practice(5)
五
土産話に持ち帰った,森の話が広がった頃に大きな顔をした一木の叔父様が後継ぎを決めたいと言い出しました。驚く私たちを尻目に,庭に迷い込んだダチョウさんは「それはそれは,はしたないことです。」と言いつつ裸足で上がることを躊躇って,保護者である兄のダチョウさんに連絡をする第一歩としての,電話帳を借りれずにいます。
「家族構成は端的に述べるのが良い。」
それは叔母様の言葉です。
私を中心にさせて頂くと,まず私を産んだ両親はいません。私を産んですぐに亡くなりました。原因は冷夏。傷み方が酷かったようです。兄弟姉妹もいません。叔父様と叔母様に引き取られて育ちました。だから二人が,私のお父様とお母様です。
その叔父様はいわゆる土地の主です。樹齢は300年を超えるそうです。
近隣一体の若木も束ねる叔父様はこの地に根と芽を伸ばしてからというもの,雨にも風にも勝とうとはせず,直面した伐採の危機も真横で古墳が見つかったとかで免れたり,幹にひっつかれた虫と出来もしない駆け落ちを根っこから試みようとして命を落としかけたツワモノと評されています(小柄で綺麗な方であったそうです)。「生態系を無視するなんて笑えない。」と,サルスベリな肌が自慢な叔母様には今でもキツツキ並みに突っつかれていますが,叔父様は苦笑いをするだけで,渡り鳥の知り合いが運んでくる『白い恋人』というお菓子を枝葉にやって来た小鳥たちに啄ばませています(粉々になるので,勿体無いところではあるのですが。)。良いも悪いも経験して,それに相応しいだけの年輪を重ねていると叔父様は私に言います。枯れることなんてないと,聞いてる私も思っています。
叔父様と叔母様の間には三人の子供がいます。男,女,男という順番で,そこに私が入ることでとても並びが良くなるそうです。登山好きな人のタカサカさんが会う度いつもそう言います(私たちはキョトンとしています)。
一番上のお兄様は叔父様の一番近くで,その芽を出して育ちました。親父の影に隠れやがってという幹裏における陰口に負けず,枝を伸ばして葉を増やして,見上げる程に逞しく立派になった一番上のお兄様を,叔父様はとても自慢にしてます。ウドの大木なんて叩かれるようになった陰口が,今度は出てくるようにもなりましたが日当たり良好になった最近では見ることもなく,まためっきり聞かなくもなりました。その立ち姿は叔父様に似てきたと森に入った人がよく言います。
三番目の,私にとっては二番目のお兄様は,対して遠くで育ちました。他木に囲まれ,風雨に露骨に晒されたお兄様は一本の木としての背丈が低いですが,とてもしなやかで柔軟な考え方をします。桜になりたい梅の木さんに,桜の木は君になりたがっていたと言い,梅の木が気に食わないと言う桜の木さんには梅の木が君に憧れていたと言って二人の仲を取り持ちました。他にも,人の家の前の壁を乗り越えられないと悩む緑のバッタさんに壁を超えるということの意味を,虫取り網を持った少年と虫かごに入ったコオロギさんの話を例えで聞かせて清々しく,新たな目標に向けてその夢を諦めさせたこともありました。風の流れに逆らわないどころか,風に乗って悠然と戻ってくるような三番目の(私にとって二番目の)お兄様は,振る舞い方が叔父様にそっくりだと言われます。
真ん中の,そして私にとって唯一のお姉様はどこまでも真っ直ぐ綺麗です。鋭い葉の持ち主,なんて主に男の子から言われているのは気持ちを隠さないその真っ直ぐさがもたらす語弊なのです。お姉様は,引き取られた私を特に可愛がってくれました。父と母に似て,色々と傷みやすい私を気にかけてご自身の根元で寝かせてくれたり,言い寄ってくる虫や通りすがる人への対応を一からきちんと教えてくれたりと,お姉様の下で幼少期を過ごした私は,お姉様と一緒に大きくなったといっても過言ではありません。本当の姉妹じゃないと見た目から分かる私たちは,本物の姉妹なのだと,お姉様が私に言ってくれたことが私の大事な思い出です。
最後を締めるのに相応しい叔母様は,豪気でとても優しいです。手短に話すことを好みます。大袈裟にされることが嫌いです。矛盾したことを時々言います。でも,正しいことが多かったりします。皆に厳しい。私も含めて,皆に厳しいです。それが嬉しく,出生の事実を知った後は尚更でした。『距離』を感じることもあります。違いを忘れるなと私に言います。それは下手な気遣いだったりします。父と母と,そして私への。
