霊獣の棲む村 

長弓村

 朝、啄木鳥が餌を求めて樹を小突く音が谷間に響き渡るのを耳にして目を醒ました。雨戸を開けると、未だ辺りは薄ぼんやりとしていて一面に霧が懸かっている。村の人間は皆、声を揃えて「朝霧が懸かると天気になる」と言い、また自分自身も間もなく朝陽が照らし始めると、この霧が見る見る消えて大地から息吹のようなものが込み上げてきて森が俄に活気づくのを頭に思い浮かべながらも、本当に今日は晴れるのだろうか?と思ってしまう。
 およそ天気予報というものは何時しか気象庁の発表する情報に頼るようになってしまったが、こういう山間や海辺などの自然現象が生活にとって密接に関わってくる地域では未だに住民達が何代にも亘って語り継いできた知識と感の方が大いに役立っているというのが現状である。
 これまで気象庁はそう言ったものは所詮迷信に過ぎぬと取り合うこともなかったのだが、近頃では言い伝えという知識情報が結構役に立つということに漸く気付いて我々が思っているよりも頻繁に用いられているらしい。
 目の前を見ると、山仕事に出かける男が一人、山の中腹をまるで朝霧の上を歩くように登って行く姿が見えた。浄土宗の開祖である法然上人が「或いは千里の雲に馳せて山のかせぎを捕りて歳月を送り」と美文で我々の日常生活を表現されているが、文字通り雲の上を歩いているように見える。やがてその雲の中に姿を消したかと思うと、暫くして霧の中からトーントーンと樹を切り出す音が聞こえてきた。無論、今の世の中に樹を伐採するのに斧で打ち倒す林業師等いる訳もないし、樹の伐採ならもっと低い大きな音がするはずだ。
 太陽がその答を示すように明るさを増すや否や、すーっと霧が引いていき中腹よりもう少し上にあるかなり大きめの杉に縄を絡ませ器用にもう一本の縄を裁きながら木の太い枝に昇り、山刀で枝を落としている男の姿を浮かばせた。
 昔は大勢の人がこの方法で樹に昇ったものだが、今では隣村を合わせても片手で余るほどしかいないのだそうだ。今、樹に昇って枝打ちをし始めたのは年格好、そしてこの早い時間から仕事を始めていることからしてベテランの畝谷忠一さんに違いない。彼は夏でも冬でも森林組合の帽子の下に浅葱色の日本手拭いを頬被りにしているので近くにいれば直ぐ分かるのだがここからだと頬被りをしているかどうか迄は確認が取れないのだ。
 この村に来てから習慣や仕来り、その他日常生活に関わる色々なことを彼から教えて貰った。彼の他に最年長の秦恒一さん、女性では新屋谷のお常さんと言った長老格の人達から古くから伝わる話を聞くのが面白く、いつの日か遠野物語のように本でも書けるのではないかと思う時もある程、面白いものだった。
中でも興味深かったのは坂上田村麻呂将軍に関わる話で、この村と坂上田村麻呂とは深い繋がりがあるらしいのだ。
そして、その歴史を繙けば聖武天皇の時代にまで遡るのだそうで、これは強ちに「いい加減な伝説」ではなく史学者による研究も存在している。今、この付近で最も栄えている中谷村は戦国時代になって人が住みだした所なので長弓村を始めとして聖武天皇の頃から氏素性のはっきりしている一族としては、落ちぶれようともプライドを保てるのであろう。誰と会ってもこの話をするのだ。
 聖武天皇との縁ならば奈良ではないのか?と訊ねると奈良で林業を一手に牛耳っていた一族が、桓武天皇による遷都に伴い随行してきてこの地に落ち着いてきたのだそうだ。仔細は寺の紹介をする折に話すが、聖武天皇によって長弓一族の青年が誤って死に至ったことを契機に天皇より林業の全権を一任されることになったらしい。
平安遷都以降、随分と力を持っていたらしい長弓の一族だが江戸時代になって山陰北陸方面から京都に入る為の関所が村に設けられると大勢の宿泊客で賑わうようになる。林業は忙しいと言っても秋冬にかけての季節的なものなので普段はさほど忙しくないのだから、地方から来た旅人を接待して様々な知識や情報を得ていたらしい。
知識だけで止まれば良かったのだが娯楽についてもどんどんと情報が入ってくる。やがて人寄り場所である関所付近には博奕場が生まれたのである。江戸末期の文書を見ると、御所に納める薪炭が博奕の肩で取られてしまい隣村に頭を下げて金の無心に行ったという記録も残っている。
 やがて長い時を経て昭和初期になって再び、この村で子供が狩りの最中に獲物と間違われて撃たれるという事件が起こった。今度は天皇ではなく華族様である。戦中総理を務めていた公爵が、鉄砲で狩猟の最中に誤って撃ってしまったのだ。公爵は随分と自省し、過分な額の謝罪金を村に支払ってくれた。その御蔭で博奕によって廃れかけていた村は幾分勢いを取り戻すこととなったのだが、聖武天皇による村命名の逸話が綿々と語り継がれていたので当然ながら、何かの因縁であろうと噂されるようになった。すると誰が言い出したのか、坂上田村麻呂の凱旋に恨みを為す蝦夷の祟りだという話が誠しやかに語られるようになったのである。
この村には、こうした古い言い伝えが史実と共に村人の憶測等と入り乱れ玉石混淆のまま現在に至る迄語り継がれているのだ。これから話す少々奇妙な物語はこうした村での出来事なのである。

