ダチが死んだ

ダチが死んだ

 ダチが死んだ。
 俺にも家族にも、誰にも何も言わずに、ダチは死んだ。
 俺は今、マンションの屋上に立っている。アイツが死んだ場所に、1人で立っている。




 ソイツの名前は、梶井浩平。中学で出来た最初で最後の友達だった。
 浩平はクラスのあるグループから虐められていた。いじめっ子は全員肉付きが良く、浩平を庇おうものなら自分も痛い目に遭いかねない。だから、クラスの連中はみんなイジメを見て見ぬ振りをしていた。恥ずかしい話、最初は俺もその1人だった。しかもソイツ等の親は社会的な地位も高く、教師達も迂闊に手が出せない状態だった。
 殴られる、蹴られるのは日常茶飯事、筆箱を壊されたり、大事な書類をびりびりに破かれたり、家族の悪口まで言われたり。浩平は何も言い返せずにただ黙って奴等の言葉を聞いていた。



 ……いや、言い返せなかったんじゃない。敢えて言い返さなかったのかもしれない。アイツはストレスを溜め込む男だったから。



 俺達が仲良くなったのは、そう、今年のゴールデンウィークが終わった後ぐらいだった。
 それまで全く気づかなかったのだが、俺と浩平は同じ地区に住んでいて、帰りに使う電車が同じだったのだ。
 ある日、いつものように本を読むフリをして突っ立っていると、向こうの席に浩平が座っているのが見えた。“へぇ、アイツもこの線使ってるんだ”……今まで全く知らなかったのが自分でも不思議だった。
 で、何を思ったのか、俺はアイツに近づいて声をかけたんだ。最初に言ったのは、「この本、知ってる?」だったか。何でも良いから、アイツと話してみたくなったんだ。その本のことを自分はまだあまり読んでおらず、内容もよくわかってなかったのだが、以外にもアイツは内容を熟知していて、うんうんと頷くので精一杯だったっけ。
 そこからすぐに俺達は【親友】になった。本当にちょっとしたことだけで、人は仲良くなれるのだ。
「他にも本は読むの?」
「いや、最近読み始めたばかりかな。だからさ、何か面白い本あったら教えてよ」
 俺がそう言うと、浩平は鞄の中を探って1冊の本を取り出した。いじめっ子達からの攻撃を受けたせいか、本はぼろぼろで、表紙も所々破けていた。カバーもついていなかった。
「星新一?」
「そ。面白いんだよ。ほい」
 浩平は星新一の短編集を俺に手渡した。見ると、まだページの真ん中にしおりが挟まっていた。そう、彼はまだ完読していなかったのだ。それでも本を貸してくれた……これは俺の勝手な想像だけど、きっとアイツは嬉しかったんだと思う。今まで誰も、浩平に話しかけなかったから。



 その本は今も俺が持っている。結局アイツに返せなかった。もう2度と返せないんだ。だってアイツは、河の向こう側にいるのだから。
 頬をかすめる風が、いつも以上に冷たく感じた。



 それから俺達は学校でも話すようになった。昼休みになると、俺達は別々のタイミングで教室の外に出て、屋上で落ち合った。クラスの中で話しても良かったのだが、それでは俺もイジメのターゲットにされてしまうと浩平が気遣ってくれたのだ。優しいヤツだった。
 空の下で食べる飯っていうのもまた格別だった。浩平はいつもこんな所で飯を食べていたんだ。
「俺も最初っから、ここで飯食べれば良かったなぁ」
「ははは、お前は良いだろ、だって友達もいるし」
 そのときの浩平の目はどこか寂しげだった。
 悲しい気持ちにさせてしまったか。気まずくなって、慌てて話題を変える。最近の番組、本、ゲーム、兎に角色々な話題を振って浩平の気持ちを明るくさせようとした。俺が冗談を言うと笑ってくれたが、それでもあの寂しそうな目は変わらなかった。
 飯を食べ終わった後、俺は康平に言った。
「お前も、俺のダチなんだからな」
 浩平は一瞬驚くような顔をしたが、その後すぐに笑顔を見せた。今度は目もしっかり笑っていた。アイツの笑顔は俳優みたいにさわやかだった。普段は暗い顔をしているから気づかなかったが、なかなかのイケメンだったのだ。



 今も生きてたら、原宿とか渋谷とかに行って、芸能事務所の関係者からスカウトされてたかもしれないな。いや、アイツが笑顔を見せるのは心を許せる人間の前だけだ。事務所の連中じゃ、アイツの魅力を見極めるのは難しいだろうな。
 そんなことを考えていると、また風が吹いた。冷たい風が。



