なおちゃんの恋人

ふるさと、あやとり

いきなり仕事がなくなった。
請け負っていた雑誌の編集。中流の主婦向けの生活やファッションの雑誌の。編集長が昨今の雑誌の売れ行きの低迷と、中流層が減っているという説明をしたあとで、「替わりに」といって製薬会社のPR誌をやらないか?と新しい仕事をすすめていた、ちょうどその時もフェイスブックが気になっていた。
「そういえば何年もゆっくりと実家に帰ってなかったなあ」
仕事・家事・子どもの行事・仕事・家事・子どもの行事・それらをサンドイッチして積み上げた高さは東京タワーにもなるくらい。故郷ってものは、私が捨てても私を捨てないだろうと、故郷がイヤなわけではなく自分を育てた土の中には根が残っているような、そう思っていたから、なんとなくゆっくりと帰りたくなった。
故郷には思うような仕事がなかったしそれは具体的に何かと聞かれたら、マクドナルドのテレビCMが流れるのに街にはそれがなかったり、ドラマでみるような高層ビルが乱立していなかったり、つまりそういうこと。
とはいえ、好きな仕事の雑誌、雑誌不況が回復する様子などなく、委託で受けていた仕事も少なくなって、なくなった。「なおちゃんごめん、休刊なんだ」と編集長が言ってきて。あまり美味しいとも感じない珈琲をプラスチックカップで飲みながら、なんだか遠くのほうでお寺の鐘のようなゴーンという鈍い音が聞こえたような気がした。製薬会社の話はあまり耳に入ってこず、さっきフェイスブックで見た明け方の故郷の川を思い出していた。結局、あの橋はどうなったんだ?
その橋というのは木造の古い橋のこと。よくもまあ、あんな古い橋を行ったり来たりできたもんだ。
最終号の撮影やライターとの打ち合わせ、お料理ページやお店の紹介、派手ではないけれどまかされていたページは今の自分にぴったりの、こんなにもあっけなく終わりがくるとは思ってもみなかった仕事。あたまのなかでは、グリーンピースとじゃがいもの冷製スープの写真とクレヨンで描いたような文字、小さなイラスト、そんなことを考えながら。
冷静に最後にふさわしいものかどうかさぐっていた。
 少しの健康情報と薬の効能が8割のその冊子はそんなに遠くないはずだけど、飽きたんだろうか、手配という名の編集をもう辞めてみたいと思った。カメラマンは写真を、料理研究家は料理を、良く考えると自分はなんのプロフェッショナルでもなかった。
 自宅に帰ると猫を抱いたひとり娘のマトリと、夫のヨシノリが出てきて、マトリはもう立派な高校1年だというのに、パパにパンツを洗わせて干させて自分は猫とたわむれている。
 かくかくしかじかと、ヨシノリの料理を食べながら事の顛末を話す。
 「えー、マジで。そういえばママの作ってる雑誌、周りで買ってる人いなかったもんね、」こういうときにずけずけとものを言うマトリの、学校での友達づきあいを心配しながら、「ママが仕事にあぶれちゃうよ」というと、ヨシノリは「それは困るよ、僕だけが働き続けるなんて」という。
 ご飯や掃除や洗濯やそういったルーティーンをあまり文句を言わずにやってくれたヨシノリがいたからこそ、この家は回っていた。Iphoneでフェイスブックをチェック。懐かしの川にコメントを入れてみる。「そこの上流の橋は今も健在?」その写真は居酒屋をしている男友達が撮ったものだけど、写真には昔からなじみの彼が見てたってことも含まれて、それは胸苦しくなった。
河口にある橋は川が見えないほどのデカい橋になったけど、細い木造の橋は今も渡れるのだろうか。明け方の川の風景なんて見た事なかったし、こんなカタチで見れるとも思ってなかった時代も変わって、
 巡礼ブームだっていうけど、そう、過去に出会った人や友達になりたくてなれなかった人にもう一度会うってこと。そういう失業時間もいいんじゃないかって、
そうやって、巡礼の旅は始まった。
巡礼の旅はやがてリアルに進んでいった。
「あの橋は取り壊されたよ。」そうやって書いてきたユウコに会ってみることになった。ユウコはあの橋が撤去されたことを教えてくれて、そのついでに、ちょっと呑みにでもと誘ってみた。そうやって会うとどうして深刻な話にいきなりなっちゃうんだろうね。ユウコは未婚でひとり暮らしで年収は200万未満でまだ親もとに住み、クルマはなく趣味もなく、実は唯一、贅沢なことは職場が空調の効いた図書館であるで、隠し事は高校時代の彼氏が結婚したと言うのにまだあきらめきれなくて
たまに連絡をしているということだったが、そういうことは珍しい話ではなく、その図書館に、そいつの娘が足しげく通ってきてるということだった。その娘はまた幼稚園で、読み聞かせには必ず一番前を陣取って聞いていて、本好きなんですと母親が微笑んでいるというその絵を毎週見るのが、なんとも嫌でしょうがないのだという。
「狭いね、この街は」
狭いんだよ、この街は。そうやって、ほとんどの会話は締めくくられる。
本の貸し借りや質問の受付を担当しながら、手と財布ばかりを眺めている。バーコードの読み取り音はこだまする。もう、40歳でこのまま独身かなとこぼした。
 仕事は開館準備から5時と昼から閉館夜9時までの2つのシフトで動いている。仕事が終われば帰る日々。気分転換に家を出て新しい彼氏兼同居人を探してみたら?といい加減な提案をしたり。
ねえねえ、エイコちゃんが離婚したの知ってる?
え~、なんで。
なんかさ、わらっちゃうよ。エイコたらどっかの遠い国、たしかアフガンだったかな、その戦争を反対するってデモに出て帰んなかったんだって。それでひさびさに帰ったら大ゲンカ。
「おまえが自由にデモなんかに参加できんのは、俺が働いているからだろうって、言われたんだって。笑っちゃうよね。
「笑うの?そこ。で?」
「さらに、気楽だから反対できるんだって、しがらみがないって言われて、逆上して、わかりました、出ていきます、って出ちゃったって。」
「やだ、エイコからそんな連絡ないよ」
「忙しいんじゃない?エイコはデモで知り合った人と付き合っててさ。それから、映画を撮りたいって騒いでたから」そういってユウコはからからと笑った。
「あ、エイコがエキストラのバイト探してたよ。やったら?」

なおちゃんの恋人

なおちゃんの恋人

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-11

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