時計仕掛けの長月草 壱(12/15更新
僕と君と長月草 1
“大丈夫、何も恐れることはない。”
僕は自分にそう言い聞かせた。
だって、そうだろ?痛いのはほんの一瞬だけで、その後はきっと、もう何も感じることはないだろう。そうして僕はようやく解放されるんだ。この腐り切った世界から…。
ごくりと唾を飲み込んで、一歩前に踏み出した。今まで見えなかった景色が、勢いよく目に飛び込んできた。
(………高い。)
反射的に半歩下がった。僕が思っていたよりもこの建物は高かったようだ。先ほど歩道から一見したときはそんなに高く感じなかったのだが…。
(やっぱり…無理だ。)
僕はくるりと身を翻した。
無理だ無理だ無理だ。やっぱり僕には無理だ。
こんな高い場所から飛び降りるなんて…絶対に無理だ。
(…帰ろう。)
そう思って僕は屋上のたった一つのドアへと早足で歩いた。さっきのまでとは打って変わってその足取りは軽かった。…やっぱり、僕はこんなことをしたいわけじゃないんだ。痛いのはほんの一瞬だけ?そんなのわからないじゃないか。もしも奇跡的に打ち所がよく、助かってしまったとしたら、これから一生何らかの障害をおって生きなければならなくなるかもしれない。しかも不慮の事故ではなく、故意に、しかも自ら障害を生み出して、後悔の念と共に生きるなんて絶対に嫌だ。それにこんな僕が障害までおってしまったら、それこそ世界のゴミという称号を得てしまうように思える…。
(そんなのはいやだ。)
…いいじゃないか、生きているの最高!今、こうして生きているってことだけでとても幸せなことじゃないか!生きたくても生きられない生命がこの世にいくつあると思ってるんだ?自ら命を投げ出すなんて、そんなことしちゃダメだろ!?
ドアの前まで辿り着いたところで、僕はピタリと足を止めた。
“…本当にいいのか?これで………。”
「帰ろう」って、どこへ?またあの口先だけの「家族」がいる場所へ「帰る」のか?そうしてまた明日、あの卑劣な「学校」という格差社会の中で怯えながら一日を過ごすのか?
昨日もそうだったじゃないか。建物は別だが、その高さに恐れをなして、「僕には無理だ」と断念し、息がつまるような「家」に戻った。そして今日、また「学校」でひどい扱いを受けたじゃないか。テスト明けのストレス発散と言われ、今日のはさらにひどかった。殴られ、蹴られ、水をかけられ…。
“…明日はどうなることか、わかったもんじゃない。”
ぎゅっと拳を握る。がくがくと体が震えた。
…それでも僕は「帰る」のか?
理不尽にもほどがあるあの場所に…。
つうっと、こめかみのあたりから、汗が吹き出した。
…嫌だ。帰りたくない…いや、戻りたくない!あんな場所!嫌だ嫌だ嫌だ…!
(…帰る場所なんて………僕にはもともとないじゃないか。)
「ふっ…。」と、僕はなんとも言えない奇妙な笑い方をした。僕は再度、体の向きをかえる。そしてゆっくりと足を前に出していく。
(…大丈夫……大丈夫だ。ちゃんと即死するように落ちれば……何の問題もない。)
……でも、やっぱり…僕は………。
足は前へ前へと進む。
一歩一歩を慎重に踏み出して…。
“………俺は…俺は解放されるんだ!自由になるんだ!この腐りきった世界から飛び立って!!もっと!自由な世界に!!!”
(…違う…い、嫌だっ……まだ、僕は………。)
少しずつ近づいてくる、僕のオワリ。
“さあ、もう新しい世界への入り口はすぐそこだ!恐れることはない、一気に飛び込め!!”
(い、嫌だ嫌だ嫌だ!!だ、誰かっ…!)
片足が建物の端にかかる。
“…ああ、腐りきった世界。それじゃあな………俺は…解放されるんだ!”
(僕は…嫌だ!誰かっ……誰かッ!)
助 ケ テ
「飛び降りるの?ここから。」
突然、凛とした声がその場に響いた。
予期していなかったその声に僕は驚き、パッと目を開いた。
「うわあっ!」
すると今度は、とある少女の顔がアップで僕の目に飛び込んできて、さらに驚いた。と同時にバランスを崩してしまって、僕の体が後ろに倒れていくのがわかった。
「えっ…ちょっ……!」
お、おおおお落ちるーーーーーー!!!