電話帳を捲ったダチョウさんが無事に電話を掛け終わって,今も広がる森の話の途中に腰を掛けてから,兄のダチョウさんが迎えに来るのを待っています。その間,私たちは叔父様の後継ぎの話を後回しにして,思い思いの時間を過ごすことにしました。晴天で雲も時々に浮かぶ時刻は陽当たりが良い頃合い,キツネさんがお出かけの準備をしているのが分かります。
私は久しぶりにお姉様の根元でこの時間を過ごすことにしました。遊びの誘いに来たスパイダー君にごめんなさいを伝えて,逆さまに帰って行ったスパイダー君がぶら下がってた葉っぱの裏を眺めながら,陰干しに最適な角度を探してます。
「天気が良いのは良いことね。」
今来たばかりの雲に向かって,お姉様は言いました。
「雨が降っても喜ぶ私たちだけどね。」
「雨は降らないですか?」
そう聞く私に姉は答えます。
「そうね。良い天気だものね。」
「そうですね,すごく良い天気です。」
そう答える私に,根元から転がって向こうに行かないようにお姉様は注意して,さっき来たばかりでまだ離れない雲を改めて眺め直します。私も葉裏からそちらに目を向けると,お尻を押されるように雲は着実に先へは進んでいるのでした。
お姉様は言います。
「蜜柑の花って,可愛いんだってね。」
「そうなのですか?」
「うん,そうらしいわよ。白くて小柄な咲き方なんですって。ここら辺にも,咲いたら良いわね。見れたら良いわよね。直ぐに,なんてワガママは勿論言わないけど低木の,男の子らしいしっかりとした一本が。」
「可愛いお花を咲かすのに,男の子らしい木の方が良いのですか?」
浮かんだ疑問を私は素直に聞きます。
「そうよ。可愛いという形容詞にはね,性別なんて関係ないの。だから花を咲かせる木に関して,男の子らしさを求めても問題ないの。お兄様みたいなゴツイのなんて一本で十分よ。癒されるためには可愛さが必要,『森林浴』ってやつにも多大な貢献を果たすわ。」
「お前は『人』ってものが分かってない。『人』は森林浴に精神的な安心感を求めているところがある。つまり,森を形成する木々に逞しさが求められているんだ。また,木が発する化学物質が『森林浴』の要因となっているという見解もある。この化学物質は傷付けられて発するというものらしいのだが,そうなると根を張ってる木々はある意味傷付けられやすい方が良いとも言える。すなわち,森で生きている一本一本の木は幹が太く表面積が広いものであるべきだとも言えるんだ。」
お姉様と私の会話に,割って入った一番上のお兄様は「そうだろう?」と同意を求める気配を発します。それにお姉様は答えることなく,「はあ。」と息を吐いて私に言います。
「いいこと?こんな道管の行方ばかり考えて,気持ちの方の想像を巡らしきれない無機質な唐変木には引っかかったりしないようにね。」
「おい,唐変木は酷いんじゃないか。僕は立派な日本の木だ。」
お姉様がますます呆れられて,お兄様が更に意固地になっていく間で私は少し転がってしまいました。コロコロと笑ってしまったからで,コロコロと転がる丸みを帯びた私だからです。下は急斜面で,このまま転がると平らな地面にぶつかってしまう危険がありました。
風はそんな時に不思議と吹くものです。二番目のお兄様はそれに逆らうことなく枝葉を揺らして,どなたかの根の出っ張りに跳ねてジャンプまでしてしまっていた私を受け止めて下さいました。「大丈夫?」と,二番目のお兄様がそのまま聞くので「大丈夫です。」と,私は答えて「有難うございます。」を続けて言いました。
「しっかり見ててよ,そこの二人。木のようにぼけっと突っ立ってないでさ。」
二番目のお兄様は斜面の上に立つお姉様とお兄様にそう言うと,お姉様は「確かに私も悪かったと思います。けれど,お兄様がもっと悪いのです。」と真っ直ぐに言い放ち,お兄様はお兄様で「木はぼけっと突っ立ってなんかない。そんなことは,お前だって分かっているはずだ。卑近な例で言えば光合成がある。あれは…」と書けば字面が多そうで,硬いものになりそうなお言葉を返していました。
