ランニング!
とある町のありがちと言えばありがちなss恋愛物です。かなり短いものですので、宜しければ少しの間でもお付き合い下さい。
ランニング part1
いつだか二人でゆっくりと下った坂道を私は今、全力で駆けていく。息はとっくに上がりきっているし、喉の奥ではかすかに血の味がする。でも、止まるわけにはいかない。その理由である手紙を握りしめひたすら走る。
あいつと出会ったのは4月の事だった。高校2年生になった時私が通っていた高校にそいつは転校してきたのである。別に興味はなかった。元々人と、特に男子と話すのは苦手だったからだ。
「じゃああの席に座って」と先生に指差された席にあいつは座る。廊下側の一番前。生徒の大半が嫌う席の一つだ。ちなみに私の席は正反対。窓際の一番後ろだ。誰とも関わらずにひっそりと生活するにはもってこいの位置で、私の聖地である。あんな転校生に関わることもない。
最初はこんな感じの出会いだ。
私は陸上部のマネージャーをしている。親から部活に入ることを強要させられていたので、地味な陸上部のしかもマネージャーを選んだのだ。実際、タイムを測ったり、大会用のゼッケンを洗ったり、ドリンクを渡したりする程度しか仕事は無かったので部員とも話しをする機会はなかった。
「2年生からで色々分からないことがあると思いますがよろしくお願いします」
部活始めのミーティングで例の転校生が挨拶をした。爽やかな笑顔だったがもちろん目を合わせることはできない。
「彼は前の学校では優秀な成績を残した――」
なんてことを顧問の先生は自分の事のように自慢しているが私の耳には届いていなかった。
同じクラスの男子が同じ部活にいる…。
それだけで今まで男子と接点を持たなかった私は不安になった。よくよく考えれば同じクラスの中に同じ部活の男子がいないという確率はあまり高くはないという事になる。なにせこの学校はこの地区の最有力校で、特に男子陸上は二年に一度くらいはインターハイ出場選手を送り出すほどだ。そんな訳で部員の数もかなりの人員がいる。当然クラスに1人はいそうなものだったのだ。だが今日からはあの転校生がクラスメイトであり共通の部活に所属する男子ということになる。今までの自分が壊れてしまうのが怖くて、地味だといじめられるのが怖くて、それからの部活やクラスでは極力転校生には近付かないようにして過ごした。話しかけられるのが、恐かったからだ。
だけどある日事件が起きた。
私は先程の選手が走って倒したハードルを立て直しに歩き出した直後、真横から物凄い力によって押し飛ばされた。一瞬にして世界は揺らぎ倒れていった。今まで体験した事もないような力に圧倒され、そのまましばらくの滞空時間を経て、ニュートンの万有引力よろしく私は地面へと倒れ込んだ。
「いきなり飛び出してくるな!!」
訳が分からないままに怒鳴られた。ふと目線を落とすと100M走のラインを示す白線が引かれている。つまり私はら100M走のコースに入ってしまったようだ。
「…すみません」
押し飛ばされた衝撃と怒鳴られたショックで相手の顔は見れなかったが、声ではっきり分かった。あの転校生だ。
それから短い時間のような長い時間のような空白の間に、ぽつぽつと雨が降りだした。それから次第に雨足は強まり、やがて肌を打つ雨粒が痛いほど降りしきってきた。蜘蛛の子を散らしたように校舎に駆け込む生徒達。屋外でやる部活は降りだした雨でもちろん全て中止になるだろう。
「…」
それまで恐らくは私を睨みつけていた転校生は何も言わずにその場から去っていった。悲しいのか痛いのか分からないが、なぜか涙が込み上げてくるのを必死に堪えながら私も立ち上がり校舎へと足を向けた。
手早く着替えをすました私は急いでロッカーで靴を履き替え、傘立てで傘を探した。しかしどこにも傘は見当たらない。
「またか…」
突然雨が降りだした時は大体傘が盗まれる。今回はわりと早く来たはずなのに、仕事が早い。
さて、どうやって帰ると考えていると――
「うわー、すごい雨だナァ」
なんて棒読みな台詞が後ろから飛んできた。振り返ってみると、転校生が立っていた。
「…おい。そこまでなら入れてやるぞ」
右手にぶら下げた傘をちょっと持ち上げて私に言った。しばしの沈黙の後何故か
「じゃあ…お願いします」
と口をついてでてきたのである。
その時なぜあんなにも避けていた相手と一緒に帰ることを承諾したのかは分からない。さっきあれ程までに怒鳴ってきた人が私に声をかけてくるのかも分からない。色んなものがそうなるようにしてなったかのような、そんな妙な必然性に導かれたこれこそが運命というのなら、随分気まぐれなものだと思う。
ランニング part2
バサッと音がして雨の中に花が咲いた。文字通り花である。
「…これしかなかったんだ」
おばさんが持つような花柄の傘を申し訳なさそうに持つ姿は、なんだか無性に可愛く見えた。そのせいかは分からないが傘の中にすんなりと入れた。降りしきる雨を割っていきながらゆっくりと校門へ向かう。途中でこれが初めての相合い傘だということに気がついた。そう考えると急に恥ずかしくなってただ俯くことしかできなくなってしまった。転校生はというと淡々と道を歩いていくだけで話しかけようともしない。もっとも話しかけられたとして、返せる言葉なんて持ち合わせてはいないのだけど。
言葉は無く、雨が傘を叩く音と水溜まりを踏む音だけが私達の鼓膜を揺らしている。景色はだんだん移り変わっていき、少しだけ急な坂にさしかかったところで転校生は口を開いた。
「部活の時のあれ、悪かった」
ぶつかったことだろうと察しをつけて私も謝る。
