秋旅行 (1)
ああ、また今日も何事もなく終わった。特に変化も何も無い、普通の毎日。
鞄に学習道具をしまい、六時間過ごした教室を後にする。歩き慣れた道を進んで、自転車置き場まで向かった。後輪を跨ぐようにして掛かる鍵を外すと、カチャリと小気味のいい音がする。
この暗証番号を入力するタイプの鍵は、格好が良いからと、中学生のときに買ったものだ。…今となっては少しばかり面倒なだけのものでしかなくなったが。
世間はすっかり夏に染まり、虫の音と風の匂いが明確にそれを告げている。
ガタガタと音を立てる電車は、今日も人々を乗せて走り回る。
「ご苦労様」
そう、軽く呟いてバーの上がった踏み切りを通過する。
ああ、それにしても今日は特に暑い、道端に自転車を止め、Yシャツの腕を捲る。ついでにと、鞄から水筒を取りだし、すっかり温くなってしまった麦茶を渇いた喉に流し込む。
ふと空を見上げて見ると、自由を謳歌しているぞと言わんばかりに、カラスが一羽飛んでいた。
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その日はいつものようにリビングでテレビを見ていた。
休日といってもとくにすることもないし、出掛けるにしても、外は暑すぎて外出しようという気にはならない。
テレビを生み出した人類は偉大であると思う。クーラーで涼みながら、外の風景や出来事を勝手に写し出してくれる。
自分が歩かなくてもローマに行けるし、調べなくても明日の天気を教えてくれる。
だから僕はテレビが好きだ。
色々な絵を見せてくれるそれはまるで魔法の絵本だと僕は思った。
僕は話を想像で膨らませるのが好きであり、得意であった。それが小さい頃からの趣味であった僕は他からすると異端であり、異常であるのかも知れないが、そんなことを言っていたのでは、小説家や漫画家は生まれない。
かといって、文を書くことを趣味にしたり、ましてや仕事にしようとは思ったことがなかった。考えたことはあるが、僕は気持ちを文字で表現するというのがどうも苦手だ。想像力はあるのだが、表現力が乏しい。思いを何かに伝えようとすると、途端に頭から消えてしまう。
本を読むのは大好きであり得意だが、作文は苦手、それが僕という人間だった。
だから他人と会話をするのも苦手であり、あまり友達のいない、いたとしてもクラス替えの度に希薄になるような、そんな人間関係しか形成できなかった。
…そんな僕が、何故か急に出掛けたいと思った。
珍しいこともあるものだ。日の光に当たりたいのかも知れない。
当てはある。ここ数年ずっと訪れていないが、久しぶりに行ってみるか。
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電車で三十分、徒歩五分の場所にある緑地公園。そのベンチに一人座っていた。
真夏真っ盛りだが、木陰に隠れていると、この場所だけ温度に取り残されたかのように、風が吹いて涼やかだった。
空は晴れ渡っているし、実にいい天気である。外出を嫌わずに、たまにはこんなふうに外でのんびりするのもありかなと思った。
携帯の時計を見ると、ちょうど午後三時だった。
そろそろ日が傾いてきて、日陰が多くなりはじめる。
遠くを見渡すと、深緑に色づいた木々のざわめきと、噴水で遊んでいる少年たちの笑い声が聞こえてきた。
緑地公園だけあって、自然が豊かで、心地の良い場所だ。
都会の喧騒は嫌いだ。光と機械に乗っ取られたかのようなあの場所は、僕からすれば考えを全て吹き飛ばしてしまうかのような嫌な場所である。
僕の家もそんな都会のど真ん中にあるのだが、高校を卒業したら家を出て、さっさと田舎に住もうと考えている。
仕事は現地で見つける。給料なんて安くても無くてもいい。のんびり生きていければそれ以外にはなにもいらない。
先ほどテレビが好きだと言ったが、別になくて困るほどのものでもない。
確かにテレビを見るのはおもしろいが、アニメやバラエティー番組は見ない。
僕はくだらないものだと思っているし、実際見てもつまらないだけである。
基本的に旅行番組や料理番組くらいのものだ。
ニュースだって天気予報しか見ない。
どうしようもない政治家、芸能人の話、知ってどうなるわけでもない事故の話が延々流れ続けるだけだからだ。
そう考えると僕はテレビが好きではないのかもしれない。趣味があまりにも少ないので、それほど好きではないものまで大好きだと感じてしまうのかもしれない。
趣味のひとつやふたつ、持っていたほうがいいのだと思うのだけれど、今のところ没頭できるなにかに出会ったことは、ない。
読書は僕にとってはすでに義務みたいなものだし、いまさら趣味として見られるかと聞かれると、はいとは答えずらい。
そういうふうにまとめていくと、僕がいかに何も無く、空っぽな人間なのかが露呈してくる。
正直僕は人生を大事と考えてはいない。
