ハトの悩み

ハトの悩み

 ポルカはハトである。
 彼は自然の中ではなく、1人の人間の家で生まれ育った。足首についた刻印が、この家の者である証だ。
 ポルカの主な仕事は、人間が書いた“手紙”という物を運ぶことだ。足首には手紙を取り付ける装置がついており、そこに手紙をつけて空を飛ぶ。ポルカのようなハトは生まれた時から様々なルートを頭に叩き込まれる。彼等はすぐに覚え、間違えることは無い。任務を終えると、ハト達は真っすぐ元の家に戻って来るのだ。
 果たして、このポルカというハトは何年この仕事を続けているだろう。彼はこの業界では大ベテラン、有名人で言えば黒澤明氏のような存在だった。彼の仕事の速さは業界1で、人間、そして他のハトからも慕われている。以前同業者に、何故そんなに仕事が速いのかと聞かれたことがあった。そのときポルカは、
「この仕事に、ドラマを見いだしたからだ」
 と答えた。
 単調な気持ちでは、どんな仕事にも身が入らない。手紙を持ち、人と人の間を行き来する。その仕事で1人の心が救われることもあれば、世界中の人々が助かることもある。だからこそこの仕事を疎かにしてはならないのだ。
 今日もポルカは1通の手紙を持って空へ飛び立つ。今回の手紙は主の古い友人に宛てられたものだ。何でもここ数年直接会っていないとか。この手紙は、もう1度その友人に会うための架け橋となるわけだ。
 場所はすぐにわかった。家を出てから2時間ほど飛ぶと、そこに小さな森がある。友人は元狩人であり、その中の小屋に住んでいる。今も記念品の斧や猟銃の手入れをしている。ポルカが男に近づくと、長年の癖で彼は持っていた猟銃の銃口をポルカに向けた。だがすぐにそれを下ろし、1羽のハトを温かく迎え入れた。
「すまんすまん、ポルカだったか」
「申し訳ありません、脅かしてしまって」
 ポルカが慕われている理由はもう1つあった。
 彼には、人と会話する能力が備わっていたのだ。人と話すには人間の言葉を学ぶ必要があるのだが、このハトは僅か3年でそれをマスターしてしまったのだ。また、人間語を理解したポルカは様々な書物を閲覧するようになった。おそらくそこらの人間よりも知識量は多いだろう。
 それ故に、ポルカは毎日思考し続けるハトになってしまった。気がついたら何かを考えている、そんなハトである。
「どうだ、何か飲んでいくか?」
「ええ。私ももう歳で。若い頃はこのくらいの距離なら簡単に飛べたのに」
「それが生き物だ。物は修理すれば治るが、生き物は新品同様には治せない。物はすぐに取り替えられるが、生き物は取り替えが出来ない」
 そのことが、ポルカにとっては至極不思議なことに思えた。主は優しい人間だから、こんな老いぼれハトでもずっと使ってくれるが、他の家ではそうもいかないらしく、1羽が使えなくなるとすぐに新しく若いハトと取り替えられてしまうという。
 ハトだけではない。ニワトリや牛、豚など、人間様の食べ物になる動物達は、1匹に問題が起きると一斉に殺処分されてしまう。熊のような大きな動物も、人間の町に降りてくるとすぐに撃たれる。確かに、彼等の中には人間を襲った者もいるが、そうでなくとも、たとえ、人間の地に降りて来ただけでも撃たれてしまうことがある。人間界で【生物多様性】なる言葉が流行っていたらしいが、その言葉も看板だけのものとなってしまったように思う。
 狩人はポルカに米と茶を出した。ポルカはお辞儀するとそれらを口にした。
「どうしたポルカよ? 何をそんなに悩んでいる?」
「いえ。我らは、人間にとってどんな存在なのだろうと思いまして」
「またそれか。お前達は私の友も同じだ」
「あなたはそう言ってくれますが、他の人間はどうなのでしょう? 我々動物は、道具、それか……人間の命を脅かす存在に過ぎないのではないでしょうか」
 狩人は悩んだ。
 自分も嘗ては動物達を仕留め、動物達の命を貰っていたからだ。狩人を辞めたのはポルカに会ってからだった。
「ああ、すいません、変なことを」
「いいや、そんなことは無い。思考は最高の宝だ」
 手紙を渡すと、ポルカは狩人の家をあとにした。
 この後はただ家に戻るだけだ。自分は良い。帰る家があるのだから。公園でぼーっとしているハト達は、ポルカに向かって何か喚いている。自分達と違って休む場所がある、迎え入れてくれる者がいるポルカ達が羨ましいのだ。僻みから文句ばかり言っている彼等が、ポルカには哀れに見えた。同じハトなのに、生まれた場所が違うだけでこうも変わってしまうのか。
 少し飛ぶが、今日は何だか飛び辛い。
 風だ。
 風が、自分の行く手を阻んでいるのだ。目に見えぬ壁がポルカのペースを崩した。これでは違う場所に飛ばされてしまう。何処か休める場所は無いかと探していると、近くに人間達の住まいが見つかった。マンションというヤツだ。ポルカはそこのベランダに着地し、呼吸を整えた。
「ふぅ、酷い風だ。嵐が近づいているのか?」
 空を見て風を読む。まだまだ飛ぶのは難しそうだ。
 疲れが大分溜まっていたのか、ポルカはその場にしゃがみ込んだ。ちょうど影になっている場所が会ったので、そこで涼むことにした。
 暇つぶしにと窓越しに部屋の中を見ると、中には様々な装置が取り付けられており、床の上では人間が気持ち良さそうに昼寝していた。
 文明の進化が、人間を最強の種族に変えた。彼等が今この世界の主導権を握っているのは優れた技術を持っているからだ。それ以外の生物は、彼等と同盟を組むことで生きながらえるか、或いはこれまで通りの生活を求めて死ぬかのどちらかだ。どちらを選んだかで、他の種族の存亡が決まるわけだ。
 おかしいことだ。皆同じ生き物だというのに。何故このような、人間が支配者として君臨する体勢が出来上がったのだろう。人間は人間で、支配・被支配の関係に文句を言っているが、他種族も同じ気持ちである。
 自分が世界変革の先駆けとなろうかと考えたこともあったが、所詮「喋るハト」として見せ物にされるだけだと思い、諦めた。そもそも自分は今も人間の主に養われている身ではないか。世直しとは、幼い頃から自分を可愛がってくれたその主に対して失礼なのではないか。
 ひとつ考え始めると、その考えが木の根っこのように枝分かれしてゆく。気づけば日が沈みかけている。そろそろ帰らなければ。
 ポルカは1度背伸びをしてから、主の家へと再び飛び立った。
 下では相変わらず、野生に生きることを選んだハト達の嘆きが聞こえる。哀れに思えた彼等の姿も、何故か今度はとっても羨ましく思えて来た。自分もあそこに生まれていれば、こんなに思考しなくて済んだかもしれない。
 思考は最高の宝だとあの狩人は言ったが、思考は時に自身を苦しめる。考える度に増幅する悩み。それから何度解放されたいと思ったことか。
 ……そんなことを考えながら、ポルカは今日も空を飛ぶ。

ハトの悩み

家のベランダに来たハトが、何だか考え事をしているような顔をしていたのを見て、そこからこの話を考えた。
結局何がテーマだったのだろう。考えると頭が痛くなってくる。この辺で、1度考えるのをやめてみようか。

ハトの悩み

家にハトが滞在した記念の小説です。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-09

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