葉っぱが風に揺れるから,私は私で,二番目のお兄様の枝葉の上でコロコロと笑います。
二人のお兄様と唯一のお姉様は,それに気付いて口喧嘩をやめないのです。
「後継ぎって言葉,何処か抵抗があるんだよね。」
開いた少しの間を慎重に破くようにして,二番目のお兄様が口にしたその気持ちは一番目のお兄様やお姉様,そして私のところに差し出されました。二番目のお兄様にしては珍しい,とても無防備なものです。
「抵抗って,何だ。重圧とか,そんなところのことか?」
一番目のお兄様が聞きます。
「関係はある。けれど,少し違うかな。」
「何処がです?」
二番目のお兄様の返事に,お姉様は率直に聞きました。お兄様は答えます。
「『後継ぎ』には器っぽさというか,中身だけを必要としているような語感を抱くんだ。幹という幹を細かく切って,枝という枝を砕いて,葉っぱは,無駄なく捨てられて,『何も無い』を無くそうとする。『後継ぎ』を目の前にすると,吸い込まれるイメージが強く湧く。」
「特にお父様に関しては?」
「うん,特に,お父様に関してはだね。」
聞いていた一番目のお兄様はやる気満々という具合に葉を揺らして言います。
「重要ってことだろう。それだけ。期待される役割が俺たちも含めて,皆にとって。それは果たさなきゃいけない内容だ。俺は必ず務めてみせる。」
「兄さんが選ばれるとは限らないですけど。」
恐らく睨んでるであろうお兄様を無視し,木洩れ陽を整えようと枝に止まっていた鳥さんに飛んでもらって,葉を揺らすお姉様は身嗜みを整えています。女の子の大事な極意なんだそうです。それを怠らずに,お姉様は言います。
「他人の根っことの絡まり合いで,またそれに伴う循環も重なって,まるで在るように形作られる全体性の一部分。取り込まれるような予めの感覚。分からないでもないですけどね。」
続けてお姉様は言います。
「個体としての意識は,それでも森になっていく。でも,森はあくまで森。森の前に私たちが居るはずですから。」
けれど一番目のお兄様は言い切ります。
「居るのは当然の事実だ。心掛けるべきはそれを踏まえて,役割を果たせるか否かだ。」
「役割ね。役割を選ぶ意思も,あっていいと思うけどね。」
二番目のお兄様は,一枚の葉を引っ込めることなんてせずにそう応えました。
「やりたくないなら父の前で申し出るんだな。覚悟は意思に比例する。意思がないなら何一つ務まりやしない。」
「堅物な兄さんらしい模範回答だ。選ばれた暁には,『流石』という漢字をお送りするよ。」
「『軟派』なお前に送られる,ふにゃふにゃな感じは要らないな。」
「そこのお兄様たち,漢字自慢な下らないやり取りは止めて下さる?その振動数が枝葉末節に至るまで耳障りです。 」
険悪になりそうな雰囲気はしかしお姉様に正面から出鼻を挫かれて,すぐに立ち消えてしまいました。お姉様はもう一度木洩れ陽を整えてから,私に聞きます。
「ねえ,もし,選ばれたらどうする?」
お兄様の枝葉の上で私はコロコロとしながらも,考えていたことを口にしました。
「私は,叔父様が決めたことを信じます。だから,決められた私を信じることから始めると思います。」
「信じるだけで,物事は解決しないぞ。」
アドバイスと注意を織り交ぜるように,一番目のお兄様は言いました。二番目のお兄様も,言わないだけで同じことを思っていたのかもしれません。
私は言います。
「はい,お兄様の言うとおりなのだと私も思います。ここで信じるというのは,考えるための杭として信じるということです。打たれたところと打たれたものを。」
二人のお兄様も唯一のお姉様も,先を聞きたがってるように何も聞いてはきませんでした。だから私は続けて言います。
「叔父様がよく言っていたのです。山道の道標については,その目印が大事なのだと。叔父様はその昔,人が通るための道を作るに際して自身の身を削るようにして材料を与えたりしていたそうです。人が山道を行くことで生まれる受粉の機会もあったり,手入れによって森の生息状況が良くなったりもしたそうです。だからその協力にをしないに越したことはないと,学びのような判断をしたそうです。」
「それで,その話が『後継ぎ』とどう繋がるんですの?」
お姉様は言います。
