連鎖の先駈け

そうして、奇妙な連鎖ははじまった。
掌編らしさを出そうとした結果。星新一がいかに凄いのか分かります。

連鎖の先駈け

 僕は、あっ、と声を上げた。それなりに爽やかな夏の朝のことだった。大きく開いた窓からは、蝉の声がせせらぎの様に聞こえ、柔らかくさっぱりとした風が食卓に流れ込んでいた。
 その時、僕の頭の中では一人の少年が重たい足取りで階段を登って行く様子が思い描かれていた。それにもかかわらず、僕はその日の陽気みたいに、爽やかな気分だった。何故ならそれは、閃き――驚きや喜びを内包する――だったのだ! しかし、閃きというものは極めて不安定で不完全なものであるから、僕は閃くと同時に今一度その閃きを検証してみる必要性を迫られてもいた。そこで僕は、もう一度初めから思考を辿り直してみることにした。

 朝食は白飯に、豆腐となめたけの味噌汁に、鶏そぼろに、卵焼きに、しゅうまいに云々。要するに、昨晩の残り物に今日の昼飯の弁当を無秩序に並べたありふれた献立だった。この中で、特に注目すべきは鶏そぼろである。そぼろは崩れやすい。この性質は、普段非常に厄介であるけれど、今回の考察に於いてはこのそぼろが非常に重要な役割を果してくれた。僕は食事の最中にこのそぼろを食べこぼしてしまったのだ! このそぼろは椀から落ちると――椀の位置から推測するに、一度食卓に引っ掛かり――僕の右の太ももの上に落ちた。確かに、落ちる感触があったのだ。これはいけない、と落ちたはずのそぼろを拾おうと、太ももの辺りを探したが見つからない。いや、落ちたはずだ、と床や椅子やズボンの折りを見ても見つからない。最後は立ち上がってズボンを叩いて見たが落ちて来ない。要するに、そぼろは消えてしまったのだ!
 これは、決して珍しい事象ではない。今までにも、何度も何度も経験している。それだから、僕は例によってズボンを叩いた後はやれやれ、と首を振りながら椅子に座り直したのだ。しかし、何処かへ消えてしまったそぼろのことは気掛かりだ。さて、どうなったのだろうと食事を続けながら考える。
 まず、そぼろは落ちたが偶々見付からなかったという考察が出来る。これは、あまり上手くない。僕はそれなりに考え得る範囲を探したのだし、後から見つかったという経験も少ない。それなりに現実的ではあるけれど、現実的だからと言ってそれが正しいとは限らない。
 また、そもそもそぼろは落ちていないという考察も出来る。人間の感覚というものは、案外些細な出来事で現実と違ってしまうものなのだ。この考察もまた、現実的な様に感じられる。がしかし、僕は幾らかの反例を上げることが出来るのだ。ある時、やはり炒り卵を取り落としたのだけれど、これもまた消えてしまった。気のせいではない。僕以外の目撃者がいたのだ。或いは、その時が例外的である可能性を指摘することも出来る。しかし、今回は触覚がある以上、即席で納得できる理屈ではない。
 そこで、そぼろは何処か知らない空間に消えてしまったという考察に至る。これは今までの考察に比較して、一見かなり非現実的な趣がある。しかし、一般に落ちたものが消える現象についてユーモアを交えて語られるときは、この考え方が用いられる。それはとても不思議なことのように思えて、実のところそんなに不思議なことではない。一般論というものは便宜的に正しいのだ! つまり、この考察ばかりは肯定できないのと同様に否定も出来ないのだ。
 そうして僕はやはり三つ目の考察に納得し、食事を続ける。このタイミングで僕はあることに気がついたのだ。

 あっ

 ところで最近、一人の少年の行方が分からなくなるという事件があった。僕は学生であり、その少年というのがまた同期の生徒であった。少年は昼休みを境に姿を消した。もともと学校を休みがちな生徒だったこともあり初めはさほど問題にならなかったが、夜になり保護者からの連絡があって初めて学校そして警察が動き出した。もちろん僕らの間では多少話題になった。もともと社交的でなかったその少年に対し恐らく初めて関心が向けられ、しかし暫くすると忘れ去られていった。家出、誘拐などの方面から捜索が続けられているが依然として見つかっていない。
 そう、僕が閃いたのはこの失踪の真相についてなのだ! 僕は自分が恐らく彼が失踪する前、最後に彼を見かけた人間ではなかろうか、と考えていた。というのも、彼の失踪したその日、午後の授業が始まる前の予鈴が鳴った直後、屋上に続く中央階段をゆっくりと登ってゆく彼の姿を見ていたのだ。頗る奇妙なものだと思った記憶がある。しかもその後に彼が消えたのだ。
 恐らく彼は、飛び降りたのだろう。そして、その落下の最中に消えたのだろう。

 僕は少しばかり冷静さを欠いていた。検証した事象について実証したくなるのは、人間の常である。ときにその追求の欲求は生命欲をも上回る。僕は学校の階段を屋上に向かってゆっくりと登る。屋上の鍵が閉まる前、しかし生徒はほとんどいなくなった後。そんな午後の授業の予鈴後、僕は屋上から飛び降りた。

 ――その様子を、一人の少年がまた不思議そうに眺めていた。

連鎖の先駈け

連鎖の先駈け

そうして奇妙な連鎖がはじまった。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • ミステリー
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-19

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