 毎日毎日、6限まで授業がある日は屋上に行って色んな話をした。どれもこれも内容の浅いどうでも良いことばかりだったが、その会話が本当に楽しかった。
 ある時は互いの夢を語り合うこともあった。
「俺は将来、絶対にギタリストになるんだ。LUNA SEAみたいなカッコイイバンドを結成して、それで海外ツアーなんかもやるんだ」
「へぇ」
「浩平は?」
「俺?」
 空を見て少し考えた後、浩平はこう答えた。
「先生、かな」
 イジメの辛さを真に理解しているのは、実際にイジメを受けた人間だけ。テレビでは政治家がメシアのつもりで何か言っているが、それは口だけのもの。心からの言葉ではない。
 教師になって、イジメに苦しんでいる子供達を元気づける。浩平はそう言っていた。
「良いじゃん」
「ははは、お前の影響だよ」
「は? 何で?」
「え、いや……恥ずかしいな、聞くなよ」
 浩平は顔を赤らめて笑っていた。
 俺もそれに釣られてプッと吹き出した。



 何でだろう。
 屋上では素直に話せたのに、何で教室ではそれが出来なかったんだろう。
 教室でもアイツに手を差し伸べられたら、アイツは今も学校に来ていたかもしれないのに。



 そう。
 屋上で出来たことが、教室に戻ると全く出来なくなる。
 いじめっ子達のイジメはまだまだ続いていた。それも、日に日にエスカレートしていった。周りの生徒達、そして俺も、いじめっ子達が怖くて浩平に目を向けることが出来なかった。次は自分達の番かもしれない。生徒達はきっと、無意識のうちに浩平の姿に自分の姿を重ねてしまったのかもしれない。関わったら虐められるかも、という恐怖と同じくらい、そのことが怖かったのかもしれない。
 イジメが終わって、昼飯の時間になると、俺達はまた屋上に行った。
「大丈夫だったか?」
 俺も偽善者だ。あの政治家達と一緒だ。
 安全な場所に入ると心配していたかのように声をかける。浩平のことが心配だったのは事実だが、俺はアイツのことよりも、自分の身の安全を取ってしまったんだ。
 そんな俺に対しても、浩平は笑顔で「大丈夫」と答えてくれた。その笑顔が更に心を締め上げた。
「オーバーな話だけどさ、戦争だって結局終わったじゃん。だから、このイジメも待ってれば終わるって」
 浩平は笑ってそう言った。だが、それは違うと思った。
「何でだよ」
 気がつくと、俺は立ち上がって浩平に怒鳴っていた。
「何で何もしないんだよ? 黙ってたら、アイツ等もっと調子に乗るだろ!? なぁ、何で黙ってるんだよ!?」
「やり返したって、アイツ等のイジメがもっと激しくなるだけだよ」
「わかんねぇだろ!」
 俺は弁当箱を持って屋上から去った。
 何を考えていたんだろう? 俺は本当に馬鹿だ。アレは多分、何も出来ない自分に対しての怒りだったんだ。それを、ダチを介して自分にぶつけたんだ。そんなことにダチを利用したんだ。
 教室に戻ってから、俺はしばらく1人で考えていた。勿論、仲直りの方法を。アイツも怒ってしまったかもしれない。それが何だか怖かった。大きな物を失ってしまうような気がした。
 数分後、5限が始まる前に浩平が戻ってきたが、俺達は目を合わせることは無かった。それから、永遠に。



 翌日から、浩平は学校に来なくなった。
 胸騒ぎがして、何度も浩平の家に電話をかけようとしたが、出来なかった。そうこうしているうちに、あの知らせが届いたのだ。



 浩平が死んだ。
 マンションの屋上から飛び降りた。
 この知らせを、まさか教師から聞くことになるとは。自殺をほのめかすようなことは今まで1度も言っていなかった。
 アイツの家に行くと、浩平のお母さんが俺に手紙をくれた。遺書、というヤツだ。
 そこにはいじめっ子に対する恨みの言葉が並んでいた。1度、彼等に反撃したということも書かれていた。浩平は、実はアイツ等に立ち向かっていたのだ。たった1人で、誰にも知られずに。それなのに、俺はあんな言葉をぶつけてしまった。馬鹿だ。俺は大馬鹿だ。
 しかし、手紙には俺に対する感謝の言葉も記されていた。助けなかったのに、最後にあんなことを言ってしまったのに。それでもアイツは、俺のことをダチとして認めてくれていたのだ。
 手紙の最後に記された「ありがとう」の5文字を見て目から涙がこぼれ落ちた。申し訳なくなって、俺は手紙を浩平のお母さんに返して、その場から走り去った。



