それは意外にも静かに

いい時間


ピンポーン

家のチャイムが鳴った。調理をしていた葉子は菜箸を持ったまた大きく三歩進み、玄関の扉をあける。
外からスーパーのビニール袋を持った晃央が冷たい風と柑橘系の香り共に入って来た。

「これでいいかな」

鼻にかかった低い声でつぶやきながら袋の中身を流しの横に少しあるスペースにに並べ出す。
あ、と思い出したように腰に手をまわして体をそちらに寄せらて挨拶のキス。

「うん。大丈夫、ありがとう。もう少しでできるから座ってて。あと、あのカバンはソファーの上にあるから」

ギリギリ二人通れるくらいの狭いキッチンを晃央はすんなりと葉子の後ろを通り抜けて、
すりガラスの戸を開けるとソファーと呼ばれる濃い灰色の二人が並んで座れるほど幅が広い座椅子へ。
そこに置かれたA4サイズのナイロン生地でできたすごくシンプルな黒い手さげカバンを開けると中からI Padを取り出した。
晃央はそれを開くと、あぐらをかき猫背になりそれを読んでいる。

部屋には、料理をする音と、映画音楽をお洒落にジャズアレンジされたものが流れていた。

「できたよー」

大きく平らな皿に山盛りの野菜炒めを持って来て背丈の低いテーブルに乗せる。ついでに音楽を切り、テレビの電源を入れる。
騒がしいバラエティー番組が映っていた。

晃央は、いそいそと準備をする葉子の存在に気づいていないくらいに集中してI padを睨んでいた。

「いただきます」

これに気づくと急いでi padを閉じて、後に続いた。



「お番茶でいい?」
「うん」
答えながら晃央はまたi padを開く。

「そのカバンにそんな物が入っていたのなら、売ればよかったかな」

おとといの夜遅くに来た時は、そこらへんに置いただけで次の朝も急いでいたのか忘れて出て行ったのに。
珍しく一緒にご飯食べれてるのに、感想も言わずにその薄っぺらい機械にくぎ付けで。まあいいけど。
そっちがそれなら私もいつも見てるテレビを一人で見てやる。

葉子は自分でいれた番茶をもうすすっていた。顔は、テレビの方をむいたまま。
彼女の機嫌を損ねたことに気付いた晃央はあわててi padから顔を上げる。

「ごめん、ごめん。これにさ、お手紙が入ってるんだよ」
「メールのこと?」
「違う。ファンの人からのお手紙。マネージャーにお願いして、スキャンして送ってもらってるの」
「そこまでして読んでるんだ」

ゲームとかしてるんだとばっかり思ってた。
少し子供っぽいところがあった。何かに集中すると周りが見えなくなる。
時間の経過を忘れて食事も忘れることすらあったと言っていた。
前に、2人でいるのに曲を書き始めて自宅内で何時間も放置されたことがあった。

クラシックとジャズをベースににサックスの演奏活動や指導の仕事をしているいわゆるフリーランスの私、岩崎葉子。
そして隣に座ってずっとi padとにらめっこしてたのは、最近付き合いだした藤田晃央。
テレビにこそあまりでないので知名度はそんなに高くないが、新曲や新しいアルバムを出せばオリコンチャートに必ず名前がのり、関東近辺のアリーナを満員にするライブをできる人気バンドMARKSMANのヴォーカルだ。
私達は、彼らのレコーディングに私が偶然参加をして知り合って、今に至る。


「それもあるから今俺はここにいるんじゃない?」
はじめはその言葉の意味がわからなくて30秒ほど静止したが、肩に手を回され彼の方に引き寄せられて思い出した。

私は、そのバンドのファンでもあった。まさか彼らとのちに仕事をする間柄になるとも予想できなかった若いころの私は彼らにファンレターを書いたことがある。それをこの人が思い出して事務所の段ボールの底から引っ張ってきて私に事実確認をするといういたずらから、私達の関係が始まった。