清水寺

 私が住んでいる寺は長弓村の丁度中心地に位置している。村の中で唯一、高台に建っているので庭に立つと村の殆どが一望出来るようになっている。谷が南北に6km程続いていて谷に並行して長弓川が流れている。その谷の北から南に1kmほどにある西側の山、国高山の裾野を少し登った所に山を背にして向かいの山を眺める形で立っている。寺から南に1km程行くと道が細くなっていて、そこで人家が途切れる。そこから残り4kmは谷間の東を川が流れその川に沿うように細い道が続いている。谷が切れた所で今度は東西の谷に突き当たるのだが、その谷沿いは隣の杉山村と呼ばれている。杉山村には不動院というお寺があるが、住職は市内の老人ホームに住んでいて法事の時だけ戻って来るらしく普段は無住常態である。
 私のいる寺は、名前としては全国的に知れわたっている。清水寺と言われて知らないという人間は圧倒的に少ないはずである。その余りにも有名な名前、そして同じ京都にあるという理由だけでトンでもない勘違いをされるのだ。先日も小中学生向けの国語辞典が20冊も送られて来た。宛先を見るとその辞典の出版社からである。中に手紙が同封されていて貴寺の写真を使わせて頂き有り難う御座いましたという礼状であった。まさかここが?と思い一冊だけ梱包されずに入れてあった本を手に取ってみると丁寧に栞が挿まれていてその頁を開けてみると櫻満開の「清水の舞台」が映っている挿絵の横にこれまた丁寧に付箋が貼られていた。
 迷惑という訳ではないが、同じ京都とは言え、南東と北西で距離もかなり離れているし寺の規模に至っては全く違うのだから間違われても困惑するしかない。世の中に山ほど岡本太郎という名前の人がいるだろうに、八百屋の親爺である岡本太郎氏のところへ「先日はお世話になりました」と言って太陽の塔の設計図が送られてくるようなものである。こういう時は知らぬ顔をして貰っておくことにしている。抑も、配達する運送屋だって全部で15軒しかない小さな村にある本堂だか民家だか分からないような、しかも先日まで120年間、無住状態だった寺に国語辞典20冊と書かれた荷物が出版社から直接送られてくること自体おかしいと疑ってかかるべきだろう。全く縁もゆかりもない大寺と間違われる弱小寺院としては間違われること自体が不愉快なのだ。
今、縁もゆかりもないと言ったが、縁もゆかりもないのは今の私を住職とする清水寺と今の音羽山清水寺、年末になると漢字一文字書くだけで話題になる管長を中心とする観光寺院に関してであって、寺本来としては縁もゆかりも深いというのが本当である。
長弓山清水寺の歴史を繙くとその由来は聖武天皇にまで遡る。奈良と大阪の境近く、平城京の西北に位置する生駒山の麓に冨雄という町がある。この冨雄町は奈良県に位置しているが、県境のすぐ傍に長弓寺というのが存在する。この寺はその昔、聖武天皇が狩りを楽しんでいた時に鹿と間違えて勢子に使っていた青年を誤って射殺してしまったことを悔いて、その慰霊の為に建てられたのが始まりとされる。
聖武天皇は、さらにその事件以来この村の住民達に朝廷の木材、薪炭の調達を一任し、役職の長を長弓杢工助(もくのかみ)と呼んだ。時が移り、桓武天皇が平城京を離れ、新しい都を求めて転々とし漸く京都に都を移し平城京を築いた折に、平城京の時と同じく都の西北に位置する山中に長弓杢工助の一族を住まわし、平城京と同様、木材、薪炭一式の調達を一任したのであった。この一族こそが長弓山の名前の由来となっているのである。