 それで、今に至る。
 俺は屋上に向かい、フェンスを越えて縁の上に立った。
 浩平に対して申し訳なく思っている。こんな人間、生きている意味が無い。肝心なときにアイツに手を差し伸べられなかった自分が情けなかった。自分も、浩平の味わった気持ちを思い知る他無い。それ以外の選択肢は考えられなかった。
 深呼吸をして、じりじりと足を動かす。徐々に下が見えてくる。高い。高すぎる。アイツはこんな所から1人で……。
 そのとき、ひと際強い風が俺の方に吹いてきた。すると、落ちることが急に怖くなって、俺はフェンスにもたれかかった。
「怖い、怖い……」
 ずっとそう呟いていた。
 アイツは、こんな怖いことを誰にも告げずにやったのか。1人で飛び降りたのか。
 アイツは決して弱いヤツじゃない。寧ろ、強いヤツだったんだ。他の誰よりも。その強さとは肉体的なものではない。気持ちの強さだ。
 今まで耐え抜いていけたのもその強さがあったからなのだ。でも力を、最後の最後で俺が砕いてしまったんだ。それでも、アイツの力は完全に失われたわけではなかったんだ。
「ごめん、浩平……」
 俺はフェンスに捕まりながら、子供みたいに泣き出した。そこには誰もいなかったから、全然恥ずかしくはなかった。



 その後、教室ではあのいじめっ子達が浩平の話をしていた。
 それでも、流石に自殺は考えていなかったらしく、取り巻き連中はおどおどしていた。
「何ビビってんだよ? アイツが雑魚だった。それだけのことだろ」
 リーダー格の生徒が偉そうに言う。
 コイツに、浩平の何がわかるというのだ?
「アイツは弱かったんだよ。だから死んだんだよ。そうだ、花でも置いて行ってやろうかなぁ?」
 俺はスタスタとソイツに歩み寄ると、手を強く握りしめて顔を殴った。怖さとか、そういう感情は全く抱いていなかった。
 殴られたいじめっ子は、俺の首根っこを掴んで怒鳴ってきた。だから俺も、ソイツに負けないくらいの声で怒鳴った。
「飛び降りてみろよ!」
「ぁあ?」
「アイツは1人で飛び降りたんだよ。たった1人で、あんな怖いことをやってのけたんだよ! お前できんのか? おい、どうなんだよ!」
「てめぇ!」
 いじめっ子は俺を床に叩き付けて蹴り始めた。
 取り巻き連中はただそれを見ているだけ。大勢で来られたら俺も保たなかっただろう。
 少しすると教師が入ってきた。誰かが知らせてくれたらしい。今のは現行犯だった。見ていた生徒も大勢居る。浩平に対するイジメの件もあり、そのいじめっ子は間もなく退学になった。
 いじめっ子が教室から出て行った後、俺はその場で謝った。大声で謝った。確かに、あのいじめっ子を罰することは出来た。でも遅すぎた。もっと早く動いていれば、浩平が生きている間にアイツを罰することが出来た筈だったのに。
「ごめん! 浩平、ごめん!」
 クラス中の全員が俺に注目していた。



 あれから10年ほど経っただろうか。
 俺は今、ギタリスト……ではなく、小学校の教師として都内の学校に勤務している。そう、浩平の夢だった教師になったのだ。
 教師になって、イジメに苦しんでいる子供達を救う。ダチを助けることは出来なかったが、今、この瞬間にも、イジメに遭っている子供は大勢いる。俺は彼等を助けるのだ。次の犠牲者を出さないためにも。浩平もきっとそれを望んでいる筈だ。
「浩平、見ててくれよ」
 優しい風が、花の香りを運んできた。

ダチが死んだ

 自分は別に自殺に賛成しているわけでもない。だが、作中にも記したが、彼等は決して弱い人間ではないのだ。彼等は確かに、強い力を持っていたのだ。
 今イジメに遭っている人達、そしてイジメの当事者に知って欲しいことは、所謂いじめられっ子には、とても大きな力が宿っているということだ。いじめっ子達は他人を蹴落とすことによって自分が強いと感じているのだろうが、それは結局幻に過ぎない。本当に強いのは、イジメに耐えている人達の方なのだ。その強さとは何も体力的なことを言っているのではなく、心の強さなどもソレに当たる。


 繰り返すが、自分は自殺には賛成していない。
 最後に、わかりきったことを延々と書いてしまい、申し訳ありません。そして、読み辛い文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ダチが死んだ

アイツは虐められていた。でも俺は知っている。アイツが、強い人間だったってことを。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-18

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