神様の涙

神様の涙

 ある日、神様は雲の上でお昼寝をしていらっしゃいました。何にもない雲の上で、お布団を足蹴にして、お髭のはえたお口を大きくあけて、それはもう、気持ちよく寝ていらっしゃいました。
 そこに小さな子供の天使が、まあるいお尻をプリプリさせながらやってきました。さえぎるもののない雲の上ですから、天使のまあるいお尻はお日様を反射して鏡のように光っていました。天使は神様のパンツのゴムをひっぱりながら言いました。
「ねえねえ神様、ちょっと起きてくださいよ」
「うぅむ、あと五百年くらい、寝かしてくれんか……」
「そんなに待てませんよ、年寄りのくせによく寝る人ですね。ジイさんが寝ても育ちませんよ、ボクなんかだったら、寝た分きちんと育ちますけどね、
 ちょっともう、さっさと起きて聞いてくださいよ、ボク、泣いちゃいますよ」
 このまま耳元で天使に騒がれるよりも、とりあえず起きて話を聞いた方がよいと思った神様は、ムクリと起き上がりお尻をボリボリ掻かれました。
「一体何事だい、天使や」
「ちょっと聞いてくださいよ、神様。最近の人間どもときたら、ひどいんですよ。ボクがふらっと地上を散歩してた時に見たんですけどね、地球を守ろう、とか、動物を可愛がろう、とか言ってんですよ。どう思います?」
 話しながらも天使のまあるいお顔やお尻は、どんどん赤くなっていきます。
「ボクもう頭にきて、一発どついたろかと思ったんですけど、いかんせん、ボクって羽はえてるだけのただのガキじゃあないですかぁ、神様、ねぇ、一発バチコンいわしたって下さいよ」
 神様はお目を擦りながら、若い者は血気盛んすぎていかんなぁ、とお思いになりましたが、かわいらしい天使がプリプリ怒っているので、仕方なく人差し指に唾をつけて、足元のあたりの雲を突いて穴をおあけになりました。
「それじゃあここから覗き込んで、人間の行いを一緒に見てみようじゃないか、一体どんなところがひどいと言うんだい?」
 お二人は、うつぶせになり、両肘をついて雲の穴を覗きこまれました。

 まずお二人がご覧になったのは、学校でした。真っ黒に日焼けをした大勢の子供たちが、クレヨンで画用紙に描いた地球が泣いている姿や、工場から煙がモクモクあがっている風景の上に、水彩絵の具で真っ青な空を塗っていました。クレヨンが絵の具をはじくのを見ては大喜びしています。
 その子供たちの間を縫うように、眼鏡をかけた若い女の先生が、優しそうな微笑みを浮かべながら歩いていました。
「ねぇセンセー、チキューがオセンされると、いきものみんな、いなくなっちゃうの?」
「そうよ、だから地球は大切にしないといけないの」
 この光景を見て天使は、そら見ろと言わんばかりに神様の方を振り向きました。
「人間なんて、地上をちょろっと這いつくばってるだけのただの猿やないですかぁ、ふふん、偉そうなこと言うもんですわ、ねえ、神様」

 次にご覧になったのは、オープンカフェのテラス席にいる二人の若い女の人でした。なにやら片方の女の人が店員さんに注文しているのを、もう片方の女の人が止めているようです。
「ねぇ、蒸し鶏だなんて頼まないで、お願い。ワタシ、お肉は食べないの、だって、動物たちが可哀想でしょ?」
 そう言いながら女の人は組んだ足を戻して、ミュールの底で小さな蟻を踏んづけました。
 天使は半ば呆れた顔で、それでも語気には怒りを込めて言いました。
「あのメスは何言ってんですかねぇ、どの口で言ってんのやろ? ケツでしゃべった方がまだましなこといいますよ」

 最後にお二人がご覧になったのは、アパートの一室でした。パンツ一丁で若い男の人がバナナを食べながら、貧しい国の人々を題材にしたテレビ番組を見ていました。
「あぁ、世の中にはこんなに貧しい人々がいるんだ。俺は将来、国連の職員になって、世界から貧困を駆逐してみせるぞ」
 天使はもう、雲の穴を覗き込むのを止めて、起き上がっていました。起き上がる時に、天使のまあるいプリプリのお尻から、プッとおならが漏れました。
「まぁ、ケツでしゃべったのはボクの方でしたけどね、ボクがさっき言ってたこと、神様にも分かったでしょ、こんな身の程知らん奴らは、一発どついたらないけませんよ、あぁ、奴らどんな顔すんのやろ、ボク、ワクワクしてきましたよ」
 天使が勝ち誇ってしまうのも、無理はありません。若い男の人が食べているバナナは、ちょうどその貧しい国の人々が安く買い叩かれたものなのです。

