残像は消えた街の喪われたあと、トゥーランドットのパヴァーヌは高らかに流れ
2011年6月、『七つの交響的断章?』から約一年の時を経て、少年の生を再び書かなくてはならない、と思った。
生に希望というものがあるなら、それこそ一縷でしかない。
それでも生を求める、一人の少年の姿。
8・6、3・11、そして、再び過ちを繰り返さないために――。
全人類に捧ぐ、再びのレクイエム。
※『七つの交響的断章、あるいはキリエ/間もなく翼を無くした鳩の悲鳴がラルゴで……』の続編です。
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その爆音に眼球までが痺れた。
八月十五日。
空襲だ。空襲だ。僕は叫び続けた。細切れに崩壊していく街。ルツィファーが天空にその翼を広げ、滑空しながら灼熱の煉獄を街に投射していくのが見えた。
終わった。全てがそのはずだった。いや、やはりあれは終わりだったのだ。悲劇の第一幕は閉じられたのだ。第一幕は、こうして僕の世界の中でロールしループを続ける展開だった。「存在」する少女。街。ルツィファー。翼を亡くした鳩の悲鳴がラルゴで終わるのだった。それでまた序章に戻り、僕は声帯が裂けるまで叫び続けるのだ。同じはずの世界で、声を形成できなくなるまで金切り声を上げ、人々の流れを形成しようとしているのだ。僕はまだ叫び続けていた。
膨大な情報量が僕の頭の中を支配している。螺旋状の階段の上に僕は立っている。
僕は何度も何度もそこで目覚め、僕は何度も何度もそこで死んだことを、身体の落ちていく感覚を以って記憶していた。幾度も再生する世界は、その先を予見する僕にとっては奇跡的でも何でもないものだった。
ただ一つ予見し得ぬものがあった。それは因果律に従い変化していく世界。数列的に時が流れるのを追い、誤謬の無い世界を形成する。そのはずだった。だがそれが誤謬だった。ただ叫び続けることによって救済は訪れるのだと思っていた。
一年が経ち、砂漠と化した街に、再びミヒャエルの光が齎された。再び緑は戻らないであろうと悲嘆された街に、姫は再呈された。人々は生命の紡ぎ出す輪舞曲に合わせて廻り始めた。そして世界が動き出した。
僕はその世界に絡み取られるのを免れず、何もかもが失われた空白の時間を生きることになった。ただ、じっと見ている――それだけの日々を生きることになった。しかしそれは同時に、思惟の日々でもあった。僕はどこから来たのか。僕は誰なのか。
何十年熟考しても、その問いに答えを出すことができなかった。演繹はその下部演繹が次の演繹を生み、あるいは帰納が新しいパラドックスを生み出すのだった。論理で捉えられる問題ではない、ということを考えるに至ってもまだ、その蟻地獄から這い出ることはできなかった。
空襲だ、空襲だ、空襲だ、空襲だ……。
誰もそんなことを望んでなんかいないというのに、僕は閉ざされた口の中で、ウー、ウー、と唸り続けた。恐怖心に駆られていて酷く怯えていたのだ。なぜ恐怖心がそのような言葉を生み出すのか、僕には分からなかった。
四人で囲まれた四角い地形の中で絶叫するミヒャエルのアリア――世界の隅々、あらゆるものを響かしめるシンバルの音が聞こえ……翼の無い鳩は自らの身体を炎にて止血し……絶叫が聞こえ……何十も何百にも何千にもおぞましい悪魔の声が重なり……間もなく翼を無くした鳩の悲鳴がラルゴでそのアリアを……苦しみを……ミヒャエルの変態は斯くしてルツィファーに還る……。
故にあの日、僕はルツィファーをミヒャエルと誤認した。誤認せざるを得なかったほど、あの日の太陽が恐ろしいまでに照りつけていた。
光体の神曲は新たに編成される。満ち上がり溢れだす楽興。
僕はその中枢である博物館を訪れた。木枯らしは地面を撫ぜるように、それでも過去と現在を分つかのように、清冽に、けれど凄烈な音を立てながら、落ち葉を回すように掻き溶いていく。微かに震えながら流されていく色あせたいくつかの落ち葉。
