わるいこと
「刑事さんよ、一つ、話をしても良いか」
死刑囚として、折の中で人生の殆どを費やしてきた男が言った。
彼は、これまで犯罪と呼ばれるものほぼ全てに手を染めてきた、まさに悪者と呼ぶに相応しい人間だった。
無精ひげを撫でながら、一重まぶたの狐のようにつり上がった眼の右から左へ流していた黒目は、机越しに座る刑事のところで止まった。
「なんだ」
刑事は言った。
落ち着いた声色の様にも聞こえるが、そこには一言では語りようのない彼への怒りで溢れていた。
「私が殺した女の話をしましょう」
刑事のこめかみがピクリと動いた。
死刑囚はくつくつと喉を鳴らして愉快に笑う。悪趣味だ、刑事は思った。
「私はねえ。わからんのですよ。
これまでたくさんの"悪いこと"をしてきた。それは私もわかっとります」
「でもねえ、こればっかりは、わからんのですよ。
あの女をやったことが、どっちなのかがねえ」
「ふざけるな、お前は」
薄笑いを浮かべて話す死刑囚に、刑事はついに耐えきれず怒りの感情を露わに、間髪入れずに返した。
「まあ、聞いてくださいよ、刑事さん」
すると、死刑囚は笑みを忘れて、真剣な顔でぴしゃりと言い放つ。
その表情に刑事も思わず口を止めた。
「私がやったあの女にはねえ、小さな子どもがおりましたわ。
その子がまた良い子でねえ、あの時、牢屋から逃げ出したばっかりで住む場所も食べるものもない私に、お家に来なさいと言ってくれたんですよ」
「私、その言葉に甘えましてね?
彼女の部屋のクローゼットに隠れて住むことにしたんですわ
お腹が空くとその子が夕飯の残りやらお菓子のせんべいやらを持って来ましてねえ、ほんと、優しい子でしたよ」
「でもねえ、その子の親のあの女はね、そんな良い子を虐めるんですわ。
理由はそれはそれはしょうもないことですよ、笑顔がムカつくだの返事が遅れただの、本当にしょうもないことで」
「でもねえ、その子はあの女に対して何の文句も言わんのですよ
お母さんを怒らせた自分が悪いんだ、なんて言ってねえ、ほんと良い子でしたよ」
「そんな風な日がほぼ毎日続いてたんですがねえ、あの日は違いましたわ
あの女はね、包丁を持ち出した。
いつもは掃除機やら新聞紙やらで叩くところを包丁で、あの子を切ろうとした」
「あの子、必死で部屋中を逃げましてね、ついに自分の部屋まで追い詰められてしまったんですわ。
私はクローゼットから出て言いました、君はこの中に隠れてなさいって」
「そんで隠れたあの子を確認したあと、あの女が入って来ましてね。
私に驚いてましたよ。ええ、旦那がアレですから、私のことも知ってらしたんでしょうね」
「私はその隙をついてあの女から包丁を取り上げましたよ、そんでそれからは刑事さんのよく知る通りです
しかし、私はどうにもわからないんですね
あの子は私に泣いて怒るんです、お母さんを殺しやがってとね、でも私が殺さなきゃあの子は一生あの女のサンドバッグですからね
でも、私のしたことは犯罪ですからね、殺人罪っていう、ええ」
「刑事さん、私のしたことは悪いことなんですかね?
私、いろんな罪を犯してきましたけど、こればっかりはわからないんですよ」
男は、話を終えると死刑台へと向かおうと腰をあげた。
「まて」
しかし、刑事がそれを止める。
「最後に、最後に名前を教えてくれ
その子の名前は」
死刑囚はニコッと無邪気な笑みを浮かべた。
「サナエちゃんいいます」
仕事を終えた刑事は、自宅の扉を開ける。
すると、同時に刑事へと飛びつく一人の少女
「おかえりなさい!お父さん!」
「ああ、ただいま。
お留守番ありがとな、サナエ」
わるいこと