は国のために、自分たちの仲間のためにこの飛行隊で戦ってきたのだ。自分にできることは命を懸けてでも遂行する、その為に自分は軍人の道を選んだのだと、光彦は拳を握りしめた。
そして真之に背を向けると、格納庫を出て行った。

格納庫から丘の上の観測所に移動した真之と豊は、観測所の屋上から、黒々とした空に浮かぶ満月を眺めていた。手にした洋酒のグラスにも揺れる月が浮かんでいたが、真之はそれを喉に流し込んだ。
「これで良かった、のか?」
「さあ、何が良くて何が悪いのかなんて、この仕事をしてたら分からなくなるよ」
「あいつもかなり腕を上げた。……今では逆に脅威ともなり得る」
ふん、と鼻を鳴らした真之はグラスに残った洋酒を飲み干した。溶けた氷で味が薄くなっていた。
「彼の腕前は確かにすばらしい成長を遂げてる。たぶんこれからもより強い操縦士となっていくんだと思うし……」
「待て! 何の音だ?」
豊の言葉を真之は制した。草原が広がる平原に僅かに聞こえる機械の音を真之の耳は聞き取った。それは普段聞き慣れた、格納庫のシャッターが開く音だった。
格納庫のシャッターが開くと、そこから真っ直ぐにつづく滑走路が丘の斜面から夜空へと口を開けている。襲撃の被害を最小限に押さえるため、滑走路の出口しか外から見えないようになっている。
そして、真之と豊の目の前で黒い翼を広げ
た戦闘機が空に溶けるように飛び立った。
「まさか、光彦君か!」
「クソッ! あいつ、俺の命令を無視しやがった!」
手にしたグラスが真之の足元で飛び散った。キラキラと輝くガラスの欠片を踏み割りながら、真之は屋上から出て行こうときびすを返した。同時に豊が声をかける。
「後を追うのかい?」
「当たり前だろうが! あいつ単独で行かせて、もしこっちに損害があれば…」
「落ち着いて。もう一度聞く。彼の後を追うつもりか?」
「……そういう事かよ」
真之は豊の言いたいことに気がついて、悲しそうに視線を割れたグラスに向けた。
真之が悲しみに暮れる姿を、豊は数えるほどしか見たことがなかった。それ故に、かける言葉を見つけることができなかった豊は、かわりに空へ消えていった飛行機を見つけようとしたが、すでに空に溶け込んで見つけることはできなかった。
「また、『幽霊』が出るのか……?」
真之がぽつりと呟いた。
光彦の心臓は驚くほどに高鳴っていた。飛行服を着た身体は、じっとりと汗をかくほどに火照っていたが、光彦にとってそれは不快ではなかった。
操縦桿を、握り直した。             
手は、僅かに震えていた。
光彦の『朔日』は、薄くかかった雲の合間を滑るように抜けてゆく。真上には煌々と輝く巨大な満月が、まるで絵画のように浮かび上がっていた。
雲の上へと抜けると、そこには息をのむほどに美しい世界が広がっていた。薄い青で縁取られた雲が、まるで海面のように波打ち、空には月を遮る物が一切無い。
「……凄い。まるで別世界だ」
目を輝かせて感動する光彦の表情が、対空レーダーの電子音でさっと変わった。
三百六十度を網羅するレーダーにはきれいな編隊を組んで飛行する大型機が映し出されていた。全部で五機いる。
「国のために……やらなければ……ッ!」
光彦の『朔日』は再び雲の中へと消えていった。

