二〇一三年、秋の只中
わたしは先日、寺山修司の墓参りへ出かけた
無論、それは古本市にしずかに並んで居る
彼の墓標をめくり、言葉尻にどっかりと腰を落ちつけてみれば
もはや家なんてものは、影も形も骨組みすらとどめておりませんで
土台確かなのは、
家出なんて騒いでいる場合じゃない時代が
水平線からやってきてしまった
現実であります。
田舎はとうに
時をきざむ柱時計も、畳が纏う黴臭さも
お天道さまの日で枯れてしまったようなのです
二〇一三年、秋の只中
わたしは先日、寺山修司の墓参りへ出かけた
無論、それは古本市にしずかに並んで居る
彼の墓標をめくり、言葉尻にどっかりと腰を落ちつけてみれば
もはや家なんてものは、影も形も骨組みすらとどめておりませんで
土台確かなのは、
家出なんて騒いでいる場合じゃない時代が
水平線からやってきてしまった
現実であります。
田舎はとうに
時をきざむ柱時計も、畳が纏う黴臭さも
お天道さまの日で枯れてしまったようなのです
二〇一三年、秋の只中