彼の細くて骨張っている肩に頭をもたれると、彼がさっきから睨みつけている画面が一緒に見えた。
それは本当にスキャンされた手書きのファンレターだった。

「俺らは、手紙のお返事を個人的に文章で出さない。
ただし、手紙を読んで思ったり考えたり結論とか俺なりの返答がまとまって来たら曲になることもあるよ。
こんなこと、みんなも考えてないかなって提案も兼ねて。
手紙の本人が俺らのファンでずっと曲聞いててくれてたらわかってくれると思う。そう信じるしかない。
今日は、マネージャーが新しく来た手紙をまとめて送ってくれたって言ってたから、すぐに読みたくて」

彼の高い歌声から2オクターヴくらい低く感じる話し声は、ほかのどの美しい音楽よりも何よりも私をうっとりさせた。

彼の手元に送信されてきたファンレターはどれも1枚だけでは終わらない長いものばかりだった。
マネージャーが先に確認をしてから、内容が長くて複雑に書かれているもの、つまりは悩みを抱えた人からの手紙を選んで送っている。
短いメッセージのようなものは、後日事務所で、直接読んでいるそうだ。

その日彼が読んでいたのは、部活でふとした一言から友達と口論になってしまった高校生の手紙と、別れた元交際相手が忘れられないという大学生の手紙などだった。

時には、不登校の中学生や、自殺願望のある人からの手紙もあったという。

「せっかく声を上げて、まあ実際には筆を上げて手を上げて、必死に自分のSOSを出してくれたんだ。これは、早く受け取って反応してあげなきゃって思うでしょ。その極端な手紙が来たときは音楽できるまでは時間かかるから、ラジオとか雑誌の取材とか、手っ取り早く俺らの“返事”ができる手段を選んだけどね」

昔、彼らのやっていたラジオ番組の取材で、その後ネットで話題になったことがあった。
人気ロックバンドのラジオ演説が中高生へ多大な影響をだしたと。

私も20歳かそこらの時、その放送をリアルタイムで聞いて衝撃的だったと感じたのを覚えている。
すごく生々しく、震えた声で「生きてほしい」と訴えていた。
ラジオの声の主と、ここで私の隣に座っている人が同一人物だということが信じられなくてぼーっと本人を見つめてしまった。

「どうした?俺、変な顔してる?」

こんな至近距離で凝視されれば、誰だって気づくよね。
「ううん。ごめん。なんでもない」

「あ、こっちこそごめん。飯とかお茶とかもらうもんだけもらっておいて、人んちでこんなもんばっかり読んで。これ、後で読むわ」
またi padをしまおうとしたので、すかさず手を取って

「いいよ。それがはやく読みたくて来たんでしょ。一通りくらいは読んでしまいなよ。どうせ今もなんか色々考えてるんでしょ。
中途半端にすると忘れちゃうよ」
「あ、うん。いいかな。それじゃ、すぐ読み切るから。ありがとう」

ファンレターを読むことを仕事の一部と名付けて「プライベートに仕事を持ち込むな」と言えば、そこまでだ。
しかし、音楽を仕事とするということはプライベートと仕事の区別がつきにくいことがたびたびある。実際に人前で演奏をしている時間だけが仕事ではないからだ。
彼のように、ソングライティングをしているといつ詞やメロディーが浮かんでくるかわからないので、それが来たときは前述にもあるように、突然に作業を始めてしまうこともある。
私だって、新しい演奏の仕事の依頼が来ればその楽譜の譜読みを自分の空いている時間にこなす。それに、コンディションを保つための練習も自分の空き時間を使ってやっている。
そんな時は、お互い時間もあるけど、本当に自分の為に使うので会えないこともよくある。会えるはずの約束がキャンセルされるのも頻繁だ。
お互い、2人でいられる甘くてリラックスした時間も好きだけど、それで仕事のテンションやモチベーションが落ちるのを一番嫌っている。