僕の体は見事に空間の上にあった。
(…しっ……死に、たくっ…ないっ!)
「………おおー、すごい。」
上から少女の声が聞こえた。
「なっ…な、な………なっ。」
「君、ナイス反射神経だね。」
少女は淡々とそのようなことを述べる。
「ちょ…おい!誰のせいでこんなことになったと思ってるんだーーーーー!」
僕は今、建物の側面に張りついている。
正確にいうと、先まで足をかけていた屋上の端を掴んで、落ちるのをギリギリ堪えている。
(………手が手が手がああああぁぁああ…!!!)
明らかに運動系でなく文化系な僕の手は、ほんの数秒、自らの全体重を支えているだけで、プルプルと小刻みに震えている。
(ちょ…これはマジで………ヤバい。)
顔から一気に血の気が引いていく。
上にいる少女はしゃがんで頬杖をついた。
「………なんだ、飛び降りるんじゃなかったの?」
「そっそれは…そっ………。」
少女の目が冷たい。
うまく言葉が出てこない。
ヤバい。
怖い。
落ちる。
怖い。
…し、死ぬ。
怖い。
「あ…ああああのっ………。」
「ん?」
そうだ、僕……言うんだ!
「…たっ………助けてくだしゃいっ。」
僕は涙目でそう言った。
少女は目を真ん丸にしてこちらを凝視した。
「あっ…あのぅ………はっはやく!」
「…え、ええ。」
少女はこちらに手を伸ばしてきた。僕はその手を掴もうとした。
…が、しかし。
少女の手は僕の手を通り過ぎ、僕の首根っこへと伸びた。
(………え?)
そのままぐいっと引っ張られ、僕の体は再び宙に浮いた。
「えぇええええぇえぇぇ~~~~~~~~!?」
ダンッとそのまま背中で僕は着地した。
「いってぇ!!!」
「…あら、ごめんなさい。受け身くらいとれるかと思っていたわ。」
平然と、顔色一つ変えずにそう言う少女を僕はキッと睨んだ。
そしてその時、僕は初めて、少女の顔をきちんと自分の脳内で認識する。
(…うわっ……すっごく美人……………!)
年は僕と同じくらいだろうか?いや、でもかなり大人っぽいから僕より何歳か年上かもしれない。
(…っていうか、さっきの何だ!?)
同じ年かどうかはこの際措いておくとして、こんな細身の少女が、いくら貧弱と言っても高校生男子である僕の体を片手で掴み、さらには宙へと投げることができるのだろうか?
(いや、どう考えても無理だろう………。)
…何だ、この少女は………。
「あ…えっと………助けてくださって、あ、ありがとうございました。」
少しばかり、少女のことを警戒しながら、屋上のコンクリートに膝をつけたまま、軽く頭を下げる。すると、少女が口を開いた。
「…少し聞きたいんだけど………。」
「え、あ、はい。どうぞ…。」
僕はとっさにその場に正座した。
「君…飛び降りたかったんじゃないの?」
「あ…それは………。」
「でも私に『助けて』って言ったわよね?」
「あ、あの…。」
「君、死にたいの?それとも生きたいの?」
「えっと………。」
少女が間髪入れずに質問してきたため、僕はただオロオロするばかりだった。
「………ねえ?どうなの?」
「え………え、えぇっと…そのっ。」
僕は俯いた。目に無味なコンクリートが映る。
(………どうなの?って言われても…よくわからない。)
確かに飛び降りようとした。僕は飛び降りたかった。
だけど助けを求めた。僕は落ちるのが怖かった。
死にたいのか、生きたいのか………。
その真意は………?