例え数分後に隕石に貫かれて死のうが、避けようのない運命なのだから、仕方がないとしか思わないだろう。
悲観的に物事を考えてはいけないと言われるが、楽観的になっているお気楽な人達よりはよっぽど主観的だ。
ただまあ、僕も変わらなきゃいけないのかな。いつまでも同じような人生というのもそれはそれでつまらない。
『~♪』
おっと、かなり長考していたようだ。
午後六時を知らせる音楽が、公園中に響き渡る。
後のことは明日考えるとして、僕は家に帰ることにした。
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今日は休み。明日も明後日も休み。
のんびりできるのはいいことだが、目標を持たずに過ごしては人生を灰色に変えてしまう。そんなふうに思えた昨日だったのだが、早速趣味を探してみることとする。
まずスポーツは駄目だ。苦手ではないが、好き好んで汗をかく気にはなれない。
物を作ったりする作業は以外と苦手である。小学校のときから今に至るまで図画工作、技術家庭といった教科が憂鬱で、それはもう苦しかった。
似顔絵を書けば怪物が生まれるし、椅子を作ればバランスが悪くて倒れるわと凄惨極まりない光景がそこに出来上がる。
そんなわけで、プラモデルだとか、木工作だとかの類いは論外である。
…ああもう、らちがあかない。
めんどくさい思考は一旦全部放棄して、散歩に出かけよう。
とまあ、あてが特に思い付かなかったので昨日の公園の昨日のベンチにそっくりそのまま座っている。また来ている訳だが、すっかりここが気に入ってしまった。
相変わらず晴れ晴れといい天気である。心なしか昨日よりも暖かいのは時間帯のお陰だろう。ちょっと油断すればいつのまにやら寝てしまうような、動植物もリラックスしているような、陽気な晴れの日である。
側にあった自動販売機で買った大好きなミルクティーを片手にして、目の前の風景をまるで絵画を見るように遠目に眺めている僕。
恋人同士と思わしき、仲睦まじく手を繋いでそれはそれは楽しそうに談笑しながら歩いている男女二人組。
仲がよろしそうでいいですね。
いやいや、おっさんか僕は。僕はまだまだ若い高校生…のはずだ。
しかし、最近の日本、特に東京周辺は高齢化とは関係なしに、人々の老化具合が進んでいるような気がする。
難易度の高い勉強を積み重ねて進学校、有名大学への受験に励んだり、仕事に打ち込みすぎたりするのが原因なのか、とても生き生きとしているとは言い難い。
だからこんなにキラキラとした顔ができるのはとても幸せだということだろう。
まあ、どうでもいいや。
またぼんやりと風景を眺めていると、よく見知っている顔を見つけてしまった。
僕は咄嗟に顔を伏せたが、すでに遅かったようだ。
「おおっと、久しぶり! やっぱりお前だったか」
「…」
せっかくの休日に友人と会うなんてついてない。
こいつがいると休日が休みではなくなる。
「おいおい、お前の数少ない友人に会えたってのにそんな心底嫌そうな顔すんなよ」
「余計なお世話だし、心底嫌だよ」
こいつは僕の友人の一人で、まあ三人の中の一人だが、今の学校で知り合ってから絡んできた迷惑で口うるさいやつである。
名前は凩。寂しげな響きとは裏腹に、数ヶ月で恋人が変わるような、ナンパなんてしてしまうような、お茶らけたやつだ。
「どうでもいいけど、今日は女の子連れてないんだな」
こいつという人間を鑑みると、休日、しかもこんな天気のいい日に一人で出歩くのは珍しい。いつもお供を連れているのだが。
「あー、俺な、もう女の子には興味なくなったのさ」
「なるほど、死ね」
心ない軽口を叩いてくれるものだ。
大方今は次の恋人ができるまでの暇な時期といったところか。まったくもって人をいらつかせてくれるやつである。
「それはそうと、腹減ったからなんか食いに行こうぜ。どうせ暇してんだろ、お前も」
「それも余計なお世話だよ、ほっとけ」
と、言ったはいいものの無理矢理連行されてしまった。
…やっぱりこいつがいるとゆっくり休む暇ができないようだ。
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そうして連れてこられたのはドーナツ屋だった。
ドーナツ屋といえばここ、というくらい有名な店だ。
店に入るやいなや、いつもの対女性用スマイルを装備している。
さっさと注文を済ませテーブルに向かう。至極スマートに。これがモテる秘訣というやつだな。腹が立つ。
昼間からこんなところに僕を連れてきてなにが楽しいのかは知らないが、チョコレートのかけられたドーナツを頬張りながらニコニコと僕の方を見てくる。
実に気持ちの悪いやつだ。
ふと思い出したような顔をして。
「いやー、実は今日は人を呼んでるんだ」
とか言ってきたから、僕は速攻で、ご馳走さまでしたと言うのと同時に財布から5千円札を抜き出して、テーブルに叩きつける。
彼女だろ、どうせ! 嫌がらせか!
