恋愛不得手主義

 
 いやあ、世間広しというなれど、恋愛風情など、軽々しくも石っころの如くそこいらに点在し、野郎も女人も引く手数多の地蜘蛛さながら獲物を待ち伏せ、自慢の色気を売り捌くチャンスとばかり、密やかに涎を垂らすが今も昔というものです。その景色は千差万別と申せましょうが、百人一重と歌狂いの故人様すら、「あの人がこない」だわ「結ばれぬ運命」だわ「月夜が」「袖が」「魚がすっぽんが馬糞が云々」だわだわ、詠んでみようが来ぬ人ばかりに、きゃっきゃキャッキャと一喜一憂、黄色い悲鳴があっちでもこっちでも乱立する木霊のよう。千年経とうと人の性、いやあ、アイドル凱旋に東奔西走、上へも下へも破竹の破顔で、よもや地獄の底まで追っ掛けまくるか現代の若気も、十ニ分に負けず劣らずでござりまするが。
 まさしく時代とは、色恋模様の映し鏡のようであります。

 ところがどっこい、都会ネオンに焦がれた性だか、ネットの網が脳髄奥まで絡んだ性か、巷で昨今、流行り男児のモデルといやあ「草食系」やら「ロールキャベツ」やら、まるでベジタリアンのプレート掲げてはにかむ笑顔に、己の心持がキュンキュンと音立ててときめきやがる有り様でして、見兼ねた女児は「時はいま!」かとサバンナ張りの雄叫び轟く八重歯むき出し、尻尾ふりふり内股で逃げるシマウマ男子に節操もなく飛び掛かり放題し放題なのであります。いやぁ、却って元気があって宜しいようで。
 おまけと言っちゃあ、野郎が化粧にヅラして時折ブラジャーまでして武装して、渋谷、原宿を筆頭に、果ては全国跨ぐ薄型テレビの三次元下をひょいと飛越し、大股開いてのさばりやがる。はためくスカート、弾けるシリコン、
「ど○だけ~」
「ど○すこ♪」
 歌舞伎か!
 傾いてるのか!
 これが先進国家の流行か!
 男色様も女装家殿も、遂に住みよい未来がやって参りましたわ。一躍時代のパイオニア。
 「アングラよ、死ぬな!」
かつて新宿二丁目や日暮里等の陰気な狭間で、行っちゃあならぬ雰囲気纏った赤テント張りの非現実が、劇場の壁という壁を破り、もはや、日常を生きる恋愛模様の一挙手一投足にも、深々と暗雲垂れ込んでいるが現状であります。
 いったい全体、何がどうしたというか。
 男心よ、女心よ。
 地軸が捻れ、時間が逆上がりでも始めたか。

 潮流にのめり損ねた心優しき平和主義者よ、彼らは、都市ジャングルで猛禽類化した現代女子の猛威を恐れ、はたまたオトコの娘らの甘ったるいチャーミングさに嫌気が差したか、腐臭に誘われ、遂には“永遠の片想い”「虹(二次)の新世界」へと漕ぎ出すのであります。
 彼らほど勤勉な者はいないだろう。毎日、架空の嫁や婿殿へ惜しみなく愛情を注ぎ、暇さえあらば恋人閣下の妄想談義に耽り、それでいて終始、見返り求めぬ低姿勢。いいや、請えるかどうかは愚問そのもの。未だかつて、これ程までな愛情家が一体何処にいたというのか。答えは否、断じて否である。
 しかし、だ。しかしながら又、彼らほどの浮気者も他に類をみない。溺愛の裏返しからか、実らぬロマンに愛想が尽きたか、魅力溢るる美男美女らが、まるでベルトコンベアー式に眼前を過ぎる刹那的オタク文化の荒波に負け、恋に恋するセンサーが、ピコンバッコン乱反射しては、昨日の嫁から明日の嫁へ心変わるも、故人曰く、「行く河のながれは」何ちゃらが如く、又、仕方がないことなのやも知れません。

 いやあ、そうこう様々思慮を巡らせ、こうしてお小言並べてみたはいいものの、浮世の恋愛とは何と命懸けな賭け事でありましょうか。その代償の巨大さに目を丸くしたが故、貴方様もきっと“恋愛不得手主義”の仲間入りを熱望するに至ったに違いありません。
 いやいや、案ずることはない。我々はまだ奥の手を残しております。現実じゃない。バーチャルでもない。抱える頭の痛手すら届かぬ“夢”の楽園へ。
 そうです、一夜の情事へ。

 枕片手に颯爽と繰り出そうではありませんか。



(以上、一六〇〇字)

恋愛不得手主義

恋愛不得手主義

小説というより”小噺”でしょうか。 「いやあ、世間広しというなれど、恋愛風情など、軽々しくも ・・・・・・」

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-09

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