「………ねえ?」
少女のその声に僕は我に返り、バッと顔を上げた。と同時にまた彼女の顔が目の前にあることに驚く。
「うわぁあ!!」
「ひゃあ!!………ちょ、ちょっと、君。いきなり大きな声出さないでくれる?」
「あ、ああ…ご、ごめんなさい。」
「………で、どうなの?」
「えっと…死にたいのか生きたいのか、ってヤツのことですよね?」
「他に何があるの?」
「はあ…そうですね………えーっと…わからないんです。僕にも……………こんな世界から逃げ出したいのは本当だけど…今、ここから落ちそうになって、死にたくないと思いました……「死にたくない」=「生きたい」になるとは思いません。ただ、僕は死ぬのが怖かった…死にたくなかったんだと思います。えっと……だから、そのっ。」
何だ、その返答は。
矛盾しまくっているじゃないか。
(………絶対バカだと思われた………もしくはキチガイ。)
と、心の中でガックリと肩を落とす。
しかし、彼女からは意外な言葉が返ってきた。
「ふぅん………そうか。なるほど。君にも君自身のことがまだよくわかってないのか。」
「……え、えっと…あの。」
「最後にもう一回聞きたい。」
少女は真っ直ぐ、僕の瞳を見つめる。
僕はそんな少女の瞳に射抜かれた。
綺麗な漆黒の瞳が、その奥に妙な煌きをもって揺れている。
「君は、決して今すぐ死にたいわけではないんだね?」
彼女は僕の瞳から目をそらさない。
「あ…はい。」
腑抜けた声で僕は返答した。
すると彼女は今まで淡白だったその表情を、一変させた。
「そうか。よかった。」
(………か、かわいい…!)
ニッコリを笑った彼女に、思わず見とれてしまった。
「これで、私も自分の役割を果たすことができるわ。」
「え………?」
「君が矢口宗太郎くん…で、間違いないかな?」
「どっどうして僕の名前を…!?」
「どうやら間違いないようね。」
少女は立ち上がって僕に手を差し出す。
彼女は背中に大きな太陽を背負っていた。そのせいか、はたまた彼女の笑顔のせいか、眩しくて…僕は少し目を細める。
「私の名前は津雲花織。仕事関係で君のことを探していたんだ。」
「し、ごと………?」
彼女…津雲花織の手を掴み、立ち上がりながら聞き返した。
「そう。君のおじい様から依頼されていてね。もうじきその約束の日だから、探していたのよ。おじい様の家に住んでいると聞いていたのだけれど………その住所に君がいなかったから…結構探したのよ?これでも。」
「え?あ…えーっと………?」
待て待て待て。
色々と頭がついていかない。
津雲花織はおじいちゃんからの依頼で僕を探していた?
約束の日って何だ?
っていうか、何で前住んでいた家に僕がいなかったからって、今、こうして僕を見つけ出すことができたんだ!?
わからない………わからないことだらけだ。
僕はごくりとつばを飲み込む。
(………よよよよよ…よ~~~しっ!)
頑張れ!僕!
「………あの…少し………お聞きしてもいいですか?」
「どうぞ。」
「『君のおじい様』って言ってたけど………えーっと、それは僕の両親の………どっちの方のおじいちゃんなのかな?…名前、とかわかります?」
「ええ、わかるわよ。依頼主の名前だもの、覚えているに決まってるでしょ?依頼主は……………。」
彼女の口はそこで止まった。
……………。
(…な、何だ?この間は………!)
…………………。
………沈黙は続くばかり。
(…え?…何?………これってもしかして………?)
すると津雲花織は自身のスカートのポケットに手を突っ込み、ちらっと何かを覗き見た。その後サッとそれをポケットの中へと戻した。そして平然と言う。
「依頼主は矢口宗之助。君のおじい様だ。」
「覚えてなかったのかよ!!?」
そう突っ込まずにはいられなかった。
(…というか、僕とほとんど名前違わないんだけど………。)
「何言ってるの?君。ちゃんと言ったじゃない。あってるでしょ?」
「いやあってるけど!あってるけれども!!!問題はそこじゃなくてっ…今カンニングしただろ!!?」
僕は彼女のスカートのポケットあたりを指差して真実をつきつけた。
「………な、何を言っているのかしら?矢口宗一郎くん。」
「認めろぉ!!カンニングしただろ!?っていうか君、僕の名前もちゃんと覚えてなかったの!?」
なるほど………それじゃあおじいちゃんの名前も覚えられないわけだ。
「え?…あれ?君は矢口宗一郎くんじゃなかったけ?」
(………ああ…この子………実は残念キャラ…?)