扉を開けると、そこには少し臀部の大きい人形があった。簡単な作りから成る球体間接人形だった。ハンス・ベルメールの作品を彷彿とさせた。
瞳があった。瞳は僕を見ていた。瞳は笑わなかった。瞳が動く。
動いているのは瞳ではなく、体そのものだった。上半身がぐるりと回転し、それに瞳の輝きが付随したまでだった。
僕は僕自身を俯瞰しているような不気味さを感じながら、身体を前に進めた。その人形を媒介として、僕の通路が作られているのかもしれない、というおぞましさ。いや、まさかそんなことは無いだろう。
なぜなら、人形が振り向き――少女の顔を呈した。
別段驚く必要も無い。人形の仮細胞の一つ一つが顔全体の表皮から、僕の頭の奥底に佇む記憶を取り戻そうとしているだけに過ぎないのだから。瞳は潔白だ。
再び関節を回した人形は短剣の様な握物を手にしていた。眼の焦点がぶれるように、人形の腕がゆっくりと上に持ち上がる。ただ関節の動きが悪いというよりも、それはまるで、何年も動いていなかったことの形容であるかのように見えた。そしてその手が一気に振り落とされる。
音も無く、僕の眼前に人形が一つ落ちてきた。汚らわしい髪が足の先まで伸びた、不気味な人形だった。内面の全容こそ知ることはできなかったが、その髪の間から覗くは、どす黒い瞳。全てを予見し終えた日のような。
言葉は無かった。暗示のようにも見て取れたし、僕を戦慄せしめるだけの道具かも知れなかった。ただ、その人形の黒い眼は、凡そ僕の知識を上回るもの、全てを知る。
その視線の先を、見てしまった。定まらない僕の眼線の先。
人形たちは再びざわめき始めた。彼ら或いは彼女らは輪舞をしながら叫ぶ。その囁きが聞こえる。
マタ悪魔ガヤッテクルヨ。僕タチ私タチハドウシヨウ。死ヌヨ。死ヌヨ。殺サレルヨ。ドウシヨウドウシヨウドウシヨウ。ドウシヨウドウシヨウドウシヨウ。
僕は彼ら或いは彼女らに近づいた。耳のすぐ傍で人形たちが呻いている。かと思うと、人形たちは鼓膜を劈くような悲鳴を上げた。
悲鳴が重なり合って、何を訴えているのか全く分からない状況になった。僕は声を出した。だがそれさえも、人形たちの悲鳴で僕の耳に聞こえなかった。
やめてくれやめてくれやめてくれと僕は叫び続けた。蓋し必然性のある叫びとは分かっていながら。
遠い海の向こうで、死んだはずのルツィファーが息を取り戻す。否、ルツィファーは死んでなどいない。まだ生きている。
水平線の上から新しい光が現れた。僕はそれをぼんやりと見つめていた。なるほどルツィファーもミヒャエルの輝きを放つのだ。今になって誤認の意味がようやく分かってきたような気がした。
それから何度も何度も、光は落ちてまた昇るのを繰り返した。光が落ちるたびに、人々は僕の近くに並んだ。段々とその数を増す人々。だが、そこにはもう少女の姿はなかった。
何年か経ってから、不思議なことが起きた。海辺が緑で包まれた日のことだった。光が落ちてから、突然、辺り一面が光で覆われた。
それはまさにルツィファーが作った光の姿であった。九月十一日におけるカールハインツ・シュトックハウゼンの誤謬が、真逆になって現前したのだった。
斯くレクイエムの祈りは折れた。
街の中で死んでいた僕は、再び叫ぶ時を迎えた。
今や夥しい光が、膨大な情報量を伴って地の上を走り廻っていた。とめどなく溢れる光が覆い尽くした世界に、ルツィファーの姿が現れた。
ルツィファーが翼を広げ、人々と手を取る。だが人々は手に取った光がルツィファーのものだと知らなかった。いや、ルツィファーということは分かっているのかもしれない。だが人々はルツィファーが受胎した怒りを知らない。それだけは、確固たる事実である。
僕は人々に向かって、必死に叫んだ。叫ぶことしかできず、手を出すことはできなかった。もう僕の両手は喪われていたのだった。僕は翼を無くしたのだ。
方舟を築き上げれば少なくとも僕は助かるだろう。だが少女はいない。人々に声は届かない。そうなると、方舟の意味が失われることになるだろう。