なんて憤慨していたら、聞こえてきたのは予想どうり女性の声が、しかし予想外の人物の声だった。
「あ、あきちんじゃん、久しぶりだねー」
「おお来たか、待ってたぜ、小枝」
「…」
予想だにしなかった来客の登場に、思わず固まってしまった。
「お! 5千円、くれるの? いやっほー」
「やらん」
ささっと財布に札をしまう。
…しかし今日は本当についてない。僕の友人のうるさいやつナンバー1と2が揃ってしまうとは。
僕がいったいなにをしたというのか…。
「あれれ? あきちんがなんか暗いよ?」
「久しぶりに俺達と会ったから照れてるんだよ、な」
暗いのは元からだし照れてなどいない。
「まあもう気にしないけど…。それよりもその呼び名はなんとかしてよ」
「あきちんがだめならじゃあ、あきたん?あきりん?」
「その女の子みたいな呼び名はやめてくれ!」
もういい、疲れた。帰って寝たい。
…この子は小枝ちゃん、元気が取り柄のアホだ。小枝ちゃんとも学校で知り合って、少し仲が良くなって以来つきまとわれている。
小枝ちゃんのほうは誰かさんと違ってあまり迷惑ではない、変な渾名をつけてくるのくらいが悩みの種であり、それ以外は可愛いし、性格もいい、それになにより僕と違って明るいので、よい話し相手になってくれるのである。
そんな小枝ちゃんが突然現れたわけで、僕はさっさと帰りたいのだが、二人はそれを許してはくれない。
小枝ちゃんとだけなら結構な頻度で遊びに行っているし、話も普通にできるのだが、お茶らけ男が加わると僕はいじられ役に成り下がる。
「小枝、お前も食べるだろ? 奢ってやるよ」
「やったー! ありがとうこがちん!」
二人はぴゅーんとカウンターへ去っていった。
端から見るとそれは仲のいい恋人同士のようで、僕はさしずめ邪魔なオマケといったところか。まあ、うるさいよりも静かなほうが好きな僕にとって気になりはしないことだが。
こんな時に枯葉がいれば二人で静かに会話を慎ましやかに楽しめるんだろうけど…。
まあ、どうにもならないことを考えても無駄だ。諦める。
どうやら奢ってくれるらしいドーナツを手に取り、口へ運ぶ。
蜂蜜とシュガーコーティングという非常に甘ったるいドーナツだが、ふわふわとした食感で、飽きが来ない。
あっというまに食べ終えてしまい、二つ目に移る。
今度はなにもかけられていないプレーンなドーナツだ。甘くなった口を直すのに都合が良い。こちらはサクサクとした食感で、これもまたすぐに食べ終わってしまう。
「ただいまー…ってあきちんめっちゃ食べてる!」
珈琲を三つ手にして戻ってきた小枝ちゃんが見たのは、ノリノリで五つ目のドーナツをかじっている僕の姿だった。
それを見た小枝ちゃんは目を光らせて。
「お腹空いてたの? かーわいい」
「くっ…」
やつまでもがにやにやする始末だ。
屈辱極まりない。
こいつらが揃うといつもいつも心が乱される。落ち着いた思考ができやしない。
しばしの間、端から見れば微笑ましい、しかし僕にとっては重要な喧嘩騒ぎを繰り広げ、落ち着いたところで椅子に座り直す。
「さて、ちょっと話を聞いてくれるか」
座って早々、やつがいきなりそうきりだした。珍しく真面目な、大事なことを話そうか話すまいかと考えている顔だ。これには思わず、小枝ちゃんも椅子にきちっと座り直す。
「あー、これから話すのは冗談じゃあなく、俺の本気で考えた話なんだけど」
「…お前が真面目な話なんて珍しいな。いつも軽口ばかりじゃないか」
いままで計画性もなにもなく、その場のノリで話すだけであった僕たちにとって、真面目に話をきりだされることはまったくと言っていいほどない。
うるさいのは嫌いだと言っていた僕も思わず緊張してしまう。
そして。
実は俺、旅に出るんだ。
やつはそう言って、静かに笑った。