どこかで、音楽(仕事)をしている自分が他の誰よりも好きで、愛してしまっているからだろう。


そう、他の誰よりも。恋人よりも自分を愛している。


それが精神的自立なんだと、自分の中だけで確信していた。


私はテレビのチャンネルを変えて、違う番組を見始めた。
今日一日の出来事をものの10分で表面的に知ることができた。
それを残りの50分で細かく伝えていくという構成のニュース番組だった。
様々な報道を理解して考えを巡らせているうちにテレビにすごく集中していた。
2回目のコマーシャルが終わるかというところで、右肩に人の頭が寄りかかってきた。

「読み終わったの?」
「うん。でも・・・」
「でも?」
「なんかこうさ、こういうのジャンル分けするとさ。友情系の相談はなんとなく答えみたいなのがでるんだけど、その恋愛系のそれはなんか答えが出ないんだよね」
「ああ、さっきの元彼が忘れられない人か」
「そうそう。例えばそれ。ていうか、俺は忘れなくていいじゃんとしか思えないんだよ。でもそれが辛いって言われるとさ。どうにかしたいじゃん」
「私もそれに賛成だけどね。ていうか、忘れないでしょ、惚れた人間のことなんて。
これからのことも考えて良かったことも悪かったことも忘れないほうがいいんだよ」
「ほうほう、葉子はそういう人いるの?」
「え?」

「忘れられない人」

「まあ、いるよ」

私の肩から頭を起こすと改めて自分で座り直す。


何人か元彼と呼ばれる男性は思い出の中にいるが、いわゆる“忘れられない”人は一人だけだった。
私がまだ大学4年のころ、片思いをしていた人。

偶然にも晃央と同じ年の私の7つ年上で、都内の会社に2年の単身赴任で、広島から上京していた。
彼は私を妹のように可愛がってくれていたが、私はいつか彼から女性として見てもらえるようになろうと、ずっと努力をしていた。
彼からは、本当に沢山のことを学んだ。
人を好きになること、そして自分を好きになること。
彼を私は人間として尊敬もしていたし、男性としてもとても魅力的だと常に思っていた。
しかし、彼からすれば私はまだまだ子供で未熟すぎた。
おまけに卒業したらオランダに留学すると決めていたので、自分と付き合って私の将来への可能性や自由を奪いたくないと、関係が発展することを拒んだ。
でも私は彼のおかげで自分の様々な要素を成長させることができたと感謝をしている。



そんな思い出もあるよと、軽く要約して話をした。
だから、忘れられない恋があるのはいいことなんじゃないの位に思ってると。



晃央は眉間にしわを寄せて
「まだ好きなの、その人のこと」


「理解してもらえるかわからないけど」

発言に困った。思い出を引き出して、その思い出のお湯につかることはたまにあるけど、今それに対する感情を聞かれると、どうやって説明したらいいものか。

「その時期は今でも好きだけど。今の私はもう、そういう感じじゃないし。彼にももう長いこと会ってないからわからないよ」
「そっか。会いたいと思う?」
「思わないね。用事がないからね。連絡もほとんど取ってないし」
「少しはとってるんだ」
「年賀状メールとお誕生日おめでとうメールをするくらいだよ」
「そっか。浮気ならバレないようにやってね」

すすろうとしたお茶を吹きそうになった。
嫉妬しているのか。

「ないない、それはない」



睨むような強い目を下に俯けると、今度は頭を膝の上に置いた。

「うそつきに嘘ついたって聞いたって本当のことは答えないよね」

あまりに子供じみたことを言うのと、私が今、その彼と浮気をするということがあまりに非現実的だったが面白くなって笑ってしまった。

「ちなにみ彼、東京に住んでないからね」
「そうなの」
ちらっとこちらを見ると、またすぐに前を向いた。



すーすーと呼吸の音が聞こえる。
たらふく食べて、すぐ後に集中して手紙読んで。そりゃ眠くもなるか。



「眠いならベッド行く?」
「うん。でも、ちょっとこうしていたい」

私は、引き続きそのニュース番組を見ることになった。

それは意外にも静かに

それは意外にも静かに

現在進行中の恋愛 ちょっと違うのは、彼がミュージシャンということ。 それは驚くほど静かで平凡 の、はず。 自分の現在と過去と向き合う。 ちょい甘の恋愛小説です。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-16

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