長生きしたっていいじゃない

数日前に、筒井康隆先生の『銀齢の果て』を読んだ。
「老人相互処刑法」が制定され、一定期間、対象となった地域の70歳以上の老人は1人になるまで殺し合う。
昔、社会現象を起こした高見広春氏の『バトルロワイヤル』の高齢者版といえばわかりやすいだろうか。
現代の日本は高齢化が進みすぎたので、子供たちの負担を減らすために、老人を殺そうということらしい。
しかも「老人相互処刑法」が制定されてからは、この法律が効力を発揮する期間は、老人が老人を殺しても罪にならないという。
小説として読む分には面白い作品である。
筒井先生の破天荒な題材選びはやはりセンスが光る。

だが、現実として考えたときにこのような法律は制定されるべきではない。
少子高齢化が進み、現在は全人口の3人に1人が高齢者。
将来的には半数が高齢者、下手したら65歳以上の人口が65歳以下の人口を上回る時代もくるかもしれない。
だからといって老人を減らす対策はとってはならないだろう。
「老人相互処刑法」はあくまで70代の筒井先生による小説だから成立しているだけなのである。
やはり人は事件や事故にまきこまれることのない限り、自分の人生を全うすべきなのだ。

老人が増えれば、社会的に色々な負担が出てくるのは確かだろう。
1番分かりやすい例として介護があげられる。
様々な機能が衰え、自分でできることが減って行くだけでなく、認知症や痴呆症を発祥する老人も多いのだから、当然生活をサポートする必要が出てくる。
そこで介護士やヘルパーの助けを借りることになるが、きつい仕事な割に賃金が安いという理由から、なり手は少なく、今後深刻な介護士不足になっていくのは目に見えている。
年金は別としても、所得税控除、高齢者医療制度、後期高齢者支援制度といった面では、私たちの税金が補点されると考えると、私たちは高齢者の生活費の援助を無意識ながらもしているということになる。
働かずしてお金をもらえるのが高齢者と考えるような人にとっては、高齢者は税金の食いつぶし的な存在に見えるかもしれない。

筒井先生の『銀齢の果て』の話に戻るが、この作品のAmazonoの口コミで、「老人はボケたり寝たきりになったり、家庭を壊したり、税金を食いつぶしたりする存在だ」というものがあった。
すなわち、老人は十分生きたにも関わらず、まだ長生きしようとする身勝手な存在という見方だと思われる。
このように長生きする老人を否定する人もいるということだろう。
周りに迷惑をかけてまで無駄に歳を重ねて生きているのが老人、といったところだろうか。
「長生き=悪いこと」という図式が見えてくるが、果たしてそうだろうか?

現在長野県が日本一長寿の県となっている。
信州といえば野沢菜が有名だし、昔から長野県はお漬け物など、塩辛いものを食べて来ていた。
確かに、長野県というと何となくお漬け物のイメージはある。
そのため、かつては脳卒中で亡くなる割合が日本全国でワースト3に入っていた県だ。
そんな長野県が何故今長寿日本一の県になり得たのか。
それは「食改さん」と言われる、食生活改善運動団体が減塩運動を掲げ、県民の食事の塩分濃度を計りに訪れたり、実際に調理指導により減塩でもおいしい料理を提供する為の調理実習などといった食生活の改善に力を入れているからである。
このような活動が、脳卒中の死亡率を激減させた。
更には、インターバル速歩という3分間ゆっくり歩いて3分間速歩をするというウォーキングを指導したり、簡単な体操の指導をしたりして、足腰を弱まらせることなく、動けなくなることを防止するだけでなく、体を動かすことで、県民が長く健康でいることに一役かっているのだ。
だから長野県には80歳以上でもしゃっきりした元気なお年寄りが多い。
中には102歳でも一人暮らしで、出来ることは自分でやり、畑仕事なんかもしてしまうおばあちゃんもいるのだ。
いつまでも元気に生きて天寿を全うする、これが長野県の高齢者の姿である。

社会的入院、居住型老人ホームへの入居、在宅介護と高齢者の生活は様々である。
中でも社会的入院は個人の意志ではなく、痴呆症や認知症が手に負えないから入院させてしまうケースが少なくない。
確かに、高齢者と同居している家庭にとって高齢者は大きな負担であるに違いない。

だが、高齢者は私たちにとっての人生の大先輩である。
昔、「おばあちゃんのぽたぽた焼き」というお菓子があったのを覚えているだろうか。
私はこのお菓子が大好きで、よく食べていたものだが、何が好きだったかといえばやはり袋に書かれた「おばあちゃんの知恵袋」だった。
凄く当たり前に見えるものなのだが、実は知らない知恵ばかりで、その知恵を読むのがとても楽しかったのを覚えている。
おじいちゃん、おばあちゃんという存在は、自分の知らない昔なら当たり前のことを教えてくれる優しい人たちなのではないだろうか。
勿論人間だから変な人も沢山いるのもまた事実なのではあるが。

私の祖母の状態を見ていると、もうヨイヨイになって何も分からないような状態になってまで長生きして幸せなのかと思うこともある。
だが、元気で幸せに生きている高齢者を見ていると、いつまでも元気でいてほしいなと思う。
福島に住む知り合いのおばあちゃんも、教会で見かける元気なおじいちゃんも人生に張り合いを持って生きている。
確かに高齢化社会が進めば、私たちの負担も大きくなってくるが、それ以上におじいちゃん、おばあちゃんから色々教われることは幸せなことだ。

長生きすることは悪いことではない。
自分らしく最後まで笑って生きていき、命の火を消すことができれば、長生きすることもまた幸せ。

医療の発達で病気の延命治療は当たり前の時代だが、無理して生かされるのではなく、自分の時間としての寿命を生きること。
自分が生きた時間が生きたかった時間なのだから、長生きしたい人はやりたいことが沢山ある人だと思う。
私はそういう生き生きした高齢者を応援して、沢山のことを学んでいきたい。

長生きしたっていいじゃない

敬老の日なので、書かせて頂いた雑文です。
「お年寄りを大切にしましょう」とかいうのは綺麗ごとに聞こえますが、生き生きと生きるおじいちゃんやおばあちゃんは、これからも元気でいてほしいな、と思います。
不自然な長生きをさせるのには疑問を感じますが、やりたいことを楽しんでいる生き方をしている高齢者からは、学ぶこと多し。
「お年寄りの大切さを知りましょう」みたいな敬老の日は本当は必要ではなくて、自然と接しながら、いつも元気でいてくれてありがとう、色々学んでいるよ!という気持ちを常に持てればいいのではないかと思います。

長生きしたっていいじゃない

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-16

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