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俺はみんなに、もう親には話していて、来週には出発すること。学校には休学届けを出すということ。日本中をまわるので、いつ帰ってこられるかはわからないということを話した。
できるだけ簡素に、軽い調子で説明した。
旅に出る動機は説明していないが、まあ失恋の傷心旅行程度に思ってくれればそれでいい。
みんなで旅に行く約束をしていた気もするけど、俺は一足先に下見と言うか、練習と言うか、約束を破って一人で先に行くよ。
これからは三人で頑張ってくれ、秋穂、小枝、枯葉。
枯葉には会えなかったけど、あいつは電話でもすれば、あっそ、とか言って流してくれるだろう。
次にみんなに会えるのがいつかは分からないけど、元気に過ごしていてくれよ。
俺のことはたまに思い出す程度の存在でいいからな。
でも、もしかすると俺には旅は向いてないとか言ってひょっこり帰ってくるかもしれないから、そのときは呆れながら笑ってくれよ。
こいつらと別れるのは残念で仕方がないが、決めたことだから今止める訳にはいかない。
でもそのなかでも特に秋穂、お前は特別だったよ。美人でスタイル良くて背も高くて頭も結構良くて、端から見たら完璧だけど、中を見てみれば僕っ娘で、ぼーっとしてて、すぐ慌てて。可愛い妹みたいな感じで面白かったんだよ。
いっつも女の子らしくないジーンズしか履かないから、次に会ったときにはスカート履かせてやる。
それで恥ずかしがるところを見てやろう。
なんかやっぱり別れるのはめっちゃ惜しいよ。
…まあごちゃごちゃ考えても、これは誰に伝わる訳でもないし、何かに記録している訳でもない。決意だけもって旅に出るとしよう。
そろそろ飛行機に乗る時間だし、本でも買ってから飛び立とう…。
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「ねえあきちん、良かったの?」
「なにが?」
「だって好きなんでしょ、こがちんのこと」
「…いや、別に?」
「そんなこと言って、好きな癖に…。 ほんとに意地っ張りなんだから」
「誰があんな軽薄男! 僕はもっとクールな人が好みだ。 …いやいや、恋愛には興味がない、残念でした、はいこの話終わり」
「顔赤いよ? さっきこがちん帰ったあとにトイレでちょっと泣いてたのもばればれだし」
「くっ…!」
ほんとにこの方面だと鋭いな、小枝ちゃんは!
今の話すべてがすべて真実で、図星を当てられて、認めたくなくて逃げ出したかった。あんなやつのことを好きになっていたなんて、屈辱的だ。
「追おっか」
「え?」
ちょっと僕にとっては想定外で、ナンセンスな言葉が聞こえた気がする。
「今から空港行くならまだ飛ぶまで時間あると思うし、かれちんに聞けばわかるんじゃない?」
確かにその通りだが、あの広い空港内で飛行機が飛び立つ前にたった一人を探すなんてことが可能だろうか?
でも、ちょっとやってみたい気持ちがある。やつを驚かせてやりたい。
ここは枯葉の力を借りて、一泡吹かせてやるべきだ、きっとそうに違いない。
電話で枯葉を呼び出して、バス停へ向かった。
「じゃあしゅっぱーつ!」
…この物語はここで終わると思っていた。
思いたかった。
秋旅行 (1)
もう秋です。
今年こそは夏を楽しもうと思ったのに、全力で楽しむことはできませんでした。
でも一番好きな秋がやってくるので、ここで楽しめばいいのです。
次こそはファンタジーを書きたいと思っていたのに、いつの間にかのんびりとした文章になってしまいました。
特に事件とかが起こるわけではないと思います。
もしかすると、のんびりした文章のほうが性に合っているのかも知れませんね。
続きはいつになることやら分かりませんが、気長に書いていきます。読んで頂いたかたに感謝します。