観測所の屋上のフェンスに背を預けた真之はうなだれていた。火をつけた煙草は長い灰を作り続けながらゆっくりと燃え続けている。未だに口にくわえられた気配はない。
「そろそろ話してくれないか?」
真之の隣でフェンスに寄りかかったまま、遠くを眺めていた豊は静かに声をかけた。
「……あいつ、光彦の野郎が乗っている朔日は、以前事故った奴の機体だ。別に損傷は軽微で修理すれば問題なく使用できた。……問題はパイロットの方だった」
「ああ、たしか、内臓破裂に全身複雑骨折だったっけ?」
「そうだ。飛行限界高度ギリギリからエンジン全開で急降下して、死亡した。機体は奇跡的に不時着して回収できたが、操縦席に居たのは絶命したパイロットだった」
重苦しい内容の話を低くも淡々とした口調で話し始めた真之は、やっと煙草を口にくわえた。既に半分ほどまで燃えた煙草からは濃い紫煙がたなびいていた。
真之は続ける。
「んで、そいつも光彦と同じように俺の命令を無視して飛び立っていった。いつも物静かな奴だったのに、その日だけはやけに使命感にあふれていやがった。……今日の光彦みたいにな」
「前のパイロットと光彦君が似ていると?」
「確かに似てるが、それは人格的な問題じゃない。二人とも、こんな綺麗すぎる満月の日に飛び立っていったんだ」
「満月の日、か」
「こういう都市伝説を知らねえか?『満月は人の心をかき乱し、欲望を高める。故に満月の日は犯罪や事故の件数が跳ね上がる』ってやつだ」
「聞いたことはあるけど……まさか光彦もそのケースだっていうのかい?」
真之は吸い込んだ煙をため息と同時に吐き出した。そして片目だけの視線を豊に向けた。聞いて後悔しないかと、そう聞いているような、鋭い視線だった。

任務はそう長くはかからなかった。空の上では大型の機体は小型の戦闘機に比べ、旋回性能が大幅に劣る。加えて戦闘用ではない輸送機の為、ミサイルに何度も耐える耐久性は持ち合わせていない。大概の機体は、光彦の朔日から放たれた対空ミサイルによって暗い海面へと消えていった。
「どうだやってやったぜ!」
操縦席でガッツポーズをした光彦は、興奮している様子だった。現に、呼吸も高まってゆく鼓動に合わせるように荒くなってゆく。
ふと、光彦の心の中に一つの感情が沸き立って来た。
もっと、戦いたい。
今やエースパイロットとなった光彦は輸送機などでは満足出来ないようになっていた。自分の力をもっと表現したい。もっと強い敵と戦いたい。そういった闘争心が光彦の中でどんどんと大きくなっていった。
光彦は強烈な耳鳴りの中、雲間から現れる一機の戦闘機を、その野生本能が剥き出しとなった双眸に捉えた。光彦の鼓動がさらに早くなる。
「来やがった……。もっと、もっと強くなる。そのために俺は、パイロットになったんだ!」
光彦は戦闘機を追って雲に突入した。

「幽霊?」
場の空気に似合わない、間の抜けた声をあげたのは豊だった。
「信じねえのは分かる。誰だってエースパイロットが死んだ理由が『幽霊に憑かれた』ってのは信じがたい話だ。……だけどな、それは本当の話なんだ」
「……聞こう」
「何年も前の話だ。お前がこの基地に来るずっと前、俺がまだ新人だった頃の話だ。俺は先輩の元でエースとなり、夜戦戦闘に全てをかけていた。そんなある日のことだった。基地上空を敵の戦闘機の編隊が飛んでいるのをレーダーが捉えた。なのに、先輩は行くなって言う。その時何故か気分が高揚していた俺は、命令を無視して迎撃に向かった」
豊は、真之の話を聞いていて、恐怖にも似た不安な気持ちになった。怖いほどに今の光彦と状況が合致している。もちろんその前のパイロットとも。
「敵を倒すのは簡単だった。……だが、俺はもっと戦いたいと思っていた。そうしたら目の前に一機の戦闘機が現れたんだ。ちくしょうまだ残っていやがったか、って撃墜しに行った。……でも途中で気付いたんだ」
「何に?」
「そいつがあまりにも避けるのが上手すぎるんだ。当時世界でも上位のエースだった俺が、弾丸一発、当てられない。……そこに戦闘機なんて居なかったんだ。『戦いたい』と願う気持ちが満月によって増幅され、在りもしない敵を作り出していたんだ。幻想だったんだ。俺は、その異変に気づいたが、俺の心は闘争心で満たされていて止められなかった。」
「それで……?」
恐る恐る聞いた豊に真之はゆっくりと眼帯を取って見せた。豊は声すら出すことはできなかった。
眼帯の下には、古傷によって歪んだ眼窩と皮膚が、禍々しい雰囲気を放っていた。真之はそのまま口を開いた。
「俺は、いつもお守り代わりに持っていたナイフでこの目を引き裂いた。そうでもしなきゃ暴走した俺の感情を殺すことは出来なかった」
「光彦君は、自分の感情を殺すことができると思うかい?」
「多分……無理だろうな」
再び眼帯をつけた真之は、明るい月を睨んだ。鼓動は静かなままだった。