ジト目で彼女を見ていると、彼女は少し慌てたように言った。
「あ…ああ!そうか、悪かった!君は宗二郎くんじゃなくて宗一郎くんだったね!!」
「………結局間違ってるし……………っていうか結論変わってないし…。」
はあっと僕は大きなため息をついた。
「えっ…えっと………。」
彼女はまたカンニングをしようと目を伏せる。
「…いいよ、そんなことしなくても……僕の名前は矢口宗太郎。いーい?宗一郎でも宗二郎でもなく、宗・太・郎!!」
「あ、ああ。宗太郎くんだったね………ごめん。」
しゅんとなる彼女を見て、今度は僕が少し慌ててしまう。
「あ、いや……別にいいんだけどさ………あ、質問の続き!!じゃあ…その…君、今何歳?」
「………何?ここにきて、いきなりナンパ?」
「はあ!?」
思わず大声をあげてしまった。
その結果、彼女はとても驚いたようで、ビクッと体を震わせた。
「…そ、そんなに大声をあげなくてもいいでしょう?冗談よ…。」
「じょ…冗談?」
(わっ…わかりにくい………。)
津雲花織はあまり表情を変えずに喋る。言葉にも色がなく、その真意が読み取りにくい。
「そうよ。冗談………で、質問の答えだけれど、私は今、十六歳よ。高校に通っていたならば、高校二年生。」
「おっ同じ年だったんだ………って、あれ?『高校に通っていたならば』って…?」
「言葉の通りよ。私は高校に通っていないわ。さっきも言った通り、私、仕事しているから。」
「………えーっと、仕事って何のー………いや、ちょっと待って。まずはさっきのことから問い詰めよう…。」
ブツブツと呟きながら自分にそう言い聞かせる。
「あのさ、君は今、依頼主は宗じいだって言ったけど………宗じいは僕が六歳の時に亡くなったんだよね…その宗じいが依頼主、って……どういうこと?君、まさかその時からその仕事をやっていた、なんて言わないよね?」
「そうね。その当時、確かに私は仕事をしていなかったわ。実際、私は依頼主に会ったこともないしね。」
「じゃあなん」
「この仕事ね、おばあ様から引き継いだの。」
津雲花織は僕の言葉を遮ってそう言った。
「つまり、矢口宗一郎さんから直接仕事の依頼を受けたのは私のおばあ様、津雲詩織ってわけ。で、継いだ私がその依頼も引き継いだわけよ。」
「…宗之助ね。僕のおじいちゃんは矢口宗之助。で、僕が宗太郎。」
…というか、どれだけ「宗一郎(架空人物)」が好きなんだ!?
「………失礼。」
津雲花織は渋い顔をして一言謝罪した。
「…うん………えっと…じゃあ、君がしているその仕事って何?」
「時計屋よ。」
「時計、屋………。」
じゃあ何か?
宗じいは僕に時計をプレゼントするために津雲花織のおばあさんに依頼したってことか?
「でも、何で今?宗じいが亡くなってもう十年もたったんだぞ?」
「ええ、そうね。でも、それが彼の依頼だったから。」
「依頼………。」
(…っていうか、時計もらっても別に何の役にも立たないけどなー………。)
そう思いながらポリポリと頭をかいた。
「………質問はそれだけ?」
津雲花織はまたずいっと僕の方に顔を寄せてきてそう言った。
「あ、ああ………っていうか、要は宗じいから頼まれて作った時計を僕に渡すってだけだろ?じゃあ早く時計渡してくれよ。そしたら君の仕事もすぐ終わ」
「ダメなの。」
彼女はまたもや僕の言葉を遮った。
「ダメなの…期限はまだ来てないわ。約束の日にならないと、あなたに渡せないのよ……依頼されたもの。」
彼女は少し口元を緩めた。
「…じゃあその期限って……約束の日っていつなんだよ?」
「明後日。」
「…あっそ。じゃあ僕は明後日君の店に行けばいいのかな?」
「そういうことになるわ。」
「じゃあ店の住所を教」
「残念だけど、お店の場所は教えられないの。」
「はあ?」
………おそらく僕は今、かなり怪訝そうな顔をしている。
時計を取りに来いというのに、肝心な店の場所を教えられない?