「私こそ急に飛び出てごめんなさい」
「…お前の声って案外可愛いんだな。全然喋らないから知らなかった」
心臓が跳び跳ねるのが分かった。体が熱くなっていくのが分かった。顔が赤くなるのが分かった。
胸のなかで甘酸っぱいなにかがはじけた。
思えばこれが恋に落ちる瞬間だった。
「もっと話した方がいいんじゃない?」
余計なお世話だと頭は言っているが、出てきた言葉はー
「ん、やってみる」
と真逆のものだった。自分の体が自分のものではないような錯覚に陥ってそれからはあまり覚えていない。何を話したのか、というかそもそも会話をしたのかすら確かではない程だ。でも気がついたら玄関にぼーっと立っていた事から察するに、どうやら体はちゃんと帰り道を覚えていたようだ。しかも制服は濡れていない。結局転校生は私を家まで送ってくれたわけである。
ランニング part3
次の日から私は少しづつではあるが転校生と会話を交わし始めた。恐れは消えていた。もちろん自分から話しかけるような事は少ないが、話しかけられて返事をすことが恐くなくなったのである。転校生と話す機会も増えていった。
単純な話だけど、それだけで世界が変わって見えた。
そんなある日私は腹痛になった。授業には出れなさそうだが、部活にはどうしても出たかった。近々大きな大会があるので、少しでも休んでしまうと仕事が溜まるのだ。だいぶおさまってきてはいたが、全快とはいかず余韻を引きずっての登校だった。
学校に着いた私はロッカーで靴を履き替えて更衣室に入った。着替えをする間に今日やらなくてはならない仕事を整理する。
「よし!」
部活に対してちょっとだけだが、気合いを入れている自分がいる。その変わりようがなんだか嬉しくて早足でグラウンドに向かった。
グラウンドに入った途端、陸上部が使うグラウンドのはしっこに人だかりができているのが見えた。
「ねぇ、どうしたの?」
駆け寄って事情を聞いてみる。自然と言葉をかけられるようになっていた自分に驚きつつ喜びつつ、しかし顔に出すことはせずに返事を待った。
「なに言ってるんだよ。例の転校生がまた転校したから大会がヤバいって事に決まってるだろ」
「あーあ、せっかく県大会までは行けるとおもったのによ」
「ちょっと待ってよ!なんで急にそうなるの!?」
「なんでも親の転勤の関係で海外に行くらしい」
「ずいぶん短い間だったなぁ」
なんで?
どうして急に?
この間の押し飛ばされた衝撃に似た感覚が私を貫いた。頭の中は真っ白になって喉がカラカラになった。息をするのも忘れてただ立ち尽くすことしかできない。
「そいやお前に伝言があるんだった」
陸上部の部長が私に言った。
「…伝言?」
「お前が来たらあいつが使ってたロッカーを見とくようにって」
聞いた瞬間、私は転校生のロッカーへと走っていった。なんだっていい。転校生と自分とを繋ぐ何かが欲しかった。早くしないと転校生と一緒に思い出までも遠くにいきそうで恐かったから。
バタンと扉も取れんばかりにロッカーを開ける。そこには丁寧に折られたルーズリーフがあった。少し震える指でルーズリーフを開く。
それは手紙だった。
ランニング! part4
手紙を読み終えた私は着替えもしないまま靴を履き替えて外に飛び出した。目指すは駅だ。
『これを読んでるってことはちゃんと伝言が伝わったってことだよな。あの部長は頼り無いからちょっと心配だったんだよ』
余計なお世話だ。
『また転校する。本当はちゃんとみんなに挨拶したかったんだけど、急だったもんだから。放課後の一番最初に出る電車で空港まで行く』
薄情もの!
『手紙はお前だけに書いた。なんだかんだで一番お前と話したり事件があったからな』
あの時あいつが傘を差し出してくれた場所があっという間に横へ流れていく。
『突き飛ばしたのは本当に悪いと思ってる。怒鳴ったこともだ』
『それで傘に入れてってやろうとおもったのはお礼のつもりだったんだけど、伝わった?』
なんて不器用な表現なんだろう。
『あの時お前に言ったこと覚えてるか?』
私の声を案外可愛いのな。と言ってくれた。
『あの言葉は本当で今でも思ってる。一杯色んな人と話した方が得だと思うぞ』
『家まで送ってやった次の日からお前はずいぶんと話すようになったよな?気付いてるか知らないけど話している顔、すっげー嬉しそうだったんだぜ?』
いつだか二人でゆっくりと下った坂道を私は今、全力で駆けていく。息はとっくに上がりきっているし、喉の奥ではかすかに血の味がする。でも、止まるわけにはいかない。その理由である手紙を握りしめ走る。
『話すこと諦めんな。時間がかかったっていいから自分を伝える勇気を持て。話すことは楽しいんだ』
書くだけ書いてどこかに行くなんて卑怯だ。私もまだ伝えたいことがあるのに…。
『お前との話しは楽しかった。またいつかどこかで』
駅が見えた。電車は今まさにドアが閉まったところだった。足はすでにガクガクでいつ倒れても不思議じゃない。それでも私は止まるわけにはいかなかった。
電車が動き出す。
無人駅だからとそのまま駆け込む。
ほんの一瞬あいつの姿が見えた。言いたいことは山ほどある。でも伝えきる時間はない。だから、一番言いたかったことを。何よりも伝えたいことを言葉にして――
「ありがとう!!」
私が嬉しそうな顔をできるのは、恐がらなくなれたのは、あいつのおかげだった。
そんな想いも全部混ぜた私の声は春の空へ吸い込まれていった。
ランニング!
数ある素晴らしい作品の中で私の作品をあなたに読んでいただく事を喜ぶと同時に最上の感謝を読んで下さった全ての方に捧げます。誠にありがとうございます。