人々は進化しているのではない。過去に向かって遡行している。そして恐怖を忘れてしまった。恐怖を忘れたとき、人々はまた、禁断の疫を再発させる。
安らかに眠って下さい過ちは繰返しませぬから。
その災禍は人間という共同体に複雑な影響を与えた。あの日、一九四五年八月六日八時十五分という世界は、僕の手には及ばない世界だった。僕は叫ぶことしかしなかった。あの日の僕の叫びに意味があったとすれば、それはただ一つ、僕という束縛された存在を充足させるということに過ぎない。
だが、今僕が叫びにならない叫びを上げているなら、それは多分、あの時叫んでいたよりも大きな力になるのだ――と信じていたい。それか、僕はルツィファーだったのかもしれない。なぜならルツィファーの存在する限り、僕は叫び続けるのだから。
もうそこに草木が生えることが無いと、そう言われた焼け野原に萌芽したものは、人々にとっての希望だったのだろうか。希望だけだったのだろうか。それは、今僕が眼に焼き付けた世界の豊穣、そしてもう一つの恐怖に他ならない。
世界の終わりだけが、誰にも語り得ない「時」だった。それでも容赦なく、ルツィファーは人々を襲った。いつの間にかルツィファーは人々の心を蝕み、人々の中に潜入していたのだ。
逃げろという叫び声が聞こえた。次いで、ルツィファーを覆っていた殻が崩壊した。世界が呻きで湛えられて、僕は叫び始めた。
どうにもならなかった。両手を喪い、声帯が千切れた僕は、意味も無く、行く宛も無く走り始めた。だがその中途で転んでしまった。
世界は暴発を迎える。悲劇の第二幕が開ける。
僕はルツィファーが存在する限り、叫び続けねば、走り続けなければならない。そう、僕の存在の意味はそれだけしかない。だが僕はイエスでもなければヤヴェでもない。他に僕が生きる理由があれば、きっと両手は無くならなかったはずだ。
誰か助けて下さいと言いかけたとき、僕は激しく咳込みだした。咳は止まらなかった。苦しさのあまり呼吸困難になりそうだった。
地球一帯をルツィファーが覆い尽くしている。
助けてくれとは言わない。受難は終焉まで苦悶となって続く。だから、早く僕を、ルツィファーを殺せと、僕はそう願った。僕が死ねば全てが終わる。早く全てを終わらせてくれと、強く願った。
人形たちの、ミヒャエルの名を知った者、トゥーランドットのパヴァーヌが高らかに流れ。
だがそれではいけない。世界は変えなければならない。ルツィファーを抹消しない限り、人々の生きている場所に豊穣が齎されることはないのだ。
螺旋階段が遠のく。
人々が遠のく。
僕はゆっくりと、深い眠りに引きずりこまれていた。
残像は消えた街の喪われたあと、トゥーランドットのパヴァーヌは高らかに流れ
2011年7月9日、某高校の文化祭で発表した本作をここに発表したのは、その時あまり注目を集めなかったからである。
『七つの交響的断章?』の続編にあたるわけだが、続編として受け取っていただけなかったのが――というより、前作をまだ小規模にしか公開していなかったのが――原因であろうと思う。
またこの物語自体が前作を読まない限り非常に難解であることも反省点である。
が、星空文庫に『七つの交響的断章?』を載せる機会を得たので、この物語も掲載することにした。
小説は、何らかの感情を持ち、読者に語りかけることがない限り、つまり意味をなすことが無い限り、「作文」の域にとどまってしまう、と言われたことがある。
確かに、そうかもしれない。自分だけで満足してしまっては、いい小説とは呼べない。
ただ、この物語は完全に意味を失っているわけではなく、むしろ、重大なメッセージを秘めている。
それを、汲み取っていただければ幸いである。
今回も伝えたいことはいろいろあった。だがある一点を強調して「メッセージ」にしてみた。
『七つの交響的断章?』『残像は消えた街?』の二作は、万人受けしないだろう、と思う。
「こんなものを作って、いったい何がしたいんだ」と言われればそれまでである。
だが一人でも多くの方に、このささやかなメッセージが届けば幸いである。
2010年8月28日 錬徒利広