(…何を言ってるんだ………この女は。)
最初、彼女を認識した時に、見惚れていた自分を大変恥ずかしく思う。
人は見た目じゃない。
その言葉がことごとく身に染みる。
(…やっぱり………コイツ、なんか色々と怪しい…あと残念。)
また一つ、大きなため息をついて、僕は言った。
「…じゃあもういいよ。その依頼、なかったことにしてよ。」
「……え?」
「だってそうでしょ?時計を取りに来いというのに店の場所は教えられないって何なんだよ?大体、いきなり現れて『十年前に亡くなったおじいさんから依頼されている時計屋で-す』…みたいなこと言われても………ただ怪しいだけなんだよね。危うく流されて信じそうになってたけどさ、僕。」
そう言って僕は津雲花織をじっと睨みつけるように見つめた。
僕が津雲花織を信じるにはまだまだ、というか全くと言っていいほど、情報が少ない。しかも、真実か否かもわらかない。
彼女が僕を騙して何かしらの利益になることなんて、絶対にないと思うが………それでも、彼女を怪しまずにはいられない。
「………つまり、信じてないってこと?おじい様からの依頼のことや、私のこと………私が君を騙そうとしていると思っているの?」
「そうだ……さっきも言ったけど、怪しいんだよ、君。」
「…まあ、それもそうよね。もう十年も経っているのだし……こんな話、信憑性にかけるかしら?」
津雲花織は小さく首をかしげた。
そして彼女も、射抜くように真っ直ぐ、こちらを見てきた。
「けど、依頼のキャンセルは引き受けられないわ。」
「…どうして?」
「だって、依頼主はあくまで君のおじい様。君に依頼をキャンセルできる権限はないわ。」
「…仮にそうだとしても、受け取るか否かは僕の自由じゃないの?だから、僕はいらないって言ってるんだっ。」
「まあ、実のおじい様からの心のこもった依頼の品を受けらないというの?」
「だから、何で十年も経った今頃になってそんなもん渡しにくるんだよ?おかしいだろ!?どう考えても!!」
僕は少し声を荒立てた。
(………落ち着け、僕。)
何をそんなにイラついているんだ。
うまく話の通じない彼女に苛立っているのか?
それとも、十年も経ったのに、また宗じいのことを思い出させられたからか?
(………何にしても、落ち着け。僕…。)
今は、この現状を、どうするのかが先決だ。
僕は彼女を信じるべきか、信じないべきか………。
「……………わかったわ。じゃあ今から私の店に来る、っていうのはどう?」
唐突に、津雲花織がそう言った。
「………は?」
「まずは私が本当に時計屋だということの証明からしようかと思って。依頼品は渡せないけど、時計屋に来るのは全然OKだし。あ、でも、今から時計屋に行くと帰るときには外、真っ暗になっちゃうけど、大丈夫?親御さんに連絡しておく?それとも今日はやめておく?」
彼女はつらつらと言葉を並べた。
津雲花織が経営しているという時計屋に行く………。
確かに彼女がやっている時計屋を実際にこの目で見れば、彼女が時計屋であるということに関しては自分の中でも真実だと断定することができる。
少しは、彼女を信じる材料にはなる…。
(………これで、変な集団が集まってるアジトとかに連れて行かれたら、僕の人生も終わりだけど……………。)
………まあ、それでもいいか。
ひょっとしたら、僕の人生はさっきここで終わっていたかもしれないのだから。
僕の命を助けてくれた、目の前の彼女を、信じてみたいという気持ちもある………。
(………誰かを、信じたい気持ちも…まだ僕には残ってる……………。)
少しだけ、口元が緩んだ。
生きるか死ぬか、全てを彼女に託してみるのも、案外悪くないかもしれない。
死ぬときはどうやったって死ぬ、そういうものだと僕は思う。
それが、運命だと思う。
「運命だって変えてやる!」………みたいな、アニメの熱血主人公の言いそうなことなんて、文化系貧弱男子の僕には到底言えないことである。
僕は身を任せる、運命に。
自分の選択に。
彼女の選択に。
…全ての選択の先に待つ、運命に。
「今から行きたい。君の時計屋に…。」
さあ、僕の運命は、どこに行きつくのだろうか………―――――?
