神の過ちをよそに初老の男はコーヒーを嗜む。
この世界でもっとも大きな大罪の一つとして、
人間が智恵を手にしたことがあがる。
それは人類人間の英知として崇められ、
または地球をじわじわと壊すお題目として使用される。
果たして、これは成功と言えるだろうか、あるいは失敗すなわち過ちとなるのだろうか。
今日、他を尊重し、多の意見が存在する中
この疑問に対しての答えは存在し得ない。
しかし、わたしのなかにはもちろん
ベンチに座ってコーヒーを飲みながら新聞に目を通す初老の男にも
おそらく明確な答え、というものが存在するのだろう。
目線を変えれば、相反することでも同時に存在するかのような
まるでたちの悪い学者が飼っている猫のようだ。
そんな考えにふけながら
私はいつもの白いベンチの上で
コーヒーを嗜むのであった。
神の過ちをよそに初老の男はコーヒーを嗜む。