飼い猫が死んだ

11歳。猫にしては、天寿を全うしたほうだと思う。

発見したのは朝だった。
窓際で、日向ぼっこ中の姿のまま、猫の身体はピクリとも動かなくなっていた。
猫は死期が近づくと、死場を探して飼い主の元を去ることがあるらしいが、室内に閉じ込められては、それも叶わなかったのだろうか。

私は呆然としながらも、出勤時間が迫っていた為、家にあった段ボール箱にそっと遺体を置いて、家を出た。
寒空の下、冬のキンと張った風を受けて自転車を漕ぐ。

自分でも、驚く程に落ち着いていた。
これからのことについて考えを巡らせながら、まずは母親に連絡しないとな、とぼんやり思った。


*


昼休み、菓子パンを食べながら実家に電話をかけた。
死んだよと伝えると、しばらくの沈黙の後、鼻をすする音が聞こえてきた。


『そうかい』


涙を含んだ声だった。
私は携帯を持ち直して、パンをかじる。
ストラップに付いた鈴は、猫の首輪の鈴と同じ音をたてた。


「兄弟の中では、一番の長生きだったね」
『そうだね。他の子は、あんたが出て行ってすぐに死んじゃったからねぇ』


私が上京してくる時、一人暮らしが寂しくならないようにと、母親が連れていくよう勧めたのがあの子だ。
実家で飼っていた猫が産んだ子。
こっちの生活に慣れない頃は、心の支えになってくれた。


『哀しくないのかい』


母親のどこか訝しげな声に、指先が震えた。
チリン、と鈴が鳴る。


「……ごめん。職業柄、なのかな。まだ、泣けないんだ」
『……そうか。哀しいね』


哀しいよ。
私は目を瞑り、心の中で母に応じた。


「私って、薄情者なのかな」
『そんな事はないさ。きっとすぐに寂しくなって、大泣きするさね』
「はは、そうかもね」


腕時計に目をやる。そろそろ時間だ。


「ごめん、お母さん。そろそろ仕事に戻るわ」
『そう。あんま気に病まないで、またいつでも顔見せに来んしゃい』
「うん。じゃ、またね」


電話を切ると同時に、残りのパンを口に詰め込む。
同時に、ひょっと、所長の縦長の顔が扉の影から現れた。


「おぉい、次、やっちゃっとくれ」
「あ、はい」


私は携帯をツナギのポケットに突っ込んで、席を立った。


*


普段は、書類整理や電話応対などの事務仕事をしているが、ボタンを押す事、それも私の仕事だ。

コンクリートに囲まれた冷たい廊下を進むと、キャンキャン、必死に叫ぶ命の声が聞こえてくる。
身体にまとわりつく澱んだ空気。鼻につく獣臭。
私は、はぁ、と白い息を吐いた。

最初の内は、怖くて、哀しくて、耳を塞がないと足を動かせなかった。
今では私は凪いだ心のまま、廊下を進み、檻を開け、“彼等”を奥の部屋へと導く事ができる。
ただ今日だけは、後ろめたさが私の足を重くした。

母はああ言ってくれたけれど、きっと私は泣かないのだと思う。
置き去りにしてきた段ボール箱と、食べかけの餌を目の当たりにしても、泣けない。
何度も何度もこの仕事をこなしてきて、私はもう慣れてしまったのだ。
だから私は、泣いてはいけない。

そうこうしていると、彼等も私も、所定の位置に着いていた。
私は、ガラス越しに彼等を見下ろす。
生きたい、と必死に叫ぶ声は止まない。決して止まない。
黄色いボタンを押す。警告音が鳴り響き、頭上で、赤いランプが点滅する。
そして、ガラスの向こうで異変が起きる。
叫び声が大きくなる。鋼鉄の扉に激しく抵抗する音。

終焉を最後まで見届けること。
それが私にできる、せめてもの償いであり、彼等にとっての救いであると信じていた。
ポケットに触れると、チリチリッと、くぐもった音がする。


「ごめんね、さようなら」


言葉にした途端に胸に詰まるものが込み上げてきたけれど、それでも私の頬は乾いたままだった。

飼い猫が死んだ

2009.10.12
2013.9.11 加筆

飼い猫が死んだ

見届けるお話。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-15

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