僕と君と長月草 2
“大丈夫、何も恐れることはない。”
僕は自分にそう言い聞かせた。
(………あれ?なんかデジャヴってる気がする…。)
そんなこんなで、どうも。矢口宗太郎です。
ええ、宗一郎じゃなくて宗太郎です。(ちなみにおじいちゃんは宗之助。)
ビルの屋上から飛び降りようとしていた僕を助けてくれた津雲花織という女の子は、時計屋をしていて、僕のおじいちゃん、宗じいから依頼を受け、僕を探していたという。
ところが宗じいはもう十年も前に亡くなっていて、正直今になって依頼がどうのと言われても、怪しいだけで信じられない。
特に僕は、属にいう「人間不信」というものが強く、今目の前を歩いている津雲花織のことも、まだ全くと言っていいほど信じていないのだが………。
「………おい、津雲花織。」
「何かしら?」
彼女はこちらを振り返りもせず、ただ足を前に進めながら返答した。
「僕は君を信じていない。」
「知っているわ。さっき聞いたもの。」
「だから少しでも確信を得たいために、君の時計屋に行きたいと言った。」
「ええ、わかっているわ、そんなこと。」
「………だけど……………何でこんな道通らないといけないんだよお!?」
僕と彼女が歩いているのは家と家の間によくある、コンクリートの塀の上である。
しかも、今通っている「道」は、家と家が密接していなく、進める足を少しでも踏み外せば、見事に「庭」に落ちてしまうのである。
「あら、足を踏み外すのが怖いの?さっきはあんな高いところから落ちるつもりだったのに?」
「それとこれとは話が別だっ!!というか、僕はもともと高いのが苦手なんだよ!!」
そう、僕が大丈夫な高さと言えば、椅子の上に立つくらいだ。
「なら飛び降り自殺なんて考えなければいいのに。」
「そっそれが一番、人に見つけてもらいやすいだろ!?」
「ああ、なるほど。例えば、密室の中で一人寂しくなくなった後、しばらく見つけてもらえない可能性もあるものね…あら?でも、誰かに用事があるからと言って呼び出しておけば、すぐに見つけてもらうことも可能なんじゃないの?」
「たっ…確かにそうだけど………よく知った人に死んだすぐあとの姿を見られるのは……ってか、そんな話どーでもいいんだよっ!!何でこんなところ通ってんの、僕ら!!」
「何でって…私のお店に行きたいのでしょ?」
「行きたいよ?行きたいけどさ!もうちょっと先に曲がり角あったじゃん!そっちから行けばいいじゃん!何でここ!?」
「…ちょっと、声大きい………響くから叫ばないでちょうだい。」
「誰のせいだと思ってんの!!?」
僕は今日最大の声を張り上げた。
前を行く津雲花織は、はあっと大きなため息をついた。
「まあ、話はお店についたらするわ。もうすぐだからついてきて。」
そう言い終えると、彼女は歩くペースをあげた。
慌てて僕は彼女と同じペースで歩き出す。
…もちろん、その足取りは慎重に。
その後も津雲花織の選ぶ「道」は、とてつもないところばかりだった。
人一人がやっと通れるくらいの裏路地や、整備されていない苔の生えた石階段。細く急な上り坂に、最後はまたまた塀の上。
「………あれか?…き、君は僕をネコか何かと勘違いしているのか!?」
「そんなことないわよ。君は列記とした人間、むしろそれ以外に見えない。」
「じゃあもう少し人としての道を選んでくれませんかね?」
「あら、私に道徳を説くの?」
「そういう意味じゃないから!!」
あー、もう…本当に何なんだ、この女は。
あえてこういう返答をしているのか、はたまた素でこうなのか………それがわからないから余計に厄介だ。
「…さ、着いたわよ。」
そう言って彼女は僕の視界から姿を消した。塀の端から飛び降りたのだ。
僕も彼女のあとを追い、へっぴり腰で塀から降りる。
「ようこそ、時計屋『長月草(ながつきそう)』へ。」
津雲花織はぺこりと頭を下げた。
時計仕掛けの長月草 壱(12/15更新
こんにちは。浅葱純恋(アサギ スミレ)です。
初めての小説投稿です。
一応長編(?)がかけたらいいな、と思っています。
投稿ペースはゆっくりだと思いますが、読んでいただけると光栄です。