遷都の後、桓武天皇は早急に解決すべき仕事があった。一つは都を跋扈している魑魅魍魎の類を封じ込め、治安の良い都とすることである。今日の我々にとって魑魅魍魎というのは化け物の如き恐ろしい心を持った悪人達を意味するが、ここでいう魑魅魍魎というのは漢字の旁をみれば分かるように偏に鬼という字がついている。人の目には止まらぬかも知れぬが恐ろしい鬼の類、正体不明の生き物が都の夜を牛耳っていたのである。
これに関して桓武天皇は当時、海外への留学を終えて戻って来た僧、最澄に全てを委ねた。後に日本仏教の基礎と成る延暦寺を都から見て東北の鬼門に膨大な費用を投じて建てたのであるから、どれはど最澄に信頼を置いていたかが計り知る事が出来る。最澄は、独り比叡山に一丈(凡そ3m)四方の小さな庵を結び京都中の魑魅魍魎一切を狩籠丘の上にある三つの石に封じ込めたと言われ、現在もその地には比叡山の僧達が怖れて近寄らぬのだそうだ。
ともあれ、都の中に巣くう悪霊達は最澄によって封じ込められたのである。
今一つ、桓武天皇にとって一大事業として急を要したのが外敵から身を守ることであった。出雲の民、九州の一族らも大和朝廷にとっては脅威であっただろうが、それらに対しては政治的外交もありそれなりの距離を保つことは出来ていた。謂わば、彼らとは血縁関係も生じていた訳で注意は必要だがまだ手の内の読めるライバルといった所だろう。一方、畿内以北の土地に住む関東・東北等の民族にとっては政治的敵対関係というよりも、先住していた土地をどんどんと北へ追いやられたのだから強い怨恨による敵対感である。彼らは武力的制圧によって北へ虐げられた訳だが、当然いつか恨みを晴らさんと隙を見計らっていたはずだ。これらの勢力は一刻も早く徹底的に武力鎮圧し、力による支配を実行しなければならぬ。
そこで桓武天皇が選んだのは、当時最も勝れた軍人であった坂上田村麻呂を夷敵を討つ為の長官である征夷大将軍に任命することであった。彼は、武力、戦術という面でも長けていたが、戦いにとってそれ以上に大切なのが強靱にして尚かつ冷静な判断力の出来る心が重要であることを知っていたので精神的鍛錬にも勝れた人物であったと思われる。精神面を支える上で、彼は仏教という日本において新しい宗教が持つ哲学的視点を活用した。そしてその面で彼が最も信頼を置いたのが延鎮僧都である。彼は、田村将軍との出会いの地に庵を結び、音羽山清水寺と名付けたのである。
やがて田村将軍が北方方面の鎮圧に出かける際、必勝祈願の法要を設ける必要があった。ちょうどそんな折に、当時の戦で最も役に立つ武器である弓が征夷大将軍の部隊に献上される。もちろん、都の材木一切を扱っていた長弓一族にその権利は委ねられているのだから、これを納めたのは長弓村の住民達である。
地理的に京都の西北に位置する長弓村は、日本海側へ向かう街道の入口でもある。この地で武器の奉納必勝祈願を行えば、戦の門出にも相応しい。そこで延鎮僧都は田村将軍を施主として第二の清水寺を建てたのである。
・・・・・と、まあここまでが私の想像する所であるが全く根拠のない話でもないと思うし、事実、この後田村将軍が進撃した道をなぞるように点々と北へ向かって清水寺が次々と建てられており、その大半が田村将軍縁故延鎮僧都開基なのである。
また冨雄からうちの村に住人達が移転してきたのは、ほぼ間違いなく冨雄にもうちの村にも共通の伝承が伝わっているし、また氏族も両地とも波多野一族が圧倒的に多いのである。
ただ、ここまでは私も知っている歴史知識であったが坂上田村麻呂将軍についてはもう一つの戦いの歴史があり、そのことに関しては私の知る所ではなかった。しかも、その歴史がこれからの私の未来に大きな影響を与える等とは思いもしなかったのである。

