虹のコヨーテ

虹のコヨーテ

『虹のコヨーテ』のための若干の準備運動#1

『虹のコヨーテ』のための若干の準備運動#1

 いにしえの昔、ディネの男たちとアステカの民はコヨーテを「歌う犬」と呼び、いたずら好きの神として敬った。彼らはコヨーテが太陽と死と雷とたばこをもたらしたと信じて疑わなかった。


 Who is the Coyote?
 
 I already answered that question.
 I am the Aimless Coyote.
 Why am I aimless?
 Beats me.

 If I had a coherent answer,
 I wouldn't be aimless, now would I?

 Where?
 Somewhere in JAPAN
 Coyotes live most everywhere,
 Even Tokyo City.
 Coy is everywhere!

 When?
 About five minutes ago.
 And in 1977.

 Why?
 Why not?
 Because the internet needs
 Another rambling website.
 Don't you agree?


『虹のコヨーテ』のための若干の準備運動#1



 ディネの男
 ディネの男は「水を汲んでくる」とだけ言い残してトパンガ・ムーンに行ったきり、帰ってこない。もう11年になる。彼の1958年型フォード・エドセルはガレージで埃をかぶったままだ。 バッテリーは溶けて跡形もないし、4本のタイヤはすべて空気が抜けてぺしゃんこなうえに乾いてひび割れ、エンジン・ルームは鼠どもの寝倉に変わり果てている。
 11年のあいだ、月の美しい夜は月を見上げ、雨の日は雨粒を数え、風の強い日はディネの男の人なつこい笑顔を思いだした。そして、杯を傾けた。何杯も。そうだ。何杯も何杯もだ。そうとでもしなければやりすごせないほど風向きの悪い11年間だった。この11年間に関するかぎり、「風向きもいつかは変わる」というのは大うそだ。これっぽっちも変わってやしない。事態は悪くなるいっぽうのようにさえ思える。強い南風が吹きつける七里ヶ浜駐車場のレフト・サイドに丸一日立ちつくしたこともあるが、答えらしいものはなにひとつみつからなかった。答えは風の中なんかにはないんだ。きっと。
 11年。多くの人々が通りすぎ、色々なものが壊れた。妻と飼犬の死。ビートニク・ガールの消滅とマッキントッシュMC275の経年劣化による引退。ベニー・グッドマン『Memories of You』のEP盤はスクラッチ・ノイズしか聴こえなくなった。40年以上も付き合いのある左の前歯は一昨日するりと抜け落ちた。
 見上げた月とカウントした雨粒とかさねた杯はいったいどれくらいになるか。3年目の冬で数えるのはやめた。それでも、いつかディネの男と再会できる日がくると信じる。再会を待つ。再会の場所が炎のただ中であったとしても、私はけっして尻込みしない。ディネの男とともに炎の中心に立つ。 ディネの男との再会の日までに、目を背け、置き去りにしていたことどもと向かい合う勇気を取りもどそう。まだ遅くはない。まだ間に合う。まだ旅は終わっていない。まだ旅はつづく。まだ息をすることができる。
 わが名は月で酔いどれるカタジュタの男。ホピとチェロキーとナバホの友人が一人ずついる。ディジュリドゥは楊枝がわりだ。トパンガ・ケイヨン・ロードは200mile/hでぶっ飛ばす! セヴンナップを1日に1ダース飲む!

虹のコヨーテ

虹のコヨーテ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-10

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