「経験の無い『後継ぎ』は入ったことのない森への道です。どこが通れて,どこが通れないのか分かりません。だから,もう森に入った叔父様が打った杭を頼りにするしかないと思うのです。最初だけ,取り敢えずここを通りなさいと,まず一回打ったそこをお話の初めにするしかないのです。」
そして私は言いました。コロコロ転がる気持ちと私に,特に一番聞かせたかったように。
「信じることも,後継ぎがするお仕事なんです。」
言い終わり,二人のお兄様は頭を掻いて,お姉様は私の頭を撫でるような気配を醸してくれました。辺りの空気はちょっとずつ澄んで,土壌も柔らかく踏みやすそうです。
お姉様は言います。
「でも,この中の誰かが選ばれるとして,その後の私たちの関係は変わらないでありたいですね。今までのように,緑豊かに。」
「そうだね。」
「当然だ。」
私もきちんと「うん。」を言いました。私たちの,思いは同じです。ただ,不安は残ります。それで私は二人のお兄様とただ一人のお姉様に,思い切って聞いてみることにしました。
「叔父様は,どこか悪いのですか?」
「お父様?全然,どこも悪くないわよ。」
「至って元気。葉の一枚も白くなったりしてない。」
それを聞いて安心する私です。でも,それでは。
「心配することはない。『後継ぎ』を決めようとするのはただの気まぐれか,思い付きだろう。父がやりそうなことだ。」
「サプライズ好き。」
「脈絡ないから,本当に驚きだけが残ってしまうのですけど。」
それは私にも思い当たることがあります。幼少期の私に一人でも多くの友人をと,毛虫といったその身に住んでる生き物を雨あられと私の頭上に降らせて,傷みやすい私を危険に晒す結果を招きました。混乱して泣きじゃくる私を枝葉で抱えて,叔母様は叔父様の自信を根こそぎ奪うお叱りを与えていました。「ごめんなさい。」を言う叔父様と,かえって慰めることになった私です。だから。
「私は叔父様が大好きです。」
増えた雲で,衣替えをした晴天が曇り空になろうか迷いつつ,夕方に向けて準備をしています。カッコウ夫人も帰宅しました。今も話によって広がっている森のあちらこちらは,与えられた姿で後々に語られるのを待つ生き物の気配で,とても賑やかです。そして『人の音』も聞こえます。遠くの方で,必要な分の木を切っているようです。
「唐突で,不器用で,たまにぶっきらぼう。でも優しくて,楽しくて,大事なところで頼れます。丸みを帯びてる私に対して,屈託無く接して,ご自分の切り株にいつ迄でも乗れるような安定感も忘れられません。無茶は今でもするけど,それもまた面白くて好きです。」
「ヒヤヒヤもするけど,ですね。この前なんて人の子を集めて森の中での花火をしようと計画していたようですから。」
「もう,何というかもう,『流石』だね。」
「ああ,何とも言えない『流石』だ。」
「誰よりも高い天辺で定時通りに通過する飛行機をもう何台もナンパしているそうですよ。この前止まりに来た渡り鳥さんが教えてくれました。どうやら声なんて,一つも届きやしていないみたいだけど。」
そう,お姉様は付け加えます。
それでもう我慢出来ない気持ちが一頻り,笑うような心の中で私たちは過ごすのです。
叔父様が決める後継ぎ。お相撲さんの激しいお稽古にも,びくともしなさそうな重みを皆が皆で感じてる。けれどもう,思うことは同じです。
「間違えても,その結果は間違ったことになりやしないさ。」
広がった森のお土産話が始められた其処,迎えに来たお兄さんに連れられて迷子のダチョウさんは無事に帰って行きました。今度お礼に卵を一パックくれるそうです。食べていいものなのかは,私たちには分かりません。
叔母様にも勿論会いました。
転がらないように決めた気持ちで転がるように席に着き,叔父様の決定を聞こうとする私をサルスベリな肌で滑らせることのないように抱えた声で,手短に言います。
「安心はしておきなさい。一本でも一個でも,支え合いは一からするものよ。」
お話は,そうして再び始まります。
真ん中に立っている叔父様は樹齢300年を超えて,枯れるなんてことなく,良いも悪いも経験した相応しいだけの年輪を重ね,生きて私たちに語りかけます。
「さあ,続きを始めよう。」
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