どういうことだ。
その言葉だけが、頭に浮かんでいた。
光彦は、現れた戦闘機をなんとか撃墜しようと後を追うが、一向に当たらない。ミサイルの残弾は無くなり、機関銃の弾も半分ほどに減っていた。
「クソッ! なんで墜ちないんだ、なんでだ!」
光彦は急上昇した敵機を追った。急激な加速で体に耐え難いGがかかる。肋骨がメキメキと音を立てているが、光彦は敵しか目に入っていなかった。否、敵に全神経が使われ、痛みなど感じなくなっていたのだった。
遂に戦闘機の限界高度を超えた。宇宙と空の狭間で、光彦は満月を背にした敵を捉えた。しかし、人間の限界を超えたGを受けた体は、思うように動かなかった。
だんだんと消えゆく意識の中、幽霊のようにふらふらと飛んでゆく敵機だけが、不気味なほど鮮明に見えていた。
そしてパイロットが意識を失った朔日は、再び地球へと帰還する。
自由落下により加速し、朔日は悲鳴を上げ始めた。機体の一部が、空気抵抗によって分離してゆく。
そして、月光で煌めく海面へとその身を投じた。

春の風が、広大な草原を吹き抜けていった。
多年草ばかりが生えている草原には、季節感というものが感じられなかったが、青く澄み渡った空には羽衣のような雲がかかり、心地よい雰囲気に包まれていた。
その草原の中を、一台の車が走ってくる。
車はなだらかな丘に向かっていったが、丘を登り切ることはなく、斜面に作られた四角い入り口から中へと消えていった。
薄暗いトンネルの内部で停車した車からは、一人の青年が出てきた。制服の階級章は新人を表
していた。
新人は、いつの間にか壁際に立っていた二人の先輩に敬礼をして、大きな声で言った。
「今日からこの第十五飛行隊に配属されました! よろしくお願いします」
「よろしくな、新人」
先に声をかけたのは眼帯をした男、真之だった。真之は、にこやかな笑顔を浮かべながら新人と握手を交わした。
「新人、お前はこの仕事をやり通す覚悟があるか? 国のために戦い、生きて帰る覚悟があるか?」
真之の問いに、新人はキリッと表情を引き締めて、自信たっぷりに言った。
「もちろんです!」
「そうか。なら良かった」
真之は嬉しそうに笑いながら新人の顔を見た。
「ならお前も、生き抜いて見せろ」

サン・トロンの幽霊

この作品は、昔から書いてみたかった題材でした。戦争の中でも、表舞台に立たずにひっそりと、でも誠実に任務を果たしてゆく人たち。そして、それに絡んでくるオカルティックな都市伝説。調べてみると、意外と軍関係にはオカルティックなお話が多いようで。そんな私の趣味全開の小説でした。初投稿と言うこともあり、不慣れな投稿となりましたが、なにとぞご容赦ください。

サン・トロンの幽霊

戦時中、誰にも知られることはない秘密の航空部隊にやってきた一人の新人パイロット、光彦は、先輩の真之と豊とともに任務を行ってゆく。しかし、ある満月の日、過去の忌まわしい事件とともに、『幽霊』が姿を現す。都市伝説をモチーフとした、架空戦記小説。

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-09-20

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