想像してごらん

想像してごらん

子供たちの未来が、どんなものになるかは解らないけど、
理想とする未来像を、どこかに持っていなければ、
それは実現しない。

こんな夢みたいな話かも知れないけど、
いつの日か実現することを願っています。

 君が公園で遊んでいる。
ちょっと喉が渇いたから、水飲み場で水を飲む。水道の蛇口をひねると、水が出てくるよね。

その水は好きなだけ飲んでもかまわないんだ。コップ一杯十円とか言われたりしない。
本当はただでは無くて、市役所なんかが税金から水道料金を払ってるんだけど、君が飲んだ分をわざわざ君に払わせたりしないんだ。
君がお金を持ってたら、ジュースを買う事も出来る。でも、お金がぜんぜん無くても、喉が渇いて困る事は無いんだ。

もしも、それと同じように公園の隅に自販機みたいなものが有って、パンが出て来たとしたらどうだろう。おにぎりでも良いね。お金を入れなくてもボタンを押すとおにぎりが出てくる自販機だ。お腹が空いて困っている時に、そんな自販機が有ったら良いよね。
お金が無くても水が飲めるのと同じように、お金が無くてもおにぎりが食べられるんだ。

今、そんな事を考えている人たちが居る。そういう仕組みをベーシックインカムって言うんだ。


昔のお百姓さんは、田植え機もコンバインも無かったから、手で田植えや稲刈りをしていた。
だからそんなにお米は取れなかった。
でも今は機械でやるから、一人で何百人分もの仕事が出来て、沢山のお米が取れる。

工場で働いてる人もそうだ。昔は何十人もの人が、ベルトコンベアの前でネジを締めるような仕事をやっていた。
でも今はロボットがそういう事をするから、人間は居なくても良いんだ。
お店だって自販機になったりして、人が居なくても物が買える。

でも、そうなると今までネジを締める仕事をしてた人は仕事が無くなるよね。
スーパーのレジを打ってたおばさんもそうだ。
お百姓さんだって、皆がいっぱいお米を作ったら食べきれなくて、お米が売れなくなる。

物は沢山有るのに、仕事をしていない人はお金が無いから買えなくなってしまう。

それに年を取って仕事が出来ない人や、病気になった人も同じように困ってしまう。
今までは年金とか保険とかが有ったんだけど、仕事が無い人は、年金にも入れないし、お金が無いから保険もかけられない。
だからベーシックインカムっていう制度を作って、みんなにお金を分けてあげようって考えてる人達がいるんだ。


ただし、これには問題がある。そのお金を何処から持ってきて、いくらずつ配れば良いかっていろんな意見が出てきてる。
でも一番問題なのは、それをお金で配る事だと思うんだ。
お金は腐らない、いくらでも取っておける、銀行に預けることも出来る、何でも好きなものが買える。
だから、お金を配るって言うと欲しがる人が沢山出てくる。
貰っても、これだけじゃ足りない、もっと欲しい、って言う人も出てくるかもしれない。


だからおにぎりの自販機が良いと思うんだ。
おにぎりなら二個くらい食べればお腹いっぱいになる。
それ以上は、もう食べられないから無駄なだけだ。
それに明日の分は明日また自販機に出してもらえば良いんだ。

もし水道を出しっぱなしにするような悪戯をされて困るなら、カードやおさいふケータイのようなもので、ピッとやって出すようにしても良い。一ヶ月に百個までとかね。


そうなったらどうだろう。想像してごらん。
今まで、お金が無くてお腹が空いて困って泥棒してた人も、そんな事をしなくて良いんだ。
赤ちゃんの居るお母さんが、嫌な仕事を無理にすることも無くなるだろう。
仕事がとってもきつくて辞めたいけど、給料貰えないとご飯が食べられなくなるからって、我慢していて死んじゃった人も居る。そんな人も、仕事してて死ぬよりは、おにぎりだけでも食べられればいいや、と思うだろう。

そして、もっとごちそうが食べたければ、一生懸命働いて給料を貰って、そのお金を払ってごちそうを食べれば良いんだ。


もちろん、ベーシックインカムはそんなに単純じゃ無い。
病気の人がお医者さんに診てもらう時とか、子供が学校に行くのにお金がかかるとか、いろんな話が有る。
そういうのにかかるお金は無料にしてあげれば良いんだ。住む処や着る服もね。

想像してごらん。
そうなったら君は、ご飯が食べられるか気にしないで、好きな事が出来るようになるんだ。
歌手でもサッカー選手でも小説家でも成りたいものを目指せる。
成れるかどうかは、君の実力次第だ。

自販機なんかに頼らずに、毎日ごちそうを食べられるか、毎日自販機のおにぎりになるかは判らないけど、食べる事は出来るようになる。
未来はそんな時代になって行くと思ってるんだ。

想像してごらん

現代の日本にも、有る意味で弱肉強食のような社会が
形成されつつ有ります。
生活保護は打ち切られ、年金は支給が危ぶまれ、
持っている人は他人に分け与えず、
さらに自分のためだけに、財産を蓄えようとする。

ブラックと呼ばれる企業に使い捨てにされ
最低限の生活さえできなくなる人も出てきます。
そして、それを「自己責任」という言葉で見捨てる社会になりそうです。

でも、物を買ってくれる人が居るからこそ
企業や生産者はやっていけるのです。


考えてみれば、現代の日本ではモノは余っています
食料や日常の生活必需品でも、不足しているものはありません。
食料などは、日々廃棄されるものも膨大な量です。

ただ、それを入手するのに「お金」というものが介在するから
人々はそれを手に入れようと、悪戦苦闘しているのです。

また、将来「お金」が不足することで、食糧さえも手に入れられず
餓死するという恐れが有るので、せっせと蓄財をするのです。


正当な努力は評価されるけれど、それに失敗しても
自殺や餓死しなくて良い社会が、いつか実現できると思っています。


こんな考えを基にして、私が書いたストーリーも有ります。
「パンとインターネットの時代」という短編小説です。
星空文庫にも上げてありますので、興味がありましたら
そちらも読んでみてください。
http://slib.net/4364

想像してごらん

君が望むなら、こんな世界も実現できるかも知れない。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-05

Copyrighted
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