化粧at電車

化粧at電車

 化粧at電車    育田知未
 俺の通っている大学は東京を挟んで家の反対側にある。だから、一限がある場合はいつも六時すぎの早い電車に乗っている。今日もこの電車に乗る。朝早いのでそれほど混んではいないが席は埋まっているという感じだ。乗っている乗客の五割はサラリーマン、三割は学生、残りはOLなどだ。乗客は三々五々好きな事をしている。新聞を読む人、読書をする人、スマートフォンを見る人、乗って早々おにぎりを取り出してパク付く人、本当に様々だ。俺は授業の出席率もあまり良くないため友人から借りたノートの暗記に精を出している。試験も近いのだ。電車の中はやけに静かだ。狭い車内でお互い陣地を確保しようと必死だ。迷惑そうに席を確保している。
 そんな中でも極めつけが来やがった。俺の乗る駅の次の次で乗って来るいつものOLだ。こいつは大して美人でもないくせに電車に乗るといつも化粧を始める。三十分はたっぷり懸けて化粧をするのだ。他人と目が合っても何をしようが別に私の勝手でしょうという風に皆を見下した表情をしやがる。げげっ。今日に限って俺の隣に目を付けた様だ。こっちの方にずんずんと進んで来やがる。大してスペースがある訳でも無いのに俺の前で仁王立ちだ。周りの奴らが思わず脇にずれる。釣られて俺もずれる。何とも微妙な空気が車内に満ちて行く。『ズシン』という音を立てて奴が座った。
この奴を見るたびに死んだ爺ちゃんの言葉を思い出す。『女はなあ。奥ゆかしくなければいかん。電車で化粧なんぞするのはあかんぞ。フォフォフォフォ。』爺ちゃんの言った事は本当に正しかったよ。俺は心の中でそうつぶやいた。席に着くと奴は直ぐにバッグを広げる。そして、粗方中身を膝の上にぶちまける。化粧品を整列させると準備完了だ。まず、ファンデーションを塗ったくる。まるで家の壁にペンキを塗っているようだ。お前は左官屋かっつーの。それが終わるとチークを刷毛でほっぺたの撫で付ける。ファッサファッサと撫でる度にチークの粉が空中に舞い、ちょっとしたダイヤモンドダストのよう、いや、部屋に舞うごみの様になった。お次はアイシャドーだ。ねちょりとまつ毛を練り上げ、元の長さの三倍には誇張している。マッチ棒五本は優に乗りそうな勢いである。
極めつけは口紅だ。真っ赤な口紅をこれでもかという位に分厚い唇に塗ったくっていた。鏡ばっかり見てないで、少しは周りの目も気にしろよ!その時、さっきの空中に舞ったチークが俺の鼻の穴に吸い込まれ、俺は『ブエクション』と三回連続でくしゃみをしてしまった。それを横目で見ていたOLは、蔑むように、
「フッ・・」
と鼻で笑いやがった。俺はとうとう我慢ならなくなった。
「てめー。このヤロー。化粧するんなら家でして来い。お前の下手くそな、能面製造工場みたいな、化粧の三流顔の三流化粧、おばけ製造過程なんかみたくないんだよう!」
と言ってしまった。
その時、車内では車掌のアナウンスが流れた。『この先ポイントを通過しまーす。どなた様も足元にご注意下さーい。』などという声を聞いたか聞かないかのうちに電車が大きく揺れた。女はその時を待ちかねたという様に、そのするどいピンヒールで俺の足の甲を踏みやがった。座っているにも関わらずだ。
「あら、電車が揺れてたもので。ごめんなさい。」
ザァクッ!
「イデデーーーーーッ。」
俺は痛さのあまり撥ねあがった。ちょうど、そして、目の前に居た親父の鼻っ柱に頭突きを喰らわす格好となった。親父は後ろにのけぞったかと思うと、バランスを取ろうと前につんのめった。そして、こともあろうに目の前の吊革を掴まず非常停止装置を掴んじまった。また電車が揺れた。そこで親父はまた通路側に揺れ戻る形になった。力いっぱい停止装置のレバーを捻りながら・・・
今度は急ブレーキが思いっきりかかった。電車の全員が進行方向につんのめる。そして、例の奴はというと口紅のスティックがあろうことか自分の鼻の穴に思いっきり見事命中したのだ。その上から俺の肩が奴の腕に追い打ちをかけ、スティックを鼻の穴にめり込ませる。瞬間、『ドバドバドバッ』っと、奴の両の鼻の穴からは大量の鼻血が出血して来た。それを見て車両は大爆笑の渦となった。
電車はその場で緊急停止。その訳を調査に来た車掌は緊急停止装置の作動理由をいろいろと聞き取り、俺たちの所為だと分かると数分間説教した。その間も奴の鼻からは血がトロトロと流れ出ていた。奴はずっと俯き両の目に涙を浮かべていた。負けず嫌いなのだろう、じわじわと両の目に涙を浮かべる。鼻血を垂らしながら。いい気味だ思い知れ。と、俺はしばらく睨みつけていたが、なんかこんなことやってて意味があるのか?と思い、冷静になればなるほど虚無感がこみ上げて来た。人が人を憎しむことの空しさを痛感した。
 電車は数分間止まった後発車した。OLはそのまま乗る訳にもいかなかったのだろう、次の駅で降りた。俺も当事者そのまま乗っているのもなんなので電車を降りた。俺はOLに声を掛けた。
「鼻血大丈夫か?これ使えよ。」
おれは先日街頭でもらったポケットティッシュを差し出した。OLは泣きながらそれを受け取り、俺にすがるような目を向けると、次の瞬間、『バンバンバンバン』往復ビンタならぬ往復×往復ビンタを俺にお見舞いした。そして、女子トイレに駆け込んで行った。俺は反撃も出来ずに立ちつくしていた。出発せんとする電車の窓からは乗客がこちらに視線を向けている。茫然とする俺の鼻からは鼻血が一筋『つーーっ』と顔をつたった。電車の連中はそれを満足そうに眺めていた。結局俺が悪者かい?
おしまい。

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ストレスの溜まりっぱなしの現代人。通勤通学電車の中で起こりうることかもしれない。

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-19

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