 三組の人間たちを見終わって、神様も起き上がられて、うーんと唸っておっしゃいました。
「天使や、確かにお前の言うとおり、人間の悪徳はひどいものだ。でも、悪いところだけ見て罰を下してはいけないよ。もうちょっと他の人間も見てみようじゃないか」
 そして神様は、人差し指に唾をつけて、ちょうど先程お昼寝の時に枕にしていらっしゃったあたりの雲に、プスリと穴をおあけになりました。神様に言われては仕方ないので、天使も再びうつぶせになり、両肘をついて神様と雲の穴を覗き込みました。

 まずお二人がご覧になったのは、学校でした。教室では、学ランを着た男の子がマフラーで首から耳まですっかり覆って、一番後ろの机に一人で突っ伏していました。あの、寝ている時に肩がビクッとなる動きもなく、男の子は不自然なほど同じ姿勢で固まっています。
 教壇のあたりでは、一人の男の子が三人の男の子に囲まれてズボンを脱がされていました。ズボンを脱がされた男の子は突っ伏している男の子の方を一瞬チラリと見ましたが、すぐに視線を戻して脱がされたズボンをはきました。その間も、突っ伏している男の子はピクリともしません。
 その光景を興味深そうに眺めながら、天使は神様に聞きました。
「あの寝ているガキは何ですか? ちっとも動かんけど、死んでるんですか?」
「あの子は、自分の友達がいじめられているのに助ける勇気がないものだから、ああやって自分の机で寝たふりをしているんだよ」
「ふぅん、おもろい奴もおるもんですねぇ」

 次にお二人がご覧になったのは、マンションの一室でピンク色のコタツ布団を肩までかけて、一人でお酒を飲んでいる女の人でした。鳴ってもいないのに、一口飲むたびに電話を取って見ては、溜め息をついています。室内には、電車や車の近付いてはまた遠ざかっていく音が絶え間なくしていましたが、女の人はやっぱり一人ぼっちでした。しまいに女の人は、一人で酔っ払って泣き出してしまいました。
 天使は身を乗り出して、半ば神様の視界を覆って聞きました。
「あの飲んだくれの女は何ですか? いわゆる泣き上戸っちゅうやつですか?」
「彼女は、恋人が妻と子供と食事をしている間、一人でお酒を飲みながら彼からの連絡を待っているんだよ」
「そんな奴もおるんですか」

 最後にお二人がご覧になったのは、お家のリビングでおばあさんをひっぱたいている女の人でした。女の人はおばあさんをひっぱたいた途端になにやら動転して、外に飛び出してしまいました。
 お家の中では、おばあさんがブルブルふるえてわめいていますが、雪の降る寒い日でしたから、部屋着のままで外に出た女の人も公園でふるえながら泣いていました。ときおり、何かひとり言をつぶやいているようです。
「あの公園でふるえてる女は何ですか? ガマン大会の練習ですか?」
「彼女はね、年を取って、ものごとが分からなくなってしまった自分のお母さんを受け入れられなくて、叩いてしまったんだよ。叩いてしまったのが怖くなって、家を飛び出したんだ」
「そうでっか……」

 さらに三組の人間たちを見終わって、お二人は起き上がられました。天使は何か、もの言いたげな瞳で神様を見つめています。それに気付いた神様は、先にお言葉をかけられました。
「お前も見ただろう、愛すべき人間の姿を」
「はい、ようく分かりましてん」
 天使の真面目な表情を確かめると、神様は雲を一つまみ取って天使に渡しました。
「お前はこれを、あの人間たちに届けてきなさい」
「しゃあないですなぁ、あのアホどもにはちょっと、もったいないとは思いますけどね」
 天使は雲の穴をくぐって、地上に向かって出発しました。雲をくぐるとき、また天使のまあるいお尻から、おならがプッともれました。

 天使が街に着いたとき、街は真っ暗でした。ほとんどのお家が電気を消して寝静まっている中、ところどころ電気のついているお家もありました。
 あるお家の屋根で一休みしようと、天使が着地したその時、雪で滑って屋根から落っこちてしまいました。
「あいた…… こんなとこ人間に見られたら、まるでボク、ガキの露出狂やんけ。アホのおまわりに見つからんうちにさっさとすませよ」
 結局休憩のできないまま再び飛び立って、神様からもらった雲を街中に撒くと、街には雨が降り出しました。
 しとしとと降りだした雨は、お家の窓ガラスにはりついては、流れ落ちていきます。
「神様からのありがたい贈りモンやで、ちゅうてもこいつらアホだから気付かんやろなぁ、さぶいぼ出てきた、お肌ピカピカなんが自慢なのに、アホくさ、さっさと帰って寝よ」
 天使の言った通り、この冬の日に降った雨が温かかったことに気がついた人は、誰もいないのでした。

神様の涙

 最後に天使が降らせる「温かい雨」が、「神様の涙」です。

神様の涙

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-17

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