鬼にされた一族

 学校の教科書で坂上田村麻呂将軍について習うのは、蝦夷征伐をする為に桓武天皇から征夷大将軍を任ぜられたと言うことだけで何故、何処へ行き、誰と何時戦ったのかといった細かいことは一切学ばない。歴史上、坂上の一族は田村麻呂の祖父、犬養の代に聖武天皇から引き立てられ東大寺造営の長官まで務めている。聖武天皇の崩御直後に起こった橘奈良麻呂の乱の際にも奈良麻呂と親しい藤原乙縄を捕らえたことで功を修め光明皇后崩御の折に山作司(やまつくりのつかさ)に任ぜられている。また父の苅田麻呂も藤原仲麻呂の乱、弓削道鏡の排斥など天皇家に尽くし桓武天皇にも取り率られた家柄である。
 しかし坂上田村麻呂の話になるとついつい蝦夷征伐という印象が先立ってしまうのだが、晩年には薬子の変で嵯峨天皇につきいち早く部隊を配備したことが、平城上皇が身を退き出家に至った最も大きな要因なのである。それに清水寺のみでなく、東寺と並ぶ大伽藍西寺設営の長官を任されていることからして武力のみでなく文化面に於いても大きな貢献をしていると思うのだが・・・・・やはり征夷大将軍という看板が余りにも大き過ぎるのだろう。
 その征伐において田村将軍はいきなり討伐という武力行使には出ず、俘囚という方法を用いた。つまり、朝廷と同化することによって属国という扱いにはなるがそれなりに権力が得られるというもので土着の者達を抑制していくのには土着の者達の力を利用するのが得策なのだ。
 こうした俘囚によって朝廷に靡いた夷俘達は、最後まで朝廷に立ち向かった蝦夷からすれば敵に身を売った卑怯者でしかなかっただろうが歴史は勝者の方が残すものである。
俘囚達は東北地方の豪族として生き残っていく。代表的なものとしては奥州の藤原氏などが良い例である。
一方、朝廷に最後まで楯突いた蝦夷達は人間の歴史から姿を消され、替わりに「鬼」という名で「化け物」「妖怪」「魑魅魍魎」の類として扱われるのである。

霊獣の棲む村 

霊獣の棲む村 

前半部分は面倒臭い理屈詰めの文章が続きますが、その理屈が見えざる者の存在を証明する典拠となっていきます。 長弓村で僕が経験した霊・神・仏といった見えざる存在についての話です。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-17

Copyrighted
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  1. 長弓村
  2. 清水寺
  3. 鬼にされた一族